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ふたつの鼓動  作者: 入山 瑠衣
第十一章 世界アルデ・ヴァラン
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百三十四回目『レイヴン・ジークフリート・アインガルドス』

 ――レイヴン・ジークフリート・アインガルドスの話をしよう。



 産まれながらに魔法士(ランカー)であったレイヴン。

 彼の特有魔法は至って単純なもので、『未来視(ヴィジョン)』と呼ばれる未来を映像のように視ることができる魔法だった。


 ただ自由に使える訳ではなく、何かの気まぐれのように発動した。そして、彼が視た未来は必ず現実となった。幼い頃は意味がわからなかったが、成長するにつれて自分の特有魔法がとてつもない代物だと理解していくのは道理だった。


 やがて彼は思う。未来を変えることはできないのだろうか、と。必ず来る未来に抗うことは叶わないのか、と。


 皇帝の息子であるが故、次期皇帝として教育を受けつつ、誰にも話さずに自分だけの秘密の所業――未来変革。


 歳を重ねるごとに発動する回数が増えていった。


 未来を変えようと幾度も奮闘したが、場所がまず知らない国や地域が多いのと、彼の力や権力ではどうにもならないと諦めかけていた矢先の出来事である。


 父親である現皇帝が息を引き取ったことにより、レイヴンはアインガルドス帝国皇帝へと相成った。不思議と涙は出ず、自らの薄情さに驚いたのを覚えている。


 正直に言えば皇帝としての日々は退屈の一言。


 だがやれることは増えた。同時にやらねばならぬことも増えた。その合間ではあったが未来変革への道は着々と進めていた。皇帝の身でありながらも無茶をすると城の中では有名となる。いずれ帝国中の噂となるが、それはまた別のお話。


 そうして月日が流れるのに身を任せていたある日、星が瞬く夜中に目が覚めたと思いきや『未来視』が発動した。


 薄暗い路地裏に一人の少女が壁伝いに歩いている途中で、力尽きたのかバタリと倒れた。


 その瞬間、彼の頭をただ一言が過る。――助けねば。


 建物の造りに見覚えがあった。帝国のものには間違いない。次はいつなのかだ。場所がわかったところで、いつあの少女がそこで倒れるのかわからなければ助けようがない。


 ここで疑問が生じた。何故自分は今、見ず知らずの少女を助けるためにこんなにも必死になっているのだろうか?


 思えば今までの人生の中で、死に物狂いで何かを成したことが、ましてや成そうとしたことが一度でもあったか――否。そんなものは無い。周りが無能な皇帝だと影で囁いているのは知っていた。


 だから誇れるものが一つでも欲しかった。なんて自分自身に言い訳をして、それが何だか面白くて笑ってしまった。


 それから彼は行動を始めた。そして一人の人物にたどり着く。帝都の外れの館にその人物は住んでいた。名は――バルフィリア・グランデルト。


「わたしに協力してほしい」


「皇帝陛下がこのような場所に一人で出歩いてはなりませんぞ。俺がもし敵国の者だったらどうするおつもりで?」


「貴様が敵ではないことは既に知っている。真の正体が何者であるかもな」


 キンッ。甲高い音が部屋の壁に衝突した。


 バルフィリアがレイヴンの首を斬ろうと剣を突きつけたのに対して剣で受け止めたのだ。


「貴様をわたしが新しく作る騎士団の団長にする。それが条件ではいかがかな?」


 まさかの提案に感嘆の息を漏らすバルフィリア。レイヴンが様子を窺っていると、突然吹き出して笑った。

 さすがにそんな反応は予想しておらず、困惑するレイヴンに問いの返答が成される。


「ハハハッ、こんなに笑ったのは久しいな。良いだろう、協力しよう」


 久しぶりに笑わせてもらったお礼と言わんばかりに提案を承諾した。



 ――レイヴンはバルフィリアから少女の場所を聞き出し、急いでその場へと走った。


 詳しい時間は太陽の傾きから予想はできていたが、日にちまでは確実ではなかった。と言うのに彼は気付いたら教えてもらった場所に足が向かっていたのだ。再び抱く疑問――わたしは何をしているのだろうか?


