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ふたつの鼓動  作者: 入山 瑠衣
第十一章 世界アルデ・ヴァラン
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百四十一回目『セリス』

「セリス、僕は君のために君を倒す」


「ミカヅキらしいよ。私も、じゃなくて……私たちも一緒に戦うからね」


 ミーシャの笑顔を皮切りにみんなが僕に声をかけてくれた。待たせてしまったみたいだ。


「よく言ったぜミカヅキっ。それでこそ俺の団員だ!」


「ハッ、腹括るのが遅いんだよ」


「マリアンよ、若き者が己の道を定めたようだ」


 自然と流れでシルフィさんに視線を送ると、優しい微笑みが帰ってきてドキりとしたのはミーシャには内緒である。


 深呼吸のあとに言いたいことを言ったからなのか、頭の中がすっきりしたおかげで気付いたことがあった。魔法が使えないのだ。

 最初はセリスの言葉通り知識が得られないからだと思ったけど、特有魔法だけじゃなくて基本魔法も使えないらしい。


 レイが光の魔法によって攻撃せずに剣を投げつけたのはたぶんこれが理由だろう。


 ヤバい。これは非常にヤバい。銃や大砲の代わりに、剣や魔法がある世界で魔法が使えないなんて、素手で戦車と戦うようなもんじゃないか。


「ふざけないでよミカヅキ。キミはそっち側にいるべきじゃないのに、どうしてもわかってくれないんだね。それにやっと気付いたみたいだし、頃合いってやつなんだよ」


「……っ」


 セリスは笑っていた。

 笑顔で、本当に悲しそうな笑顔で、僕を見ていた。僕らの方に翳される手は僅かに震えているようにも見え、魔法が放たれたら一貫の終わりなのに不思議と恐怖はなかった。


 目を閉じれば思い出せる。


 千年前に世界に起きた出来事の真実を。知ってしまった、語られなかった過去を。一人の少年の最期の覚悟を。一度きりの約束を、僕は孤独な闇の中で知ったんだ――。




 ーーーーーーー




 これはミカヅキが闇の中で見たセリスの記憶。


 絶望の始まりは唐突だった。本当に突然の出来事で成す術なんてあるはずもなくて、彼はただ惨状を目の当たりにしたまま立ち尽くした――。



 穏やかな日だまりの下、見上げるほどの大きな木の根元で白髪の少女が静かな寝息を立てていた。


「すぅー。すぅー。すぅー」


 そしてそんな少女を見下ろす者がいた。白と対になる黒髪の少年だった。背格好からして二人は同い年くらいだろう。


「まったく、またサボって……。ユフィ、そろそろ起きないとシスターに怒られるよ」


「うぅ……んー、むぁ?」


 少女の名はユーフォリエ。通称ユフィと可愛らしく呼ばれている、教会に住む五人の孤児の一人である。彼女を一言で表すなら誰もが天才と言うだろう。

 大人顔負けの頭脳を持つほど賢く、運動神経も抜群とくればそう言われるのも無理はない。しかし天才な彼女にも欠点はある。


 それこそが少年が起こす理由であり原因だった。よくシスターからの勉強をサボったり抜け出したりし、最終的にはこの木の下で眠るが恒例行事なのだ。


 呆れたようにため息をつく少年に、ユフィは寝ぼけた顔で返事をする。


「あれ、もう……ごはん?」


「ざーんねん、違いまーす」


「じゃあ寝る」


「いやいや、起きてってば。もうっ……起きないとこうだ。潤い宿すものよ、我が声に従い、彼の者を目覚めさせたまえ――ウォーター・ボール」


 いっこうに起きようとしないユフィに少年は痺れを切らして詠唱する。すると寝転ぶ彼女の顔の上にふよふよとした水の球体が生成されていく。

 そして少年が魔法名を告げると同時に水の球体は寝顔へと直撃する――かと思いきや顔がビショビショになったのはユフィではなく魔法を行使した少年の方だった。


「ふふん、まだまだ甘いなー」


「うぅ……またやられてしまった。やっぱり詠唱と無詠唱の差は大きいなぁ」


 満足げな、またはいたずら小僧のように嬉しそうに笑みを浮かべるユフィはよっと言いながら起き上がる。


 少年はビショビショになったにも関わらず、悔しがったり怒ったりせずに考えごとを始めた。彼は決して感情が乏しいのではない。いつものことなので半ば諦めていると言うのが正しいだろう。だからこそ“負けた原因を探る”へと思考の向きを変えたのだ。


