百三十二回目『誉れ高き騎士の頂点』
ようやく一段落ついて僕はずっと翳していた手を下ろした。
「これで……」
終わったと報告しようとレイの方を振り向いて、僕は呼吸を忘れる。けどすぐに過呼吸ぎみになりながら名前を叫んだ。
「レイ! レイっ、返事をして!!」
胸に大きな穴を空けて床に横たわるレイの姿。頭の片隅で最悪の考えが浮かぶ。それでも必死に振り払って否定した。
レイが死ぬはずがない、約束を破るわけないじゃないか。いつだって僕をからかって緊張を解してくれたり笑わせてくれたんだ。今だって、そのはずなんだ。演技をして騙そうとしているだけなんだよ、そうだよねレイ……。
「無駄だ。その者は既に――」
「嘘だ!!」
皇帝の言葉を遮って否定した。
そんなわけない。一年前のあの時だって帰って来たレイのことだ、敵を騙すにはまずは味方から、だ。結界だって残っているし大丈夫だよね。
「好きにしたまえ、事実は決して変わらぬ。しかし厄介なことを最期にやってくれた。かなり強固な結界を作ったものよ、だが……」
皇帝の周りに黒い球体が作り出されて結界に何度もぶつかってきた。
「悲しいか、最期の足掻きも無駄となるのだ」
残りの魔力は乏しい。城に入る前にレイディアが回復してくれたのにどうしてこんなに早く無くなるんだよ……。
悔しさのあまり拳を強く握りしめる。もう僕がマリアンさんを守るしかないんだ。だけど不安が湧き水のように込み上げてくる。
レイもヴァスティも僕より強い。なのにそんな二人でも皇帝には勝てなかった。残りの魔力も少ない僕が戦ったところで無駄死にしかねない。
僕は今、どんな表情をしているだろうか。悔しがっている、怒っている、悲しんでいる。
自分自身の感情すらわからなくなってきた。それでも身体は冷静さを忘れなかった。いつでも不意の攻撃に対応できるように身構えて『先を知る眼』も既に発動済みだ。
「でも僕は結局、こうして敵に立ち向かうこともできずに、しり込みするしかないんだ。だとしても、僕にできることを全力で果たさなきゃいけないよね」
ピキッと音が聞こえて次々と結界にひびが入る。
そろそろだ。覚悟を決めろ、ミカヅキ・ハヤミ。ここで挫けたらレイやヴァスティに顔向けできないじゃないか。
手を握ったり開いたりして落ち着きを取り戻していく。
「……無駄なんかじゃない。そうだ、レイのしたことが絶対に無駄なわけが無い。それを証明するんだ!」
はっきりと皇帝陛下に対して断言してやりました。
その時ふと、肩にポンと手が置かれた。一瞬心霊現象かと思ってビクッとしたけど、すぐに状況を理解して泣きそうになった。
たぶん今の顔はとても人に見せられたもんじゃないと思う。
「――もちろんだ、彼の覚悟は決して無駄ではないとも」
さっきまで心を埋め尽くしていた恐怖や悔しさなどの感情が吹き飛び、喜びや嬉しさが噴水のように溢れ出した。それが滴となり涙として外に出ていってしまったのだ。
「感謝する、ミカヅキ・ハヤミ。貴殿のおかげで、わたしはこうして再び立ち上がることができる。もう……大丈夫だ」
マリアンさんは僕の横を抜け正面に立つ。そして手を前に翳しながら詠唱と思しきことを始めた。
その間も皇帝の攻撃によって結界が悲鳴を上げている。
僕にだってまだやれることはある。ここが正念場だ!
