百三十九回目『枷』
ミカヅキが闇に呑まれて仲間たちに矛先を向ける中、バルフィリアとマリアンは次元の向こう側、つまり次元の狭間に浮かんでいた。宿敵――セリスと共に。
バルフィリアの特有魔法の効果で、術者である彼自身とマリアンは足場を自分の意思で確定させられる。つまり、何もない暗闇の何処でも地面になり得る。
「いやー、ビックリしたよ。ボクが後手に回るなんてね」
「……マリアン、一つだけ問う。レイヴンは最期、どんな表情をしていた?」
言葉のわりには余裕の表情を見せつけてくるセリスを尻目に、バルフィリアはマリアンに問いかけた。当然、マリアンはレイヴンと彼が友人、もとい親友だった事実は知らない。だが騎士王としての直感がただならぬ思いを感じ取った。
「陛下は最期――笑顔で逝かれました」
「…………ふぅー、良かった」
自分より前に立っていたため、バルフィリアの表情は窺えなかったが直接見ずとも声から本当に安堵したのがしっかりと伝わった。
つられて瞳が揺らぐ。しかしここで悲しみを溢すわけにはいかない。まだその時ではないのだと自分に言い聞かせて剣を握りしめる。
「いずれ全てを貴様に語る――否。こいつを葬ったらだ。俺の知るレイヴン・ジークフリート・アインガルドスについて、全てを語ろう。故に、もう少しだけ力を貸してくれ……マリアン」
「ええ、もちろんです。約束はしっかりと守っていただきますから」
後ろをついていくのではなく、マリアンはバルフィリアの隣に立った。
――天帝騎士団に入団する時も、入団してからも騎士の何たるかを厳しく時には優しく指導してくれた恩師。魔力が持たぬからと馬鹿にはせず、一人の騎士を目指す者として接してくれたお人。
その背中は大きく、だけど遠かった。だから追い付きたいと、期待に応えたいと思った。あなたがいてくれたからこそ今のわたしがあるのです。恐れ多くも光栄な『騎士王』と呼ばれるようになれたのです。
まだあなたに追い付いたとは思っていません。ですが、ですがどうか、今だけは共に。
そこには紛れもない父と子が立っていた。
血の繋がりはない。だとしても、絆で結ばれた彼らは紛れもない家族であろう。
いずれは本当に隣に立つ日を夢見て、バルフィリア団長の特別稽古の始まりだ。
「くだらない。くだらないな。そんな偽物の絆を見せつけてくれちゃって、あーほんとくだらないよ」
「おいおい、羨望の眼差しを向けてくれるな。照れてしまうではないか」
バルフィリアの一言が余程気にくわなかったのか、怒りを露にした表情へと変化して思い切り睨み付けた。
「ボクが羨望の眼差しを向けているだってぇ? ふざけないでほしいなぁ、なんでボクが偽物なんかを羨ましく思わなきゃいけないのさぁ? どうせ見せかけだけの偽物、本物なんかどこにもない絆を勘違いしているだけなのにさあ!」
マリアンは冷静に分析していた。本心を突かれた時ほど饒舌になると言うもの。
だが相手は自分を『世界の意思』と大それた存在だと語った。常識が通用するとは限らない。ただし言えるのはミカヅキと会話した時も似たような状態になっていた。
それすらこちらを惑わすための策略とも考えられる。などと色々と理由をつけてみたものの、マリアンの中では既に答えは出ていた。
疑うまでもないあれは――本心だ。
ヴァスティやレイと戦いで実力が相当なものなのは理解していた。そして今のやり取りで確信する。力はそれなりにあるが、話術に関してはまるで学んだばかり、または会話をあまりしたことが無いのか。
マリアンは冷静に分析した。セリスはコミュニケーションが下手なのだと。
「キミは残酷に殺してあげる。ゆっくりとじわじわと苦しみながら死ぬがいいよ」
「弱い奴ほどよく喚くと言うが……本当だったようだ」
「黙れ……黙れ黙れだま――」
もはや隠す気も無いのだろう。怒りを露わにしたセリスは手に闇を収束させる。今までで一番強大な魔力が込められているのは、マリアンですら気配で察せられるほどのものを。だと言うのにバルフィリアは避けようとも防ごうともしなかった。
その態度がセリスの苛立ちに拍車をかけ、収束された闇は何もかもを呑み込む勢いで放たれた――と思われた瞬間、暴発してそのまま爆発した。
「力だけか」
「団長」
「見えているとも」
マリアンが構えたまま団長に呼びかける。バルフィリアも充分に意図を理解していた。あの程度の攻撃でセリスが倒せたとは二人とも思っていない。
予感は的中し、煙の中から勢いよく飛び出してきた。
「バルフィリアァァァ!!!」
そんなセリスを真っ向から迎え撃つは騎士王の名を授かりし者にして聖剣に選ばれた者だった。
煙の中では目が役に立たないため魔力を周囲に散布してバルフィリアたちの場所を把握していた。なのに予想外の動きで目の前に現れたマリアンに驚愕のあまり呼吸を忘れる。