「そうだねー。無詠唱がすぐに魔法が発動するのに対して、詠唱ありだとどうしても不利になる。詠唱してる間は無防備に近いから攻撃されやすいし」


「動きながら詠唱って意外とやりにくいんだよ。詠唱の簡単にしたら効果も同じように弱くなる。んー」


 この時はまだ、魔法は誰もが使える便利なものではなかった。選ばれた少数の人物のみが許された特殊な力とされ、魔法を行使できる者は何処の国でも優遇が約束されていた。故にユフィが魔法を使える事実は彼女自身と少年の二人だけである。


 もしこの事実が露見すれば、教会のみんなに迷惑をかけかねないからだ。そしてユフィは世界でたった一人の無詠唱で魔法を使える人物だった。


 誰もが自分みたいになれば、不自由な暮らしをする人が減らせると考えた結果、こうして魔法の研究を密かに行っていた。



 ――魔法とは自然の摂理に体内の魔力を介して干渉し、神秘、頂上的な現象を発生させる方法の総称である。

 まだ『基本魔法』でも『特有魔法』などの呼び訳が存在していなかった時代。


 日常に魔法を組み込もうとしたユフィの考えに少年は賛同した。と言っても、彼が彼女の考えを否定することなど決して無いだろう。


 何故なら少年は――少女の魔法なのだから。いや、ミカヅキたちのいる時代の言葉で表すならばこうが正しい。歴史上初めて発現した特有魔法(ランク)であり、意志を持つ魔法なのだと。


 見た目は普通の人間の少年。ただ少し魔法を使えるだけのどこにでもいる至って普通の少年だ。おかげで彼はユフィの唯一の理解者になれたのだろう。


 目の色が、髪の色が、考え方が周りとほんの少し違うだけで人は他者を拒絶する。それが幼いながらも賢いが故に察してしまうユフィは心からみんなの笑顔を求めた。


 でも方法がわからないと悩んでいたら、頭の中に言葉が浮かんできて口にする。それが彼女の最初の詠唱であり、少年と出会うきっかけでもあった。


 発現した特有魔法は『万物流転(カルマシオン)』と名が示された。能力は――。


「ねぇ、キミの夢ってなに?」


「突然そんなこと聞かれても……。強いて言うならユフィの夢が叶うのが夢かな」


「ふーん。つまんない」


「え……?」


 少年は予想外の言葉に頭の上に疑問符を浮かべ、キョトンとした表情を見せた。「仕方ないなー」と渋々つまんないと発言した理由を説明し始めた。


「だってキミはワタシの魔法だけど、キミはキミじゃん。ワタシに縛られずにもっと自由でいいんだよ」


「自由……」


 初めは会話をするのも大変で、まるで糸が切れた操り人形のようだった少年は、今や笑ったり悩んだりできるようになった。

 そのせいでこうしてユフィの言動に一喜一憂して頭を抱える結果になっているわけだが、少年にとって何もかもが新しい日々は画用紙に絵が描き込まれていくかの如く楽しかった。


 ユフィは少年を、人間らしくしていったのだ。

 これを人は愛情と言うのだろう。二人はもしかしたら母親と息子のような関係が近いのかもしれない。


「じゃあ……ユフィの幸せを夢にする!」


「――うん、ありがとう」


 一瞬だけ戸惑いの表情を浮かべたかと思いきや、太陽のように眩しい笑顔でお礼を言った。


 恐らく彼女はこの時には既に決断し、覚悟をしていたのだろう。


 再び二人は魔法についての議論や研究を重ねて、結局日が暮れる頃になってようやく戻ることになった。もちろん、鬼の形相のシスターにはこっぴどく叱られたが、夢を抱く二人にとってはちっとも苦ではなかった。



