百二回目『滅ぼされし者たち』
「グランド・インパクト」
大地の剛腕――ドルグ・ユーベストの背後に翼のように漂う四つの岩の拳。その一つが地面を思い切り殴り付けた部分から地面に亀裂が入り、轟音と共に刃の如く激しく盛り上がった。
次々と襲いかかる地面の切れ端を、アイバルテイクは悠々と跳び跳ねて術者であるドルグとの距離を詰める。
接近戦に持ち込めば、簡単には地面を操れないだろうと考えたのだ。
迫るアイバルテイクを視界に入れ、ニヤリと笑みを浮かべるドルグ。
まずいっ、と後ろに跳び退くと、数歩先で二つの岩の拳が衝突した。間一髪気付いたからこそ良かったが、あのまま進んでいればミンチになるところだった。
すぐさま確認したが、ドルグの背後の拳は四つのまま。つまり新しい岩の拳の誕生と言うわけだ。
アイバルテイクはここで、あることを思い出す。
それはドルグを表した言葉。――大地が唸ればその者あり。
これが意味するのは、大地を唸らせるのは彼だと証明しているのだ。
更にこの言葉には続きがある。
大地が唸ればその者あり、彼の者のこそ――大地なり。
この短時間でアイバルテイクは理解した。自分の前に立つのが何なのかを。
「これは……」
一旦態勢を立て直すべくドルグと距離を取り、アルマのもとまで下がった。
アルマが何をしていたかと言うと、どうやら攻撃は彼の方に集中していたらしく、それらを防ぐのでいっぱいだったようだ。
「大丈夫か?」
「こう見えてもっ、ヴィストルティだから!」
自分の周囲、半径三メートルほどの岩を吹き飛ばしながら答えた。見栄を張っているようだが、肩で呼吸をしており、限界が近いのは簡単に察した。
「仕方ないか」
と呟き、アルマの傍らに移動し、魔力を分け与えた。
「なっ」
突然の行動に本日何度目かの驚きを見せる。だが、魔力が切れかけていたのは事実で、癪に障るがちゃんと礼は言った。半ばふてくされながらだったが……。
そんな少年をふっと笑い作戦を伝えた。
「少年。同時に攻めるぞ」
「この状況下で攻めに転ずることができると!?」
確かにアルマの言うことも一理あった。
なぜなら彼らは今、籠の中の鳥も同然。地面からばかりか、前後左右からの岩の進撃を受けていた。
防ぐのに手一杯と言うことだ。
「……おや、出し惜しみするとは。少年は優秀だと思ったのだがなぁ」
明らかな挑発だろうに、アルマの眉はピクついた。
「良いでしょう、ボクは優秀だから、見せてやろうじゃないですか!」
言葉遣いもあやふやに反論するアルマ。どうやらあれがプッツンと切れてしまったらしい。
まだまだ少年だな、とアイバルテイクは聞こえないくらいの声で呟き防御に徹した。
「作戦会議は終わりましたか?」
狙ったのようなタイミングでドルグは二人に声をかけた。
返答は攻撃と言う形で返ってきた。
「グラヴィティ・インパクト!」
名を告げながら拳を正面に突き出すと、立ちはだかる盛り上がる地面が粉々に砕け散り、一本の道を作り出した。が、アルマの重力を操り生じさせた衝撃波は、ドルグの手前で岩の拳によって防がれた。
「笑止」
ドゴッとアルマの足下が僅かに盛り上がるのに、彼自身が気づいた時には既に遅し。
地面を抜け出すは岩の拳。無慈悲にアルマの身体を空中へと投げ飛ばす。
更に追い討ちをかけるは彼の周りに浮かぶ六つの岩の拳。
やってくれる、とアルマは笑みを溢す。空中なら成す術無しと判断したのだろう。
だが、アルマの特有魔法は重力を操る魔法。
空中の方が地中から不意を突かれることを気にしなくてよくなるため、彼にとってはむしろ好都合なのだ。
「一気に決める――重力新生」
瞳が青色に変わり、アルマの身体のあちこちから黒い煙のようなオーラのようなものが、まるで漏れ出すように霧散していく。
よく見ると手の部分から腕にかけて、何やら紋様らしきものが浮かび上がっている。
これこそがアルマの奥義とも言うべき魔法――『重力新生』である。
紋様が発現する約五分ほどの短い時間の間だけ、重力魔法を詠唱無しに、ほぼ無尽蔵に使用可能にするもの。だが、使用後は数日間動けなくなり、同時に全身を筋肉痛と思われる激痛に襲われるため、ハクアからはあまり使うなと忠告されていた。
だと言うのに、アイバルテイクの挑発に乗ってしまい、使ってしまったと言うわけだ。だからこそ彼はアルマに対して「まだまだ少年だな」と呟いたのだろう。
