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ふたつの鼓動  作者: 入山 瑠衣
第十章 アインガルドス帝国皇帝
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百二十二回目『悪いな』

「うっ……ぐ……はっ……」


 口から溢れ出た赤い液体が地面を染める。咄嗟に手で押さえても残念ながら隙間から漏れて意味を成さない。

 視界すらぼんやりと赤みがかってきた。


 異変に真っ先に気付いたのは、奇しくも吐血した人物の唯一の好敵手――マリアンであった。


「レイディア……?」


 訝しげな表情で青年を視線を移す騎士王につられて、周りの少年たちも顔を向けると、衝撃的な光景がそこにはあった。


 つい先程まで悠然とした余裕の表情を見せていたレイディアが、血を吐きながら膝をつく瞬間だった。


「レイディア!?」


「来るなぁ! 来るんじゃない……」


 駆け寄ろうとするミカヅキに叫んで好意を拒んだ。未だに咳込みながら吐血していた。見ている方が痛々しいと思える姿。


 どうしてそこまでして、そんな姿になるまで自分たちと戦うのか。今や少年が抱く感情は一つの疑問だけだった。


「レイディアっ、もうこれ以上は嫌だよ! どうして僕たちが戦わなくちゃいけないのさ! 理由を教えてよ……ねぇ――」


「お兄さま、教えてください」


 ミカヅキの言葉を遮り聞こえたのは、鈴の如く凛とした少女の声。彼らが目の当たりにするのは小さな女の子の背中。

 突如として現れた少女が何者なのか、それを最初に口にしたのはやはり――


「シルフィ!?」


 友だち(ミーシャ)だった。ミカヅキも突然の出現に面食らった様子だ。


 驚く子どもたちを差し置いて、大人たちは冷静に分析していた。


「どうやってこの結界の中に……」


「レイ、お前わからないのか。王国の騎士団もこんなのが団長とは災難だな」


「言ってくれるじゃないか、だが今回は許してやる。レイディアの状態の方が気になるからな」


 言い合いになるかと思われたが、珍しくレイが一歩引くことで避けられた。


 騒ぐ二人を尻目に、マリアンは一人首を傾げていた。


「シルフィとは、誰ぞ?」


 もっともな疑問だった。何せシルフィが表舞台に出るのは今回の戦争がほぼ初めて。それ故に騎士王マリアンですら知らないのは当然だ。


 呟きを聞き、我に返ったミカヅキが説明した。


「えっと、何と言うか複雑でして……レイディアの妹? です」


「そうか、複雑なのか。理解した、感謝する少年」


 あっさりと納得するマリアン。あまりにもあっけらかんとしすぎて、説明した側のミカヅキは呆気に取られてしまう。



 少年たちが思考に意識を向けている間にも、シルフィはレイディアに歩み寄っていた。


「これ以上、皆さまを傷つけないでください。お兄さまご自身も……」


「悪いな、シルフィ」


 謝罪を聞き、ホッと胸を撫で下ろすシルフィ。だがその表情は直後、驚愕に染まることとなる。


 誰も間に合わなかった。誰も、反応すらできなかった。理解が追い付かなかった。


「…………おにい、さま?」


 シルフィが安堵の息をついた隙を狙ってレイディアはまさかの行動に出た。何よりも大切にしていた彼女に――斬りかかったのだ。


 しかし剣が届くことはなく、彼女の首触れるか触れないかのすれすれの位置で動きを止めていた。理由は火を見るより明らかだ。シルフィのレイディアから預かっていた刀『闇夜月』が青年の心臓を貫いたからだ。

