百三十五回目『闇に呑まれし者』
最期の言葉に雷に打たれたような衝撃を受けながらも冷静にマリアンは聖剣を引き抜き、皇帝の亡骸を丁重に床に寝かせた。後で埋葬するにしても、ずっと抱き抱えている訳にもいかず、更に剣を鞘に納めなければならない。
だがここで問題が生じた。左手に装備された籠手が鞘の姿に戻る気配が全く無いのだ。首を傾げるマリアン。まさにそんな時だった。
「まだ終わっておらん。油断するな、騎士王マリアン」
何処からともなく聞こえてきた声。始めはレイディアかと思ったが明らかに別人の声だった。不思議な現象に訝しげな表情をしつつも、声のする方へと視線を向けるとそこには――
「まさか……いや、疑うまい。よもや言葉を交わす剣を、生ある内にお目にかかるとは」
「某とて、魔力を持たぬ者と出会うたのは初めてだ。――それより早う構えいっ。来るぞ!」
確かに玉座の方に何者かの気配を感じて聖剣を構える。
すると、そこには見覚えの無い十歳くらいの少年が佇んでいた。
マリアンはまだ幼い少年がただ者ではないことを察した。聖剣に言われたのもあるが、彼自身の本能が警報を鳴らしているのだ。関わるべきではない、と。
そう考えた瞬間、少年は目の前にいた。が、次の瞬間には玉座に戻っていた、皇帝の亡骸と共に。
反応できなかった。転移魔法の類いかと考えたが、明らかに速すぎる。目の前にいながら気配すら感じなかった。まるで最初からそこにいたかのように。
皇帝を連れていかれ、内心腹を立てるが表に出しはしない。ろくでもないことになるのは言うまでもない。
「まさか倒されるなんて予想外だなぁー」
マリアンにとってせめてもの救いなのは、後ろの壁際にいるミカヅキたちを一切見向きもしないことだ。穴の近くでは危ないからとシルフィの提案で離れておいたのだ。
「――やはり全ては貴様の筋書き通りだった訳だ」
聖剣が淡く光ったと思いきや、マリアンの隣にうっすら透けた白銀の長い髪を後ろで纏めた美青年が現れた、と言うより映し出された。
マリアンは誰だ、と訊きたい気持ちを押し込めて二人の会話に耳を傾けた。
「そっちこそ、やっぱり残っていたんだね。聖剣のキミがいるんだから、他の神器もいるんだよね?」
声色は無邪気な少年そのものなのに、凄まじい圧をマリアン、そしてミカヅキたちは感じ取った。大量の水を一気にかけられるかの如く、幼き少年の言葉一つ一つが重かった。
「全て健在だとも。到底貴様には見つけ出せんがな」
「いいよ。絶対に見つけて――壊すから」
声が傍で聞こえた――否。聞こえる直前に反射すら越える動きで、目の前にいた少年の拳をマリアンは聖剣を盾代わりに防いだ。が、反応は予測染みた動きでできたものの、隕石でもぶつけられたような強大な力を相殺することは叶わず。マリアンは床に足をつけたままズザザと音を部屋に響かせながら後ろへと下がらされた。
おかげでミカヅキたちとの距離が縮まり、数歩歩けば頭を撫でられるくらいの場所まで近づいていた。
「すごいねー、防ぐなんて驚きだよー」
「逃げろ……と言いたいが、奴の魔法の前では逃げても無意味に等しかろう。だが皆が無事で良かった」
「ありがとうございます。ボロボロですけどね……。それより、もうあの子の特有魔法の仕組みがわかったんですか」
棒読みで称賛する少年を完全に無視して、マリアンはミカヅキたちに声をかけた。心配してくれたのが嬉しくて恥じらいを感じながら、ミカヅキは気になったことを口にした。
「断言はできないがな、転移魔法の最上位だと考えている」
転移魔法にはいくつかのプロセスがある。転移する準備、つまり何処に転移するかを決める。次にいつ、どのタイミングで転移するかを決める。そして、転移開始。最後に転移先に到着することで完了となる。
どれほど熟練した者であっても数秒はかかる上、転移先に何らかの影響が発生する。景色が歪んだり、風が吹いたりなど様々だが術者が“転移する前に必ず生じる”ものだ。
しかし少年の動きはそれらに当てはまらない。故にマリアンは転移魔法の最上位と言ったのだ。
それは本来あるはずのプロセスをほとんど取っ払い、転移した“結果”を世界に刻むもの。術者が転移していないように見えても実は既にそこにはおらず、残像のようなものが残っているだけで転移は完了している。