 足は一歩、また一歩と確実に目的地へと進んでいる。胸に疑問を抱えながら、レイヴンは同時にある感情を芽生えさせていた。今までは考えつつも実感しなかったもの。


 他者への愛情。もしくは恋慕と言うべきか。


 それ故に彼は必死になっていたのだ。自分では気付いていないが、いつもの自分とは違うのは理解していた。

 当然と言えば当然かもしれない。今まで彼は他者を他者としか認識ていなかった。それ以上でもそれ以下でもない。レイヴンの興味は“未来”にしか向いていなかったのだ。


 だが今の彼は、確実に“現在”のために走っていた。人生で初めて他人のために行動しているのだ。



 ――そうして太陽が地平線の彼方に沈む直前の夕焼け時。ようやくレイヴンは目的地へと辿り着く。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ、止まっ、だあっ……痛い」


 息を切らしてあの角を曲がれば少女がいると思うと、胸が高鳴ったのが自分でもわかった。走ったからではなく、これは感情が原因なのだとわかった。


 ただ彼の身体はこんなに走ったのは初めての経験で、急な方向転換に対応できるほど体力は残っていなかった。そのため、勢い余って壁に激突するのは必然なのだ。


「っ……?」


 そんな帝国一の高貴な存在の皇帝にあるまじきドジな光景の一部始終を見ていた者がいた。体力はもうほとんど残っていないのだろう。驚きの声すら聞こえるか聞こえないかくらいのか細いものだった。


 レイヴンが壁との激突を体験、もといここに来た原因(理由)


「痛いなぁ……あ。その、なんだ、驚かせて申し訳ない。わたしはレイヴン、レイヴン・ジークフリート・アインガルドス。今はこの帝国(くに)の皇帝である。それで、だ……貴殿の名を訊きたい」


 服についた土埃を払い、あたかも何も起きていないと言わんばかりの態度で自己紹介をした。ちゃんと万人受けする笑顔でだ。これで貴族たちからは礼儀正しい子だと褒められてきた。


 しかし、レイヴンはすぐに直感する。通用していないと。


 安心と絶対的自信に満ち溢れた自己紹介で、困った表情が返ってきたのは生まれて初めてのことだった。


「……あれ? どうして困った顔をするのだ?」


 いたたまれなくなり思わず別の質問を投げかけるが、反応は同じで返答は叶わなかった。


「ーーーーーーーーー」


 否。少女は返答した。ただ返答にならなかっただけで、確かに問いに答えたのだ。


 よく見ると見たことがない装いで、そこでようやく“根本的に何かがおかしい”と感じ取る。あり得ないと否定しつつ、彼は一つの答え(・・)に至る。もはやその導きは彼の本能のような部分から引き出されたものであった。


「言葉が……通じない、のか?」


 今まで経験が無かった故、最初は驚いたが考えてみれば不思議ではない。産まれてから奴隷や、無法者として育ってきたのなら言葉が話せなくてもおかしくない。


「いや、違う。世界に存在しない言葉(・・・・・・・)なのか?」


 自ら口にしておきながら笑ってしまいそうだった。文字通りそんなわけ無い。もしそんな笑い話が現実なのだとしたら、この世界とは別の世界が存在することになるじゃないかと。


 レイヴンは少女をきっかけに初めての連続にも関わらず冷静であった。澄み切った湖畔のように冴え渡っていた。


 だが彼の思考を中断させるものが現れた。頭が割れそうなほどとてつもない頭痛。


「気になって来てみれば、皇帝陛下様が何をやっているのだか……」


「ば、バグッフィリアか」


「誰がバグフィリアだ、俺はバルフィリアだ。その様子だと自力で……流石だよ。称賛ついでに痛みを取ってやろう――痛みは虚空へ(ペイン・アウト)


 バルフィリアが何やら魔法名らしき言葉を口にすると、レイヴンの頭から痛みが嘘のように去っていった。


 離れていく痛みに意識を向けるレイヴンだったが、とある言葉に引っかかりバルフィリアに問うた。


「貴様、何か知っているのか?」


「おや? 皇帝陛下は俺が何者か知っていると仰っていた気がするのですが?」


「そこまでは言ってない。敵ではないと言っただけだ」


 バルフィリアに皮肉に苦笑いとため息の併せ技で返す。

 だが同時に彼は思う。――誰かとの会話とはこれほど心動かすものなのか、と。


 良くも悪くも、彼は少女との邂逅によって“変化”と言うより、本来人が持つべき感情(もの)を獲得し始めていた。


 偶然か、それとも必然か。バルフィリアもレイヴンと似たような思いが胸の中で湧いていた。――会話とは楽しいものだったな。


 訳あって他者との交流をほぼ断っていたバルフィリアにとっては久しぶりの言葉の交わし合い。もちろん相手が誰でも良いわけではない。レイヴンだからこそ懐かしき心を思い出すことができたのだろう。