「創造せよ――竜聖棍」
球体と同じ数だけ造り出して上から思い切りぶつけて消滅させた。これで時間稼ぎにはなるはず。
「わたしが示すは真なる覚悟であり意思である。汝がわたしを認めるのならば、その姿を現したもう。……わたしは誇り高き騎士だ。そして皆に騎士王と認められた今、わたしは汝を手にすることを許されよう」
棍棒を皇帝にもぶつけようと飛ばす。だけど衝突する直前で煙のように霧散した。
魔力の限界だ。実態を保てるほどの魔力が僕にはもう残ってないんだ。――それでも時間は稼げた。
だが皇帝も怒ったのか目の前に魔方陣を展開させる。阻止したいけどこれ以上魔力を使うわけには……と考えていたら頭の中に聞き覚えのある声が届いた。
「(――案ずるな、お主の前に立つのは騎士王だ。奴を信じろ)」
うん、と返事をして僕は目の前に立つ騎士王の背中に全てを託した。
同時に皇帝の魔方陣から闇が盛大に放たれて僕たちを呑み込むべく迫り来る。
「貴様にも感謝するぞ、好敵手よ。わたしの……騎士王マリアン・クロノス・イグルスのもとに来たれ――全ての武器の王たる剣!」
思わず目を閉じたけど、恐る恐る目を開けてみると僕とマリアンさんは温かい光に包まれていた。
マリアンさんの正面には淡く光を帯び、神々しいとさえ思えるほどの綺麗な鞘に納められた剣が浮いていた。
「これが……エクスカリバー。全ての武器の頂点であり、神器の一つ。本当に存在していたのか……え?」
僕は今、何を言ったんだ……?
口が勝手に動いて、知らないはずの言葉を発した。
神器、っていったい何なんだ?
首を傾げて考えてみるが、知識を得ることはできなかった。どうして僕はあんなことを……ううん、今考えても仕方ない。
首を振って深呼吸して心を落ち着かせて顔を上げる。
すると皇帝がうすら笑いを浮かべていた。それは今までの余裕から来るものとは違った何かを感じた。まるであり得ないと動揺しているような、そんな雰囲気だった。
「愉快……愉快ぞマリアン。これでようやく、心置きなく全力を出せる」
「わたしも全力で、あなたを倒します」
マリアンさんは鞘から剣を抜き去った。神々しい、なのにずっと見ていたくなる美しさがあった。現に僕は刀身から目が離せなくなっていた。
剣が抜かれると鞘は淡く光を放ちながら形状を変化させ、マリアンさんの左手から腕にかけて籠手として装備される。手を握る閉じる、腕を軽く回したりと動きを確かめた。
――そのまま剣を握りしめ何度か振り払う。それらの動作だけで彼は剣と籠手の性質を理解した。
そして準備万端だと意を示すように顔を上げて正面を向く。そう、倒すべき者と覚悟を決めた相手、皇帝の方を……。
「お待たせしました、陛下」
「いや、我も準備をしたのでな、構わん。しかし、まだ我のことを“陛下”と呼ぶのだな……ふぅー。アインガルドス帝国皇帝――レイヴン・ジークフリート・アインガルドス」
「たとえ相対することになろうと、わたしにとってあなたはいつまでも皇帝陛下です。天帝騎士団、天帝の使いが一人、騎士王――マリアン・クロノス・イグルス」
皇帝が手のひらを広げて黒い球体を作り出す。その中にもう片方の手を突っ込み、何かを掴んで抜き取った。
マリアンさんの持つ剣とは正反対の真っ黒な剣。
笑顔で二人はお互いにそれぞれを表す剣を構えて――
「では――参ろう」
「命令を――果たします」
直後突風が吹き荒れて僕は軽く吹き飛ばされて壁に頭をぶつけた。どうやらマリアンさんが跳んだ勢いで吹いた風だったらしい。
痛む頭の後ろの方を手でさすりながら、目の前で繰り広げられる凄まじい戦闘を口を開けっぱなしで見ることになる。
