四十六回目『知らない方が幸せ』
城内の稽古場で剣を振り払いながら、俺は迷っていた。このままで良いのかと。
「はっ、はあぁぁぁあ!」
ヒュンと音を立てて剣が空を斬る。何かを斬ろうとしたわけではない。何でもない誰もがやるような素振りだ。
だが真面目にやってない。気分転換、この胸のつっかえが少しでも和らげば良いと思ってやっている。
こんなことをしても無駄なことはわかっている。わかっているのに、何かをやらずにはいられなかった。
「はあぁ……」
「――何をため息などついているんだ?」
「な、これはアイバルテイク団長。お見苦しいところを……」
いつの間にか壁にもたれ掛かっていた、エクシオル騎士団のアイバルテイク団長が声をかけてきた。
声をかけられるまで全く気づかなかった。集中しすぎていた、と言うよりは……。
「責めている訳ではない、悪いことではないのだから。人である以上悩むのは当たり前だ。ましてや君は上に立つのだから、気負うのこともあるだろう」
その通り、なのかもしれない。だがそれでも俺は団長だ。あまり団員に心配をかけるわけにはいかない。
今の状況だと尚更だ。姫さんだって頑張ってるし、ミカヅキだって……。まだまだ子どもだと思ってたのに、いつの間にか追い越されてしまいそうで焦ってしまう。若さ故の焦りか……。なんて言う歳じゃないんだけど、どうしたのかねぇ……。
「ええ、お気遣いありがとうございます。ですが、俺も一人の団長です。父から受け継いだ大切な団員のために、いつまでも悩んでるわけにはいきません……って、頭ではわかってはいるんですが、これがなかなかうまくいかなくて……」
なぜかアイバルテイク団長は暗い表情になった。
悪いことでも言っただろうか……?
「ガルシア・グランディールか。懐かしいな」
「父を、知っているのですか!?」
「当たり前だ。あの戦場で、彼の男を知らぬ者はおらん。それほどまでに強い男であった。敵であっても敬意を払うほどに。故に、死んだと聞いた時は耳を疑ったものだ」
前国王が腕を認めたとは聞いていたが、やはりかなりの実力者だったらしいな。
アイバルテイク団長ほどの人にも敬意を払われるとは光栄です。
……俺も、死んだと受け入れるには時間がかかった。でも、息子である俺が弱いわけにはいかない。だから鍛えて、前国王にも認めてもらい、父の後の団長になることができた。
団長らしい力も手に入れた。父のためにも、俺は立派な団長でなければならない。なのに、ヴァスティには敗北し、師匠であるオヤジも失った。挙げ句、先日の稽古ではレイディアに傷を負わせることすらできなかった。
上には上がいる。わかっていたはずなのに……。
――予想外だった。こんなにも自分が弱かったなんて。手に入れた強さなど、他国の猛者たちからすれば、道端に転がる石ころ程度のレベルでしかなかったんだ。
前王のおかげで落ち着いていた戦争も、帝国が再び始めようとしている。
今も戦争が続いていたら、俺も少しはましだったのだろうか?