 ――そして、幸か不幸か、ユフィは偶然にも聞いてしまった。

 お叱りが終わって部屋に戻る途中、教会でシスターたちが話しているのを。


「ゲッテルベント国がついに陥落したって」


「じゃあ、ここに来るのも時間の問題じゃないか」


 何かに怯えるように若干声を震わせながら話していたため、内容が深刻なものであるとユフィは察してバレないように静かに聞き耳を立てた。


「三大神の方々が休眠に入った時期を狙ってくるなんて、奴らもバカじゃなかったのね」


 教会で一番年老いたシスターが目を細めながら皮肉を言った。


「他の神々の助力は得られないのかしら?」


「基本的に天界の神々は極力干渉をしないようにしていると騎士の人がぼやいていたわ」


「これ以上は欲深いのでしょう。神器を授けていただいただけでもありがたい限りさ。でも、世界が魔界の民に埋め尽くされるのも時間の問題でしょうね……」


「――それはどういうこと!?」


 ついに耐えきれずユフィは声を出した。突然現れた少女にシスターたちは驚くが、一番年長のシスターだけはやれやれと苦笑を見せる。


「あんたは賢いからね、すぐに真実を知るだろう。教えてあげるよ、今この世界で何が起きているのかをさ」


 穏やかな口調や雰囲気とは裏腹に、ユフィは確かに感じ取っていた。その先を聞いてしまったら後戻りはできない。坂を転げ落ちる小石のように、もう止まることはできないのだと。


 思わず息を呑む。無理もない。彼女くらいの年齢なら、まだ世界なんて壮大なものの真実など“広くて大きい”程度の話なのだから。


 そしてユフィは真剣な面持ちで年長シスターにお願いした。――話を聞かせてほしい、と。年長シスターはゆっくりとまばたきをしてから話し始めた。




 ――年長シスターの話を聞いたユフィは心底驚愕した。既に世界の大半が魔界の民なる化け物たちに占領されてしまったと言う。


 世界と言っても天界、人間界(下界)、魔界の三つの隔たりを無くして一纏めにした呼称である。

 天界は神界とも呼ばれ、文字通り神々や天使が住まう世界。


 人間界は言うまでもないだろう。


 魔界は魔の者たちが住まう世界とされるが、詳しくは語り継がれていない。ただ恐ろしい化け物たちがいるとだけ知られていた。


 この場合の世界とは人間界を指す。


 度重なる戦争を終え、長い時間を費やして人間たちはようやく平和を得ようとしていた。そんな最中、奴らは()を越えてやってきた。その奴らこそ、魔界の民――魔族、魔神、魔物、悪魔たちである。


 門とは天界、人間界、魔界を間に聳える出入り口、つまり扉のようなものだ。数千年もの太古の時代に他の界への干渉は禁じられたのだが、魔界の民たちはあろうことか扉を破壊して人間界に攻め入った。


 天界の神々は人間たちに戦うための術として神器を与えた。

 神器とは『神に選ばれし武の器』を略した呼称であり、七種類の武器と防具からなる。


 それぞれが強力な力を持つが、もとは人間だった名残りなのかは不明だが相性がある。つまり誰もが気軽に使えるわけではないのだ。意思がある武器、防具と言えばわかりやすいだろうか。会話もできるとなれば一種の生物と言えるのかもしれない。


 決まりごとに重きを置く天界の民が禁忌とされる干渉をしてまで人間に力を与えてくださった、その事実だけで感謝しても文句を言える立場にないのは誰もが承知だった。


 しかしぼやきたくもなる気持ちも理解できよう。それほどまで大きな力を使っているにも関わらず、人間は抗いながらも着実に敗北に近づいていた。


 世界の人間の数は半数を切り、今もなお減り続けている。死因のほとんどは魔界の民に殺された、が圧倒的に多い。ただそれだけではなく自ら命を絶つ者も決して少ないとは言えなかった。


