百六回目『ごめん』
「しかし、あれは何だ?」
ヴァスティの持つ白い剣を睨み付けながら隣のエインに尋ねる。
ミカヅキはエインが味方になったことをここに来る道中でアルフォンスから聞いていたのだ。故に彼がレイと一緒に登場しても、然程驚かなかった。
「まさか……さすがはボクが認めたハヤミくんだ。あれを抜かせるなんて、敬服してしまいそうだ」
目を細めてレイの問いに答えるかと思いきや、少々興奮気味にミカヅキを称賛する。早く答えろと催促され、本気で面倒くさそうにしつつもちゃんと答えた。
「君は落ち着きが無くて困る。ハヤミくんを見習いたまえ。であれは『ソハヤノツルギ』と呼ばれる剣だよ」
「ソハヤっ……なるほど、あの剣が伝説の……」
ミカヅキも『ソハヤノツルギ』については調べたことがあるため知っていた。
正式には『我が身よ剣とならん』らしい。
気になるのはその剣になぜ二人が苦笑しているのかと言うところだ。
彼の剣は、伝承にも残される勇者レイドが使っていたとされる。恐るべきは剣の性能である。文献にはこう記されていた。
――その剣の前では頑丈な盾も、強固な肉体も意味を成さず。勇者に相応しき聖なる剣、と。
もし伝承通りなら月とスッポンほどだったミカヅキとヴァスティの実力差が、太陽と砂粒まで跳ね上がってしまう。
現にミカヅキの右腕は斬り落とされてた。いや、逆にこう言うべきか。――右腕だけで済んだ、と。
彼の中で違和感が募り始める。ヴァスティは確かに何度も殺すと宣言し、その通りに殺しに来ている。だが同時に確実に殺せるタイミングは幾つもあったはずなのに、まだ生きているのは何故なのか。
右腕を斬った時なんてまさに絶好の機会だったはず。
もしかしたら本当は言葉とは裏腹に殺すつもりは無いのかもしれない。
真実が解明できたわけではなくとも、近しいものではあるとミカヅキは覚悟を決めた。
――使いたくなかった。使うべきじゃない。使ったら本当に……だとしても、ここでこの人を倒さなくちゃ、また多くの人が殺されてしまう。
なら止めなくちゃいけない。今の僕なら止められる……なんて断言はできない。だとしても、やらなくていい理由にはならないんだ。
深く、深く、息を吸う。吸い終えると今度は吐き出す。そして全身の力を抜き、自然と吸い込まれる空気を身体中に巡らした。
右腕は相変わらず激痛を伝えてくる。しかしミカヅキにとっては最早些細なことなのかもしれない。
意を決し、彼は言葉を紡ぐ。少年が唱えるは――
「発動――知るは我が行く先」
一時的に無傷の状態に身体の記憶を上書きする魔法。傷を無かったことにする強力な魔法ではあるが、時間が過ぎれば全ての傷は元通りになる。発動中に負った傷も合わせれば、解除された瞬間に死ぬ可能性だってある。
それをミカヅキは重ねて発動させた。
一度目の胸から腹にかけての傷、二度目の右腕。
解除された後は、生きているかどうかも怪しい状態になるのは明白だった。
斬り落とされた右腕が元通りに修復される。ものの数秒で終えた行程をレイは知っていたが、何も知らないエインに衝撃を与えた。
だがレイも事実とは異なる解釈をしている。それはミカヅキが『知るは我が行く先』を発動させたのはこれが一度目だと思っているのだ。
「レイ、エイン。二人とも来てくれてありがとう」
「当然だ。お前は俺の大事な団員だからな」
「ボクは君の行く末が見たいからね。こんなところで死んでもらっては困るよ。つまらなすぎる」
「つまらないって……じゃなくて、二人ともお願いがあるんだ」
ミカヅキの感謝に対して各々の言葉で返答する二人に、彼は作戦があると伝えた。
続きは実際に口での会話ではなく、『脳内言語伝達魔法』によって作戦内容を説明した。
「……。三人で来るか。数が増えたところで力の差はわかりきってるだろうに」
「僕一人じゃ敵わないかもしれない。だけど、二人と一緒なら、あなたにも届く。……ううん、そうじゃないな。必ず届けるんだ!」
