百二十四回目『輪廻』
戦線離脱のためにヴィストルティの面々は、ファーレンブルク神王国の北部に集まっていた。そこには天帝の十二士だったイーデンベルデット・ウェンツェルも含まれている。
ハクアがもう十分だと判断し、同行させるべく呼び寄せたのである。
突然現れた彼に警戒心を露にするヴィストルティのメンバー。当然の反応にハクアは別段驚きもせずに事の経緯を説明した。
全員が納得した、と言うわけではないが大半が頷いた。ハクアの人徳が成せるわざだろう。
「ハクアさん」
「ハクアで構わん。訊きたいことは察しがつく。答えはまだ早い、だ。我々は確かに戦線を離脱するが、この世界を巻き込む戦争が終わったわけじゃない。だが、これ以上は貴様一人では難しいと判断したまでだ」
「ありがとうございます」
感謝を述べつつも不安そうな表情を浮かべるイーデンベルデットに微笑みを向ける。
「感謝するのもまだ早い。それは無事に帰ってから、改めて聞かせてもらおう」
ハクアが言い終えると、タイミングを見計らってメンバーを纏め終わったことを伝えるべくリリカが声をかけた。
「ハクア、七人足りないわ」
彼は言われてすぐにメンバーが集まる方に視線を移して、誰がいないかを確かめた。
すぐに誰かを理解し、腰のホルスターから一丁の銃を取り出して銃口を自身の側頭部に向けた。
それはレイディアが持っているリボルバー式のものと全く同じに見えた。当然だろう、彼ら二人が持っている銃は実際に同じものなのだから。
引き金を引く、まさにその時だった。
「――!?」
リリカが彼の背後に視線を向けたまま驚愕の表情を浮かべる。
正面にいたハクアは当然その顔を目の当たりし、背後に不穏な気配を感じて即座に振り返り眉を潜めた。
「うぅ……アあアアアアアあああアッ!!!!」
イーデンベルデットが自分の右手首を左手で掴んで悲鳴染みた声を上げたのである。
「みんな下がれ! イーデンベルデットから離れるんだ!」
ハクアの指示でヴィストルティのメンバーは彼の後ろに下がった。
リーダーとして皆を守るための盾となるべく、メンバーの前に躍り出たと言うのが正しいか。隣にはリリカが、すぐ後ろには第二の盾としてアルマが構えている。
「ねぇハクア、あれはいったいなに?」
「わからん。こんなのは以前には無かった」
リリカの問いに答えるハクア自身も本当に何が起きているのか理解不能だった。だが思い当たる節はある様子で、険しい表情で思考を巡らす。
そんな時だった。
「キャアアアアア!!!」
悲鳴が彼らの耳に届けられた。まさかと思いつつ後ろをチラリと確認すると、最悪なことに予想通りの光景だった。
メンバーの一人がまるで糸の切れた操り人形のように項垂れたと思いきや、生気を感じない顔で今にも暴れようとしていた。幸いアルマが咄嗟の判断で重力魔法で拘束していなければ怪我人が出ていたことだろう。
そして、何が最悪かと言うと、それが一人では終わらなかったのだ。一人、また一人と確実に増えていった。
ハクアは心の中で呟く。――覚悟を決めるしか無いようだ。
仲間をリーダーが傷つけるなど許されるはすが無い。故に迷っていたが、最早そんな悠長なことで悩んでいる暇はどこにあるのか。
拳を握りしめ、肺に溜められた空気を「ふぅー」と息として全て吐き出し、全身の力を抜くことで体外の空気を迎え入れた。
「込めるは我が覚悟、与えるは一時の夢――心・天狼拳」
ハクアが使ったのは拳を当てた相手の意識を飛ばす魔法である。対人に特化し、人以外には効果が無い。
何者かに操られていると考える現状では、意識を飛ばせば何とかなると判断したのは間違いでは無いと言えよう。
しかし彼らが直面しているのは、ありきたりな考えなどはね除けるほどの予想外の事態であった。
「これは……どうして倒れないの?」
ハクアの考えを察してリリカとアルマが気絶させたにも関わらず、メンバーたちの動きは止まらなかった。まるで自我を持った人形のように、彼らを襲うことをやめなかった。
数で押されて徐々に劣勢に追い込まれていく。
ハクアは自身の周りのメンバーと距離を取ると、今度こそ拳銃の銃口を側頭部に当てて引き金を引いた。
「心現創弾」
