間話『与えられたもの』
稽古終わり、夕食の後のレイディアの自室。
そこにはレイディアはもちろんのこと、シルフィが部屋を訪れていた。理由は今日も一緒に寝るためである。それともう一つ。
彼女曰く、話があるとのことだった。
紅茶をヴィンテージもののコップに注ぎ、飲む前に香りを味わう。香りで心地よさを感じながら、ゆっくりとコップを傾けた。
「お兄さま。お兄さまは、“ロリコン”と呼ばれる方なのですか?」
間が悪い、とかタイミングが悪いとはこういうことを言うのだろう。突然の質問に、本来はゆっくりと体へと注ぎ込まれるはずの香りが良い紅茶は勢い良く喉を通り、ゴクリと音を立てて飲みほされた。
吹き出せばシルフィにかかるため、そうならないよう彼なりに配慮した結果だ。
とはいえ、そんなことを訊かれるとは思いもよらなかった。
「……う、あぁ……。すまない、もう一度聞かせてくれないか?」
「その、偶然レイさんの話を聞いたんです。レイディアはロリコンだろうな、と」
レイディアは記憶を呼び起こしている少女に微笑みながら思った。良い度胸じゃないか、と。
もちろん表情には全く出さずにだ。彼女の前では、他国から恐れられる存在ではなく、一人の妹に甘い兄となる。
しかし、これが後日の、レイたちの稽古に乱入する要因となったのは間違いない。
「私はロリコンなどではない。私は……」
彼は説明しようと指を立てた状態で考えた。どう言うべきかと。まだ幼い少女に、どう教えたら良いものか、と。
実際はどうあれ、彼にとって少女はまだ幼い妹なのだ。なおかつ自身を兄として慕ってくれている。故に、ここで好みの話をしておくべきなのか、と自問自答を繰り返した。
「まぁ、気にすることはない。“ロリコン”については、知るべき時が来たら教えるよ。それまで誰にも言ってはだめだ」
「お兄さまがそう言われるのなら……わかりました。お兄さまとの二人だけの秘密です」
目の前で、指を口元に当てて、いわゆる内緒ポーズをする少女を抱きしめたくなるのは、決して“ロリコン”だからではない。などと、誰にも聞かれることの無い言い訳を心の中で呟きながら、微笑みを返して頭を撫でた。
「外の世界はどうだ、もう慣れたか?」
「はい。お兄さまのお話の通り、素敵なものがいっぱいです。でも、怖いものもたくさんあります」
笑顔で本当に楽しそうに話してくれた。
あの狭い中で、今まで長い時間を過ごしたんだ。事が始まるまでは、ちょっとした自由ってのも良いだろう。私が本当に、予言の者であるのかはわからんが、たとえ違ったてしてもなってやるさ。
だが私は、最悪の選択ができる立場でなければならない。その結果、失うことになったとしても果たして見せる。それこそが物語の“脇役”ってもんだろ?
主人公は恐らくミカヅキだろう。あいつが来てから色々と動き始めた。おかげでシルフィも外に出ることができた。これがこの先どう転ぶかだな。
ま、この笑顔を守るためなら、私は何だってやってやるさ。何だって、な。
ーーーーーーー
シルフィを先に寝かしつけて、夜空を見上げながら一人で考えていた。背中には小さな寝息が届いている。
「ロリコンですか?」などと訊かれるとはさすがに思っても見なかった。まぁ、変なことを吹き込んだ野郎には、お仕置きをしてやるが。
この世界にも、“ロリコン”と言う言葉が存在していたことにも驚いた。もしかしたら発生源はミカヅキなのかも知れないな、と可能性を思案しながら、淡い光を放つ星を見つめた。
視線を下ろせば城下街の、人々の灯りが心を落ち着かせる。
「そう言えば、お主も星が好きだったな……。何度も一緒に、天体望遠鏡で見たっけ」
もう再び会うことは無いと覚悟した。
思い出すは、今では薄れ始めているもとの世界での記憶。こんな争いの日々とは無縁だった頃の記憶。この世界に来てから、何度も思い返した記憶。
でも、時折思ってしまう。
――帰ることができたなら。
何度も繰り返し、時には宣言した。私はここに残る、と。……言いつつも、決めたと考えつつも、“もう一度会いたい”と“話したい”と思ってしまうのは弱さなのだろう。
「だって、私がここにいれるのは、お主が助けてくれたおかげなんだ。あの時、諦めかけた時に、声を掛けてくれたから、私はこうして生きている。恩返しくらい、したいと思うのは当然じゃないか……」
目を閉じて、あの頃の景色を思い浮かべる。
これが完成した以上、帰還の可能性も出てきた。実際にやろうと思えば、やれるかもしれない。銃を現出させて眺めた。
であっても、“まだ”やれない。
私もまた、お主のように誰かの役に立ちたい。誰かを支えてやりたい。そう思えるようになったんだ。その矢先、だったもんな……。
「原因不明。でも確実に体は弱っていっている。もう長くはないと医者にも言われた」
そう言えばお主は、お主だけは原因がわかっているようだったな。
「何かに力を分け与えてる感じ。でもね、不思議と怖くないの。何て言うか……これがわたしの運命、みたいな」なんていつもの笑顔で言いやがって。お主が受け入れていたから、私たちは何も言えなかった。
わかっているさ。私が認めた相手だもの。それを見越してのことだろう?
