三十八回目『あの日々』
「(我が名を以て、全ての国に対し、宣戦布告を行う!)」
アインガルドス帝国皇帝から宣戦布告が成された。世界中の大人から子どもまでほぼ全ての人々が、手を止めて動向を窺う。
親切にも皇帝が直々に概要を説明した。
――宣戦布告を行うが、唐突すぎて対応ができないと考え、準備の期間を用意する。
一年。
丁度一年後の同日に、再び宣戦布告を行う。その際は、アインガルドス帝国の全勢力を以てこの世界の征服を開始する。
一年以内に進軍してきた者たちも全力で排除を行う。
最後にこう告げた。
「(皆の力を目にするのを、楽しみにしておこう)」
その後、声は消えた。
一年間の猶予。
それをどう使うかによっては、戦局が変わる可能性がある。
各々は既に、どう有効活用するかを考え始めていた。
同盟した二つの国、並びに隣接する小国の数々。
そして、ヴィストルティも含まれていた。
ーーーーーーー
ヴィストルティの拠点。名前は希龍院。名前を知っているのはメンバーだけである。
表立っては帝国と神王国の間にある、森の中の木造の小屋なのだが、中には地下に入る道があり、そこが主な拠点として利用されている。
地下構造は地上の小屋とは比べ物にならない程に広く、メンバーのほとんどがここに住んでおり、作戦本部兼居住区として利用していた。
「ついに――」
「リーダー。ついに時が来ましたね」
「……ああ、そのようだ」
黒い髪に黒い瞳。
髪型は目が隠れる程の長さである以外の特徴は無く、顔つきは若々しさと共に大人びた雰囲気も感じさせた。だが、今は前髪を後ろに上げてカチューシャで止めてオールバックにしている。
リーダーと呼ばれたこの青年の名は――ハクア。
ヴィストルティを率いる者で、レイディアとマリアンが一目で警戒すべきと判断した男。
隣には、藍色の髪を短く切り揃えた少年が立っていた。
どことなく人懐こさを感じさせる、明るい笑顔が特徴的だ。身長はハクアより少し低めである。
リーダーは言おうとしたことを遮られた上に、隣の少年に先に言われてしまった。少年は気づいていないらしい。
「僕たちも少しは休めますか?」
どう答えるのかわかっているのか、苦笑しながら尋ねる。
対してリーダーは、遠くを見つめたままで返答が無かった。
「あれ……リーダー?」
「……ん、あー、なんだ?」
少年が再度呼び掛けると、聞いていなかったのか苦笑した。
「今の聞いてなかったでしょー」
二人と一緒に小屋の外で様子を窺っていた、栗色の髪の少女が確信をつく。
だよね、少年と一緒に笑いあった。
「すまんな。昔のことをな……」
「もしかして、昔の彼女さんのことですかー?」
いたずら小僧感の表情全開の少年。少女も返答が気になっているようで、チラチラとハクアの顔を見て見ぬ振りをしている。
ハクアは一度ゆっくりと瞬きをしてから答えた。
「残念ながら彼女では無いよ。共に戦っていた、大切な仲間たちのことを思い出していたんだ。今となっては、懐かしくも悔しくもある記憶だよ」
ハクアは手を強く握りしめる。別に意識した訳ではない。無意識の内に拳を作っていた。
「そうでしたか……」
「ハクア……」
「そして、私が戦う理由だ。そんな私個人の我が儘で、希龍院のみんなを戦わせていることは申し訳なく思う。だがこれが、生き延びた私の役目だと思うんだ」
まだ子どもの二人の頭を優しく撫でながら微笑む。
二人は子どもなりにも感じていた。表情の奥に悲しさが潜んでいることを。
彼は気づかれていることを察してはいても、決して口には出さない。
だからこそ、彼の周りの者も言おうとはしない。彼らの暗黙の了解なのだろう。
「まぁ、今の仲間はお前たち希龍院のみんなだ。だから、なんと言うか……安心してくれ、かな」
良い言葉が思い付かず、断言できずに首を傾げる。
――私は無駄にしてはならない。ああ、そうだ……。お主に救われたこの命、決して無駄にはしない。
頭の中で命の恩人に感謝を述べる。
だから、悪いがもう少しそっちで待っていてくれよな――。
最初の頃は悲しみや怒りと悔しさで支配されていたが、新しい仲間と出会ったことで彼は自分を取り戻した。
最後に少し言葉を携えてから名を呼んだ。会うことはできても、もう二度、相容れることの無い者の名を……。
ーーーーーーー
二か国同盟の会議中に皇帝からの宣言があり、戸惑いつつはあったがミーシャが渇を入れることで免れた。
そして宣戦布告によるものも含めた内容を進行させた。
途中にレイディアが参加し、その手腕もあってか順調に進んでいった。
「あの皇帝の言葉を全て信用する訳ではないが、時間がもらえるならどう使うかが問題だ」
レイディアが途中参加ではあったが、進行役をミーシャから譲ってもらって、改めて情報の整理、並びにこれからのことを議題に話を進めた。
「戦力を向上させるのは決まっていても、今回の襲撃で両国とも、被害は無視できないレベルだろう」
四大公の一人、ヴォーデビルトが言及する。
ここでほとんどの者が察した。今回の襲撃は戦力を低下させる目的も含まれていたのでは、と。
真実はどうあれ、実際の戦力の低下は何とかしなければならない。特に戦力筆頭の騎士団の損失が目立った。
神王国のエクシオル騎士団は、3分の1の人数が死亡。残りも軽症、重症と様々だが、ほとんどの者が負傷している。しかし、主力となる戦力者は健在。
王国のガルシア騎士団は、エクシオル騎士団に比べると死傷者の数は少ないものの、死者の中に主力となる戦力者が数人含まれていた。