「仕方ないお方だ。この少女はこの世界――アルデ・ヴァランの民ではない。他の世界からの来訪者、異世界人とでも呼称しようか」


「まさか、そんな、やはり、でも……んん」


 さも当然のことのように言ってのけるバルフィリアに対して、やはり驚いてしまうレイヴン。

 それこそ仕方ない。平然としているバルフィリアが異常なだけで、これが本来あるべき自然な反応なのだ。


「まぁとにかく、言葉も通じないのでは不便だな。彼の者に世界の理を授けよ――言語境界書換(ワード・リジェクト)


 バルフィリアは少女に手を翳して詠唱。すると少女が淡い光を帯び、役目を終えたのか数秒後には消えた。


 レイヴンと少女は頭の上に疑問符を浮かべ、同じようなキョトンとした表情をしていた。


「これで我々の言葉が理解できるはずだ。ちょうど良い、もう一度自己紹介でもいかがかな?」


 レイヴンの方に意地悪な笑みを見せて提案する。従いたくないなと少々渋りはしたが結局従うことにした。悔しさを抱くもそれが最善だと考えたからだ。


「改めて……わたしはレイヴン・ジークフリート・アインガルドス。言葉がもし理解できるなら貴殿の名を訊きたい」


 少女は驚いた顔をする。恐らくバルフィリアの言うように言葉が理解できているからこそなのだろう。問題は少女がこの世界の“言葉を話せるか”だった。


 だが皇帝のそんな密かな不安はすぐに拭いさられる。


「……はい、東雲(しののめ) 聖愛(まりあ)……です……」


 物凄く申し訳なさそうに名乗る少女、もとい――聖愛。


「おお、本当に話せるではないか。にしてもシノノメ・マリア、か。シノノメとは変わった名前だな」


 感嘆の声を上げ、喜びを表に惜しげもなく出すレイヴンにバルフィリアはため息をつく。こういう奴のことを唐変木と言うのだろうな、と思いながら……。


「逆だ逆」


「逆? 何が逆なんだ?」


「この世界では、マリア・シノノメだ」


「マリア、か。ならば良い響きの名前だ」


 自己紹介一つでコントのような会話に広げるのは悪くはないのだが、マリアはまさに置いてけぼり状態だった。


 視線を感じてレイヴンはそちらを向くと、少しムスッとした顔があり、思わず吹き出しそうになるのを必死に堪えた。


「これは申し訳ない。うぅむ、ここで立ち話をするには些か肌寒い。こっちに行きつけの店があるんだ、そこでこれからのことを話さないか?」


「そう身構えなくて大丈夫だ。この皇帝に、女性を襲うような勇気はない。もしそうなったとしても俺が止めるから安心するといい」


 やはりマリアは少々警戒しつつもレイヴンについていった。ちなみにかなり歩いたのは言うまでもない。


 彼に案内された店は繁盛しているかと言えばしていないが、味は確かに洗練されたものだった。そのおかげかマリアも徐々に口を開いていく。

 この世界に転移してから何も食べていなかった彼女に取って、たとえ何かの策略だとしても食べずにはいられなかった。


 レイヴンとバルフィリアは満足そうな表情で料理を頬張るマリアに安心したと言わんばかりに微笑んだ。


「しかし、異世界の人間がいるとなれば騒ぎになる可能性が高い。別世界の存在証明になるわけだからな」


「そこはやはり皇帝陛下のお力で何とかするのが得策だろう。それとも名前だけの称号なのか?」


「好き勝手言いやがって。貴様に力を示してやろうか?」


 目の下をピクつかせるレイヴン、それを見て楽しそうな顔をするバルフィリア。和気あいあいな二人とは別の声で笑い声が彼らの耳に届けられた。


 他でもない、料理をいつの間にか食べ終わったマリアが優しい微笑みを浮かべていたのだ。レイヴンが見惚れてしまうほどの美しかった。


「ふふ、お二人は仲が良いのですね。ご友人なのですか?」


「「いや違う」」


 同じ返答を綺麗にハモらせていったい何が違うのだろうかと思うマリア。まさしく喧嘩するほど仲が良いと言うやつなのだろう。果たして喧嘩と表せるかも怪しいが少なくとも彼女には仲が悪いとは感じなかった。――同時に二人が悪い人ではないことも。



