百七回目『剣聖となりし者』
アインガルドス帝国――帝都ケルサス。
結界と城壁に囲まれた帝都の住宅が建ち並ぶとある家に、一人の女性が住んでいた。
女性の名はアイシア・ドレイユ。
彼女のお腹は膨らみ、誰が見ても子どもを身籠っているのは明らかだった。が、彼女は一人暮らしで父親らしき人物は見受けられない。
もともと人当たりの良いアイシアは、近所でもとても良い子にだと評判で、そんな彼女をほったらかして父親は何をしているのかと腹を立てるほどだった。
大変そうに生活するアイシアを見て、近所住民放っておくことなどできず、家事を手伝ったりなど色々な手助けを施した。
彼女は助けてくれるそんな彼らに笑顔で感謝した。
赤子は声をかけると、こちらの言葉に反応するように動いたと言う。アイシアは嬉しそうに「今、動いた」と笑うのが皆の癒しとなった。
そんな心優しき住民の甲斐もあってか、お腹の中の赤ん坊はすくさくと成長していき、やがて出産の時も近いと思われたある日。
空は薄暗い雲に覆われ、ポツリポツリと雨も降り始めて、やがて雷も音を響かせるほどの本降りになっていった。
そんな中、アイシアは医者として昔は腕を振るっていたゼイーダ老婆の手伝いのもと、その時を迎える。
住人たちはようやく訪れた出産の瞬間を、部屋の外で今か今かと待ちわびていた。
そして、時は来た。
そう――絶望の幕が上がったのだ。
「おお、産まれ――」
ゼイーダ老婆の歓喜の声が扉の前で待つ住人に届けられる直前、彼らの視界が白一色に包まれる。
直後、ゴオォンッと凄まじい衝撃のような轟音が周囲の空気を遠慮なしに震わせた。
不幸なことに雷が、彼らの家に落ちたのである。
アイシアの家にいた全員、赤子の顔を一目見ようと集まっていた住人らは即死だった。
ただ一人を除いては――。
その一人こそが産まれたばかりの赤子であり、やがて『雷光の剣聖』と呼ばれるヴァスティ・ドレイユだった。
――冷たい雨の中、ボロボロで黒く焦げた残骸の中心に、赤子は眠っていた。白く美しい刀身の剣が、まるで彼を守るようにふわふわと浮き、赤子を結界のようなもので囲んでいた。
周りには人らしき炎で焼かれたような黒く焦げた塊が二つあった。それが誰なのかなど聞かずとも理解した。
雷が落ちてすぐに駆けつけた近所住民が見た光景とは、そんな自分の目を疑いたくなるような惨状だった。
だが、驚くのはまだ早い。あれほどの雷が落ちた場所にいたと言うのに、死んだのはアイシアとゼイーダ老婆だけだった。
二人を失った悲しみに暮れる前に、赤子をどうにかしなければならない。しかし結界のせいで近付くことができない。触れればバチッと強力な静電気のように弾かれるのだ。
住人たちが手をこまねいている中、一人の金髪の青年がスタスタと歩み寄った。
「おいっ、危ないぞ!」
「気にすることはない。彼は『剣聖』だ。無駄な殺しはせんよ」
そう言いながら青年が結界に触れると、弾かれることなく無事に赤子を抱き抱えることができた。
「け、剣聖だって!?」
「そうだ。この剣が……消えてしまったが、あの剣がその証拠だ。この子は選ばれたのだよ」
ざわつく住人に落ち着いた口調で説明する青年。剣は彼が赤子を抱き抱えると同時に消え去った。
「恐れる必要は無い。君たちが、この子を育てるんだ。それが死んでしまった彼女の願いでもあるからね」
「あ、あんたはいったい、何者なんだ?」
「俺は、通りすがりの団長さ」
青年はそう言い残し、住人の一人に赤子を渡していつの間にか姿を消していた。
――それから時が経ち、五年の月日が流れた。
