百三十七回目『バカ』
次元の先へと立ち去るバルフィリアたちを一瞬ちらりと見ただけで何もしなかったミカヅキ。当然ヴァスティとレイも邪魔をさせるつもりは無かったが、何と言うか予想に反したため拍子抜けるところだった。
そんな中、別の思考をする少女がこの部屋にはいた。このままで良いのかと叱咤され決意を固めた者。
彼女の胸中を知ってか、ミカヅキは攻撃の手を緩めて瞼を閉じる。何らかの意図を感じたヴァスティとレイは絶好の隙を突かなかった。するとポツリポツリとまるで降り始めの小雨のように言葉を紡ぎ始めた。
「――邪魔者はいなくなった。それで貴様らはどうするんだ?」
「誰よあなたは」
明らかにミカヅキとは言い難い雰囲気と口調の誰かにミーシャは不機嫌な表情を向けた。
相変わらず目を閉じたままのミカヅキではない誰かは笑った。
「随分偉そうな小娘だ。“知らない”なら覚醒はまだ完全ではないな。……どうやら貴様は知っているようだな、我が何者なのかを」
ミーシャを見て嘲笑うような笑みを見せたかと思いきや、隣にいたシルフィに視線を移して眉を潜めた。
「知っています。お兄さまに教えていただきました。なので伝言をお伝えします。お兄さまは――あなたが出るにはまだ早い。来るべき時まで待たれよ、と」
落ち着いた様子のシルフィに対して、「なんで、どうして?」などと困惑してあたふたするミーシャ。いつもの調子を取り戻した姫様を苦笑しながら見守るレイであった。
「…………」
シルフィの伝言を聞いたミカヅキではない誰かは視線を上げるように首を少し上に向けた。
「フッ。よもや実在したとは……。特別に此度は我が退こう。だがこの者を助けたくば急ぐことだ。もはや一刻の猶予も無い――勝手に人の身体を使わないでいただきたい」
話の途中で閉じていた瞼を開けられるとミカヅキの口調になった。とはいえいつものではなく“操られている状態の”だが……。
シルフィ以外は先ほどまで話していたのが何者かは知らない。故に誰なのかを訊きたいのは山々でも、彼らの置かれた状況がそれを許さなかった。
「この戦いが終わったら色々教えてもらうから。絶対だからね」
「はい、たくさん話しましょう。あ、あとこれを受け取って。お兄さまが必要だろうって」
普通の女の子のようにちょっとした約束を交わすと、シルフィは思い出したように懐から小さな何かを取り出してミーシャに渡した。
銀色のブレスレットで試しに付けてみるとミーシャの手首にピッタリのサイズだった。同時にまるで最初から知っていたように使い方を自然と理解した。
レイディアが来るべき時のためにバンカーに用意させていたものである。渡すタイミングは任せる、とシルフィに託していたのだ。
お礼を言ってミーシャは前に歩み出てレイの隣に立って構える。覚悟は済んだならあとは行動に移すだけ。――ミカヅキを取り戻す。
「私はもう守られてばかりの私じゃない……見せてあげるわ。気高き炎よ、大切な人を守るための力を――優炎の戦乙女」
ミーシャの声に呼応して彼女の周りに炎の帯が出現し回転。包み込むように身体に纏い、鎧のような形状で固定される。防御と機動力を兼ね備えた装いで空を飛ぶなど浮遊も可能である。
これこそが戦うことを決意した再生神の依り代たるミーシャが導き出した力――戦乙女だった。
「レイ、ヴァスティ。二人とも私を援護して」
「おうよ」
「なんで俺が……ちっ仕方ねぇな」
ミーシャの指示に従うつもりはさらさら無いヴァスティにレイが苦笑しながら目配せする。意図を読み取り舌打ちしながらも承諾した。
「どうしてそんなに無駄なことで必死になるのかわからない」
「今のあなたにとっては無駄でも、私や私の知ってるミカヅキ、それにここにいるみんなにとっては無駄なんかじゃないからよ」
「じゃあ証明してみてよミーシャ。僕を納得させたら君の勝ちだ」
ミカヅキが手元に棍棒を造り出して握りしめる。
「望むところよ」
二人の視線が交錯する。
改めて考えてみると、ミカヅキとミーシャが戦うのは初めてだなとレイは目を細めた。
ミカヅキの実力は知っていたが、ミーシャの方はほぼミルダさんとレイディアしか稽古をしていなかったせいでどんな戦い方をするのかもわからない。故に彼は不謹慎ながらもワクワクしてしまっていた。
ビキ。
不謹慎なレイがワクワクし始めたのと同時。何か石が割れる、またはヒビが入るような音がした。
そして次の瞬間、彼は驚愕する。
凄まじい勢いの熱風が吹き荒れるも、レイは正面に透ける光の壁を展開して身を防いだ。一体何が起こったのか?