バンッと響く音を周囲に撒き散らしてハクアの頭部は弾丸が当たった影響で逆側へと押される。が、それにしてもおかしな点がある。一向に血が出る気配がない。
いったい何が起こったのかと疑問符を頭の上に浮かべるリリカとアルマ。そんな二人の視界がぼやけ、頭の中に誰かの声が響いた。
「(――戦え。争え。そして、殺せ。全てを殺し尽くすのだ)」
正体不明の声なんかに従うほどバカではない、と二人は思えたのもほんの僅か。自我と言うものが、意識と言うものが遠ざかっていく感覚を最後に、彼らは声の赴くままに周囲を無作為に攻撃し始めた。
ハクアはさして驚きもせず拳を握りしめ、まずはアルマとの距離を詰める。瞬きよりも速い動きで懐に入り込み、右手を翳して力を込めて、
「死考裂波」
言葉を口にした途端に彼の手のひらから白い光のようなものが放たれてアルマを貫いた。だが貫いたと言うより、正確にはすり抜けたと言うのが正しい。何故ならアルマの腹には穴が開いていないからだ。
しかしただで済んだわけではないようで、白目を剥いてその場に倒れた。
――ハクアが使用した『死考裂波』とは、相手の行動の全てを一時的に無力化するものである。たとえそれが操られていようと、思考、行動などそれら全てをだ。強いて言えば、完全なる行動不能状態を強制的に作用させるもの。
この魔法は彼が三年前に出会い、仲間となるも失ってしまった者が使っていた特有魔法だ。
ハクアは心の中で謝罪しつつも、彼が倒れる直前に空いた左手を使って拳銃から一発の銃弾をリリカに撃ち込んでいた。
「……だよな」
口からこぼれた言葉が意味するのは至極単純。弾丸はリリカには届かず、命中する前に急速に減速して溶けて消え失せた。
ハクアは素直に称賛した。音速を越える弾丸に対応するとは成長したな、と。
彼女は自身の周りに高熱のいわば結界を張っていた。そのため、弾丸は溶けてしまって蒸発したのだ。
ただハクアが片目を細めるのには別の理由がある。それはリリカが魔法を使っている点だ。
単純な精神魔法などでは結局対象の簡単な操作程度。身を守ること自体は特別ではない。魔法を使って、と言う部分が重要なのだ。しかもそれが特有魔法となれば操る側の負担も相当なもののはず。なのにこれほどの人数を同時に、加えて恐らく操る際に一番難易度が高いであろう特有魔法まで使わせたとなると……。
理由はもう一つ。精神魔法で操るのには、魔法をかけられた者によって抵抗力があるのに、それをほとんど意味を成さない。イーデンベルデットはともかく、ヴィストルティの面々はこういう時もあろうと精神魔法に対しての耐性は身に付けていた。
そこまで考えて、改めて目の前で殺気全開のメンバーたちに目をやる。数秒考えている間に、どうやら終わったようだ。――完全支配が。
「これが私への……生き残ってしまった私への――罰か。だがそのためにこの者たちを使うのは気にくわないな。ふぅ……」
自我を失い、暴れ狂う狂人に成り果てるメンバーを見て悲しみの表情を見せる。
ハクアは……青年は思い出す。過去の記憶を。いや、こういうべきだろう――未来の記憶と。
最悪のあの日を経験した青年は、その日まで紡いだ全てを記憶の底から呼び覚ました。
“ハクアではなかった”あの頃を。
そう。まだ彼が――レイディア・オーディンと呼ばれていた頃の話だ。
ーーーーーーー
それは一つの可能性。世界が、人々が、彼が選択した未来。
アインガルドス帝国の猛攻を止めるために隣国と同盟を組んだファーレンブルク神王国。彼らの先導に立ったのは他でもない、今ではハクアと名乗るこの未来でのレイディアであった。
「クハハハハッ、無様、無様よのう。己が民を盾にすればここまで脆いものか。つまらん、実につまらん。我が玉座まで来たが故に歓迎してやったものを不意にしよって……。だが少しは楽しめた。褒美に苦しみなき死を、我が自らの手で与えてやろう」
彼らは多大な犠牲を払うも皇帝のいる玉座にたどり着き、あいまみえることが叶った。
だがそれは絶望への一本道でしかなかった。
皇帝の力は彼らの想像を遥かに上回り、圧倒的な実力差で勝ち目など何処にも無かった。連携攻撃も、呼吸を合わせた同時攻撃も何もかもが通用しなかったのだ。
