百三十六回目『これでいいのか?』
「なに、この魔力……」
城の中心に突如現れた禍々しいまでの魔力に反応するイリーナ。続いてカケルも尋常じゃないと同意するように目を細めた。
「――呑まれたか」
それまで二人が何をしても反応を見せなかったレイディアが、謎の魔力の発生に呼応して口を開いた。バッと勢いよくイリーナはすぐさま彼の顔を覗き込む。
カケルも同じくレイディアの方へと体勢を変えたが途端に突き飛ばされた。決して怒らずに、やれやれとため息をついた彼は、すぐに言葉の意図に思考を切り替える。
「レイディア?」
「すまない、心配をかけてしまったな。だが感傷に浸っている暇は無い。本命が動き始めたんでな」
「本命……この戦争の黒幕ですね」
心配そうな表情を見せるイリーナには笑顔を浮かべ、鋭い考察をするカケルの言葉に頷いて肯定した。
「二人には頼みたいことがある。もう既に理解しているように、世界の人々の時を止めたのは私だ。このままじっとしていれば問題ない……が、そうもいかなくなった故に綻びが生じるはずだ」
「その綻びをあたしたちで正せばいいのね。でも、あたしはクーがいるからできるけど、カケルの特有魔法では時間を止められないわ」
「確かにイリーナの言う通りですが、レイディアさんのことですからもう手は考えてあるんでしょ」
レイディアは二人に協力を頼もうと頭を下げるつもりだったが、どうやらその必要は無いらしい。もとより二人は頼まれなくとも独自で動くつもりだったようだ。
そして、密かにカケルが“イリーナ”と呼んだのを見て一瞬だけ驚きすぐに微笑みを浮かべた。もう独りではないのを見れて安心したのだ。まるでお嫁として嫁いでいく娘を見送る父親のような優しい表情だった。
「カケルには“これ”を渡す。使い方は……説明するまでもないか」
「それは!?」
驚いた後に本当に使っていいのかと念のために確かめる。彼の反応も頷ける。何故ならレイディアが差し出したのはリボルバー式の銃、つまり――思念弾を撃てる銃なのだから。
この世界でレイディアが所持する二丁しか存在しない代物の内の一丁。その価値がどれほどのものか一目で理解したが故の反応だった。
思念弾のことを知らないイリーナは、カケルがどうして驚いているのか首を傾げて不思議そうに眺めていた。
「イリーナは知らなかったか。これは私がいた世界の武器で、それをこちらの魔法と組み合わせたものだ。使い方次第では万物に干渉することも可能なんだよ。瀕死のイリーナを助けられたのもこれがあったおかげさ。まぁ、それなりの代償が必要だがね」
「万物に干渉……それをカケルに託そうとしている。驚くのも無理ないわね」
そんな代物を託すと言うことは同時にその人物を信用していることにも繋がる。レイディアの言葉でイリーナはカケルの反応に納得した。気になる一つの点を除いては。――それなりの代償。
結局レイディアはいったいどんな代償なのかは説明しなかった。だからイリーナも聞かなかった……聞けなかった。二人の問題であると判断したからである。
持ち前の鋭い洞察力でレイディアはイリーナの内心を察していたが、こういうのは自分でなんとかするものだと何も言うことはしなかった。彼なりにちゃんと気にかけているのだ。
「さぁ、行動開始だ。人々の時を止めているとは言え、決して油断せぬように」
「当然です。僕は必ずレイディアさんに勝ちますから、それまで絶対に死にませんよ。ですから、レイディアさんもどうかご無事で」
「簡単には負けんよ。ああ……そうだな」
レイディアの指示に従い、先にカケルがその場を後にした。残されたレイディアとイリーナの間に数秒の沈黙が発生する。
「……」
「仲間ってのは良いもんだろ。この調子で、これからどんどん増やしていくんだぞ」