人々どころか世界の認識すら越える、“最初からそこにいる事実“を体現するのが転移魔法の最上位。もはや転移より、時空跳躍と言えよう。
「何処にでもいて、何処にもいない。そんなのまるで神様か何かじゃないか……」
「お、察しがいいねぇキミ。さすが異世界人、わざわざ連れてきた甲斐があった」
「――させんッ!」
マリアンが剣を振り払う。だがそこには誰もいない。ミカヅキたちはいったい何事かと疑問符を頭の上に浮かべるが、すぐに理由は判明する。
「危ないなー、真っ二つになるところだったよー。魔力を持ってないのにボクの姿を捉えるなんて、騎士王の名は伊達じゃないわけだ」
「我が名はマリアン・K・イグルス。貴殿の名を訊かせていただこう」
ミカヅキたちには視認すらできていなかったが、少年が目の前まで迫っていたらしい。唯一マリアンだけが反応し、攻撃を仕掛けたのだ。残念ながら躱わされてしまったようだが……。
「……」
レイとヴァスティを回復させながらも呆然とした表情を見せるミーシャに、シルフィは心配そうにどうしのか尋ねた。ミカヅキもそれを聞いており、表情を窺うために振り向いた。
「知ってる。わたしはあの子が何者なのか知ってるわ」
「な……もしかして、再生神の影響?」
「うん……。ミカヅキ、シルフィ、すぐにここから離れましょ。だって、だってあの子は――」
震えるミーシャが口する前に、少年はマリアンの問いにニヤリと口角を上げて答えた。
「真面目だな、まさに騎士の鑑だ。礼儀正しさに免じて答えるよ。ボクの名はセリス。この世界アルデ・ヴァランの意思さ。つまりさっき彼が例えた通り――神様だよ」
それを聞いて眉を寄せるマリアン。子どもの戯言と信じたいが、先ほどの魔法と言い、少年もといセリスから放たれる邪悪な何かが真実だと物語っていた。しかし同時に善き者ではないとも確信した。
騎士王の判断に答えるように聖剣が言葉を紡ぐ。
「奴が“全ての元凶”だ。世界を変革し歴史を消滅させ、あまつさえ此度の戦争を引き起こし、人々を滅ぼそうと企む絶対悪だ」
ミカヅキは口ずさむ。
「絶対、悪……」
「酷い言われようだね。ボクは不甲斐ないキミたちに代わって人間たちを守ったのに、悪だなんて八つ当たりかな?」
薄ら笑いを見せながら挑発するかのような言葉選びで問いかけた。別に返答を求めるものではなく、単なる選んだ言葉故の結果に過ぎない。
ただ、ミカヅキはセリスの発言で引っかかる部分があった。――人間たちを守った、とはいったい何についてだろうか。“何から”人間たちを守ったのだろうか。今、彼が敵として対峙している謎の少年ではないのは確かだ。
「でも愚かな人間たちはボクの善意を忘れ、自らで滅ぼうとしている。だからボクは考えたのさ。大切な人間たちが滅びないように、ボクが管理すればイイんだってね。――キミなら、ボクの言っていることがわかるはずだ」
セリスはマリアンからミカヅキへと視線を移して同意を促した。
突然自分の方へと話を振られて驚くかと本人も思っていたが、意外と冷静だった。が、彼はすぐに応えずに交錯する視線を俯いて半ば無理やり逸らした。
彼は思い出していた。この世界に来る直前の出来事を――。
身内の死ですら哀しまずに、あまつさえ邪魔者が消えたと喜ぶこともない。まるで興味のない道端の花が枯れただけのように、ミカヅキの両親、そして恩人である祖父母の葬式の時、親戚の人たちの殆どが無関心に近かった。
挙げ句、鋏を突刺そうと迫ってきたりもした。確かにあの時はミカヅキ自身にも非があるかもしれない。だとしても、刃物を向けてくるなんて想像もしてなかった。
――堕ちた人たち。彼はそう思った。それはセリスが言う愚かな人間たちと同じなのではないか、そんな結論を導き出してしまいそうだった。
つまり世界を巻き込むような人物と同じ思考をしている。歩む道を間違えば、同じことをやりかねないとではと自分の負の部分に恐怖した。
「――あなたなんかとミカヅキを一緒にしないでくれる?」
負の感情に押しつぶされそうになるミカヅキに一筋の光明が差し込む。ミーシャがセリスを睨みつけて否定した。
だがミカヅキは心の中で敵の言葉を肯定しそうだった。なぜなら彼の心には間違いなく同じとは言わずとも似た感情が存在する。――堕落した者がいる。