 ――その後話し合った結果、マリアはバルフィリアの妹として帝国での生活を始めた。

 レイヴンは城を抜け出し、まるで友だちと遊ぶ無邪気な子どものように二人に会いに行くのが日課になっていった。

 更に彼らには地位や権力を超えた友情が芽生えていたのも事実だ。レイヴンにとって手を伸ばしても届かなかったであろう対等な友人関係を築いていた。


 そして、マリアもこの世界での生活に慣れた頃、子どもの盗人にお金を取られる事件が発生した。幸い怪我はなく、お金以外の被害が無かったのが救いだった。


 そのことをレイヴンは聞き、すぐに盗人を探し出そうとしたがマリアに止められる。


「どうして止めるんだ? その者にはそれ相応の罰が必要だ」


「確かに盗みは悪いことだけど、子どもがそうしなきゃ生きられないこの帝国にも原因があると思う」


「ぁ……」


 レイヴンは何も言い返せなかった。マリアの言うことは最もだ、子どもが盗みをしなければ生きていけないこの国を、誰が誇れるのだろうか。私利私欲のために好き勝手する貴族たちぐらいじゃないのか。


 そこまで考えて彼は気付く。自分も“そっち側”だったのだと。マリアがもし勇気を出して伝えてくれなければ、最悪の場合一生見過ごしていたであろう幸福の裏にある不幸の部分。


 そう考えると自分自身が情けなくなった。


 ――わたしは皇帝だ。このアインガルドス帝国の皇帝だ。なのに何も見えていなかったのだ。いや、見えなかったのではない。見えないフリをしていただけなのだ。何も変わらない、これが彼らの運命なのだと目を逸らした。それが愚かだと知りながら……。


「痛いところを突かれたな。で、どうするんだ?」


「どうすると言われても、わたしは……」


 言い淀むレイヴン。問われるまでもなくやるべきことは既に理解していた。しかし今までとは違う選択が自分にできるのかと、たった一歩を、けれど大きな前身を踏み出せなかった。


「もう答えは出てるんでしょ?」


 協力する。言葉にしなくともレイヴンには二人からの意志が伝わっていた。短い時間でここまでの関係を築けたのは相性が良かったのもあるだろうが、それぞれが似た境遇にいたからでもある。


 一人……独りだった。意図した者、自然にそうなってしまった者、そもそも他者との関わりを持たなかった者。


 理由は違えど、状況は同じ者たちだった。


「……やるよ。わたしがこの国を変えてみせる。だが一人では心許ない。バル、マリア……協力してくれるか?」


「普通それ訊くか? まぁ、今更だからな手を貸すよ」


「ほんとその通りね。協力するに決まってる」


 真剣な眼差しを見せるレイヴンに、二人は当然だと答えた。




 ーーーーーーー




 ――あの宣言から三年の月日が流れた。やる気の無い形だけの皇帝と影で囁かれていたレイヴンは、今や名君と称され帝国中の民から尊敬の念を抱かれるようになった。


 まさに完璧超人と呼べる手腕で帝国を内部、外部の両方から変えていき歴代の皇帝の誰もが成し得なかった変革を彼は成し遂げたのだ。

 周辺諸国の王や貴族たちすら、敵でありながらも称賛していた。


 約束通りバルフィリアを新しく作った騎士団――天帝騎士団の団長に抜擢。団員は国内で募り、皇帝レイヴンと団長バルフィリアら二人が自らが選抜した者たち。後に世界最強と恐れられる騎士団の記念すべき始まりである。


