百三十三回目『微笑み』
エクシオル騎士団長アイバルテイク、天帝騎士団長バルフィリア、大地の剛腕ドルグ、ヴィストルティリーダーハクア、天帝の十二士最強イリーナ、そしてカケル。
錚々たるメンバーがレイディアのもとへと集まった。
「レイディア、なのか……?」
アイバルテイクが確かめたくなるのも無理もない。
レイディアの姿を見るなり程度は違えど全員が驚いた。特徴的な夜空の如く黒かった髪が――真っ白に染まっていたのだ。
声をかけても反応は無く、赤い涙を流す目は開かれているものの見てはおらず、生きているのかさえ疑わしかった。
「生きてる。レイディアはまだ生きてます、辛うじてですが……」
皆が動揺を隠せない中、カケルが自身の特有魔法でレイディアの状態を分析して重い口を開いた。
イリーナは抱きしめようと駆け寄るが、バルフィリアが腕を出して制止した。
「落ち着け。持ち前の冷静さはどうした。今は奴に触れるべきではない」
「団長の言う通りです。やっぱり皆の時間を止めてるのはレイディアで間違いありません。干渉すれば発動している特有魔法が解除されかねない。イリーナ、辛いと思うけどここは耐えるべきだ」
カケルは悔しさを隠すことなく表情に出した。
イリーナも悲しそうな表情を見せながらも素直に指示に従った。
そんな時だった。ゴォンッと凄まじい音と共に城から上空へと白い光の柱が伸びた。
「この魔力は――ヴァスティだな。どうやらのんびりしている時間はないようだ。ドルグ、カケル、イリーナはここに残ってレイディアを頼む。そいつには傷の借りを返さねばならんのでな、死なれては困る。マクトレイユ、ハクアの二人は俺と共に皇帝を倒す手助けをしてほしい、頼めるか?」
あり得ない組み合わせだった。敵として戦ってきた国の騎士団長たち、そしてその争いに介入してきた組織のリーダー。
共に手を取り合うことなど考えたことすら無い者が協力を求めてきて、簡単に承諾できるはずもない。互いに仲間を数え切れないほど殺され、失ってきたのだから……。
故にハクアの口から自然とため息が出てしまった。どれだけ恨み辛みがあるとは言え、彼とて馬鹿ではない。現状を十分に理解している。理解しているからこそのため息だ。
「一時的な停戦だ。この戦争が終われば、我々は再び争いに介入する」
「構わんさ、そうでなければつまらん。己の選んだ道を、易々と曲げるものではない故にな。しかしまぁ、協力には感謝しよう」
バルフィリアは城の中の状況を把握していた。もちろん特有魔法を利用してだ。まるで何者かの手の上で踊らされている感覚だった。それがレイディアなのか、果たして別の何かか……。
城の外部には結界が張られていたが、バルフィリアが難なく突破して見せた。
胸中に秘める思惑はそれぞれで違えど、現状を打破すると言う一点だけ意見が一致した者たちは城へと足を踏み入れた。
ーーーーーーー
皇帝と相対するマリアンは目の前の闘いに集中しながら、胸の中では聖剣の力に驚いていた。今までこれほど使いやすく、使い心地の良い剣が、武器があっただろうか。
まるで最初から彼が持つべきものだったかのように、身体の一部のように感じた。素晴らしい、その一言。
「我は今でも民の平和を望んでいる。そして、我の選んだことが間違いだとは思っていない」
「信念、ですか」
「さてな。そのようにはっきりとした思想を持ち得たのか、今ではもう思い出せぬ」
ここまで言って今度は皇帝が剣を振り払い、反動で互いに距離を取った。
騎士王は主の表情から何を感じ取るのだろうか。何を心に抱くのだろうか。他者ではないマリアンだからこそ伝わるものがあるのかもしれない。
「貴様ならわかるはずだ。大切な人を失う悲しみがどれほど辛いものか。故に我は民の幸福のために、民から悲しみや痛みを消すことを選んだ。たとえそれが夢幻であろうと、民の笑顔のために我は……」
「お気持ちは全てとは言えずとも、少しはお察しします。陛下の仰ることはわたしには理解できます。ですが陛下、悲しみや辛さがあるからこそ、人は幸福を噛み締めることが叶うのです。常の幸福は人を堕落しかねない」
マリアンは多くの国々を訪れた。時には命令で、時には自分自身の意思で彼は多くの人々の生き様を――死に様をその眼で見届けてきた。
中には暗示や薬の類いで不幸を忘れ去ろうとした者たちもいた。その選択が悪だと断罪することなど誰に許されようか。
しかし彼は見てきた。方法は違えど、それら全ての結末は同じだったのだ。
無力さを感じ続けてきた。ずっと、ずっとずっと、生まれてから今まで、そしてこれからも感じないとは断言できまい。
だとしても彼は多くのものを失ってきた。だがそれでも多くのものを得ることができたのも事実。
遅くなった。手を伸ばしても決して届かないあの高い空を見上げ、誓った時から随分長い月日を費やした。
後悔は確かにある。これからも切り離せないだろう。