 そんな現状で戦う者たちの心身の疲労は既に限界を越え、まだ“人間と言う種”が世界に存在しているのは紛れもない『神器』と、人間を愛するが故に共に戦う道を選んだ少数の亜人や精霊たちのおかげだった。


 しかし、もはや滅びも時間の問題である。


 常に先頭に立ち、勇敢に戦う背中を味方に見せ、魔界の民にさえ恐怖を与えていた聖剣の使い手たる英雄――聖騎士アルマン・クロノスが撤退する仲間たちを守るために一人殿を果たしてその生涯を終えた、と。


 心の支えとなっていたアルマンの死は、人間たちの心に影を落とさせた。掴めるかもしれない希望を手放してしまいそうなほど、彼の死は影響が大きかった。


 戦線が瓦解したその時こそ、人間の敗北――即ち滅亡を意味する。



 話し終えた年長シスターがユフィの顔を見ると、彼女は何処か遠い目をしていた。

 ぼーっとしてしまうのも無理もないと考えた年長シスターだったが、ユフィの瞳を見ていると心の中でふと変な感情が芽生え、それは言葉として彼女に投げられた。


なにを(・・・)見ているんだい?」


「シスターが言った、みんなが戦っている場所。人がたくさん死んでいく。魔界の民も死んでいく。でも数は人が圧倒的に上。このままじゃ確かに負ける」


「まさか……ユフィ、見えている(・・・・・)のかい?」


 信じられない返答に、思わず追加の問いをしてしまう。訊かずともどんな答えが返ってくるかはわかっていた。わかっていながら訊かずにはいられなかった。


「ええ、シスター。だけど魔法じゃないわ、もともと持っている能力とでも言うのかな。シスターの話がきっかけになったみたい。おかげでやっとわかったわ、シスター。ありがとう」


 笑顔で告げるが先か、ユフィは足早に教会を後にした。


 年長シスター以外のシスターたちは何が何だか訳がわからず、立ち尽くしていた。そんな彼女たちに疑問へと答えに近しい言葉を送った。


 この教会に古くから言い伝えられてきた言葉を。


「地の上、闇に呑まれし刻、若き者光帯びて立つ。彼の者、核なりて、世を変えん――」


 偶然か必然か。予言染みた言い伝えの人物がユフィだと思ったのだ。侵略と戦いの終わりを意味するような言葉にシスターたちは希望を抱き表情を明るくした。ただ一人、言葉を送った者を除いて。


 何故なら言い伝えには続きがあるからだ。


 ――地の上、闇に呑まれし刻、若き者光帯びて立つ。彼の者、核なりて、世を変えん。――然して生者の礎とならん。


「あんたたち、覚えておきな。何かを得ると言うことは、何かを失うことなのだと」


 意味深な言葉にシスターたちは首を傾げるが、覚えておきなとは日頃言わない彼女なりの意味があるのだろうと察して頷きを返した。




 ーーーーーーー




 まだ太陽が顔を出しておらず、藍色のようでも灰色のようでもある空の下、いつもの木の下に二人は立っていた。


 一人は決意の表情で。一人は眠そうな表情で。


「もう、シャキッとしなよ」


「無茶言わないでよ。一応みんなよりは早起きするけど、こんなに早いのは初めてなんだ」


 夜も明けていない早朝。寝室の扉を勢いよく開かれ、文字通り叩き起こされた少年の言い分は正論だろう。だがそんなものユフィの前では何処吹く風だ。


「説明したでしょ。ワタシだけじゃ失敗するかもしれないから手伝ってほしいって」


「聞いたけど……なにもこんな朝早くからやらなくても」


「時間は待ってくれないの。少しでも早くしないと間に合わなくなっちゃうから」


 説明と言っても大まかなもので「使いたい魔法があるから手伝ってほしい」だけだった。寝ぼけていたのもあってツッコまなかったが、スッキリしてきた頭で再度考えてみるとため息が出る。