突風を起こすほどの勢いで床を蹴り、一気に距離を詰めたマリアンさん。僕が目を開けれた時には既に二本の剣は交わっていた。
「ハアアァアッ!!」
マリアンさんが掛け声と一緒に力を入れて剣を横凪ぎに振り払う。その影響で皇帝の身体は後方へと軽く飛ばされるが、難なく着地を果たしつつ魔法で反撃を仕掛ける。
さっきレイが張った結界を壊そうとした黒い球体が無数に現れ、黒い光線が不規則に次々と放たれた。
「マリアンさ――」
思わず名前を叫ぶ僕に向けられた背中は、心配するな、そう言っているような気がした。あながち間違いではなかったらしく、次の瞬間には全ての球体が左右に斬り裂かれていた。
「剣界」
僕はあの技については知っている。以前、敵の戦力を知るために調べたことがあるからだ。
『剣界』は自分を中心に一定の範囲内、つまり間合いに入ったものを斬る技。普通は止まった状態で使うのだが、マリアンさんの場合はたとえ走りながらでも使うことが可能なのだとか。これに関してはレイディアも一目置いていた。
でも、間合いなら広くても自分の身長くらいが限界のはず。なら球体は間合いの外にあった。魔法ならそれを可能とするけど、マリアンさんは魔法を使うどころか魔力を持たない人だ。
じゃあどうやって斬ったのか、僕は気づいたら首を傾げていた。
「いや待てよ、これは、そんな……まさか!」
「やはりか……。さすがは神器と言うべきか、それとも貴様自身の力に驚くべきか悩ましい」
何で今まで気付かなかったんだ、あの剣から感じる魔力に。
理由は簡単だ。あの聖剣の魔力があまりにも穏やか過ぎるから、意識しないと感じ取れないんだ。
マリアンさんを包み込むように剣から魔力が流れている。そのおかげで突風を起こせるくらいの身体能力向上が施された。魔力を持たないのに、身体強化魔法を使った状態と同じなんだ。
更に使ったことが無い強化状態の身体能力に即座に順応しているのが驚愕ものだ。到底常人が対応できるものじゃない。はっきり言って凄すぎる。
どっちに驚くべきか悩む皇帝の言葉にも頷ける。
「正直に言ってしまえば、わたし自身も驚いています。身体は羽の如し軽さ、なのに力強く四肢は動く。これが“魔法”と言うのでしょうか」
「否。断じて違うぞマリアン。それは貴様自身が無意識の内に抑え込んでいた貴様の本来の能力だ。聖剣の魔力は貴様を守ることにのみ使われているからな」
皇帝の言葉は信じ難かった。だってあの速さと威力は人間を越えているとしか思えない。それがマリアンさん本来の力だと言うのだから簡単には信じられないのだ。
「だが聖剣が秘められた力を引き出していることには変わりはあるまい。神器に選ばれた者が故に、か。マリアがいたらさぞ喜んだであろうな……」
「陛下……?」
「なに、気にするでない。昔の話だ――さあ続きだ、マリアン」
再び剣を交える二人。まさに光と闇のぶつかり合いだった。
激しい攻防が目の前で繰り広げられ、魔力が尽きかけの僕が入る余地など何処にもありはしなかった。でも不思議に思うことがある。
マリアンさんと皇帝は今や敵同士。だと言うのに二人とも楽しそうに見えた。
ここで僕はハッとなって自分の頬を両手でパチンと叩いた。緩んでいた気持ちを引き締めるためだ。
圧倒されている場合じゃない。僕には僕のできることがあるはずだ。
立ち上がるのを震えて否定する足を叩いて鼓舞して無理やり動かす。
怖い。死ぬかもしれない。だけど逃げるわけにはいかないじゃないか。僕は覚悟を決めてここに来たんだ。自分の意思で戦場に足を踏み入れたんだ。ならその責任を果たさなくちゃ駄目じゃないか!