 もちろんシルフィの意図するところではない。刀が自ら動いてことに至ったのだ。


「はっ、ざまぁないな」


 軽く吐血しつつ恐らく自分自身に対しての悪態をつきながら、数歩後ろに下がった。



 一連の光景を見ていたミカヅキたちは、呆然と立ち尽くすしかできなかった。完全に思考停止と言うやつだ。


 そんな中、マリアンだけが神妙な面持ちで静かに前に躍り出た。


「皆はここで待っていてくれ」


 何かを察したミカヅキが駆け出そうとしたが、ヴァスティが腕を出して行く手を阻んだ。


 どうしてとミカヅキは思わず邪魔をする剣聖を睨み付けてしまうも、横顔がちらりと見えて素直に引き下がった。


「周囲の警戒を怠るな」


 今までの荒々しい印象のヴァスティには似つかわしくない、大人しめな口調で指示を出した。どこか悲しげで辛そうな、それでいて怒りも入り混ざった声色だった。


 ミカヅキは暫しの葛藤の後、頷きを返した。



 シルフィは数秒の後にようやく我に返り、お兄さまと呼び掛けつつ歩み寄ろうとしたがー


「私のもとに来るな」


 ふらふらと足元も覚束無い上に、既に目も開いているのか閉じているのか曖昧な状態で冷たく言い放った。


 それでも彼女は頭では理解していた、否。理解させられたが正しい。兄と慕う青年から感じる魔力が弱々しくなっていたからだ。周囲の情報を知るために魔力を展開しているはずなのに、それすらも満足にできないほどの状態。


「お兄さまっ、しっかりしてくださいっ。こんなの嫌ですっ、シルフィは――」


 ゆるりと涙を流しながら震える小さな肩にポンと大きな手が乗せられた。他でもない、騎士王マリアン(レイディアの好敵手)である。


「シルフィよ、一先ず落ち着くのだ。深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す、それを三度ほど繰り返すのだ」


「っ……は、はい……」


 突然声をかけられて若干の驚きを見せるもすぐに行動に移した。


 少女の深呼吸の緩やかな音が周囲に届けられる。それは彼女自身も含めた、周りの者たちの心にさえ落ち着きを与えた。


「感謝する」


「本当に心臓を貫かれているのか疑ってしまうな」


「この程度の痛み、私の村の子どもたちに比べれば大したことはない」


「では、原因(・・)は別にあるわけだ」


 シルフィに落ち着くように指示を出してくれたマリアンに感謝を述べるレイディア。胸に刺さった刀を抜きながら、鋭い指摘にふーと息を吐き出しながら苦笑を返した。


「あらあら、お気付きとはね。お察しの通り、私は特有魔法を使わないんじゃない――使えない(・・・・)のだよ。残念ながら説明している暇は与えてくれないらしい」


 言いながら青年の両腕から光の粒子が浮かび上がり、彼の手元に収束して形を成す。それはこの世界に存在を許されない代物――銃であった。


「名前は何にしようか……そうだな安直だが、記憶の弾丸(メモリー・バレット)で良いだろう。これが教えてくれる、“お主”たちは先に進むと良い。私はやらなければならないことがあるんでな、お主らはお主らの成すべきことを成せ」


 戦いの終わりを告げるかの如く結界が消えていく。


 マリアンが毒味の意味を含めて一番最初に弾丸を受ける。もちろん肉を抉るなどの出来事は起こらず、染み込むように騎士王の身体に消えていった。


「何があろうと迷わず進める覚悟ある者だけ、わたしについてくるのだ」


 真実を知ったマリアンは少年たちの方へと振り向いてそう告げると、城へと歩みを進めた。


 ミカヅキは覚悟できていると進もうとしたが、騎士王の表情を見たことによりほんの少しだけ迷ってしまう。

 だが、震える拳を優しく包むものがあった。ハッとなってそちらに顔を向けると、ミーシャがいつものように微笑んでくれていた。


 少年は一度深呼吸をしてから、微笑みを返して一緒に一歩踏み出した。


「どうせお主のことだ、知ったらこの場に留まるだろう。だからさっさと行け、後ろから撃ち込んでやるよ。……心配するな、戦う理由はもう無い、安心して前を見て走れば良いとも。終わるまで、振り返るんじゃねぇぞ?」


「レイディア……またあとでね」


「……さっさと行け、阿呆が」


 疑うことなどせずに先程まで戦っていた相手に背中を向ける阿呆たちに「ふっ」と口角を上げて引き金を引いた。



 そして涙を流して目を腫らすシルフィに向き直った。


「シルフィ、お主もミカヅキたちと共に行くのだ。お主は受け継ぐ者として、この世界の行く末を見届ける義務がある」


「嫌です」


「ああ、そうだ。さすがはシルフィだ、そうこなく――なんだと?」


 凛々しい表情を一瞬で崩して思わず聞き返した。


「嫌ですと言ったんです。お兄さまも一緒じゃなきゃ……嫌です!」


 何かを言おうと口を開くが、言葉がすぐには出てこなかった。


 だから出てこない言葉の代わりにレイディアは悲しげな表情のシルフィを――


「!?」


 優しく抱きしめた。血で洋服が汚れてしまうとか、嫌がられてしまうとかそんなことはどうでも良かった。ただただこうするべきだと、今の自身にはこれしかできないと思ったが故の行動だった。