でもだからこそ彼はたどり着くことが叶ったのかもしれない。だからこそ、闇に囚われる皇帝の心に言葉を伝えることができるのかもしれない。
「我が帝国の民は、痛みに屈するほど弱くはない。落ち込もうと、這いつくばろうと、必ず立ち上がれると、わたしはそう信じています!」
ここにマリアン・クロノス・イグルス――真の意味で『騎士王』となりけり。
「民の幸福を願うばかりで、民を信じることができなかったのか……。愚か者は……我の方だったのだな。――最早我らに言葉は不要。決着をつけようぞ、騎士王!」
「ええ、皇帝陛下!」
彼らに語る言葉は最早不要。己の感情を、思いを、願い、全てを自らが握りしめる剣に込め、目の前に立ちはだかる相手を倒すのみ。
先に仕掛けたのはマリアン――ではなく、まさかの皇帝だった。
剣を空を斬る勢いで振り下ろす。マリアンの聖剣から放たれた白とは正反対の色の閃光が放たれた。
迎え撃つべくマリアンも同じように剣を振り下ろして、白く美しい閃光を真正面からぶつけた。
互いの閃光が衝突を果たした瞬間に爆発が生じ、床を凹ませ塵を部屋中に飛び散らす。
だが、この程度で二人は怯まずに光が部屋を呑み込む中心で、いつの間にか剣を交えていた。
次々斬りかかってくるマリアンの剣を、剣と魔法を用いて防いだり躱わし、隙あらば反撃を仕掛ける。
ヴァスティとの剣劇では魔法を発動すらできなかった皇帝だが、彼の剣聖より速い剣を前に対応せしめるのは意思の成せる業だろう。どちらかが倒れるまでこの戦いは終わらない。
皇帝が後ろに飛び退くのと同時に、マリアンの頭上に魔方陣が展開。騎士王が存在を認識した時には既に、そこから下方向へと凄まじい速度で漆黒が降下する。最早それは光にすら到達していたかもしれない。
「――剣よ、わたしの声に応えよ」
しかし到達する直前にマリアンは左手を迫り来る漆黒へと掲げて言葉を紡ぐ。
骨も残らない。闇に呑み込まれた。普通なら終わったと結論付けるところだが、相手は他の誰でもない――騎士王である。
終わりなはずが無かった。
皇帝はマリアンが自分の懐に入るのを確かに目にした、がそこに騎士王の姿は無い。まさかここに来て未来が見えたのか、と疑問符を浮かべた瞬間――現実が未来に追い付いた。
視界の隅で聖剣が光り輝く。
眩く目を閉じたくなるはずの光を、皇帝はずっと見ていたくなった。何故なら光の中に懐かしい光景が見えたからだ。
――思えば、我の全ては……。
ずっとこの時間が続けば良いのにと願った平和。大切な者たちとの過ごした穏やかな時間。
振り上げられた聖剣の光に身を包み、作り出された空間を抜けて本物の玉座まで皇帝は飛ばされ天井へと衝突する。
「故に……」
空中で受け身を取り見事に着地を果たし、ただ一点だけを見つめ剣を握る。
皇帝が外に出た影響で消えいく偽の玉座から抜け出したマリアン。
二人の視線が交錯する。――次が最後だ。
「「ハアアアァァァァアアアア!!!!」」
二つの咆哮が部屋に響き渡る。それぞれの意思を示すかの如し。
互いに同時に構え、床を踏む足に力を込める。そして溜め込んだ力を一気に解き放つ。
あまりの強さに床にはクレーターが出来上がる。
対極する白と黒。世界には二色しかないのだと物語るかのように、玉座の間は二本の剣の色に染まった。それらは相手を消し去る勢いで真っ直ぐ突き進み――。
騎士王が皇帝の剣に自らの剣を合わせて弾き飛ばす。握る剣をタイミングよく離して遠心力を利用して回転させ、持ち方を変えて正面へと突き出した。
今度こそ迷わなかった。迷わず、皇帝の胸を握りしめる剣で貫いた。
「そのような表情を……するでない。貴様は、勝利したのだ。ならば……勝者として、威厳を……見せよ」
「……っ、はい!」
震えながらも必死に絞り出した返事。瞳から流れる滴は頬に筋を作る。
――誇りだった。憧れだった。いつかあなたのようになりたいと願った。だからわたしは応えなければならないのだ……最期の命令を。
頭では理解していても、心は納得してなかった。故に騎士王は人生において、最初で最後の涙の流した。――最高の笑顔で。
「そうだ……それでこそ……わたし、の…………」
皇帝の手が弱々しく頬を撫で涙を拭う。その手は最期の言葉が紡がれていた途中で項垂れるように頬から離れた。
「皇帝陛下、どうか安らかにお休みください。あとはわたしが――」
レイヴン・ジークフリート・アインガルドス。マリアンとの勝負決着の後、玉座の間にて倒れ逝く。しがらみから解放された者のような穏やかな表情を浮かべながら……。
マリアンはレイヴンの最期の表情を、生涯忘れはしないだろう。何故なら彼の皇帝は騎士王の――。真実を知るのはこの戦争が終わった後のことである。
二度と目覚めることが無いのを理解した者は、過去を映像として見ると言われている――走馬灯である。
彼も人として最期を迎える直前、意識が散る前にそれを見ることが叶った。
そして――人生において最高に穏やかで優しい微笑みを残された者たちの心に。