準備が足らなかった。覚悟が甘かった。まだできることがあった。考えれば考えるほど後悔は思い付いた。
皇帝は彼らを殺すべく最後の魔法を放った。ゆっくりと近付いてくる死に対して彼は誓った。怪我をして膝をつく彼を庇うために正面に立つ、水色の長く綺麗な髪をなびかせる大切な人に叶えられない願いを思う。
――もう一度。もしそれが叶うなら、必ず守ってみせる。
最期の苦笑を浮かべた彼に、大切な人はこちらに顔を向けてニコッと笑って見せた。――大丈夫だから、と。
最初は気休めなのだと思った。気を紛らわせるためだと。だが真実は違った。かくして彼の視界は閃光に包まれて気を失った。
――とある国の街の路地裏で彼は目覚めることとなる。
「ここは?」
自身がいる現在地が何処かわからず首を傾げる。記憶では確か皇帝と戦うために玉座にいってそれで……。そこまで思い出して怒りに顔を歪めた。何もできなかった自分に、無力な自分に腹を立てた。
深呼吸と悩むを繰り返して、数分後に踏ん切りがついて立ち上がったその時だった。何やら急いでいる様子の怪しい二人組の男が走ってきた。
「どうしたんだ、そんなに慌てて……なるほど」
二人の内の一人が手に持つものを見て状況を察した。盗賊の類いだと。
見過ごせないが、悩んでしまっていたが今は一刻を争う状況。そう頭で理解しているのに彼は二人を一瞬で気絶させ、追ってきた騎士に手荷物を投げ渡した。光を反射しそうな銀色の髪を丁寧に切り揃えた男性だった。
武装からして神王国のもので、これで状況を理解できると胸を撫で下ろしたのも束の間。
「貴様っ、何者だ! 名を名乗れ!」
剣を突き付けてきたのである。同じエクシオル騎士団の一員であるはずの彼にだ。何事かと困惑しかけながらも尋ねた。
「私を知らない? そんなはずは……いや、貴様らは新人か。私は……」
確かに新人ならば団長のアイバルテイクすら一目を置く者を知らないはずがない。だから名乗れば良いだけなのに、彼の口は途中で言い淀むことを選んだ。
自分自身でも理由は不明だが、ここで名前を口にしてはいけないと本能のようなものが警告を鳴らしていた。
「私は……ハクア。ハクアだ。ちなみに私も質問させてもらう」
「黙るんだ、何も話す必要はない。大人しく我々と来てもらおう」
「そう言うな。こいつらとぶつかったせいで、少し記憶が薄れたんだよ。訊きたいのは二つだけだ。それを訊いたら行こうではないか」
悩む素振りを見せたが、騎士は彼の問いに答えることにした。
それはここが何処で、今は何年なのかと言うもので、なんだそんなことかと笑いながら騎士は答えた。
馬鹿にするように笑う騎士とは逆に、返答を聞いたレイディアは衝撃を受けた表情をした。何故なら今彼がいるのは、皇帝に戦いを挑んだあの日から七年も離れていた。後ではなく、前にだ。
つまり彼は過去にタイムスリップしたのだ。団員とて彼の名前も姿も知らなくて当然だ。まだ存在しないのだから。
賢い彼は悟ってしまった。自身に何が起きたのかを。
最期の“大丈夫だから”の意味がようやくわかった。転移魔法の二つの内の到達点の一つを、彼女は成し遂げて見せたのだ。――時間移動を、だ。
「ああ……」
吐息にも近い声を漏らして空を仰ぎ見る。青い青い、雲一つない高い空を。そうしないと目からこぼれそうだったから。
何をしているのだと近付く騎士は、彼の行動の意図を目に溜まるもので察して武器を収めた。
「……ハクアと言ったか。わたしはヴェルカ・D・ウィズレルカ、エクシオル騎士団の副団長だ。すまなかったな、どうやら貴様は悪人ではないようだ」
名前を聞いてハクアは思わず顔をヴェルカの顔を凝視した。本物なのかと信じられなかった。何故なら彼がいた五年後にはヴェルカ・D・ウィズレルカはいない。――死んでいた。
――二年前、今からだと三年後に自宅で発見される。胸に円形の大きな穴を開けた遺体として。
原因は結局最後まで不明のままで、解き明かされることは無かった。
魔法を使っても真実はわからず、まるで靄がかかっているようで何かに隠されているみたいだと言われた。しかしその何かは全く検討がつかないらしい。