「ハ、ハハ……」
乾いた笑いが口から溢れる。つい今しがた横を通り過ぎたはずのミーシャが既にミカヅキのもとへと移動しているではないか。それが示すのは熱風の原因。ほんの一瞬だが、しっかりと魔力を感じ取った――否。感じ取らざるを得なかった。
「若いっていいねぇ」
皮肉ではなく紛れもない本心だった。今のレイはヴァンの特有魔法と魔力を継承されているため、保有魔力は以前より格段に上がっている。にも関わらず、あの時感じた魔力は今の――倍以上であった。
――こりゃあ、うかうかしてたら簡単に置いていかれるな。と心の中でため息をつきつつ気持ちを切り替えてミーシャの援護に意識を向けた。
「まだまだ」
炎を纏ったミーシャの槍の一撃を、造り出しておいた棍棒で見事に防いで見せる。そのまま棍棒の向きを変えることで力の流れを変えてミーシャの体勢を難なく崩す。おかげで前のめりになるかと思いきや炎を巧みに操りその場で半回転の後に鋭い蹴りがミカヅキのお腹を捉えた。
「放て」
蹴りと同時に炎が放たれてミカヅキは防ぐ間もなく赤と橙の色の中へと消えた。
ボフッと言う煙たい音と共に上空に飛び出したミカヅキ。これでは格好の獲物だとヴァスティは構えるが攻撃はせずに後ろに飛び退く。すると床から鋭利な槍が突き出て来たではないか。背後、つまり死角からの攻撃を予見した行動だった。
「チッ、先詠みはやはり健在か」
瞳に五芒星が灯された『先を知る眼』を発動した状態。こうなってしまえば攻撃を与えるのは至難の技だ。何しろ何処にどんな攻撃をするのか未来を知れるのだから。かといって崩せないわけではない。
ミーシャがレイに目配せする。何をしたいか意図を察して、若干ゆっくりめに瞬きをすることで返事とした。
「ヴァスティ。俺たちもそろそろ行くぜ」
「援護じゃなかったのかよ……あぁなるほど」
ミーシャ、レイ、ヴァスティら三人の同時攻撃。練習も無ければ相談も無いぶっつけ本番。
うまくいく保証なんて何処にも無いのに、彼らに迷う時間など無かった。
それぞれが各々の武器を握りしめる。
ミーシャが再び距離を詰めた。見事な槍捌きと絶妙な魔法攻撃の両方でミカヅキの意識を自分に集中させる。もし一度でも手合わせしていれば、今のミカヅキならば対応できたかもしれない。だが、現実はそう簡単ではなかった。
予想以上にお姫様の技量は高く、周りに意識を散らしたならばその隙を突かれるのは必至。しかし黙ってやられるつもりは毛頭無い。
「言ったでしょ、私も戦うって――」
「うん。ミーシャが相手だから正直油断していた」
防戦一方ながらミカヅキは微笑みを浮かべた直後――冷たい表情に変化する。それはミーシャが思わず恐怖を感じ背筋に悪寒が走り、攻撃の手を緩めてしまうほどのものだった。
「姫さんっ!」
ミーシャが見惚れる微笑みを浮かべたミカヅキの瞳の五芒星が反転していた。ミカヅキの手にはいつの間にか造り出された剣があり、彼女の体へと突き刺さるべく前へと進む。
しかしミーシャは死が目の前まで迫っているかもしれないのに、母親が我が子を抱擁をするかの如く微笑みを浮かべていた。
闇に呑まれてしまったミカヅキの全てを包み込むような、全てを受け入れると言わんばかりの優しく穏やか表情だった。
レイとヴァスティは阻止しようと試みようと考えるも、速さは容易に間に合わせられる。が、ミカヅキとミーシャの距離があまりにも近すぎて彼女を巻き込んでしまいかねなかった。本調子の状態ならいざ知らず、満身創痍にも等しい今の彼らには細かい魔力のコントロールが叶わない。
眉を寄せ、眉間にシワを作る。
――遠い。あまりにも遠すぎる。あそこに追い付くにはどれ程の時間が必要なのだろうか?