 ユフィの無茶は今に始まったことではないため、いつものことだと納得してしまう自分にも呆れる少年である。


「さっ、始めよ。キミは魔方陣が完成するまでワタシに魔力を送り続けて」


「それはいいけど、そろそろどんな魔法なのか教えてよ」


「んー、どう言ったらいいのかなー。あ、じゃあ……世界を変える、すんごい魔法だよ」


 抽象的すぎる返答に目を細める少年。でもすぐに苦笑して納得することにした。いつだって真っ直ぐなユフィのやることに間違いはない。彼は心の底から信じているから。――結果、少年の心に闇を生み出すとしても。


「有と無。善と悪。表と裏。生と死。世は二分され、調和を以て形を保つ。故、我はここに存在せり――」


 いつも面倒くさいと言う何とも清々しい理由で詠唱をしてこなかったユフィ。彼女の初めての詠唱を聞いて少年が驚かないはずがない。……が、彼は首を振って意識を集中させた。

 送る魔力の量を誤ればユフィの身に危険が及ぶからだ。


「故、我は選択せん。滅びを避けんが為に、核たる我が身(・・・)を礎に、理を壊せよ」


「待って、ユフィっ、今なんて言った!?」


 詠唱。それは魔法と言う非現実なものを現実にする過程。故にその内容は発動する魔法について言葉が選ばれる。


 少年は詳しく訊かなかった。“どんな魔法”なのかを。

 だから戸惑った。だから焦った。だから遅いとわかっていながら気付いた時には訊いていた。――いったい何をする気なのかを。


 刹那、少年の頭の中に映像が流れた。知らないはずの光景。見ていないはずのシスターたちの姿。聞いていないはずの真実。

 昨晩のユフィが見聞きしたものを少年の記憶の中に流れ込んだのだ。


 そして少年は理解した。……いや、理解してしまった。


 誰よりもユフィの一番近くにいて、一番話をして、夢を知っている。


 ――助けなきゃ。助けなきゃ。助けなきゃ。助けなきゃ。助けなきゃ。助けなきゃ。助けなきゃ。助けなきゃ。助けなきゃ。助けなきゃ。助けなきゃ。助けなきゃ。助けなきゃ。助けなきゃ。助けなきゃ。助けなきゃ。助けなきゃ。助けなきゃ。助けなきゃ。助けなきゃ?


 たった一つの言葉が思いが少年を支配する。やがてそれは葛藤に至る。


 まさにそんな時だった。


「――森羅万象万物流転ケニウス・カルマシオン


 魔方陣が完成した。完成してしまった。


 全体が一目にできないほど巨大な魔方陣が二人の足下の地面と、頭上の空に描かれ淡い光を帯びていた。


 その中心に二人は立っていた。


「ごめんね。キミには内緒で決めちゃって」


 少年には背を向けたまま謝罪するユフィ。

 だがそれは少年の求めた言葉じゃなくて、そんなことを聞きたいわけじゃないと言いたいのに口は動いてくれない。


「ワタシほどじゃないけど、賢いキミならもうわかってると思うけど、みんなの笑顔のためならなんだってできちゃうんだよ。すごいでしょ」


 皮肉混じり。もちろんそれも求めていない。違うんだ、聞きたいのは訊きたいのはもっと別のことなんだ。頭ではいくつも質問、問いかけが交錯する。なのに口は言葉を発してくれない。パクパクと微かに空気を出し入れするだけだ。


