百四回目『だから一緒に』
ファーレント王国の城にて、再生神の一件が落ち着きを見せ、事態の収拾に追われる頃。
ミルダさんの容態を確認し終えた僕は急ぎ戦場へ向かおうとしたが、くいっと服の裾を誰かに掴まれて足を止められた。
「待って」
「み、ミーシャ。どうしたの?」
頭の中ではミーシャはてっきりミルダさんの傍にいると思っていたため、予想外の出現に動揺を隠せない。本人はすぐに切り替えたと思っているようだが……。
「その……えっと、ね……」
急かさずに微笑みかけて次の言葉を待った。
やがて意を決したミーシャがバッと勢い良く顔を上げて、僕の顔を正面から見る構図となる。
少しビクッと肩を震わせつつ、微笑みを崩すまいと空気中の酸素を思い切り吸う。待ち構えたままゆっくりとバレないように不要な空気を外へと追い出した。
「私も一緒に行く!」
「うん……うん?」
一度は流れで頷いたけど、聞き取った言葉の意味を理解すると首が自然と傾いた。今、ミーシャは何を言ったのか、と。
比較的耳は良い方だからこそ、聞き間違いではないのは確かだ。更にミーシャが何を意図して“一緒に行く”と言ったのか僕はすぐにわかってしまった。
だから僕は微笑みを崩して、真剣な表情に変えて当然のことを伝えた。
「それはできない。ミーシャはこの国の王様だ。もしミーシャに何かあったら、ファーレント王国そのものが危なくなる」
「でも……」
「僕はもう、これ以上大切な人が傷つくのを見たくないんだ。僕が気絶している間に、ミルダさんは大怪我を負った。ミーシャだって危ない目にあった。だから僕は……ミーシャを戦場には行かせられない」
俯くミーシャを見て、胸が締め付けられるように苦しくなる。
どんな思いで決断したのか、どれほどの覚悟で僕に言ったのかなんて想像もできない。止める僕にはそれを知る権利なんて無いんだ。
でも、行かせるわけにはいかない。たとえ再生神が宿っていても、ミーシャはミーシャだ。王様とかそんなものの前に、一人の女の子なんだ。
僕はこの子を守ると誓った。なのに危険に晒してしまった。これ以上、ミーシャに怖い思いはさせられない。
綺麗事や偽善だとしても……いや、違うね。これは単純に僕のわがままだ。
怖がっているのはミーシャじゃない――僕だ。
そうか、そうなんだ。悔しいけど、認めたくないけど、僕は……怖いんだ。ミーシャが傷つくことが、ミーシャを守れないことが、ミーシャを――失うことが、すごく怖いんだよ。
ごめんよ、ミーシャ。
心の中で謝って、目頭が熱くなるのを感じた時、ミーシャの顔をもう一度拝むことができた。
「それでも、それでも私はミカヅキと一緒に戦う」
「だから、ミーシャ……それは」
「――だからね、ミカヅキは私を守って。私がミカヅキを守るから。もう嫌なの。黙って何もしないで、大切な人を失うなんて……。お願い、ミカヅキ」
あぁ、僕は馬鹿だな。自分に対してため息が出てしまいそうだ。
どうしてこんな簡単なことがわからなかったんだ。ミーシャだって、お父さんを亡くしてるんじゃないか。なのに僕は自分のことばっかり……まったく。
パチンッ。
両手で両方の頬を叩く。
ミーシャは突然の行動にビックリしてるけど、僕なりのけじめみたいなものだ。
王様なんだから命令すれば良いのに、“お願い”なんて言われたら断れないじゃないか。と言っても、もう断る理由なんて無いけどね。
僕は手を前に出しながら告げる。
「――行こう、ミーシャ。一緒にこの戦争を終わらせよう」
「うん!」
元気な返事を聞いて心底安心して、眩しいくらいの笑顔に負けじ笑い返した。
そうと決まれば、ミルダさんには報告しておかないと。一応国の王様を連れ出す訳だし。
と、唸っていたら、聞き覚えのある声がかけられた。
「……悩む必要はありませんよ」
声の方を向くと、壁に凭れかかって辛うじて立っているミルダさんがいた。
思わず「ミルダさん!?」ととても驚いたことは仕方ないはずだ。
ミーシャも僕と同じくそこにいたことに気づいていなかったようで、
「み、ミルダ!?」
似た反応をした。なんだか笑ってしまった。
こういうのを微笑ましいって言うんだろうな。平和な日常の中じゃなくても見られる光景。
「何を笑っているんですか。姫様を、お願いします」
「……わかりました。必ず守り通し、ここに帰ってきます!」
「絶対帰ってくるからね。それまで、待ってて」
僕たちはミルダさんの優しい微笑みに送り出され、戦場へと急いだ。