「――っ!?」
もちろん攻撃から防御に転ずる際にほんの僅かだが通常よりも時間を要した。おかげでマリアンの聖剣の光をもろにくらうこととなる。
「ウアアァァァアッ!!!」
光と共に次元の彼方へ飛ばされた。ふぅ、と息を吐くマリアンに対してバルフィリアはセリスが飛ばされた方を向きながら目を細めた。
「マリアンッ、構えろ!」
バルフィリアが声が周囲に広がる。名を呼んだ者の場所へ届く頃と丁度同刻、セリスが飛ばされた彼方の方から、次元の狭間の中でも圧倒的な存在感を放つ、どす黒い煙と液体を混ぜたようなものが物凄い速度で彼らに迫りくる。
しかし、黙ってやられるつもりは毛頭ない。マリアンは光を帯びた聖剣を上段に構え、息を吐くのと同時に空を斬る速さで振り下ろす。弧を描いた軌跡から光が前方へと進行する。闇を照らす光は迫る“それ”と衝突し驚きの結果を見せた。
マリアンが思わず息を呑むものだった。
「聖剣の光を……取り込んだ、だと?」
バルフィリアが口ずさみながら表情を曇らす。
当然だ。彼らは信じられない、あり得ないと思っていた様を見せ付けられたのだから。これが単なる夢の中の出来事ならば笑い話にでもなっただろうが、残念ながらここは紛れもない現実。目が覚めれば終幕の夢などではないのだ。
「言ったはずだよ、ボクはこの世界の意志だって。だからキミたち人間には負けるなんてありえないんだ」
それは悪魔のような笑い声を添えて何処からともなく彼らに届けられた。次元の狭間では絶対的な力を有するバルフィリアですら、親友を奪われた怒りで染まっていたはずの心の中に別の感情をほんの少しだけ漂わせた。
――恐怖。
そして彼は慌てふためくでも、言葉を失うでもなく、ただ両の口角をゆっくりと上げた。それは同時に湧き上がってきた昂りと言える。
「そうでなくては面白くない」
強者と戦えることに対しての高揚感が確かに彼の中にはあった。
バルフィリアは騎士団長である。彼は先陣を切るどころか、戦いは団員たちに任せていた。端から見ればその選択は無責任と言われるだろう。だが団員たちは決して否定や侮辱をしなかった。
何故なら彼は――強者だから。
もしバルフィリアが先陣を切ったとするならば、もはや戦争どころか戦いですらなくなってしまい、本人曰く単なる虐殺に成り果ててしまう。団員たちはその事実を知っているが故に文句を言わずに彼の選択を尊重すらしているのだ。
そんな抑えつけられた――否。自分自身で抑えつけてきた枷を外せる相手を心の何処かで探し求めていた。
断言する。バルフィリアの心に湧き上がった恐怖は聖剣の光を呑み込むほどの強力な闇を操るセリスに対してではない。
これから開放する自分の力そのものがどんな結果を生み出すのかを恐怖したのだ。楽しみすぎて身震いするほどに。
「無元一道」
人差し指だけを立てると、先端に爪より小さな黒い球体が生成され、指を折る動作をするとそれはドロドロの闇と邂逅を果たすや否や一瞬で吸い込んでフッと消えた。
「ずいぶんと楽しそうだね?」
二人のもとまで戻ってきたセリスが皮肉のつもりで口にするが、今のバルフィリアには意味を成さない。むしろ逆効果と言えよう。
「貴様にはわかるまい。力を震える喜びを、ましてや相手が貴様なのだから遠慮の必要もないと来た。これを笑わずして何とするか」
「ちょっとボクの攻撃を防げたからいい気になりやがって。まぐれがそんなに嬉しいか! 偶然がそんなに愉悦か! なら次はキミたちの勝利の可能性など微塵もないことを証明してあげるよ!!」
「――では、わたしは抗わなければなるまい」
高らかに宣言するセリスの真正面に詰め寄り聖剣を振り払った。まともに衝突を果たせばただでは済まないであろう一撃でも、騎士王に迷いはなかった。たとえ相手が少年だとしても、多くの人々の命を弄んだ報いは受けてもらうためだ。――甘さではなく優しさ故の選択だった。
闇を剣が当たる部分に展開して防ごうとしたセリス。これでいい、と反撃に転じるセリスの腹部に凄まじい衝撃が走った。
「かはっ――」
肺に溜まっていた空気だけではなく、赤い液体も多少なりとも口から体外へと吐き出された。
紙切れのように飛ばされながらもどうにか体勢を立て直して聖剣をくらった腹部を片手で押さえながら肩で息をする。空いたもう片方の手で口元に付いた血を拭い、目を見開いて驚いた様を二人に隠すことなく見せた。
正直、セリスは困惑していた。
自分が警戒すべきはただ一人――レイディア・オーディンだけだと判断し、彼の力を削ぐのにかなりの労力を要した。同時にそれほどまでの手を尽くすべきだと彼の実力を認めていた。
他の人間には絶対に負けない。その自信がセリスの中にはあった。だと言うのに現実はどうだ?
