百四十七回目『ふたつの鼓動』
セリスが引き起こした世界を巻き込む規模の戦争は終わりを告げた。
レイディアが時間を止めて対処していた、隣国の騎士団たちは動き出すや否や進行を再開するかと思われたが、意外にもあっさり引き下がり自国へと帰っていった。
理由はやはりと言うべきかレイディアが事前に手を回し、今回の出来事の真相を各国の王や貴族、騎士団長らに伝わるように仕組んでいたのだ。
それだけでは退かないだろう相手にももちろん策を考えてあった。正直この情報の方が大きいと言っても過言ではない。
――此度の争いにて死んだ者たちを蘇らせたのである。
確かに全員ではないにしても、ほとんどが多少の傷はあれど無事に“生還”を果たす結果となった。
更にはここ数年でセリスの行いによって犠牲になった各国の多くの民も含めてだ。死んだはずの人間が生き返ってきたのだから戦争どころではないと騎士団を退かざるを得ない状況に追い込んだ、が正しい。
――そして、蘇生対象は隣国だけではなく三大国の面々も当然入っていた。
一番驚かれたのはレイディア自身が死を宣告したファーレンブルク神王国国王、ソフィ・エルティア・ファーレンブルクだろう。妹であるシルフィは泣いて喜んでいた。
当人は妹との再会に喜んだが、レイディアがいなくなったことを聞き、落ち込んだ様子を見せるもすぐに
「いつ戻ってきても良いように準備しておこう」
と復興に力を入れる決意を固めた。戻ってきたら絶対に怒ると誓うと共に……。
もう一人、衝撃の人物がいた。今回の戦争の首謀者と思われていたアインガルドス帝国皇帝、レイヴン・ジークフリート・アインガルドスである。
本人は物凄く困惑し、同時にマリアンと再び顔を合わせることができる事実に苦笑しつつも歓喜したらしい。
バルフィリアに関してはレイヴンが生き返ったのを確認すると
「この大バカ野郎!」
と叫び思い切り顔を殴ったあとに力いっぱい抱きした。
レイに自分の希望と特有魔法を託したヴァン、ミカヅキをその身を犠牲にしてまで庇ったヴァスティや友となれたエインは――生き返らなかった。いろんな話をしたかったのに……ミカヅキは表情を曇らせた。
どうして生き返る者と生き返らない者がいるのかはミカヅキの『世界の記憶を記せし者』をもってしてもわからず、いくつか推測を立てるに収まった。
理由は何にせよ、結果として多くの者の命が救われたのは事実。だが確かな犠牲者が存在するのもまた事実。
そうした者たちの対処も含めて戦争の後始末に取り掛かった。
まず行われたのは三大国の同盟決議と、三大国合同の犠牲者の葬式であった。
犠牲者全員の遺族には何故かレイディア直筆の手紙が届いており、守ることも救うこともできなかったことへの謝罪と犠牲となった者から託されていた言葉が綴られていた。
あとになって知らされるが、レイディアは死ぬ可能性がある者たち全ての、遺族となるかもしれない家族宛の手紙を用意してあった。なので部屋には使わなかった、つまり生き返った者たちの家族宛の凄まじい数の手紙が残っていた。
その甲斐あってか、暴動などは起こらずに皆で悲しみを分かち合った。
それからも度々ミカヅキたちが驚かされることがさも当たり前のように起きた。
驚いたと言うより、一番変わったのは恐らく帝国だろう。
皇帝だったレイヴンは今回の一連の責任を取って退位。新たな皇帝は民からの投票で選ばれ、やはりと言うべきかマリアンが選ばれた。本人は断ったのだが、レイヴンとバルフィリア、更には騎士団員や国民たちからの説得もあって決意を新たに引き受けた。
手腕は確かなもので、次々と復興の指示や、もとより持ち合わせる人望で隣国との交渉も難なくこなしていった。
付き添いとして、純粋なる水精――アクア・マリノスが護衛兼秘書のような役割を与えられた。
隣国に訪れた際は何度も「予定はいつですか?」と尋ねられ、マリアンは最初は首を傾げながらも「まだ先になりそうです」と答えていたが、“アクアとの結婚”について訊かれていたと知った時は珍しく若干とはいえ顔を赤くした。バルフィリアは楽しそうに語った。
更に天帝騎士団は一度解散し、再度団員を募ることになった。レイヴン、バルフィリア、マリアン、ドルグ、アクアの選考のもと選ばれた者が新たなメンバーが天帝騎士団に迎えられた。