「その通りだな、ミカヅキ。俺たち一人一人の力は弱くても、合わせれば格上にも届けられる」
「まったく、君の無茶は飽きなくて困らないよ」
それぞれが始まる戦いに向けて構える。心の準備ももう済んだ。
ミカヅキは戦うべき相手を目を逸らすことをせずにしっかりと見据えた。殺す以外の方法で、必ず勝利して見せる。
今なら胸を張って宣言できる。二人と一緒なら――勝てる。
否。一緒だから勝つんだ。
――第二ラウンドは誰がの土を踏むジャリと言う音が引き金となり、目にも止まらぬ速さの攻防が始まった。
「鏡の鳥籠」
彼らの周囲に無数の長方形の姿見が形成される。向きや場所には法則などお構いなしだ。
だがミカヅキたちにとってはそれが逆にありがたい。
ヴァスティはまずレイに斬りかかる。が、剣が体に触れる直前で彼は地面へと溶け込むように姿を消した。いや、実際は足下の鏡に入り込んだのだ。
「なるほど」とヴァスティは呟き、剣を背中側に向けた。良く見るとその剣は『ソハヤノツルギ』ではない。雷で生成された剣だ。
自由に出し入れできるのか、とミカヅキは推理する。
そしてヴァスティの予想通り、背後の鏡からレイが出現し、今度は斬りかかる側になる。しかし剣で軽く受け流し、カウンターで瞬時に槍を生成して放った。
体勢を崩したレイにもろに直撃すると思われたが、槍は彼の体をすり抜けた。
それを見てヴァスティは驚いた様子どころか、「はっ」と笑って見せた。
「少しは成長したみたいだな。でもなぁ、まだ足りねぇんだよ!」
ヴァスティの周囲数メートルの範囲で、雷撃が地面を伝ってレイへと迫る。
さすがにまずいと感じたレイは退く。だが間髪いれずに彼が退いた同じ鏡からミカヅキが姿を現して棍棒を振り下ろす。
まさか同じ鏡を乱用しないだろうと、戦いの熟練者なら至る先入観を逆に利用した。
しかし残念ながらこれは詠まれていたらしく、無防備とも言えるミカヅキの四方八方に雷槍が展開済みだった。と言っても、もちろんヴァスティ側には雷槍は無い。それは彼ら二人の距離が槍を生成できるほど離れていなかったからだ。
「――創造せよ《アーク》」
自分の周りに展開する全ての雷槍の正面に盾を造り出す。あとはヴァスティに棍棒を振り下ろせば良いだけ。言葉にするのは簡単でも、実際にやって見せろとなれば難易度は段違いだ。
実際、実力は剣聖とまで称えられるヴァスティの方が上な訳で、棍棒が振り下ろされる前に彼の手から放たれた剣のような鋭い雷撃に貫かれた。
策は失敗した――とヴァスティは思う。が、彼は違和感に気付く。
雷撃で貫いたミカヅキの身体がまるで火を放たれたかの如く燃え盛ったのだ。
確かに雷撃は身体を燃やす可能性はある。にしても、この燃えようは人体ではない別のものを連想させた。
さすがはヴァスティと言うべきか。自分が貫いた“何か”の正体を見抜くのに時間は然程かからなかった。
「――っ、偽物!」
木で造られた、ミカヅキを模した人形だった。
ヴァスティが気付いた時には既に策の行程は終わりを迎えていた。
「綴じろ――天獄法印」
先ほど彼がミカヅキの腕と共に斬られ、二つに分かれたはずの棍棒『竜改棍』が何本も現れて身体を動かせないように交錯した。
『天獄法印』――ミカヅキが『竜改棍』を特有魔法で無数に造り出して、対象を格子状の檻のようなもので閉じ込める、ミカヅキにしか扱えない結界である。
これは『竜改棍』を使用したもの。つまり魔法では太刀打ちできないため、魔法使いにとっては天敵とも言えよう。
だが、今回は相手が悪かった。
普通なら身動きすら取れなくなるはずの結界。
それでも、
「ふんっ」
剣聖には通用しないようだ。
一瞬でバラバラになり、鋭いものに斬られた断面を見せつけて地面へと降下を始める。
「ミカヅキ!!」
鏡を操るために距離を取っていたエインが名前を叫ぶ。その意味することは、
「雷光・一閃」