僕は戦場を駆けた。今できること、レイとヴァスティを安全な場所に連れていくために。あちこちで小さな爆発のようなものが起こり、石や土を周囲に撒き散らす。
正直、最後の足掻きだった。だから僕は迷わず『先を知る眼』を使った。無いはずの魔力を無理やり引き出した影響で全身が悲鳴を上げるように激痛が走る。
ここで僕が倒れるわけにはいかない。レイとヴァスティはまだ助かるかもしれないんだ。その可能性を潰させはしない。たとえ自分自身であっても。
歯を食い縛り、拳を握りしめて痛みを堪えてレイを抱えてそのままヴァスティのもとへと駆け抜ける。身体能力を『強化』で底上げして何とか二人を両手に抱えて天井を見上げる。
「……高いなぁ」
出口は一ヶ所。天井の大穴だけだ。このままこの場所にいたらマリアンさんが満足に戦えない。その証拠に僕たちの方へ飛んでくる攻撃は最小限に抑えられていた。マリアンさんが防いでくれていたのだ。
意識を集中させる。必要なのは二人を抱える腕と、あそこまで飛ぶための足。
「ふぅー、すぅー。……よしっ、創造の力!!」
天井への道として足場を空中に造り出す。無茶に無茶を重ねた結果、喉の奥から込み上げてきたものを耐えきれずに吐き出した。
床に真っ赤な水溜まりが出来上がる。我ながらこの世界に来て吐血するのは何回目なんだろうか、なんて考えが頭を過った。
それでも構わず両手に力を入れて、足で床を踏みしめる。
――今だ!
タイミングを見計らって床を全力で蹴り天井を目指す。マリアンさんは考えを察していたのか、それとも皇帝が僕たちに興味が無かったのか、攻撃がこちらに飛んでくることはなかった。
そして、僕はレイとヴァスティを抱えて皇帝の作り出した偽の玉座から抜け出せた。
「――ミっ、ミカヅキ!?」
そんなに時間は経っていないはずなのに、凄く久しぶりに聞く気がする綺麗な声は、ボロボロの僕を安堵させてくれた。
頼ってばっかり申し訳ないけど、再生神の依り代のミーシャなら、二人を治せるかもしれない。僕はそれに懸けた。
シルフィさんと一緒に壁に身体を預けていたミーシャが、僕を見るなり名前を呼びながら駆け寄ってきた。
――ごめん、ミーシャ。また心配かけて……。
視界が揺らいで意識が薄れる。まだ駄目だ、僕はまだ倒れるわけにはいかない!
「ミーシャ、二人の治療を……お願い」
ミーシャにお願いをしつつ、自分で舌を噛んで失いかけの意識を痛みで何とか繋ぎ止める。
泣きそうな表情をして何か言いたそうだったけど、それらを飲み込んで「……わかった」とミーシャはレイとヴァスティの治療を始めた。シルフィさんも協力してくれるらしい。ありがたい限りだ。
壁に寄りかかる僕に、ミーシャは治療しながら話しかけてきた。
下で何があったのかを。僕は見てきたものをありのまま話した。未だに戦闘は続いている。その証拠に穴から衝撃や音が漏れ出ていた。だけど今の僕には恐怖は無かった。
安直だなと思いながら眠気が僕を襲った。少しだけなら良いかなと瞼を閉じて誘われるまま夢の世界へと意識を委ねた。
――後で聞いた話だけど、どうやらシルフィさんが僕の状態を見かねて睡眠魔法をかけたとのこと。無茶をしたのはミーシャだけじゃなくて、シルフィさんにもバレバレだったらしい。
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一方その頃、純粋なる水精――アクア・マリノスは帝都に入ったまでは良かったのだが、周囲を見渡して首を傾げた。――ここはどこでしょうか、と。
性格良し、見た目良し、魔法能力良しなど非の打ち所が無い完璧人間だと周りから言われている彼女には唯一の弱点があった。それは――方向音痴である。さらに言えば、その事実を本人は理解していない点も含まれる。
目的地に着くのに少々時間がかかるな、程度にしか思っていないのだ。だがたどり着けないほど絶望的なものではないのがせめてもの救いと言えよう。
現に今も人々の動きが止まると言う謎の状況を把握するために、帝国の城へと時間をかけても向かおうとしているのだから、彼女ならきっと到着を果たせるだろう。いつになるかは不明だが……。
――そして、水精がゆっくりと城へ向かう頃。バルフィリアやアイバルテイクたちがレイディアを視界に捉えた。全身血だらけの見るも無惨な青年の姿を、彼らは目にすることになったのだ。