――この時、あとから聞いた話だと、レイディアが物陰に隠れていたらしい。
「行ってしまいました。あなたは一緒に行かなくて良いんですか?」
「私は単独行動中だ。それに……まだやらなければならないことがあるんでね。あと、傷は治しておいたが無茶はしないことだ。待つだけってのも大変だろうがな」
「いえ、そうでもありませんよ」
ミルダさんの傷は、僕の力だけじゃ完全ではなかったらしく、追加で治療してくれたらしい。
ーーーーーーー
かくして、今に至る。
「この魔力……奴か」
ドルグを丸焦げにしても平然とし、王国の方へと視線を移すヴァスティ。
傲慢な態度に、目の前で恩人を殺されたアイバルテイクは怒りを抑えきれない様子だった。
「ヴァスティ、貴様!」
「ガルシアの団長か。あんたの相手をするつもりは無え。それより、こんなところでモタモタしていても良いのかい?」
ヴァスティの言葉に眉をひそめるが、直後に『脳内言語伝達魔法』でアルフォンスから前線の状況が伝えられた。
天帝の使いの一人、騎士王マリアン・K・イグルスの指揮により、味方が押されていると。
「レイディアめ、何処で何をしているのか……。仕方ない、貴様を倒すのは見送ろう。だが、次は無いと思え、雷光の剣聖」
不服さ全開ながらも最後にこう言い残してアイバルテイクは味方のもとへと向かった……いや、アルマの一言感謝を述べることも忘れていなかった。
「少年、おかげで助かった。貴様も早めに退くことを進める。達者でな」
風の如く止める間もなく一瞬で行ってしまった。去り行くアイバルテイクの背中を見送り、アルマは一度ヴァスティを睨み付けた。
彼はヴァスティについて、ハクアから話を聞かされていたのだ。――奴とは戦うな、と。
素行や態度がどれだけ悪かろうとヴァスティ・ドレイユは紛れもない“剣聖”だ。何度も言い聞かされたから一字一句間違えずに覚えてしまっている。
いつものアルマなら変に反骨精神を滾らせ、ヴァスティに突っ掛かるところだが、アイバルテイクの言葉もあって素直に退くことにした。
不思議なことにヴァスティの視界にその光景は入っているだろうに、止めるでもなく声をかけるでもなく本当に無関心なのか何もしなかった。
――取り残されたヴァスティは地面に向かって声をかける。
「じいさん、何のつもりだ?」
「ハッハッハッ、バレておったか。それに、その質問はこちらがしたいですな」
地面が盛り上がって次第に人の形になり、やがてそれは死んだと思われたドルグの姿へと変わった。
実は土人形を身代わりに生き延びていたのだ。
アイバルテイクもそれに気づいたらしく、大人しく退いた理由でもある。地面の中に本体がいる、と。
「俺には決着をつけなきゃならない奴がいる。そいつが今、こっちに向かってんだ」
「確かに今のマクトレイユ殿では、いくらあなたでもあれを使わざるを得ないでしょう。それでも五分五分と言ったところかと」
容赦なく攻撃されたがドルグは怒る様子もなく、少ない言葉から意図を察して返答した。
ここでドルグは近づいてくる魔力に気づく。
「ほぉ……なるほど。あなたが気に入るわけです」
どうやら魔力でどんな人物かを見抜いたらしい。これは性格は顔に出る、に酷似しており、性格の表れが持ち主の魔力に反映されると言われる。が、ドルグのように魔力の性質だけで相手の性格、人格などを見抜くことができる人物は限られている。
世界で屈指の人数を誇る天帝騎士団でさえ、団長のバルフィリア、騎士王のマリアン、そして最後に大地の剛腕であるドルグの三人のみだ。
他にはエクシオル騎士団長のアイバルテイク、参謀のレイディアの二人と、極めて稀な観察眼の一種と言えよう。
そしてもう一人、これを身につけようとしている人物がいた……。
「ちっ」
と、ドルグの発言に不機嫌そうに舌打ちするヴァスティ。気に入っているなどと認めたくないのだろう。
「やはりあんたは嫌いだ。さっさとどっか行け、この岩石じじい」
「おやおや、酷い言われようですな。仕方ありませんね。また黒焦げにされては堪りませんからな。あなたがここにいるのなら“終わった”と言うことでしょう。ではわしはお付きの方のお相手をしましょう。それで良いですかな?」
ヴァスティが団長の命令を無視することは無いと知っているドルグは、彼がここにいるのは命令をこなし終えたからだとすぐに察した。
東西南北で攻めろとの命令。であれば、彼がいた方向に行っても既に意味を成さない。