彼らは苦笑を浮かべながら思った。
「――どうやら、私は必要無かったみたいだ」
あの領域に至るには、まだまだ何もかもが足らないな……と。
白髪が風の無い部屋の中で揺らいだ。まるでたった今時間が動き出したかのようにゆっくりと揺らいだのだ。
突然の来訪者の出現に、部屋にいた全員が言葉を失った――否。全員ではない、一人を除いてである。
「お兄さま!」
彼をこの部屋でそう呼ぶ者はただ一人。他の誰でもない――シルフィだ。つまりその呼び名が意味する人物は、
「すまない、準備に時間がかかってしまった。だが……」
レイディア・D・オーディン。一番心強い味方がようやく来てくれたのだ。
しかし彼は満を持して登場したと言うのに、ばつが悪そうに苦笑していた。それは何か悪いことがあったからではない、むしろ逆に良いことがあったからこその笑みだった。
ミーシャを守るためにミカヅキの造り出した剣の行く先、つまり彼女の触れるか触れないかくらいの距離のお腹の前に刀を添えていた。が、剣の先端は刀には触れていないのだ。
「……あ、あれ? レイディアがどうしてここにいるの?」
先ほどまでの聖母の微笑みは何処へやら、いつもの様子に戻ったミーシャが半分困惑気味に隣にいるレイディアを見て首を傾げた。
「そ、そんなことよりミカヅキっ、ミカヅキは!?」
彼女が微笑みを浮かべていた相手の方へ意識を移すのと同時に、剣は光の塵となって消滅した。これはミカヅキが気を失った時の反応だった。
『優炎の戦乙女』を解除して、倒れるミカヅキを受け止めて無事に着地する。
「ミカヅキ、起きてミカヅキ……!」
「心配はいらん。が、こういう時はなコツがあってだな、愛する者の愛のこもった――ビンタをしてやるとすぐに目覚めるぞ」
「ほ、本当に!?」
そんな話は一度も聞いたことが無いが、レイディアが言うのだから本当なのだろう、いや本当なのだろうか、と耳まで真っ赤にしながら何度も自問自答を繰り返した後にミーシャは選択した。
「――やるわ。今は一刻を争うもの。ごめんミカヅキ、ちょっと痛いかもだけど我慢してね」
そして、ミーシャは膝枕で寝かせたミカヅキの頬めがけて手を振り下ろした。
ぺスッ。
ミーシャ以外の全員が思う。――それは痛くない、と。
勢いよく振り下ろしたわりに手と頬がご対面する直前に急激なる減速をして見せ、着地時にはスローモーションな映像でも流れたのかと錯覚するほど優しい着陸を果たした。
「いや、それで痛いわけないだろ。あれでよく音が出たな」
挙げ句一人は口に出す始末。確かにその通りだとミーシャ以外が頷いていたが彼女には関係無かった。
「だ、だって……あああ、あ、愛がこもっていればいいんでしょっ。なら強くする必要はないもん」
目の前で青春する者たちに冷たい眼差しを向けるレイディア。彼の頭の中では違う展開になる予定だった。そう、違う展開に――。
――闇に呑まれたミカヅキ。レイやミーシャたちが苦戦する中、ついにレイディアが動く。
空に展開された万を越える剣を前に、レイたちは歯を食い縛る。耐えるためなどではない、力が及ばない悔しさのあまりの行動だった。
ミカヅキの手が振り下ろされると共に、剣も雨の如く降り注ぐ。
終わりだとミーシャは眼を閉じた。レイだけは死ぬその時まで、ミカヅキから目を離さなかった。
眼前に迫る剣。魔力はもう尽き、動くこともままならない。避けるなんて到底叶わない願いだ。
誰もが死んだ、そう思った――その時。
「おいおい、もう諦めるのか?」
聞き覚えのある声が耳に届いた。