「じゃあ……。じゃあちゃんと見てなさい。あたしが仲間を増やしていくのをちゃんとその目で見ていなさい。死ぬのなんて許さないから」
不器用なイリーナなりに無事を願っているのを伝えたかったのだろう。レイディアはその意図をしっかりと汲み取り苦笑を返した。
「私の責任だものな……」
言いながらイリーナに歩み寄って優しく頭を撫でた。まるではぐらかすように。急な予想外の行動をされて顔を赤らめ、見られないように下へと視線を落とす。故に彼女はレイディアのその表情を目にはしなかった。
結局はっきりとした返答はせず、満足げな表情のイリーナの背中を見送った。
「知ってるかイリーナ。私はな……嘘つきなんだよ」
真紅の綺麗な髪が見えなくなる頃、レイディアは空を仰ぎ見ながら呟いた。今の彼は儚げな、吹けば飛んでいってしまいそうな弱々しさを醸し出していた。
――まるでもうすぐ来る最期の時を待っているようだ。我先にと目的地へと向かったカケルは振り向かずに前を見据えて思い浮かべる。特有魔法など関係なく、カケルはレイディアの心境を見抜いていた。あの人は死ぬ気なのだと。
カケルが気付いたことにイリーナが気付けていない訳はなかった。彼女とて女の勘なのか、それとも別の何かはわからないがしっかりと察していた。レイディアが死にに行くことを。
だが約束した。たとえ返答が無かろうと彼らは約束したのだ。――再び生きて会うと。
レイディア本人が何を言おうと、カケルもイリーナも疑うはずなどない。信じているのだ、必ず約束を果たすと。
「はぁぁ……」
レイディアの口から自然とため息が溢れる。理由は誰かに問う必要は無い。とうの昔に理解しているからだ。
彼の特有魔法『神導』もとい『真道』は時間を操る魔法である。故にこの先に何が起き、どうなるのか結末を既に知っている。
もちろん考えうる可能性の全てを試した。そしてその先にある世界の行く末を。変えられない、変えてはならない未来への礎となることこそ、多くの罪を犯してきた己への罰なのだと覚悟を決めていた。
『神導』を発現して未来を知ったその日から揺らぐことなどあり得なかったもの。それがここに来て、綻びが生じようとしていた。強く結んだ紐が長い月日を経て解けるように、彼の覚悟も……。
だからこそ彼の身体はため息を外へと追い出した。もう答えは出ているはずだ、と。
レイディアは自問自答の後に苦笑して城へと振り返る。
「やってやるよ。――おっと、そう言えばドルグさんは真実を知っているんだったな」
それまで仏のように、孫を見守る好好爺のように黙していたドルグに問いかけた。実際は空気の如く存在を忘れかけていたとは言うまい。
「全て、ではありませんが知っています。話に聞いた程度ですが……」
「どうお考えか?」
レイディアの二つ目の問いにキョトンとした顔を浮かべ、すぐに微笑みを見せてこう答えた。
「過去は過去、今は今。ミーシャ様に大切なことを教わりました。長生きはやはり良いものです」
「……そうか。では若者のお願いを聞いていただこう」
「いやはや、年寄りを乱暴に扱うのはよろしくありませんぞ」
意地悪な笑みを浮かべるレイディアに対して、穏やかな微笑みを見せるドルグ。笑みのはずなのに、その奥に何かが秘められているのは火を見るより明らかだった。
「――本当に……いや、わかりました。引き受けましょう」
お願いを聞き終えたドルグの口角は下がっていた。確かにレイディアの話を聞けば誰だって同じ反応をするに違いない。
「感謝する。お主にはいずれ来る戦いに必要なのでな、死なれては困る。必ず生きて帰るのだ、バルフィリアのもとへ」
そしてレイディアは姿を消した。定められた未来を変えるために、行くべき場所へと転移したのだ。
ーーーーーーー
レイディアが見上げた城の内部では、闇に呑まれ操られていると思しきミカヅキがミーシャたちに攻撃しようとしていた。