……ダメだ。こんなことを考えてしまっては、帝国のやつらと同じじゃないか。
俺はあの時から何も変わっていない。
「……。レイ・グランディール、剣を抜け」
「は、はい」
急な抜剣に理由はわからないが、とりあえず言う通りにした。
なぜなら先程とは違い、真剣な表情に変わっていたからだ。
「アリア、頼んだぞ! 今の貴様では、戦いが始まればすぐに死ぬだろう。覚悟が無いのなら、ここで私自らが殺してやろう!」
後ろの方にいつの間にかいた少女に指示を出して、アイバルテイク団長も身構えた。剣を抜かずに――素手で。
以前にも見たことがある少女だ。神王国に同盟に行った時に、ヴァンやレイディアと決闘で結界を使っていたはず。
予想通り、周りに透明な壁が形成された。
いきなりの発言にも驚いたが、すぐに意識は目の前の男へと集中した。
「フンッ」
一瞬だ。ほんの一瞬の間に、アイバルテイク団長は剣が当たるような距離まで詰め寄ってきていたのだ。拳が剣にぶつかる寸前でなんとか意識を切り替える。
ものすごい衝撃が剣から腕へと伝わる。まるで城の壁にでも叩きつけたかのような凄まじいものだった。
なんとか耐えようと踏ん張るが、後ろに押されるのは必然なのだろう。足下の地面の土が盛り上がり、少しだけストッパーの役割を果たすかと思ったが、このタイミングで拳が引いた。
「この空間は、外から中の様子は見えない。自由に戦え。全てをわたしにぶつけてみろ!」
感謝した。
立場やプライドを考慮してくれたとわかる。それが俺を縛っていることなどお見通しらしい。
ここでは団長やガルシアの息子と言う肩書きを気にしなくて良い。レイ・グランディール、一人の男として自由に戦って良いと言ってくれたのだ。
「いつまで下を向いているんだっ。貴様はそんな臆病者なのか!」
「俺は……っ」
「人は弱い。だからこそ他者の力を借りようとするのだ。貴様は弱い、だがそれがどうした! 弱さから逃げても、無駄なだけだとわかっているはずだ!」
その通りだ。
俺はわかっている。そしてその上で逃げている。わからないふりをしている。
――何度も拳を受け、衝撃を耐えながら色々なことが頭を過った。ずっと思い出せなかった記憶が、あの時、最後に父が俺に言ってくれた言葉を呼び覚ました。
「――自分を認めろ!」
俺はこの時を待っていたのかもしれない。
ずっと、ずっと、父を見送ったあの時から……。
「しんみりとしてんのは似合わないなんて関係ない。俺は――俺だ」
何かが吹っ切れた気がした。
いや、違う。
人はこれを、覚悟を決めた、と言うのだろう。
あぁ……俺はもう、覚悟を決めたよ、父さん――。
その瞬間、胸元に焼けるような痛みを感じた。
「ああっくっ、な、なんだ……!」
「封印だ」
「封印?」
いったい何を封印していると言うのだ?
と言うか俺に封印をされた記憶なんて無い。それに俺の何を抑える必要があるんだ。
そこまで考えて、ある記憶が浮かび上がる。
父を見送ったあの時。父は怪我をしていた。なんて怪我をしていたのか教えてくれなかった。いつも笑顔の父の顔が困っていたのは唯一その時だけだ。
どうして怪我をした?
戦場で怪我をした?
いや、俺は、おれは……。
「……俺が?」
靄がかかってはっきりと思い出せない。何かが思い出すのを拒んでいるような。
封印しているのは記憶か……いや、違う。なぜだか確信していた。封印しているのは別の何かだと。
「ようやく歩み始めたか。なら次の段階に進めよう。発動――輝光士」
「っ……。考えるより、行動ってことか……」
最近は驚いてばかりだ。なんて冗談を考えるだけの余裕は出てきた。
「行くぜ――輝光士!」
二人の体が光を帯びる。
ーーーーーーー
勝てなかった。
なのに俺は少しだけ満たされていた。
ずっと引っ掛かっていたものが、取れたまでとは言えないが、前よりは良くなっている。
アイバルテイク団長は父のことを何か知っているようだったが、結局訊く機会を逃したまま去っていった。
また次に会った時にでも訊いてみよう。
単純なのかもしれないが、今の俺は前より確実に気分が良い。