もちろん、前騎士団員の多くが再度の入団を希望したのは言うまでもない。加えて人数が減った『天帝の四天王』と『天帝の十二士』を一つに纏めた。
ーーーーーー
そして、時は過ぎるのは早いものであの戦争から半年の月日が流れた。
各々が自分たちの生活を取り戻し、心を落ち着かせていき、日常がようやく戻ってきていた。
ファーレント王国の城の中で一番の絶景ポイントで黄昏を眺める少年――ミカヅキ・ハヤミもまた一人。
「ふぅー」
今日の分の作業を終わらせ、晩ごはんを済ませ、お風呂でさっぱりしてから夜風を浴びながら一息つく。この何とも言えない時間が憩いなのである。
憂いが無くなったのかと問われれば、そんなことはないと即答してしまう。清々しい程明るい水色が、暗い藍色へと変わっていくように、少年の心もまた等しく落ち込んでいた。
後悔はある。数えたらキリがないくらいたくさんある。だとしてもミカヅキはそれを受け入れて前に進める。そう、彼は様々な葛藤と苦悩と経験を経て確かに成長していた。まだ及ばないかもしれない。だけど近付いた気がする。
去り際に言った。“呼べば戻ってくる”のだと。
だがそれは本当に本当の最後の手段だと少年は判断した。自分たちが全力を尽くして尚も届かなかった時にのみ許される緊急処置。
会いたいし、会ってもらいたい。
しかしまだその時ではない。世界の始まりから現在までの記録を得た少年だからこそ、浅はかな私欲に捕らわれてはならないことを自負している。
故に少年は変わっていく空を眺める。そして穏やかな笑みを浮かべた。
「絶対に見返してやる」
両手でガッツポーズをし、気合いを入れて届かぬ決意を口にする。
ミカヅキは知っている。世界からレイディア・D・オーディンが完全に消失したことを。簡潔に言うなれば死んだも同然。
ただしやはりと言うべきか不可解な点が残っていた。もし本当に死んだのなら、世界の記録は“死んだ”と記される。ここまでで想像できるだろう。
死んで世界から消えたのではない。死んだのかすら不明のまま忽然と存在が無くなったのだ。
レイディアらしいと言えばレイディアらしい。だとしても彼が行ったことは世界を救うためとは言え自殺行為にも見える。それほどの負荷を自身に与えたのだから、生きているとは到底思えない。
なのに少年は笑顔を遠い地平線の彼方へと向ける。
何故なら他の誰でもないレイディアがはっきりと言葉にした。であるならば少年たちは待てる。立ち止まらず進み続けられる。確証はなくとも確信していた――必ず戻ってくると。
「……」
ふと視界に入った左手を見下ろしてそのまま手首へと視線を落とす。そこにはもう――何もない。
マグリアの治療のおかげで元通りになった左腕だったが、一点だけ違う箇所があった。
今ならわかる。本来は起こり得ない世界観の移動に対して、世界側が自動的に対処した処置。それがあの“腕時計”だった。
もとの世界との繋がりをああ言った形で残すことで、帰還への、世界をもとの形へと戻す可能性を示唆していたのだ。
今となっては過ぎ去った分かれ道の一つ。
少年は選択した。この先、未来永劫、帰らないことを。
世界アルデ・ヴァランに滞在し続ける未来をミカヅキは選んだのだ。大切な人たちと一緒にいることを。
だからこそ、そのための一歩として成さねばならないことがある。果たさねばならない約束がある。
「お待たせ、ミカヅキ」
「ううん、全然大丈夫。やっぱり夕日って何回見ても綺麗だよ」
耳に心地良い声が届けられる。少年はすぐに振り返って笑顔で返事をした。そこには見るだけで心が和らぐ微笑みを向けてくれる少女の姿があった。
二人とも、と言うより主に国王としてミーシャの方がなかなか時間が取れずに半年も経ってしまった。
あの戦争の前日に交わした約束を、遅くなったけどようやく――。
「ねぇ、ミカヅキ。話ってなーに?」
「あ……えっと、だね……」
屈託ない笑みを見せる少女に対して、別段悪いことをするわけではないのに体が硬直する。
これじゃ駄目だと深呼吸を一度、そして――パァンッ。
盛大に、ミカヅキの予想以上に空気を震わせた気合いの頬叩きを終えて、ミーシャと正面から向き合った。
ちなみに目の前でその一部始終を見た少女が驚かないはずはなかったが、苦笑して言葉を待つ余裕が今の彼女にはあった。