「ミカヅキッ、何してるの、早くこっちに戻ってきて!」
「ごめんよミーシャ。僕はこの理不尽な世界を壊さなきゃならないんだ。邪魔をするなら、たとえミーシャでも容赦しないよ」
ミカヅキが操られているのは確実。でなければミーシャを攻撃するなどと嘘でも言うはずがない。元凶のセリスは二人の様子を見て満足そうに笑っている。
「ハハハハハッ、イイねぇその顔。悔しそうだねぇ、最高だよお姫様。ミカヅキ、優しい優しいお姫様たちに世界の残酷さを教えてあげたらどうだい?」
「それが良い、そうしよう。そうすればミーシャだってわかってくれるよね。僕が正しいんだって――創造せよ」
ミカヅキが口ずさむと同時に手を前に翳す。すると彼の周りに無数の光の剣が造り出され、ミーシャに向かって一斉に放たれた。
わかってはいたが、ミーシャは本当に自分に向かって剣が放たれたと言う現実に少なからずショックを受け表情を曇らせた。
落ち込む少女に抵抗する気力は無い。ただ迫りくる光の剣をその身に突き立てるだけに見えた――が、それを許さぬ者がこの場にはいた。
「ハアァ!!」
ミーシャの前にミカヅキの剣とは別の光が走る。それはマリアンの聖剣から放たれたもので彼女を守る壁となり光の剣を呑み込み消滅させた。
「――邪魔しないでよ」
剣を振り下ろした隙を狙い、一瞬にしてマリアンの背後に移動したセリス。闇に纏った手を突き出すも、光の障壁に攻撃を防がれる。聖剣の鞘であったマリアンの左腕に装備された篭手が自動で防御した。
怯んだとこを狙ってマリアンが聖剣を振り払ったが手応えはなかった。お得意の転移を使用して距離を取ったのである。
「忌々しい……だけど、次はどうかな?」
マリアンだけではなく、ミーシャたちを含めた全員を囲うように数え切れないほどの剣や槍、斧など武器と呼べるものが勢揃いで放たれるのを今か今かと待ち構えていた。
マリアン自身、自分だけを守るなら難しくない。だが、標的はミーシャたちにも及んでいる以上放っておくわけにはいかない。聖剣を握る手に力を込める。――全てを受けきることは不可能。せめてその身を盾に未来ある若者たちを守ると決意する。
先ほどの衝撃波で割れた壁の破片がパラリと落ち、奇しくもそれが合図となり無数の武器は真っ直ぐ標的に向かって放たれた。
「――伏せやがれ」
予想より武器の速度が速く、間に合わないと表情を曇らせたマリアンの耳に聞き覚えのある声が届けられた。そしてフッと口角を上げて指示に従った直後――部屋を神々しい光を放つ雷が駆け抜けた。
未だ唖然とするミーシャをシルフィが身を挺して守ろうとする。だがそんな勇気ある行動に応えるように床から影が彼女らを包み込み繭を形成する。繭は衝突した武器の全てをセリスの闇の如く呑み込み無力化。
あり得ない光景に狼狽えるミカヅキに雷鳴が轟く。
身の危険を察知して瞬時に正面に盾を造り出すが無駄である。何故なら雷は盾の内側にもう入っているのだから。
「弾けろ――迅雷」
「なくっ、ああぁぁあぁ!!!」
目の前に迫り来る雷は言葉通り弾けて見せ、周囲に鋭い雷を撒き散らす。それは人体どころか壁や天井も容易に貫通する。そんなものを触れそうな距離で炸裂されたミカヅキは致命傷は免れない――はずだった。
間一髪、セリスが彼を弾ける雷から遠ざけたおかげで擦り傷程度の軽傷で済んだ。
「助かったよセリス」
「大丈夫さ。でもやっぱり生きてたんだ」
「いーや、死んでたさ。貴様らのせいで戻ってきてしまっただけだ」
雷が人の形へと変化して見覚えのある姿になる。雷光の剣聖――ヴァスティ・ドレイユ。そして、
「レイ……」
「まだそんな顔ができるんだな、意外だぜ」
影が床にシュルシュルと吸い込まれ、中には無傷のミーシャとシルフィに加えてもう一人の姿を少年の瞳が捉える。ガルシア騎士団団長――レイ・グランディール。