故にドルグは提案したのだ。近づいてくる魔力は二つある。つまり二人いると言うこと。であれば片方の相手を自分がしようと。
「勝手にしやがれ」
ヴァスティの了承を聞くと、ドルグは「では、お気をつけを」と一礼してから近づく魔力の方へと歩いて行った。
それを見送り、盛大なため息をつくヴァスティ。不服そうだが同時に口角が上がっていたため、完全に機嫌が悪いわけではないようだ。
「やりにくいじいさんだ」
ぼそりと呟き、ミカヅキの到着を空を見上げながら待つことにした。
もとの容姿も相まって、その姿は絵になるほど綺麗だった。
ーーーーーーー
物凄い勢いで何かが数十メートル横を通過していった。
まるで大きなロケットが通り過ぎたような、控えめに言って尋常な規模ではなかった。
「な、なに!?」
動揺するミーシャに対して僕は冷静を保ちつつ答えた。
自分でも顔がひきつっているのがわかる。僕だって恐怖を感じてしまった。でも……、
「たぶん、アイバルテイクさんだよ。結構魔力の性質は変わっているけど、この感じは間違いない」
僕の返事に「そうなんだ……」と少し怖がるミーシャ。確かにこうなるのも無理もない。僕だって気を抜けば足が震えて倒れてしまいそうだもの。
一応この後にレイディアの後任で作戦本部についたアルフォンスさんに確認したけど、アイバルテイクさんで間違いなかった。
一緒に「(君はそのまま進んで、決着をつけてくるんだ)」とも言われた。
作戦本部に連絡もせずに行動している僕たちは独断専行と咎められても良いはずなのに、背中を押してくれたことがとてもありがたかった。
でもこれではっきりした。
この先にいるのは雷光の剣聖――ヴァスティ・ドレイユ。
オヤジの仇だ。なんて言ったら怒られるだろうな。
だから僕は仇討ちのために戦いに行くんじゃない。自分のけじめのためなんだ。
そもそも今の僕の実力で勝てるとは思えないし、悔しいけど実際その通りだ。
何しろ相手は雷光の剣聖。
剣聖についてはオヤジが死ぬ前に教えてくれた。
僕の特有魔法『知識を征す者』である程度は知っていたけど、その内容を伝えると「足りんな」と補足説明をしてくれたのだ。
――『剣聖』とは『騎士王』と並ぶほどの人望、実力など様々な条件を兼ね備えた人物がなれる称号とされる。
大体近寄ったこれらの大きな違いは、『騎士王』が周りの者によって時間をかけて選ばれるのに対して、『剣聖』は産まれた時に決まっていることである。
簡潔に例えるとすれば、生半可な覚悟では叶わないが『騎士王』はなろうと思えば誰でもなれる可能性があるもの。
対して『剣聖』はなろうと思ってもなれないものなのだ。
なぜなら『剣聖』は特有魔法にその名前を含み、更にはとある剣を使える、二つの条件を兼ね備えた人物のみが名乗ることを許されている。逆を言えば、本人の意思とは関係無しに『剣聖』になってしまうわけだ。
ヴァスティ・ドレイユの特有魔法は、マリアン以外の天帝の使いの特徴の一つで名称がそのまま二つ名として使用されている。
そう、ドルグ・ユーベストが『大地の剛腕』のように、彼の二つ名『雷光の剣聖』である。
――と、僕が聞いたのはこれくらいだ。途中で続きはまた今度って言われてオヤジは……だから最後までは聞けなかったっけ。
でも、続きらしきものは別の人から聞いたんだよな。
どうしてか理由はわからないけど、レイディアが稽古の最中にながらで教えてくれた。
「……き。……っ……ミカヅキってば!」
「えっ! なに!?」
「ボーッとして、全然返事してくれないだもん。何か考え事?」
いつの間にか目の前まで迫っていたミーシャに呼ばれて、考え事に思い切り集中しきっていたことに気づく。ごめんよ、ミーシャ。
「うん、そうなんだ、ごめん。でも、どうしたの?」
別にそんなつもりはなかったのだが、思わず尋ねてしまった。ボーッとしていた僕を心配してくれたと結論が出ているのに、何でなんだろうと首を傾げた。だけど、答えは意外のすぐにわかった。
「あの人がミカヅキに話があるって」
ミーシャの視線につられて振り向くと、そこには見覚えの無い白髪のお爺さんが立っていた。パッと見は優しそうな雰囲気の人だ。
この人は誰だ?
――天帝騎士団、天帝の使い、大地の剛腕――ドルグ・ユーベスト。
え?
え、エンペラーサスフォース!?
ん?
何で知れるんだ? 確か天帝騎士団の人たちについては一通り知ったはずなのに。
と言うか、天帝四天王の一人がどうしてこんなところにいるんだ?