 おかげで周辺諸国も中々手を出せなくなり、少しずつだが確実に平和へと近づいていた。


 そして、レイヴンはあることを決意する。男なら経験する可能性が高いあれだ。念のためにバルフィリアに相談してみると、


「今更か……いや、自分から行くのは成長したって喜ぶべきかな」


 苦笑しながら皮肉で返された。が、最後にこうも言っていた。


「どちらの結果になろうと、俺は酒に付き合うさ」


「ありがとう」


 友に礼を言い、レイヴンは彼に背中を向けて部屋を後にした。



 ――帝都の中心に位置する噴水。そこに一人の少女が佇んでいた。決して暇を持て余している話くらいわけではない。とある人物と待ち合わせをしているのだ。


「……遅い!」


 真面目な彼女は待ち合わせの時間の三十分前に到着していた。そして、現在の滞在時間は四十分。これが何を意味するのかは言わずもがな。


 表情は至って穏やかだ。しかし穏やかながら、内面から溢れるものは抑えきれないようで、道行く民たちも“それ”を視界に入れると誰もが身震いした。


 決して怖くない。怖くないはずなのに、体は警告していた。――見るな、と。


 太陽が一時の別れを告げる頃、遠くから必死に走ってくる呼び出した張本人が見えた途端、空気が極寒の如く凍り付いた。実際に凍り付いた訳ではないが、周りの民たちにとってはそう感じたらしい。後に面白半分でこの出来事を聞き回ったバルフィリアがやれやれと言うこととなる。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……ごめん、遅くな……た……」


 彼の脳は現実を処理しきれずに制止する。目の前にある確かな穏やかな表情。もうそれは笑顔と言って刺し違えないだろう。なのに身体にあちこちがこの場を離れた方が良いと警告を鳴らす前に逃避を始めていた。


 その理由は側面から彼の顔に迫る手のひらが原因だなと頭で理解した瞬間――スペシィンッ。素晴らしい音が待ち合わせの人気な噴水広場の外まで届けられた。


 レイヴンはまず最初に抱いたのは疑問。ついさっきまで正面を向いていたはずの自分の顔が横を向いている。

 次に訪れたのは頬の痛み。最初は点の弱くつつかれた程度から周囲に円となって広がっていく。ここまで来てようやく思考が現実に追い付いた。


「い、痛あぁぁぁぁぁぁっ。なにも平手打ちを披露しなくても……」


「遅い! いったいいつまで待たせるつもり!?」


「いやぁ、その、予定ではちゃんと時間より早く着くはずだったんだ。だけど、どんどん歩く速さがね、遅くなっていってー、アハハ」


 痛む頬を手で擦りながら冷や汗を流しながら謝りつつ弁解をするレイヴン。彼の姿を見て周りの民たちは何をやっているんだあの男はと思いながら、頭の上に疑問符を浮かべた。何処かで見たことある気がする、と。


 だが待たせた女性にガミガミと怒られる姿を目の当たりにして、頭に思い浮かんだとある人物ではないなと首を振った。――あんなダメダメな人が偉大な皇帝陛下なわけないよな。


 しかし何人かは見抜き、次第に人が集まってきている。それに気付いたレイヴンは場所を変えるべく怒られている最中でありながら、彼女を女性の憧れ第一位の抱き抱え方のお姫様抱っこをして噴水から離れた。


 基本魔法の『強化』で身体能力を上げているので、建物の屋根に飛び移ってさながら追いかけられる盗賊のように去っていく。


 残された男女は顔を見合う。女性は羨望の眼差しで。男性は目を逸らして。



 ――さすがに抱っこの最中に暴れなかった呼び出された少女、もといマリア。


 城の中で一番高い、展望台にもなり得るレイヴンが用意したスペースだった。到着すると大人しくなったマリアを降ろして、即座に頭を下げた。


「ごめん。本当にごめん。色々考え過ぎてしまって、わたしらしくない」


 地平線の彼方にあったはずの太陽は姿を隠して、空は水色から青色、そして藍色へと変化していく。


「もう良いわ。あなたのそういうとこは今に始まったことじゃないもの」


 一番星が輝きを見せる夜が始まりを告げる頃。


「相変わらず優しいお方だ。ふぅー……単刀直入に言う」


 許してもらって胸を撫で下ろし安堵の息を漏らし、直後に深呼吸をしたかと思ったら真剣な表情をマリアに向けた。


「な、なに……?」


 突然の表情の変化に戸惑うように身構えるマリア。その様子を見るや、レイヴンは優しく微笑んだ。


 そして告げる。


「マリア。こんな不甲斐ないわたしだが……わたしは君が好きだ、愛している。わたしは正直、他者どころか、自分自身にも興味を抱くことは思っていた。だが、バルやマリアに出会ってわたしは変わった……いや、変われたんだ。他の誰にも君を渡したくない、こんな感情を抱く日が来るなんて予想もしていなかった」