堂々の復活を果たした瞬間であった。その影響なのか定かではないが失われていたはずのレイの手足が再生、と言うのか元通りになっていた。
軽く手を握ったり開いたりを繰り返して感覚を確かめる。もちろんミカヅキとセリスから視線を外さずにだ。
「なぁ姫様よ、そうやって項垂れてていいのかよ?」
背中越しに落ち込むミーシャに語りかける。レイは恐らくミカヅキを元に戻すにはミーシャの言葉が不可欠だと考えた。こういうのはやっぱ想い合ってる者同士が最も効果的であると。
感じる魔力からしてレイディアの時のように自らの意思で寝返った訳じゃないのがわかる。それに決定的になのは攻撃に殺意が乗ってることだ。だが逆にその攻撃のおかげで可能性があると判断したのも道理。
確かに放たれた無数の多種多様の武器には殺意が感じられた、が、全てではなかった。大量の殺意の中に別の感情が込められていた。俗に言う、剣を交わせば相手のことがわかる、である。
この世界に来た当初からミカヅキを、そして彼が守ると誓った相手の姫様を見守ってきたレイだからこそ信じた、信じられた。――あのミーシャ・ユーレ・ファーレントがこんなことで諦める訳がない、と。
ならレイのやるべきことは一つ。
「敵にミカヅキを好き勝手されて、あんたはこれでいいのかよ?」
煽る。へこたれるのか、落ちぶれるのか、終わりなのか、諦めるのか、俺たちが認めた王はその程度の器だったのかと鼻で笑う。
「……さい」
「聞こえないな」
「うるさいって言ってんのよ!」
荒ぶる綺麗な声と共に大量の水がレイに降り注ぐ。あら不思議、水も滴る良い男の出来上がり。もちろん滝の如く水はミーシャの魔法である。
ちなみにこんな悠長なことをしている間にもミカヅキとセリスは容赦なく攻撃を仕掛けているが、マリアン、ヴァスティ、そしてレイが全て防いでいた。
強いて言うならもう一人の尽力もある。その最後の一人がいなければ今頃セリスが転移を使いまくって場を荒らしていただろう。
「随分と楽しそうじゃないか、俺も交ぜてほしいんだが世界の意思とやら」
「バルフィリア・グランデルト……!」
扉付近に現出した黒い穴からゆっくりと姿を現したバルフィリアに驚きの表情を見せるセリス。彼の隣にはアイバルテイクが同伴していた。
バルフィリアが皮肉を言うまで魔力どころか気配すら全く感じなかった。まるでたった今ここに誕生したように。
「マリアン。彼はヴァスティらに任せてこっちを手伝ってくれ。ここで奴を葬る」
鋭い目付きも相まってとてつもない殺気を放つバルフィリア。
騎士であろうと逃げ出したくなる殺気を正面から受けたセリスはニヤリと意地悪な子どものような笑みを浮かべた。その顔は今から自分を殺そうとしているバルフィリアを嘲笑っているかにも見えた。
「やれるものならやってみなよっ。キミではボクの速さには追い付け――」
「追い付けるとも――次元沈穴」
余裕綽々の態度を取るセリスは驚愕する。ヴァスティやレイですら完全に捉えることができなかったセリスの速さを隙を突いたとは言え確実にバルフィリアが上回ったのだ。
そして、まんまと術中に嵌まり抵抗も間に合わずに背後に開いた次元の穴の先へと吸い込まれた。
バルフィリアはマリアンと共にセリスを葬りに同じ次元へと向かうべく次元の穴を開く。
意外だったのは操られているミカヅキが二人には手を出さずに、ヴァスティとレイらとの戦いに集中していたこと。阻止された場合の対処も考慮していたバルフィリアは目を細める。
だが、
「既に、か。されとて譲る気はないぞ」
開いた次元の穴に入りながらそう呟いた。
それを聞いたマリアンは何を意味するのかわからなかったが尋ねはしない。セリスを葬る、その目的に集中するためだ。
――こうしてセリスとミカヅキの分断に成功した。