「そんな顔しないで。ほんの少しの短い時間だったけど、キミといた時間はワタシの一生の中で一番の宝物なんだ。だからね……ワタシ、怖くないよ」


 少年はついに頭の中が真っ白になった。洪水のように色んな考えや感情が行き来を繰り返していたのに。振り向いて見せたユフィの微笑みの効果は絶大だった。


 世界の理を変える魔法。到底人間に扱える代物ではない。ただの人間ならば不可能だ。


 しかし、皮肉なことにユフィは自分がいったい何なのか(・・・・)を思い出した。魂に刻まれながらも、その身を守るために封じられた真実を。


『核』――それは人で言う心臓のようなもの。一度失われれば人は死んでしまう。ならば彼女は何の核だと……答えは既に出ている。


 もはや彼に紡げる言葉などありはしないのか、答えは――否。断じて否。

 彼女と時間を共にした、彼女の思いに共感できた少年だからこそ言える言葉が、伝えられる想いがあった。


「……終わりじゃない。終わりじゃないよユフィ! ここから始まるんだよっ、ボクたちが始めるんだ! だから、だからっ……」


 泣いてはいけない。ユフィを困らせてしまう。強く心に決めて込み上げてくるものをぐっと耐える。

 少年は歯を食いしばる。少年は拳を握りしめる。少年は――笑顔を見せる。両の目の下に筋を描いて、少年は大丈夫だと伝えた。


「――セリス。それがキミの名前。ずーっと考えてたんだ、どんなのにしようかなって。名付け親って結構大変なんだね、初めて知った」


「もう……ほんと、ユフィってば大事なことはいっつも遅いんだから」


 空元気を保つために文句を言う。対してユフィは「ごめんね」と苦笑した。


「ありがとう。あとの世界のことは任せた。でも、ワタシはキミの……セリスのそばにいるから」


「うん……」


「本当にありがとう。大好きだよ――」


 少年――もといセリスには目の前の光景ははっきりと見えていない。視力がどうとかではなく、溜まりに溜まった滴で視界がぼやけてしまっているのだ。だがたとえ見えていなくともしっかりと伝わった、伝えられた。


 魔方陣が一際強く光を放つ。――時は来た。

 魔方陣は光と共に消え去るのと同時。


「ボクもだよ……ユフィ、大好きだ」


 セリスの想いを聞き届けたユフィは、光の粒子となって美しく空へと舞い上がった。さながら花の種が新しい場所を求めて旅立つかの如く。高く高く、遠く遠くへと。


 たとえ離れていても二人はずっと一緒だから――。


 セリスにはその一言と、もう一つの贈り物が残された。




 ーーーーーーー




 人知れず人々の笑顔を望んだ一人の少女の願いによって、世界の門は閉じられた。魔界のみならず天界へと通じる門も含めて。


 人間界に既に足を踏み入れていた魔界の民は強制的に帰還させられたらしい。目撃者によれば門に吸い込まれていったと。


 こうして世界には平和が訪れた。かと言っても万事解決ではない。


 あれから不思議なことが世界中で起こった。まず人々が驚愕したのは、一部の選ばれた人しか使えなかった魔法がほぼ誰にでも使えるようになっていたこと。その中でも秀でた者も次々と現れたりもした。


 魔法が二つの呼び方をされるのは時間の問題だった。


 滅亡しかけた人間社会を立て直すべく、代表として三つの国が名乗りを上げた。


 ――ファーレンブルク神王国。


 ――ファーレント王国。


 ――アインガルドス帝国。


 世界の始まりの三神――『三大神』と呼ばれる神々の血をそれぞれ引くとされる国々だった。此度の戦において先導に立った者たちでもある国に文句など言える者は当然いなかった。


 結果として後に三大国と呼ばれる三つの国は、他の国の建国の基盤となり、人々は活気と数を取り戻していった。



 あの戦いで起こった奇跡の裏に、一人の少女の犠牲と、一人の少年の決意が込められている事実は歴史で語られず、年月は過ぎていく。


 もちろん偶然ではない。セリスが意図的に自分たちのことを人々の記憶から消し去ったのだ。ユフィの望みは英雄になることじゃない、みんなの笑顔を守るためだから。



 ――胸に片手を添えて少年は空を見上げた。大切なあの人が旅立った青く高い空へと。彼の胸の中には彼女から受け継いだものがあった。今や形見となったそれから、目を閉じると温かいものが流れ込んでくる。


 “そばにいるから”。


『核』を胸に秘め、セリスは世界中を旅するのを決めた。


 まだ見たことのない景色を求めて。また会えた時にたくさん話すために。




 ――だが彼は長い時をかけて行った旅の中で知るのである。


 人間がどんな生き物なのかを、少年は思い知らされるのであった。

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