でも、だからって、最後まで意地張ること無いじゃないか。入院してから私の前では、あの一度しか涙を見せなかった。だから私も微笑むことしかできなかった。本人が泣いていないのに、私が泣けるはずがない。そんなの、自分が辛いとアピールしているだけだ。そんなこと、できるはずが無かった。
会話は減ったのに、前よりお互いのことがわかりあえた。
「不思議な感覚だったよ。そばにいるだけで、心が暖まるような……。これこそ、心が通じ合うって言うのかと思ったな」
この記憶は他者からすれば、悲しい、辛いなどと思われるかもしれないが、口角が上がっていることに気づいた。
私は思う。幸か不幸かは、他者ではなく、自分自身がどう感じたかで、自分自身がどう思うかだ。哀れみなんて、本当の幸せをまだ知らないからこそ、やってしまうものなのだろう。悪いことではない。なぜなら、“本当の幸せ”は、簡単に知ることができないからだ。
地位や名誉や富では、手に入れることはできない。己の覚悟を決め、越えるべきものを越えた時こそ、“本当の幸せ”を知ることができるのだろう。
故に、次第に弱っていく女の子と、それを何もできずにそばにいただけの男の子でも、私たちは“幸せ”だったと思えてならない。
「そうだろう。そうじゃなきゃ……最後まで、私に微笑んでくれないだろ」
――ありがとう……大好き……。
微笑みながら、筋を作りながら紡いだ言葉。これが、最後の言葉だった。
私もしっかりと微笑みを返していた。頬に温かいものが流れるのを感じながら、微笑んでいたんだ。
私はそれからすぐにこの世界に転移した。
泣く暇なんて無かった。生きるので精一杯だった。そんな私に、“場所”を与えてくれたのは――。
「全く、次会ったらなんて言われるかな。怒るかな、やきもち妬いてくれるかな。……だから私は、必ずもう一度――」
いくつか滴が床に落ちていたのに気づいた。
指で目に溜まる滴を拭い、ゆっくりと深呼吸を一回。
すると、だんだん瞼が重くなってきた。
さすがにそろそろ寝ないとな。考えすぎ、確実にこれは言われるな。今は次に会った時に怒られないように、目の前のことに集中するとしましょ。
ーーーーーーー
――あくびをしながら、今後の稽古の予定へと思考を切り替える。
それぞれの進捗具合と、残りの時間を照らし合わせ、稽古の内容を考える。
「さてさて、気持ちを切り替えてっと」
目の前に特有魔法の、『机上書庫』と呼ばれる透けている本棚を現出させる。
――『机上書庫』は、特有魔法の一つで、持ち主の魔法士に選ばれた者のみが使用を許可される。
能力は、名前を呼ぶと透けた本棚が目の前に現れ、呼び出した者のみが触れることができ、他はすり抜ける。本には、持ち主や使用者が見たものを記録でき、映像、または文字として閲覧ができる。
正確には他者に使用を共有する魔法であり、基本的に本人しか使えない特有魔法の中では珍しい部類である。
ちなみにこの魔法の魔法士は私ではない。だが、使用を許可されているのでこうして自由に呼び出せるわけだ。ま、使用者以外には触るどころか、見ることもできないため、周りから見れば何かを一人でしている変な人である。
これを使い、稽古の状況を知るのだ。目で“見たもの”に限らず、当人を中心として、方向転換が可能なのも便利なところだ。まぁ、そのせいで色々あったりもしたんだが余計な話だろう。
ともかく、現状は全体的に順調のようだった。
1ヶ月にしては、かなりの進み具合で、正直驚いている。なにせ最初はヤバいかもと思っていたから。それで手回ししたのが功を成したらしい。