 星が次々と瞬きを始める下で、彼は自分の気持ちを伝える。それを彼女は静かに聞いていた。


「だから先に言っておく。この場にはわたしとマリア以外誰もいない。どのように返事をしてくれて構わない。わたしは君の本心が聞きたいから……。わたしは君が好きだ、マリア。覚悟が間に合わずに遅刻するような私だけど――結婚してくれないか?」


 前置きが長いなと苦笑していたはずなのに、最後のたった一言を聞いた途端、マリアの頬を滴が伝う。正直ここまでお膳立てされれば誰だって相手の意図は察してしまう。特に女性は勘が鋭いとよく言われるのもあって、この言葉が来ることは予想していた……はずなのに止まらなかった。


「え、あ、泣くほど嫌だった……?」


「違う、違うの……。もうこの鈍感!」


「ど、鈍感で悪かったな。まだまだ人の気持ちについては勉強中なんだよ」


 心配したのに逆ギレにも似た反応をされてふてくされるレイヴン。そんなそっぽを向く鈍感を見てマリアは笑みをこぼして両手を伸ばす。


 そっと頬に温かい手に触れられ驚いて正面を向いたと同時にレイヴンは目を見開くこととなる。目の前にある初恋の人の綺麗な顔と唇に伝わる柔らかい感触。帝国の歴史上最高の皇帝と呼ばれるレイヴンはあろうことかこの大事な局面で不覚を取ったのだ。


「……」


 色々な意味で脳の処理能力の限界を超え呆然とするレイヴンにマリアは頬を赤く染めながら今までで最高の微笑みを見せてくれた。


「私もあなたが好き」


「……へ?」


「だから、結婚するって言ってるのっ! もう私だって恥ずかしいんだから」


 先ほどの涙の原因が悲しみでないことを理解する。そして今度は彼の頬を滴が伝う。そのままマリアを力いっぱい抱きしめた。


 こうしてレイヴンの一世一代の告白、もといプロポーズは成功で幕を閉じた。




 ーーーーーーー




 再び時が過ぎ、プロポーズから一年が経過した頃。新たな一つの命が産声を上げた。


「レイヴン。もうこの子の名前を教えてくれても良いんじゃない?」


「ん? ああ、そうだったな。この子の名前は――マリアンだ」


「私の名前とあなたの名前を合わせたみたいね。わかりやすい理由だけど、良い名前ね気に入った」


 マリアは産まれたばかりの我が子(マリアン)を抱きかかえて穏やかな表情を浮かべる。レイヴンにとって人生で最も幸福な一時だった。――幸せな時間は、彼の長い人生の中で最初で最後のほんの一瞬の幸せとなる。


 ――翌日。マリアは穏やかな表情のまま、眠るように冷たくなっていた。静かに寝息を立てるマリアンを守るように抱きかかえて……。


 レイヴンは一晩中泣き叫び、帝国中に悲しみの声が届けられた。そして、彼は特有魔法『闇の支配者(ブラック・ロード)』を発現させた。



 ――それからレイヴンは人が変わったように、今まで控えていた周辺諸国への進行を始めた。マリアンはというと、身の安全のために身分を隠して平民として辺境の信頼できる者のところへ預けた。


 十数年の時を経て父と子は邂逅を果たす。皇帝と騎士王として。


 レイヴンが最期に見たのは果たして過去か未来か、本人ですら定かではない。だが確かなのは、そこでは皆が幸せそうに笑っていた。


 そして、


「――さすが自慢の息子(わたしたちの子)だ」


 言葉を発するなど叶わぬはずの死を待つだけのレイヴンは、皇帝としてではなく、ただの父親として我が子に微笑みかけて褒めたのであった。

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