ただ理由に関してハクアは容易に想像できた。実際に話したことも無ければ、会ったことすらないからあくまで想像に過ぎないが……。それは彼の性格と特有魔法だろう、と。
人となりは騎士団員たちの話を聞いただけで、ハクアは持ち前の洞察力で読み取った。そしてヴェルカがアイバルテイク団長にだけ明かしていた特有魔法。確かに自分がその立場なら誰だって隠すだろう。
『天世眼』――それをヴェルカは、この世の理から逸脱したものと言った。
能力は至って単純で過去、現在、未来の全てを見通す眼。注目するべき点は、術者が望めば何でも見ることができると言うことだ。地平線の彼方、人の感情や思考、魔法の構造ですら彼には見えていた。世界の外すらも……。
故に彼は文字通りの最強だった。特有魔法を発現させ、騎士団に入ってから一度たりとも負けたことが無かった。
アイバルテイクは「そう言えば……」と思い出したようにヴェルカが最後にこう言っていたと付け加えた。
「――俺が死ぬことで未来への可能性が生まれる。ヴェルカ・D・ウィズレルカが死んで初めて、道が開かれるんだ」
自分の死すら見ておきながら彼は逃げも隠れもせずに、この世界の未来とやらのために死んだのだと苦笑しながら話してくれたのを、ハクアは今でも鮮明に思い出せる。
アイバルテイクのあんな表情を見たのは、最初で最後だったからだ。
――その人物が今はまだ生きている。ならこの先に起こるあの最悪を知っているはずだ。
ハクアは彼の特有魔法を確かめるべく、少し試してみることにした。
腰のホルスターの銃を取り出すべく手を後ろにやろうとした瞬間――ハクアは自身の腕が斬り飛ばされる光景を目の当たりにした。
「――無駄だよ」
声をかけられてハッと意識を取り戻すと手も腕も無事だ。一応確認のために何度か握ったり開いたりを繰り返した。
「……はは、試されたのは私の方だったわけだ。今のはあり得た可能性の一つか」
ヴェルカは、攻撃しようとしたハクアに未来の一つを見せたのだ。無駄だと言うのと、彼の考えを肯定する二つの目的のために。
「なるほど、本当に理解が早い。芝居が無駄に終わってしまったな」
ハクアは今の掛け合いで確信に至った。ただ同時にどうしたら勝てるのだろうと思ってしまい、頭の中でシミュレーションしてみたがかすり傷すら与えられなかった。
まさしく“最強”に相応しい強さだと改めて認識した。考えた攻撃や作戦に対して、全てに二手三手先を打たれてしまってはお手上げだった。
だが逆に疑問が浮かぶ。これほどの実力者が、いったい誰に殺されたのかと言う点だ。
「残念ながら殺されるのではない、死んでやるのだ……と、すまない。見えたしまったのでね」
「なら、その理由をすごく知りたいんだが」
「ここでは話せない。ついてきたまえ、紅茶をご馳走しよう。レイディア・オーディン……ではなく、今はハクアだったな」
あえて言い間違えたなとハクアは思った。彼の心を揺さぶるつもりか、知っているぞと脅しのつもりなのかはわからないが、下手なことはするべきではないと判断した。
――数分かけて案内されたのは街外れに建てられた屋敷だった。まるで廃墟かと思ってしまうほど外観はボロく汚い。蔦のような草が壁をよじ登り森の中にある長年放置された洋館にも見えた。
「こっちだ」
ヴェルカに催促されて柵の中に入った途端、先程までの彼の考えは覆された。幼い頃に読んだ絵本の世界にでも紛れ込んだのかと勘違いしてしまう光景だった。
白を基調とした屋敷は、所々に規則的に散りばめられた紋様が良いアクセントになり“美しい”の一言がハクアの頭を過る。
しばし魅了されたが首を振って我に返ってこれがどうなっているのかを分析した。
偶然ハクアには似たような魔法を知っている。本来知られている使い方とはまた違った使い方をすることで、別の魔法のようになる。
「これは――」
「中造りだ。だが私は、このレベルには到達できていない」
ハクアはヴェルカの言葉を遮って、半ば睨み付けるように見つめた。
彼がまだレイディア・オーディンだった頃に、魔法と言うものを解明しようと試行錯誤をした際に似た結論に至っている。しかし年単位の月日を費やしても、別の魔法にはたどり着けなかった。