あらゆるものを両断する横一文字の一閃。静寂の中放たれた一筋は、物体だけではなく空気までも断ち斬っていた。
何とかレイが救出に間に合ったから良かったものの、もし間に合っていなかったら……。
ミカヅキは考えて身震いした。
そんな戦いに恐怖する少年を尻目に、ヴァスティは鼻で嘲笑う。
「逃げてばかりだなぁ? それで俺をどうやって倒すんだ?」
「……」
確かに現状は攻めても最終的には逃げる一筋。ヴァスティの言う通り、このまま逃げてばかりでは倒すどころか攻撃を当てることすら不可能だ。
突き刺さる正論に、悔しくとも言い返せるような言葉はなかった。
「――ボクは不思議に思うね。どうしてキミみたいな人が『剣聖』になれたのか、甚だ疑問を抱くよ」
怖じ気づくミカヅキの前に、エインは一歩前に出る。
「敵に寝返った裏切り者が良く言うぜ。お前は全てを他者に託して、自分では何も決めようとしない。そんな奴が俺のことをとやかく言うんじゃねえよ!」
「確かにボクは迷ってばかりで、結局他人にそれを押し付けて来た。でもボクはハヤミくんを見て思った。ハヤミくんの言葉を、覚悟を聞いて思ったんだ。立ち止まったままじゃダメなんだと。だから――」
「この結果は自分が望んだことだと?」
音も立てずにエインの目の前に移動していたヴァスティは問いかける。ゆっくりとその手を彼の顔に近づけながら。
「させん!」
レイが急かさず剣を振り上げ、エインのフォローに入る。
余裕の表情で躱わしてみせ、今度は逆にヴァスティが剣を振り払った。
ーーーーーーー
汗が頬を伝って地面に落ちる。
僕たち三人でも駄目なのか?
今はレイと剣を交えているけど、押されているのは火を見るより明らかだ。
魔力の残りがもうほとんど残ってない。当然だ。
『知るは我が行く先』を二回も使って、なおかつこれだけの数のものを造り出せば、もともと少ない魔力量の僕が保つはずがないんだ。
『竜改棍』は斬られてしまったのが大きい。かなりの痛手だ。
身体を雷に変換させるヴァスティへの数少ない対抗策だったのに。
造り出せると言っても、結局は模倣品だから本物ほどの力は無い。それのせいで法印も破られた。
意気がって、諦めないとか言ってこの程度なのか。
僕はいつまで経っても、あの人たちと一緒の道は歩めないのか……?
そうじゃない。僕の長所はどんな絶望的な状況でも諦めないことだって、ミルダさんは言ってくれた。その言葉を裏切らないためにも僕は――。
「展開」
深く考えるのは僕には合わない。
僕は僕らしく、真っ直ぐ正面からぶつかってやる!
両手を左右に広げて、雷槍と竜改棍を五本ずつ造り出す。
「レイっ、エイン!」
二人とも僕の考えを察してくれたらしい。
守りを捨てて攻めの一手に準じた。
「レイ・グランディール、お前はどうしてあんな弱者の味方をするんだ!?」
周囲に散らばる鏡から光線の如く斬りかかるレイに、ヴァスティは叫びにも似た怒りを込めた声で問いかける。
「剣聖ともあろうお前が、“どうして”なんて野暮なことを聞く。お前ほどの人物ならば既に理解しているはずだ」
光の特有魔法の使い手であるレイと、鏡の特有魔法の使い手のエインら二人の相性は最高だった。
お互いの長所を最大限に活かせる組み合わせ。それに加えて互いにどうしたいかを事前に理解しているようなコンビネーション。
僕の頭に一つの言葉が浮かぶ。
――凄い。
まさにその一言に尽きた。
「ふざけたことを!!!」
「ボクは正直キミのことは嫌いだし、殺したいのは山々なんだけど、彼はそれを望まない」
「だからそんな綺麗事など、この世界では通用しない! お前は誰よりも、この世界の残酷さを知っているはずだ。なのにあんな絵空事を、理想に満ちた戯言を信用すると言うのか!」
味方なのに圧倒されそうな二人のコンビネーションを持ってしても、ヴァスティにはもう少しだけど届かない。
にしても、僕の言われようは別の意味で凄いな……。