レイ・グランディール。そして俺の父、ガルシア・グランディール。
母は父が亡くなってから女手一つで育ててくれた。騎士団員も顔を出してくれて、毎日のように色んな人から稽古を受けた。
そんな母は俺が騎士団長になったのを見届けた翌日、眠るように息を引き取った。
とても穏やかな表情が今でも思い出せる。
満足したんだろうな。どうせなら孫の顔を見せてやりたかった……。相手はまだいないけど。
そのうち見つかるさ。
一人ガッツポーズをして、ふと思った。そろそろ真面目に相手を見つけた方が良いかも。
帝国との戦争が終わってから、早速探すことにしよう。そのためにも生き残らなければならない。
ーーーーーーー
それから身体中にギシギシとした痛みを感じながら、おばちゃんに診てもらうために医務室に向かっていた。
途中に廊下の向こう側から、一人の美人な女性が歩いてきた。
「誰かと思えば、ミルダさんじゃないですか」
「あら、レイさん。ご苦労様です。今日の成果はいかがでしたか?」
俺はできるだけいつもの調子で話すことを意識した。油断したら痛みでふらふらとしそうなのだ。女性に心配かけるなんて、男として恥だ。
ミルダさんも相変わらずのキリ顔で返してくれた。
心の中でよかったと胸を撫で下ろす。
その時だった。後にして思えば、安堵したのが油断に繋がったのかもしれない。
「良く見るとボロボロですね。今からおば……医務室に向かうところでしたか」
「あ、ああ、そう言うこと。今日も昨日より強くってな。俺は団長だから、こんなところで立ち止まっているわけにはいかないんだよ」
マリアと呼ばれた少女の結界のおかげで、外見的な負傷はしていないはずなのに、どうやら疲労が溜まっているのはバレバレらしい。敵わないなぁ。
ミルダさんはいつだってそうだ。俺だけじゃない。今までも、俺以外の団員や周りの人の異変にはすぐに気づいていた。そして、本人が拒んでも、無理やり医務室に連れていくこともあったっけ。そんな時に限って、手遅れ寸前の重症ばかりだった。逆に言えば、手遅れ寸前のやつしか無理やりには連れていかなかったな。
よくみんなのことを見てくれている。
だから本人には言えないが心から感謝している。本人には言えないが。理由は……まぁ、その、いろいろあるんだ。
そんな人だったからなのかもしれない。
「そう言えば、今日の稽古の時に特有魔法を使ったら、胸の辺りが焼けるような感覚に教われたんだけど、ミルダさんは何か知ってるか?」
今日の妙な出来事について話してしまった。決して悪いことをしたわけではないから、疑問以外に抱く必要は無いのだが。その言葉を聞いたミルダさんの表情が一瞬だけ驚きのものへと変わり、次の瞬間には悲しそうな、申し訳なさそうなものへと変わっていた。
焦った。まずいことでも訊いてしまったのかと。
だが、すぐにミルダさんへと意識が移される。
「遂に来てしまったのですね」
何を言っているのか、何が言いたいのかわからなかった。いったい何が来てしまったのか?
俺の記憶には焼けるような感覚に覚えはない。
それにこんなことは初めてだった。
そこまで考えて、俺は答えらしきものを導き出した。
――まさか、ミルダさんが?
いやいや、ミルダさんが俺に何をすると言うのか。
などと思考を回転させていると、ミルダさんは俺の目をまっすぐに見ながら言った。
「――真実を、知りたいですか?」
正直迷った。俺はミルダさんを信用している。だからこそ、たとえ俺に何かしていたとしても、そこには必ず理由があると思ったからだ。
でも、それでも、俺の心の奥から声が聞こえた気がした。
――知らなくてはならない。
おかげで不思議と迷いは消え去った。
俺の答えは――、
「ああ、知りたい。どんなことだろうが、俺は“真実”を知らなくてはならない。……そんな気がするんだ」
返事を訊いたミルダさんは、一度ゆっくりと瞬きをしてから、翻して「ここでは何ですから」と医務室にて話してくれることになった。
何についての真実なのだろうか。
俺はとっくに答えを知っている気がする。そうだ、引っ掛かっていることが一つあるじゃないか。
そうだ、あの日の出来事が……。