目を開いた面々は目撃する。降り注いだはずの剣が空中で時間がとまったかのように動きを止めているではないか。
そして、ミカヅキと自分たちの間に立つ、味方で一番頼もしい背中を。
「やっと来たか――レイディア!」
「野郎に待たれる趣味は無えよ。てか、貴様は何をしてんだ? ついに阿呆や愚か者を通り越して、残念なやつに成り下がったか?」
闇に呑まれ姿が変化したミカヅキを見ても、相変わらずの毒舌を披露する。それを見ていた者たちは呆れてため息をついたが、いつも通りだと安堵の意味も含まれていた。
「闇に身を任せただけだよ。成り下がるどころか、今の僕はあんたより強い!」
「……どこが?」
挑発するレイディアにさすがに機嫌を悪くしたのか、彼を睨み付けながら再び手を空に翳した。
「見せてあげるよ、これが僕の力さ!」
先ほどとは桁違いの量の、空を覆うほどの剣が造り出される。ただの剣ではないことを、レイディアはすぐに見抜いた。闇の魔力を纏っているのだ。つまりは当たった時の威力は今までの比では無いだろう。
地上にはまだ先ほど降り注いだ剣が動きを止めたままだ。だがそれを利用したところで数が違いすぎる。
「はぁ……はた面倒な。これで私より上か……。随分甘く見られたものよの。なら思い知らせてやるよ――私の力を」
笑顔を浮かべるレイディアの鋭い眼差しに、ミカヅキは背筋が凍る。ミカヅキの能力は確かに格段に上がっているはずなのに、レイディアは微塵も負けるつもりが無いのを理解した。
「やってみろよ!!!」
レイディアが左の腰に携えてある刀の束に右手を添えて居合いの構えをする。
「全てを捉え、全てを斬ろう――刹那第三章・鏡月」
――うんうん頷くレイディアは自分を呼ぶ声に反応して我に返った。
「本当ならこうやって素晴らしく格好良く登場するはずだったのに――」
「――ま、さま――、お兄さま!」
「なんだ、シルフィ。何かあったのか?」
「全部声に出てしまっています」
「……あら?」
何やら殺気立っている方向に目をやると殺気立っているお姫様の姿があった。そりゃあ物の見事にあんなに長く語っていれば何だか腹が立ってしまうのもわからなくもないと言うもの。
愛する者を膝に乗せているせいで、愛の代わりに怒りのこもったビンタをお見舞いできないのが非常に残念だ、と顔に書いた状態でレイディアと目が合う。口元は笑っている。しかし目は完全に笑っていない。
「まぁ、冗談はさておき……いくら気まずいからってぇー、寝た振りは良くないなぁー」
「え!?」
「…………あ、あははは、バレてた――痛っ」
ペシンッ。
今度はちゃんと音のするビンタだった。ミカヅキの赤みを増す頬にポタポタと滴が降る。
「……もう……バカ」
「ごめん、ミーシャ。また心配かけて」
「ほんとよっ、起きたのならさっさと起きなさいよねっ」
このまま二人にしてやりたい気持ちをぐっと抑えて、三人にあっちに行くぞと引っ張られながらも抵抗してレイディアは言葉を紡いだ。
「ぐぬぬ……ミカヅキ、ミーシャ。キャッキャウフフしてるとこ悪いが、ミカヅキに聞きたいことがある。――話はできたか?」
問いを聞いてミカヅキの表情が真剣なものへと変わった。
「……ほんと、何でも知ってるや。うん、ちゃんと話をしたよ。そこだけセリスに感謝しなくちゃだ」
だがすぐに苦笑して返答した。
頭の上に疑問符を浮かべたり、首を傾げたりするミーシャたちにレイディアは「私が説明しよぉう」と言って、
「自分と話してきたのさ」
非常に簡潔に説明した。