「国民から募るしか無いだろう」
「志願騎士か。あまりやりたくないが……そうするしか無いな」
レイは悔しそうに眉を寄せながらも渋々賛同する。
他の者たちも、思ってはいても異論は言わずに賛同した。
空気が重苦しくなり始めた時、再びレイが口を開く。
「俺は……提案なんだが、ガルシア騎士団とエクシオル騎士団の両騎士団で鍛え合いたいと思っている。個人的には、またヴァンと戦いたいんだ」
「お、おれか!?」
急に名前を呼ばれたヴァンは驚いた。油断していたのだろう。
レイディアも笑いながら提案に賛同する。
「こちらとしてもありがたい。団長からエクシオル騎士団の作戦は一任されているから、まぁ、大丈夫だろう。ソフィはどうだ?」
自由人のレイディアでも、今回はさすがにソフィに尋ねた。
「私に異存は無いわ。あなたのことだから、また何か企んでいるんでしょう?」
「企んでるとは失礼な。戦略的に考えていると言ってほしいな。――とまぁ、レイ。こちらとしては賛成だ」
と言う風に色々あれど、二か国同盟の会議は終わりを告げた。
ミルダはミーシャの成長に喜びながら、レイディアの凄さを改めて感じていた。それはレイも同じだった。
襲撃による両国の死傷者、その中に含まれる騎士団及び国民の数、傷の具合。それから現在の復興状況。今回の襲撃による被害、並びに現在の進捗状態の全てを見事に把握し提示して見せた。
王国側から提示した情報もあったが、既に知っているように迅速に対応した。
神王国の者たちが、なぜ信頼を置くのかを見せつけられた気分だった。噂は聞いていたが、百聞は一見にしかず、と言うことわざのように実際に目にすることで思い知らされたわけだ。
レイディア・オーディンは騎士としての実力もさることながら、指揮能力、政治的手腕は、それを専門としている者以上に高い。
恐怖すら感じた。同時に味方であることに安堵する。
――そして、稽古内容はレイディアとレイが話し合って決めることになった。
軽く決まっているのは、できるだけペアで組ませて、一対多数より綿密なものにすること。
終了時期は一年後ではなく、一年より少し早めに終える予定にしている。そうすることで、心に余裕を持たせることができると考えたからだ。
他にも幾つか理由はあるが、それは全体の内容によって変わってくるため、これからそう言った細かいところも考えていく。
――会議から数日後に伝えられることだが、両国の王も戦場に赴くことになった。それは必然的に王も稽古すると言うことを意味していた。
ミルダは賛成と否定の両方で葛藤するのも、また必然なのかもしれない。
ーーーーーーー
その夜。ソフィとシルフィの二人と同じ部屋で寝ることになったレイディア。
今はベランダに出て、油断できない眠気を感じながら、星が瞬く夜空を見上げている。
「相変わらず綺麗だな……」
星は彼の目に無数の淡い光を届かせて、日々の疲れを癒してくれた。良くも悪くも、彼は心の内を外に出さない。あまり接していない者からは、同じ騎士団員でさえ恐怖している。
恐怖する者たちは悪くないとも言い難いが、どちらかと言うと、気づいていながらも対応を変えないレイディアの方が悪いと言えよう。
「そう言えば、あの日も星が綺麗だったっけか……?」
目を閉じて思い返せば、あれからもう二年が経過しているのだと改めて気づく。
「――こんなところ、さっさとおさらばするつもりだったのになぁ……」
言いつつも、今はここから離れる方が難しくなっているのかもしれない、と彼は目を開けながら思った。
でももし、仮にレイディアがこの場にいなかったら世界はどうなっていたのか。世界は大きく変わっていたと、誰もがそう言うだろう。彼の存在は、彼の意思に反して大きなものへと成り上がってい待っているのだ。
だが彼は死へと逃げることだって可能だった。それなのに生き続けることを、戦い続けることを選択している。
楽ではない道を選択し続けているのだ。
「……お兄さま」
理由は至って簡単だ。レイディア・オーディンは男なのだ。
死ぬまで、いや、下手すれば死んでも格好つけ続けなければいけない生き物だからだ。
少なくとも彼はそう思っている。もちろん、理由はそれだけではないが……。
「シルフィ。すまん、起こしたか?」
呼ばれる前に布団の音から起きていることには気づいていたが、だから彼は聞き返した。自分のせいかと。
「いいえ。……それより、お兄さま。お兄さまはやっぱり、帰りたい……ですか?」
――聞いていたのか。まったく、私としたことが。
恐る恐る聞いたのが見て取れた。必死にレイディアの目を見ながらも、瞳には滴が溜まって今にも零れ出そうだ。
今にも泣きそうな少女を抱き寄せ、問いへの返事を優しく囁いた。
「私はここで生きていくと決めた。決めた以上は、貫いてやるさ。それにな、シルフィ。私には守るべき大切な人たちができた」
今となっては薄れてしまったあの日々を、取り戻したくないと言えば嘘になる。だが、今は自身に課せられた役目を果たす。
「だから、逃げも隠れも――死にもしないさ」
「はい、お兄さま……」
少女もまた、彼に体を委ねて温もりを感じた。
彼は二年前に出会ったとある少女に誓った。
――この命尽きし後にまで、私はあなたを守ろう。
周りから強く見られていても恐れらていたとしても、少女にとって彼は、手を差し伸べてくれた優しくて大切な“お兄さま”以外の何者でもなかった。