「キミに教えられたよ。だけど、また信じてみたいって思えたんだ。どれだけ強くても、途中で諦めたキミと、何がなんでも諦めない彼とでは、比べ物にならない」
「黙れ!!!」
ヴァスティの身体から放出された雷撃が、全ての鏡を木っ端微塵に粉砕する。それでも二人は攻撃の手を緩めない。
僕のことを信じてくれてるんだ。
そう思った矢先、僕はとあるものを視界に収めた。
『ソハヤノツルギ』がヴァスティの手に残像のように現れる様を。そして僕の特有魔法が未来を知らせた。
――レイが斬られる。
ここで動いてしまえば、二人の行動が無駄になってしまう。それを求めたのは僕なのに。その僕自身が無駄にするわけには……。
「……ごめん」
僕はバッと腕を振り上げる。
するとヴァスティの足下の地面から何かが凄まじい勢いで盛り上がって、そのまま上空へと押し上げた。
同時に僕の足下からも同じものが出現し、ヴァスティの後を追った。
「ーーーーー」
――二人の声が聞こえた。
僕の名前を呼んでいる。突然の行動にビックリしてるんだ。
そりゃあそうだよね。僕だって初めはこうするつもりは無かった。
でもね、仕方ないじゃない。
僕はもう、誰にも死んでほしくないんだよ。
「自分から一対一にするとは、余程死にたいようだ。あいつらと一緒の方が長く生きられたのになぁ?」
「そうかもしれない……がはっ」
だって、この足場に残りの魔力のほとんどを使ってしまったから。その証拠にどこから漏れたかわからない血が口から飛び出した。
二人と距離を取る意味も込めて、雲にも迫るほどの巨大な柱を造り出した。巨大と言っても高さだけだけど。横幅は人一人が立てる程度だ。
魔力でバランスは保たれているから、自然に倒れることはないけど、壊されてしまえばその瞬間に終わりだ。
まぁ、落ちても落とされても終わりなんだけども……。
空中戦では僕が圧倒的に不利。
二人のアシストも無いから、やっぱり不利。
魔力も切れかけで不利。
簡単に三ヶ条の出来上がりだ。
でも、この場を準備したのには別の理由があった。
「僕はあなたと話がしたい」
「何言ってんだ?」
「僕は事故で両親を亡くした」
「だから――」
「少しくらい聞いてくれても良いはずだよ。あなたの勝利はほぼ決まったようなもんなんだから」
僕の説得が効いたのか、それとも単なる気紛れか、どうやら話を聞いてくれるようだ。一先ずは第一関門突破。安堵の息を漏らす。
「僕も一緒だったのに、僕だけが生き残った。正直言って、小さかったからほとんど覚えてないけど、葬式の時の親戚の人たちの冷たい視線や言葉ははっきりと覚えてる。そんな中、縮こまる僕を祖父母が温かい言葉で迎え入れてくれた」
その時のことも鮮明に覚えてる。祖父母に微笑んでもらって凄く嬉しかったって。安心できたんだ。
「それから何年か経って、優しい二人も亡くなった。そしてまた、あの親戚の人たちと会った。あの人たちは自分の保身ばかりを考えた、二人が死んだことなんてどうでも良さそうだった」
自然と拳に力が入る。
「それで殺したのか?」
黙って聞いていたヴァスティからの問い。
一度俯いてから顔を上げて答えた。
「……殺してないに決まってるじゃないか。でもたぶん、僕はもう少しで――殺していたのかもしれない」
一歩間違っていたら僕だって、ヴァスティのように人を殺すことへの抵抗が無くなっていた可能性だってあるんだ。もしかしたら立場も逆に、なんてのもあり得るんだ。
「確かにあの人たちをその場で殺していれば怒りは晴れたかもしれない。でも、一生後悔が付きまとうってわかってたし、それに……それに、何より僕を育ててくれた人たちが望んでないって思った」
僕を見るヴァスティの目は冷たかった。
「――幸せ者だな、お前は。どれだけ平和な鳥籠の中で育てられたのか。時にはこう言うのも良いだろう、気分転換だ。俺も昔話をしてやるよ」
ニヤッと口角を上げるヴァスティが語ったのは、如何にして苦難の世界で育ってきたかと言う内容だった。
――僕は、言葉を失った。