 シルフィは最初こそ驚いたが、そっと腕をレイディアの背中にまわした。


「……わかっています。お兄さまはいつもご自身より周りの皆さまのことを考えていると。だから、今も……頭ではわかっています、ですが納得が、できません」


「だろうな。良いさそれで。私はそれを責めることなんてしない。だって人間らしいじゃないか、決して悪いことではないとも。だがな、時には納得いかなくても、進まなければならない時があるのだ」


 ここが戦場でなければ微笑ましい優しい抱擁なのだろう。少女も肩を震わすことは無いのだろう。


「私の大切な妹は、そんな弱虫だったかな?」


「……ぐすっ。……お兄さまの卑怯者、ケチ、唐変木!」


 言いたい放題言って一際強くぎゅっと強く抱きしめたかと思いきや、青年の腕から離れてビシッと小指を立てた。


「約束です。絶対、ぜーったい、もう一度あの丘で星を一緒に見てください!」


 レイディアは視線を下に落とす。しかし口元は緩んでいた。――私は全てを知っているわけではない、と。


「ああ、約束だ」


 お互いの小指を絡め縦に揺らし、約束の言葉を交わした後、指は離れた。


 少女はそのまま青年の横を過ぎ去り、先に行った少年たちのあとを追った。振り返りたい、まだ抱きしめていたい、ずっと一緒にいたい、胸の奥から込み上げてくる感情に耐えて前を見て進んだ。


 駆ける少女と同じ感情を抱く者がここに残された。


 その者の名は――レイディア・D・オーディン。ファーレンブルク神王国、エクシオル騎士団参謀である。


「悪いな、シルフィ……最初で最後だから、許してくれないかなぁ……」


 鎖が地面から伸びて青年の手足や身体の数ヵ所を貫く。まるでクルーエルに施したような状態である。


 その直後、彼の身体のあちこちに切り傷やら打撲痕やらありとあらゆる傷が生成されていく。血はそこら中から吹き出したり垂れたりと見るも無惨な姿になっていく。


 ――始まったのだ。だがそんなこと承知の上。故にこうして私が全てを引き受けよう。貴様らの怒り、憎しみ、悲しみ、そして……痛みを全て。


 周りには誰もいない。端から見れば全くもって訳のわからない光景だ。何故なら彼の身体に傷が勝手に浮かび上がっているのだから。




 ーーーーーーー




 少年たちの記憶に紡がれるはゾンビもどきに襲われたミカヅキたちが帝都に入る直前の出来事――。


「貴様が今まで与えてきた痛み、苦しみ、絶望、恐怖……それら全てをその身でしかと味わうが良い!!」


「嫌だッ、やめろっ、やめてくれっ、嫌だァァァァァアアア――」


 一際大きな声を出した後にガクッと首が項垂れる。

 レイディアが氷で造り出した剣は、クルーエルの首に触れるか触れないかの辺りで止まっていた。つまり痛みを感じる前に意識を失ったのだ。


 それ相応の痛みを与えれば如何に気絶していようと人は目を覚ますと言うが……彼は知っていながら氷の剣の魔法を解いた。


「復讐をして何になる? こいつを痛め付けようと殺そうと、あいつらは帰ってこない。悔しいな……。ソフィに感謝するんだな、クルーエル・キーディノス。貴様が生きていられるのはそのお方のおかげと知れ」


 気を失っているのだから聞こえるはずがないのを理解しつつも彼は言ってやった。この場にいない慈悲深い大切な人の名を。


「さて、そろそろ動き出す頃合いか……」


「――その通り」


「っ!」


 様子を窺うためか気持ち切り替えるためか、レイディアが来た道へと体の向きを変えた瞬間。見計らったかのように聞き覚えのある男性の声が耳に届いた。


 誰かなど問いかける必要など皆無。既に承知しているとも。


 すぐさま城の方へと向き直すが、そこには鎖に繋がれたクルーエルの姿のみ。魔力でも周囲に新たな人は近付いていない上に、動いたものすらない。


「無駄だ。貴様では我は捉えられんよ。何せ、玉座から直接語りかけているのだから」


「テレパシーでもない別の方法か、まぁ良い。で、皇帝自らがこの私に何の用だ? まさか、今更降伏とか言わないよな?」


「笑止。相も変わらぬ道化ぶりぞ、褒めてつかわそう。だが弱者に与するほど我は愚かではない」


 お互いに落ち着いた口調ながら、敵視しあっているのがわかる。彼らの言葉一つ一つは静かなのに確かに怒号染みた圧があるのだ。


 レイディアは深く息を吸い、魔力による策敵を行うと皇帝の言葉通り、城の玉座に大きな魔力を内包した一人の人間が鎮座していた。感じ取れる魔力からこの人物が皇帝だと確信した。それ以外にも確信に至る理由はあるが……。