「キミに彼の何がわかるんだい? キミは彼の何を知っているんだい?」
「ええ、そうね。たしかに私の知らないミカヅキだっていると思う。でもね、たとえ知らなくてもわかるわ。ミカヅキはどこまで言ってもお人好しだから、誰かのために頑張れるって」
俯くミカヅキの肩がピクリと動く。
――僕は何を悩んでいるんだろうか。答えなんてもう出ているはずなのに一人で抱え込んで迷って……。
自分自身へのため息をついて、ミカヅキが顔を上げてセリスへと視線を向け言葉を紡いだ。その表情からは迷いなど微塵を感じられないどころか、吹っ切れたように見えた。
「あなたの言う通り、僕はあなたの言葉を、気持ちを何となくだけどわかる気がする。だけど……それでも、僕はあなたとは別の道を歩む。その答えを見つけるために、僕は知識を求めたんだ」
ミカヅキの意志を聞いて、それまで笑っていた顔が一気に曇った。訊かなくてもわかる、彼の返答が明らかに気に食わなかったのだ。セリスからすれば同志に裏切られたような気分に近いのかもしれない。
全体を客観的に見渡していたシルフィは――否。シルフィだけがセリスが放つ怒りの中の悲しみを感じ取った。
――似ている。彼女はふと、そう思った。誰に――出会ったばかりの頃のレイディアにだ。大切な人たちを失って怒りと憎しみ、そして悲しみを纏っている。誰かにぶつけたい、だけど誰にもぶつけられない、ぶつけたくない……矛盾と葛藤が複雑に心の中で交錯する。
そんなレイディアを傍で見てきたシルフィだからこそわかる心の内側だった。故に同時に理解していた。今のセリスには言葉は届かない。本当に“独り”になってしまったから。
シルフィは自ずと拳を作る。男性に比べればひ弱かもしれないが、抑えられない感情を表すには充分だ。もう少し早くセリスの思いに気付いていれば未来が変わっていたかもしれなかったからこそ体が勝手に動いたのだ。
そして、セリスはシルフィの予想通り……
「なんだ、つまんないの。じゃあもう遠慮する必要もないよね」
セリスが指をパチンと鳴らす。
「ミカヅキ!!」
最初に気付いたのはマリアン、次にミーシャが名を叫ぶ。しかし時既に遅し。一瞬にして移動したセリスの手がミカヅキの胸元に翳される。
「闇の中で悶え、逝くがいい――闇世の理」
目の前にいきなり現れた驚く隙だらけのミカヅキは、翳された手から洪水のように溢れ出る夜空よりも暗い漆黒の闇に誘われる。
自分の名前を呼ぶ声に応えようとしても、声も出せなければ身体も動かない。ミカヅキの全てが闇に侵食されていく。
「――っ!!」
マリアンが一呼吸よりも速く距離を詰めて剣を振り下ろすが、それは途中で止まることとなる。セリスが身動きの取れないミカヅキを盾にしたからだ。
騎士王と同じく攻撃しようと考えていたミーシャは、魔法の発動を断念せざるを得なくなる。
抵抗など叶わず、ただ自然の理の如く彼はミーシャたちの目の前で完全に闇に呑み込まれた。
無邪気な見た目や言動とは裏腹に、セリスの行いは残された者たちの心を酷く傷つけた。
だがそれを否定すると言いたげな口調でセリスは言葉を紡いだ。
「あらあら、なにを諦めているんだか。カレはまだ死んでないよ、そう簡単に殺すわけないじゃないかー。ボクに逆らった奴がどうなるか、見せしめとして存分に利用させてもらうさ」
言い終わると同時にミカヅキを包んでいた闇の球体が、破裂してまるで水のように闇が溢れ周囲に飛び散った。
その中からミカヅキが姿を見せ、ミーシャは胸を撫で下ろす。が、対照的にマリアンは険しい表情をしていた。
そして、マリアンは一度の深呼吸の後、剣を正面に構えた。
「――創造せよ」
「……え?」
ミカヅキの周りに無数の光の剣が造り出される。そこまでは良かったのだが、問題はその剣が向いている方向だった。敵であるセリスではなく、味方であるはずのミーシャたちに向いていたのだ。
そして、マリアンが既に察していた、最悪の事態の結論にミーシャが至り息を呑んだ瞬間に光の剣は放たれた。
「さすがはマリアンさんです。あの数の剣からみんなを守るなんて」
「残念だ、ミカヅキ」
ミーシャは理解した。
ミカヅキが――敵になった。