「まぁ、あれに対応する指揮能力と、対応力の高さよな……」
思い出して苦笑する。
「――期限を半年で対応してほしい」なんて我ながら無茶を言ったものだ。
さすがだわ。
「このまま進めば……予定通りだが、そう簡単にはいかないよな」
ここら辺でなにか祭りでもやって、気分転換をさせなければと考えていた。連日の稽古で、肉体だけではなく、精神的にも疲労が溜まっているはずだ。
さてー、どうしたものかー。
ぐいーっと伸びをしながら思考を巡らせる。……今度、意見を募ってみるか。
実際にこの目で、今現在の全体の実力を試しておくのも必要だし。
「んーーーーーーーーー。んーーーーーーーーーー」
「……舞踏会、はどうですか?」
よほど私の唸りがうるさかったのか、シルフィが重そうな瞼でこちらに歩み寄ってきた。
「すまん、起こしたか……?」
「……いえ、全然平気ですよ」
眠たいだろうに、心配かけまいとそう言ってくれる。だから少し恩返しをしてやろうとニヤけてしまった。
「ありがとうな、シルフィ」
「わ、わぁ」
世に言う、お姫様抱っこである!
ふははははははは、どうだ、嬉しいだろう?
泣いて喜ぶが良いわ!
などと、調子に乗るのは心の中だけで、表情はちゃんと微笑みを維持している……はずだ!
「おにい、さま……?」
ぼんやりとした表情と眼差しで私を見つめる。やはり眠いのに変わりないらしい。頬を赤くしているから、半々ってところだな。
「このままベッドまでお運びいたします、お嬢様」
「ぅ……ありがとう……ございます……」
顔を隠すために俯くが、隠しきれていないのは内緒である。
とまぁ、無事ベッドに降ろして、布団を被せる。微笑みながら優しく頭を撫で、さらさらの髪をくるくるといじってしまう。だって、さらさらなんだもん。
時々しかしてないし、本人だってこれで落ち着いて眠れそうになっているから、大丈夫さ!
……ロリコンではないが、俗に言う“髪フェチ”と言うやつなのかもしれない。
「さらさらだな……じゃなくて、もう遅いし、私もすぐに寝るから、先におやすみ」
静かな寝息が耳に届いたのを確認して、もう一度情報を整理しようと、ベッドから立ち上がって気づいた。
服の袖を掴まれていた。そりゃもうしっかりと。前回、これを離そうとしたら起こしてしまい、服を身代わりにしたら肌寒くなりなどの事態になったことがある。なのでこの場合……寝るしかない。
姉妹揃って……やっぱ、似てるよな。髪がさらさらなところとか……………………いや、何でもない。
でも、舞踏会か。……いや、いっそのこと天下一を決めるあれみたいな武道会の方が良いのでは。舞踏会ならいい気分転換になるだろうし、武道会なら実力を試すこともできるし、祭りのように景品なんかも用意すれば盛り上がるだろう。
なかなか面白いことを提案してくれたよ。
「ありがとうな」
鼻と鼻を軽く当てる。
決して私の趣味ではない。以前にお願いされたからやるだけだ。まぁ、悪く思っていないのも事実だが。
「時々、こうしてくれませんか……?」と最初にされた時は顔がものすごく赤くなっているのがわかった。
だから寝ている時にするのが主流になっている。それでも顔は熱いが……。ちなみに、時折起きていることがあるので、判断は顔の赤さでする。
が、恥ずかしくて顔を見れないのが事実である。
「おやすみ……シルフィ」
ちなみに翌朝、寝起きのタイミング良く、お返しをされたのは言うまでもない。もちろん、寝た振りをしていたさ。
……バレてるだろうけど。