「しかし残念だ。貴様がこの程度の者だったとは、もう少し期待していたが……過大評価だったようだ」


「何が言いた――なるほどな、そう言うことか。確かに私には、人質なんぞほぼ無意味だ。たかが一人や二人、百人や千人程度で止まるわけにはいかんからな」


「さすがに気付いたか。そうとも、貴様はその程度では止まらん。故に至極単純な方法を取らせてもらった。人質であることには変わらんが――世界中の全ての人々(・・・・・・・・・)ならば、いくら貴様とて反抗できまい」


 悔しいが皇帝の言う通りだった。

 レイディアは直感的に何かを察し、魔力の範囲を広めたおかげで思い知らされた。何者かに操られ、今にも殺し合いそうな人々を。


 彼の返答次第で世界中とまでいかなくとも、少なくとも周辺諸国では無惨な殺戮が繰り広げられるだろう。


 歯を食い縛り、拳を握りしめる。


 腹立たしい。彼の胸中は怒りの一色に染められる。

 これはレイディア・D・オーディンのためだけに仕掛けられた罠だ。彼一人のためだけに世界中の数多くの命が危険に晒されているのだ。


 口では残念だなどとほざいておきながら、皇帝は誰よりも一番危険視しているのが証明された。


 レイディアはここでようやく一つの真実に辿り着き、渇いた笑いが口から溢れた。


「ああ……悔しいな……。本命は――()か」


 世界を巻き込む歴史上最大規模の戦争。エインの裏切り。イリーナの存在。カケル、そして破壊神の覚醒。


 それらを含む様々な出来事が、彼を――レイディア・D・オーディンを打倒するために用意された舞台。


 そのついでに神王国や王国、周辺諸国を無力化できれば御の字……と言う考え。


「ふっ、やってやろうじゃないか」


「賢くて結構。では、朗報を待っているぞ」


 声はそれ以降聞こえなくなった。必要なことは言い終えたからだ。


「ったく……良い機会だな」


 不意に口角を上げた。ミカヅキたちの今の実力を知るための好機だと捉えたのだ。この後の少年たちの戦いの役に立つように仕向けようと。


 時間は多くないが、決して少なくもない。彼にして見れば十分過ぎると言っても過言ではあるまい。


 悪い展開になった時の対策ももちろんしておく。

 難しいことはない、こんな時のために仕掛けておいた魔法を発動させるだけのこと。世界中の人々が他者を傷つけても、その傷は届かず、全て一点に集められる。端的に言えば、世界中の人々が負うべきダメージを代わりに引き受けると言うもの。


 誰がなど問うまでもあるまい。


 他の誰にもできない。代わりを物にすれば良いのではと考えたが、この魔法は同じ系統にしか効かない。つまり城ならば別の城を、剣なら別の剣を、人間なら別の人間を。

 加えて代わりが壊れたりしてしまえば魔法は解かれてしまう。


 魔法は決して万能ではないのだ。


「さぁ、来るが良い。私の準備は終わったぞ」


 と仁王立ちで待ち構えたが、これだと怪しまれると思い鎖に繋がれたクルーエルの方へと向き直って待つことにした。



 ――レイディアがミカヅキたちとの戦いの途中で唐突に吐血したのは“始まってしまった”からだ。世界中の人々が無作為に無意味に傷つけあう有り様が……。


 少年たちはレイディアが戦った真実を知って、振り返りたい気持ちで胸を満たすが足を止めることはなかった。理解していたから、ここで戻ってしまえばレイディアの行為が無駄になってしまうと、わかっていたから彼らは城へと足を踏み入れた。


 弾丸は全ての傷を癒し、魔力まで全快にしてくれた。


 頬から伝い、地面へと落ちるもののことを考えずに前を向いて進んだのだった。

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