天帝騎士団の門を叩く少年がいた。
少年は丁寧に出迎えられ、すぐに団長の部屋の前まで案内された。
ノックをして中に入ると、例の青年が椅子に腰かけていた。
「君は……大きくなったものだ」
「……」
青年は微笑みかけるが、少年はピクリとも表情を崩さなかった。
「どうしたんだい、ヴァスティ・ドレイユ。君は『剣聖』だ、覚えているんだろう?」
「ここに来たのは質問されるためじゃない。俺が質問するために来たんだ。『剣聖』について、知っていることを教えろ!」
「まぁまぁ、落ち着くんだ少年」
いきなり怒鳴り散らす少年、もといヴァスティに対して、青年は飄々とした態度を貫く。
そんな態度にイライラゲージは跳ね上がり、ヴァスティは青年に斬りかかった……が、その剣は届かず床に刺さる。
妙な出来事に戸惑いを隠せないヴァスティ。距離を詰めたはずなのに全く移動していないのだ。
「落ち着くんだと言ったはずだが?」
「何をした!?」
「君は落ち着くことを覚えた方が良いな。仕方ない」
残念そうに青年がため息をつき指を鳴らした瞬間、ヴァスティの全身に激痛が走った。
「だああああぁぁぁっぁあああ!!!!!」
あまりの痛さに膝をつく。
そんな少年を座ったまま見下し、青年は丁寧に説明した。
「一度しか言わないから、しっかりと聞いておくんだよ。『剣聖』とは、勇者レイドの使っていた剣に選ばれた者のことを指す」
痛みに身悶えするヴァスティを差し置き、読み聞かせでもするように語り始めるのだった。
ーーーーーーー
――かつてドラゴンの襲来により、人々は危機に瀕した。
圧倒的な力を持つドラゴンに対して、人間はあまりにも非力であった。剣も鱗に弾かれて砕け、盾も炎を防げず意味を成さない。
このまま滅ぼされるのかと絶望していた人々の前に、一人の男が立ち上がった。
その男は自らをレイドと名乗り、下を向く人々を鼓舞した。
「落ち込んでいる暇など無い。武器を取れ、諦めずに戦うのだ!」
最初は聞く耳を持つ者はいなかったが、レイドが一体のドラゴンを倒して見せると、もしかしたらと希望を感じたのだろう。
少しずつ上を向き、立ち上がる者たちが増えていった。
彼は戦い方を人々に教え、その成果もあり多くの犠牲を払いつつもドラゴンたちを次々と倒していく。
だがドラゴンの長である――デイモングラン・イラ・ドラゴンロードとの戦いで、レイドは重傷を負うこととなる。それでも人々の意思は固く、負けじと次第にドラゴンたちを圧倒していき最終的には勝利した。
しかし、レイドの傷は酷く、死に行くのをただ待つだけだった。
そんな彼が最後に口にしたのは、残念なことに歴史の中に埋もれることとなる。
「――人々に危機が訪れた時は、我が剣に導かれし者が再び皆の前を歩むだろう」
言い切るとレイドの身体は光に包まれ、やがて一振りの剣となり、ゆらりと煙のように輪郭がぼやけ、人々の前から姿を消した。
その剣こそが、『剣聖』の印とされる『我が身よ剣とならん』である。
つまり、後に勇者と呼ばれるレイドはこの時に死んだことになる。が、どの歴史書でもその真実は記されていない。
ドラゴンとの戦いの傷で死んだなどと、偉大なレイドの栄光に泥を塗ると考えたのだろう。
かくして書物には多くは残されていないが、歴史上には彼の剣に選ばれた者が何人も存在する。元は『勇者』だったものがいずれ『剣聖』と呼ばれるようになった。
そして、選ばれた者は同時に使命を課せられる。
ーーーーーーー
――とここで話を止めて、青年はヴァスティに視線を落とす。