じゃなくて、雷光の剣聖の前に別の天帝の使いと鉢合わせするなんて……。
不思議なのはミーシャのこの落ち着きようだ。相手が誰だか知らないからなのかな。と言うか、この距離に近づかれても気づかなかったなんて、僕はどれだけ集中してたんだよ、もう……。
と、頭の中で反省しつつ、身構えながらミーシャに密かにお爺さんが何者かを伝えた。するとまさかの返答が僕を待ち受けていた。
「――知ってるよ」
「……え?」
何だって?
今なんと申しましたかミーシャさん?
知ってるって、え、何ですって?
と現状に追い付けず混乱する僕にミーシャは屈託の無い笑みを向けて説明してくれた。
「あのおじいさんは大丈夫。敵じゃないよ。味方とは言えないけどね」
落ち着くために深呼吸すると、確かにミーシャの言う通りお爺さんから敵意や殺意は全く感じない。
だからって、そんなに安心しきって良いのだろうか?
「だけど、僕は簡単に信用できないよ……」
疑問を抱く僕にミーシャは苦笑して話を続けた。
「だっておじいさん、今はドルグ・ユーベストって言う名前だけど、本当の名前は――ベルダ・ユーレ・ファーレント。私の前の前の王様の弟だよ」
「――まさかご存じとは、お見それ致しました。わし……いえ、わたしが事実を知ったのは最近のことですがね」
ミーシャの話が聞こえたのか、そう言いながら歩み寄って来るお爺さん。棍棒を向けようとした僕を小さな手がそれを止めた。
「ミーシャ……」
「私を信じて、ミカヅキ」
真っ直ぐな瞳を向けられ、渋々武器をおさめた。
そんな僕を見て安心したのか、ミーシャは微笑んでドルグさんの方へと向きを変えた。
「でもどうしてここに来たのかはわからない。ううん、違うね。本当はわかっている。私の中のアルミリア様が言ってる。私はここにいるべきだって」
「やはり、ですか。つまりこの方が……」
一人置いてけぼりにされる僕は、全く話の内容がわからない。
どうしようかと瞬きをするくらいしかできなかった。
「今の私ならわかる。だけど……ううん、だからこそ私はミカヅキと一緒にいたいの!」
「あなたを見ているとご両親を思い出します。お二方も今のあなたのように、自分より他者のことを優先する頑固者でした。おかげで――」
完全に油断していた。警戒したままなら反応することができたかもしれないと言ったところで時既に遅し。
ドルグさんが指をくいっと上げるのに呼応して、地面が盛り上がって何かが僕を捕らえてどこかへ連れていかれた。
「ミカヅキ!?」
「ミーシャ!」
最後のミーシャの表情はとても辛そうに感じた。だから僕は安心させたくてこう叫んだ。さっきのミーシャのように微笑みながら――大丈夫だから、と。
どうやら僕を捕らえる、と言うより掴んだのは岩の拳のようだ。脱出を試みるも、これは空を飛んでいてしかもかなりの速度でかなりの高さをだ。
空飛ぶ拳からぴょこんと顔を出す僕はさぞどこかのマスコットキャラクターのように見えることだろう。
などと考える余裕があるのは、僕には空を飛ぶ手段が無いからだ。それに加えて、僕の中の何かがこのままで良いと言っていた。
目的地はわりとすぐに見えた。地面の所々が割れて、災害レベルの状態の中に一人佇む人物を僕の目は捉えた。
間違えるはずがない――雷光の剣聖、ヴァスティ・ドレイユだ。
予想通りだったらしく、岩の拳は地割れの中に僕をそっと降ろした。役目を終えた岩は粉々になって砂として地面に還った。
一騎討ちの舞台を用意した。そう考えるのが妥当だよね。
ミーシャのもとに戻ろうかと思ったけど、アルフォンスさんの言葉を思い出して踏み留まった。
すると、空から僕へと視線を移して退屈そうな表情を見せた。
「やっと来たか、ミカヅキ」
「ミーシャに指一方でも触れてみろ、僕が絶対に許さない」
「心配は無えよ。じいさんならちゃんと守るだろうよ。それに――」
……守る?
妙な言い回しに引っ掛かるも、考えている暇は無さそうだ。
バチバチと音を立てて雷を纏う。背中を向けた瞬間、終わりだと火を見るより明らかだった。
「今度は邪魔物がいないからな、確実に殺せる」
自然と拳に力が入る。それは怒りに我を忘れないように、自分への戒めだ。
目を閉じなくても、つい先ほどのことのように思い出せる。僕を庇って命を落とした師匠の最後の姿を。
「お前とは決着をつけなきゃ気が済まねぇ。今度は油断なんてしねぇ。あのじじぃみてぇに、全力でお前を――殺す!」
「僕はもう逃げない。雷光の剣聖――ヴァスティ・ドレイユ。あなたは僕が、ここで必ず倒す!」
ついに宿命の対決とも言える二人の戦いが幕を開けた。