然程障害にならないと思っていたバルフィリア。魔力を持たない騎士王とは名ばかりのマリアン。
脅威でもなんでもない、道端に落ちている石ころ程度の二人に吐血するほど追い詰められているではないか。
「ハハハ……」
乾いた笑いが溢れた。
そして思い出した。
――人間とはこういう生き物だった、と。
故にセリスは二人が予想もしていなかった言葉を口にした。
「――感謝するよバルフィリア、それにマリアン。キミたちのおかげだよ」
何をわけのわからないことを言っているんだ、と眉を潜めるバルフィリア。だがすぐにその言葉の真意を思い知らされた。
セリスの両目が怪しげな光を放つのと同時にバルフィリアは違和感を覚えた。パタリと魔法の感触が途絶えたのである。再び発動させようにも魔力が乱れているのか操作などが到底叶わない。
「団長!」
「来るな!!」
何かがおかしい。違和感を異変と認識した時、マリアンが助太刀すべく近付こうとするのをバルフィリアは叫んで制止した。
マリアン自身もバルフィリアの特有魔法の効果が消えたせいであまり自由には動けず、聖剣の加護で辛うじてその場に留まれている程度だった。――セリスもそう思っていた。
「もう気付いたんだ、案外早いなぁ。だけどどうしようもないもんねー。魔法が使えない人間なんて無力以外の何者でもない。でも不安定だなぁ――っと、危ない危ない」
完全に隙を突いたと思ったマリアンの聖剣の光を容易に避けてみせ、セリスは二人から距離を置いて詠唱を始めた。
対してバルフィリアとマリアンは黙っているわけにはいかないとは重々理解しているにも関わらず、魔法が使えない者と加護に集中しなければならない者の二人にはもう一手が足らなかった。
そしてセリスが何をしようとしているのかを予測した。答えは意外とあっさりと出た。
それはセリスの前方に展開された魔法陣に込められた魔力量は、この次元の狭間に影響を与えかねないほどの量。いったいあの少年の身体のどこにこんなにも大量の魔力が詰まっているのかとため息が溢れるくらいにだ。
つまりこの次元の狭間から抜け出してミカヅキたちのもとへと戻ろうとしており、そのついでにバルフィリアとマリアンをここで消し去ろうと言う策であろう、と。
魔法が使えない。かといって魔力が無くなったわけじゃない。魔力を魔法として昇華はできない。
目の前で凄まじい存在感を放つ魔法陣など気にも止めずに思考に集中するバルフィリア。何らかの打開策が喉元まで出かかっていたタイミングを狙ってか、セリスの詠唱が終わってしまった。
「お待たせしてごめんね。でもこれでキミたちは楽になれる。感謝してくれても構わないよ」
「誰が貴様なんぞに感謝などするか」
「わたしも同感だ」
「なーんだ、つまんないの。じゃあ、さよならだ。闇は光を呑み込み、世に絶望を知らしめる道しるべとならん――闇絶覇衝蓮星」
セリスの言葉に呼応して巨大な魔法陣は紫色の光を帯び、次の瞬間には文字通り全てを呑み込むべく黒い閃光が放たれていた。
迫り来る絶望を前にしても二人は諦めていなかった。バルフィリアは「すまない」とマリアンに謝罪し、聖剣の加護によって守られる形となる。しかしそんな抵抗をも閃光は無慈悲に包み込んだ。
空間が歪み、次元が開かれ現実世界にそれは吐き出されることとなる。
――こうしてセリスは再びミカヅキたちとの邂逅を果たしたのである。
辛うじて生き残ったバルフィリアとマリアンはミカヅキとミーシャの治療を受けつつ、セリスの新しい力について説明した。