「産まれる前の記憶を君は所持している。母親の胎内の中での記憶を。本来ならば消えいくものも、『剣聖』として選ばれた君に限っては話が違う」
もう一度指を鳴らすと、全身の痛みが嘘のように和らいだ。
「はぁーっ、はぁーっ、何が言いてぇんだ?」
「少しは自分で考えることも必要だが……仕方ない、今回は特別に教えてあげよう。歴史に残されていない事実は――『剣聖』は『勇者』に成り得る存在と言うことだ」
「じゃあ俺は、勇者にでもなるのかよ」
青年を睨み付けながら立ち上がり、吐き捨てるように言った。
対して返ってきたのは首を横に振る動作。つまりは否定されたのだ。
「残念ながら君は勇者にはなれない」
「言ってることが無茶苦茶じゃ……そう言うことか」
反論しようとして何か思い当たる節があったのだろう。急に理解したのか歯を食い縛った。
「気付いたようだね。そう、君は既に二人の人間を――殺しているんだ」
「守るべき人間を殺したから、勇者にはなれないってか。どうでも良いよそんなもん。剣聖だか勇者だか知らねぇが、俺は俺だ。他の何でもねぇ!」
「普通の人間ならそうも言えたんだろう。だがね、君は剣に選ばれてしまった。君は人々を守れなかったが、救わなければならない。君が母親と老婆にやったように、たとえ殺してでもね」
冷たく突き刺さる青年の言葉は、ヴァスティの怒りを頂点にまで上り詰める原因となった。
「ふざけんじゃねぇ! 俺は使命だろうと何だろうと、知ったことか! 剣に選ばれたから何だって言うんだよ! そんなもん俺が――むぐっ」
「それ以上は言ってはいけない」
いつの間にか目の前に移動していた青年に、ヴァスティは言葉の途中で口を塞がれた。もちろん彼は抵抗したが、とある青年の一言に大人しくなる。
「剣は君と共にある。君が使命を果たさなければ、剣は君の大切なものを奪ってしまうよ」
ヴァスティの脳裏に浮かぶは、育ててくれた近所の住人の人たち。その時点で彼の敗北は決定した。
「……何で、何でなんだよ。何で俺が……こんな目に。いや、そうじゃねぇ、あんたの言うことが信じられるかよっ!」
青年の手を振り払って開き直るように怒鳴った。
確かにまだ年端も行かぬ少年には荷が重いだろう。そんな当たり前のことは青年とて理解していた。だが、抗った者の末路を彼は知っている。
呪いにも等しい使命から逃れようとした者たちを、青年は何度もその目で見てきた。
故に結末は言うまでもない。
彼はもう見たくなかった。
希望はあると信じて、抗って、絶望の底に落ちる『剣聖』たちを、これ以上は見たくないのだ。
だが選ぶのは結局、周りが何と言おうと決めるのは本人だ。
火を見るよりも明らかな現実を、青年は充分すぎるほど理解していた。
「信じるか否かは君次第だ。ただ長く生きてきた者として、忠告をしたかっただけだからね」
「……ちっ、少し考える」
「良いとも。じっくり考えると良い。それほど重要なことだ」
青年に背中を向けて部屋を出ようとするヴァスティだったが、最後にふと気になったことを投げ掛けた。背中を向けたまま。
「あんたは何者なんだ?」
「そうか、言ってなかったな。今の俺は、天帝騎士団団長――バルフィリア・グランデルトだ」
ヴァスティは相槌すら打つこともせずに部屋を出た。
無愛想な態度をしつつも、名はしっかりと覚えた。
青年、もといバルフィリアは微笑みながら思う。
――本当に五歳なのか疑ってしまう。
ふーっと一度息を吐いてから椅子へと戻る。
「今度こそ君の呪縛を破って見せるよ。忌まわしき――勇者レイド」
不敵な笑みを浮かべるバルフィリアの呟きを聞くものは誰一人としていなかった。