だから彼は走り出しそうな勢いで詰めよって問いただすことを選ぶ。
「よしたまえ。人がそうであるように、世界にも順序が存在する。確かに貴様の思い付きは見ての通り素晴らしいものだ。文字通り世界を変えるほどに。だがな、まだ早い」
「全てお見通しと言うわけか」
「貴様が私利私欲のために試行錯誤した事実は間違いではない。でなければこうして”結果“を見せはしない」
ヴェルカは怯むことなく淡々と説明した。それはハクアが今一番知りたいであろうことだった。彼も充分に理解しているからこそこれ以上は言わないのだ。
そのまま屋敷の中に招かれ、宣言通り紅茶を用意してくれた。
「では、こちらからも質問させてもらおう。二つだけだ。これからハクアはどうするんだ?」
紅茶の香りを楽しみながらご丁寧に首を傾げ、おまけに口角を上げて訊いてきた。
確かにヴェルカの言うとおりだ。過去に、しかも七年も前に転移した現状では、知り合いなどは誰一人としていない。この訳のわからないような状況下ではっきりしているのは――
「皇帝を倒し、今度こそあやつを守る」
「……」
それを聞いたヴェルカは紅茶を一口だけ飲み、上げっていた口角を下げて真剣な表情に変わる。
「世の中には、叶わない願いもあるのだよ。残念だがね」
「あなたには未来が見えているんだろうが、それが全てじゃないはずだ。叶うか叶わないじゃない、絶対に叶えるんだ」
迷いのない真っ直ぐな瞳で宣言するハクア。
対してヴェルカは息をふーと吐き出す。そして何事も無かったかのように話を続けた。
「傲慢、実に傲慢だ。故に人間らしい。二つ目の質問は、一つの命と、世界全ての命。必ず一方を犠牲にしなければならないとすれば、どちらを選ぶ?」
自分が映る瞳を真っ直ぐに見返して質問を行った。
「そんなもの――」
「答えは行動で示してくれ、わたしは空から見守るとする。さぁ、君は早くここを離れるのだ。見送りできないことを謝罪するよ」
「まさかっ、私に干渉したことでタイムパラドックスが起きたのか!?」
「仕方あるまい、これがわたしの定めだ。……ハクア。時が来れば、君は苦渋の決断を強いられることだろう。だが君なら善き選択ができる」
未来から転移してきたハクアと接したことにより、ヴェルカの死が早まってしまったことに少ない言葉から察した。だと言うのに、本人は心配はいらないと言わんばかりに微笑みを見せた。
己の不甲斐なさに苛立ち、思わず拳を力いっぱい握りしめた。
”また何もできないのか“と。
まだできることがあるはずだと進言しようとするも、ヴェルカは苦笑を浮かべながらゆっくりと首を横に振る。
「心遣いは感謝する。ただね、まだ君を失うわけにはいかないのだ。この世界……そして、彼にも君が必要になる時が来る。本来は存在するはずのないもう一人がね」
「気にいらないが、これ以上は不要なんだろう」
「信じてくれて助かるよ」
「あなたじゃない、あなたを信じるアイバルテイクを信じるんだ。ただし、次会った時は手合わせ願う」
若干驚いたような表情を見せたが、次の瞬間には吹き出して声を上げて笑いだした。
「こんなに笑ったのは久しぶりだ。まったく君には驚かされる、さすがだよ。お礼にこれを君に託す、きっと役に立つから。何せ、わたしの剣だからな」
笑いを抑えてから、腰に携えていた鞘に龍の模様が入った剣をハクアに渡した。
ハクアは隠された剣を拒まずに受け取り、軽く会釈をしてからこの部屋を出ようとする。が、扉を出る直前で振り返って小さく丸い物体を投げつけた。
ヴェルカは難なく掴み取り、手のひらを広げて何かを確認して苦笑する。一言言ってやろうと顔を上げた時には既に黒髪の青年の姿は無く、屋敷からも気配は消えていた。
「賢い男だ。だがね、残念ながらこれは使えない。何故ならわたしが死ななければ……」
――君は産まれないのだから。
誰にも聞かれるはずがないのに、最後は心の中で呟いた。
――翌日。アイバルテイク団長が家を訪れた際、胸に円形状の穴を開けて死んでいるヴェルカを発見した。非常に穏やかな表情だったと、五年後にやってくるレイディア・オーディンは聞くこととなる。
ハクアが彼の死を知るのに数日の時間しか要さなかった。