ミカヅキ同様、ミーシャも間違いなく成長していた。それも彼以上に精神的な安定性を持って。やはりそこは女性だからなのだろうと納得せざるを得ないのかもしれない。
勇気を出して少年は口を開き言葉を紡ぐ。
「ミーシャ。今日来てもらったのは、あの日、戦いが始まる前にした約束を果たそうと思ってなんだ」
ミーシャの眉がほんの少しだけピクリと動いた。当然今のミカヅキにはそれを見逃さないほどの余裕はない。少女は微笑みを浮かべて静かに待つ。
「伝えたいことがあるって」
「うん」
拳を握りしめ、心の中で自分を勇気づける言葉を何度も投げ掛ける。
言った。紛れもない本心を。そして更に伝える。
「僕はまだまだ弱い。今回の戦争でセリスに勝ったかもしれないけど、それは僕だけの力じゃなくて……みんながいてくれたから勝てたんだ。今はまだ力不足かもしれないけど、絶対にもっと強くなる。誰よりも強くなる。そして、ミーシャを守る。僕はミーシャが――好きだから。こんな未熟者の僕だけど、付き合ってくれませんか?」
一抹の不安と期待を胸に秘め、今度はミカヅキが待つ側となる。
人生で初めて告白をした少年。人生で初めて告白をされた少女。二人の間には初々しい雰囲気が漂い、互いに顔を真っ赤にしていた。
ミーシャは百面相のようにいろんな表情を見せ、ゆっくりと深呼吸をした後、想いを伝えてくれた相手の目を真っ直ぐに見つめ返しながら返事をした。
「……嬉しい、じゃなくて返事をしなきゃだね。もちろん付き合うわ!」
太陽のように明るい笑顔で快く告白を受けてもらったミカヅキは胸を撫で下ろす。
だが、少年の安息は束の間のものとなる。
「――あーあ、先に言われちゃった」
「…………ん?」
ミーシャのその言葉はミカヅキの思考を停止させる威力を持っていた。まるで波紋が落ち着いた池に、巨大な石を放り込まれたような衝撃だった。
「ミカヅキも知っての通り、私は国王なの。その、だから……」
突然もじもじとしだす国王少女に首を傾げる少年。
数秒の俯きの後、バッと勢いよく顔を上げるミーシャは告げる。
「私と――結婚してください!」
「………………」
ミカヅキの世界に静寂が訪れ、さながら時が止まっているかのようだ。
呆然と立ち尽くす、衝撃のあまり言葉を失う。それらの言葉を体現する少年に上目でおずおずと返事を待つ少女。
ハッとなり首を振って意識を連れ戻す。そして答える番となったミカヅキは「ごめん、ちょっと待って」と手を前に翳して深呼吸と落ち着きと整理の時間を要求してすぐに受け入れられた。
「すぅー、ふぅー」
儚げな表情で自分を見上げる少女を少年は抱きしめた。
ファーレント王国の国王であるミーシャの交際なのだから、国の行く末を左右する大きな決断に他ならない。年頃の少年少女のそれとは文字通り訳が違う。
――それがどうした。
ミカヅキはそんな理屈が無かったとしてもいずれこうなることを望んでいた。時期が少し早まっただけなんだと胸を張った。
「僕の返事は決まってる。もちろん――喜んで、だよ」
「やったぁ!」
ミーシャは歓喜の声をあげながら自分からも抱きしめ返した。そうでもしないと口から嬉しさが許容範囲を越え、喜びの声と一緒に心臓が飛び出そうだった。
彼らの間には柵など存在しないのだ。そこにあるのは絆と言う互いを想い合う心があるだけ。世界からすればほんの些細なことなのかもしれないが、ミカヅキとミーシャにとってはかけがえのない大切なもの。
告白のち逆プロポーズ。このような場面はなかなか経験できたものではないのだが、彼らにとってそれは些細なことにすぎなかった。
故にミカヅキとミーシャは抱きしめあう。トクン、トクンといつもより力強いの互いの鼓動は緊張と高揚を共有する。そして大切な人とこうして触れ合えることに感謝し幸せを感じた。
――ふたつの鼓動。
世界の躍動に比べれば些細な振動。だがたとえどれだけ小さくとも二人を幸福にする。広大な夜空に輝く星のように、その光りが誰かの道しるべとなるように。
今までもこの大きな世界に確かに刻まれ、果てに彼らへと紡がれた。
そう、これからも――。
これにて完結です。
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