「はああぁぁぁ!!!」
空中にいるとは思えない動きで、次々と拳を打ち砕いていく。しかし残念なことに拳は砕かれる度に縮小化していき、必然的に数も増していった。
それでも粉々に塵にしてしまえば済むらしく、次第に数は減少した。
その間にアイバルテイクは正面からドルグに走った。左右が盛り上がった地面に囲まれた、アルマの作り出した道をだ。
「正面から……これは面白い。ぬんっ!」
ドルグが片足を上げてそのまま下ろし地面に僅かな衝撃を与える。本来ならば微々たるそれは何の影響も与えないが、彼ならば話は違う。
地面に発生した波紋は水面の如く周囲に拡がり、たった数秒で威力を増したそれは地震となって大地を揺らした。
「おっ、とっと」
平衡感覚が不安定になり、揺れによって立っているのもままならない。だと言うのに、アイバルテイクはそんなもの関係ないと宣言するように変わらず真っ直ぐ走った。
良く見たらアイバルテイクの足が彼自身のものではなくなっている。変質、とは少し違い、この形状は見覚えがあるもの。そう、魔神拳と似たような姿形をしているのだ。
つまり――
「やはり、貴殿は……」
ヒビが入るほど強く地面を蹴り、一気に距離を詰めて魔神の拳で自分に殴りかかるアイバルテイクに、ドルグは笑いかけた。
「魔神族の生き残り、か」
「滅ぼされた、を付けてもらおうか」
岩の拳の魔神の拳を受け止めて迷い無く口にした。アイバルテイクは険しい表情に変わり、文字通り言葉を付け加えた。
――かつて存在したと言われる魔神族。
彼らと人間の違いは、禍々しい見た目と、強靭な肉体にあった。大きさも人間より一回り以上大きい。
しかし、そんな魔神族にも弱点があった。それは至極単純な、“魔力を持たない”こと。魔法が強力な存在として認識されるこの世界では致命的で、強靭な肉体も強力な魔法の前では意味を成さなかった。
人間から恐れられた魔神族は、人間たちの手によって次第に歴史の影に消えていき、今では死に絶えたと伝えられている。
が、ドルグはアイバルテイクはその生き残りだと言ったのだ。
だがここで矛盾が生じないか。
アイバルテイクは魔法を使え、更には魔力をその身に宿している。何より見た目が普通の人間と相違無い。
ここでもう一つの疑問が生じる。なぜ、ドルグは間違いないとばかりに言葉にしたのかだ。
「違いますぞ、マクトレイユ殿。魔神族は滅んでなどいない。その証拠に、こうして二人も生きているではありませんか」
「なっ、んだと……!」
拳を止められながらアイバルテイクは、耳にした言葉に驚愕した。
ドルグがアイバルテイクを魔神族だと確信した理由は幾つか思い当たる。
『魔神拳』を使えるから。だがこれでは『魔神拳』を使えるものが限られると言えど、レイディアを含め使用できる者全てが魔神族となってしまう。
次に考えられるのは、魔神化を拳だけではなく、足にも反映させたこと。しかしそれだけで確信するまでに至るだろうか。
最後に考えられるのは――同族だからこそ、仲間の存在を感じ取った。
つまり、ドルグの“二人も”と言う言葉が指し示すのは他の誰でもない。たった一言で真実にたどり着いたからこそ、アイバルテイクは驚愕したのだ。
「貴殿と同じわしも――魔神族なんですよ」
ドルグ・ユーベストが語る真実は、あり得ないと否定したいことなれど、アイバルテイクの沈黙が事実だと証明していた。
「なるほど。では、あの時からこうなることは決まっていたのか……」
頭の中に流れる光景は、アイバルテイクがまだ幼き日のこと。
彼が如何にして騎士を志したかのきっかけである。
ーーーーーーー
遡ること三十年程前。
アイバルテイクが騎士どころか、戦いなんておとぎ話の中のことだと思っていた幼き子どもだった頃。
行商人だった父親に着いていくのが大好きで、良く他の国に商品を売りに出ていた。母は彼を産んですぐに亡くなってしまい、父親だけが唯一の肉親だったためかお父さんっ子だった。
素より人当たりの良かった少年な彼は、取引先でも気に入られ、おやつなどをもらったりしていた。商品を渡した後、帰り道でそれを父親と馬車の上で食べるのが恒例だった。
まだアインガルドス帝国が暴れ始める前の時代である。ほんの一昔前にも関わらず、今では考えられないのが実情だ。と言っても、既に不穏な動きをしているとの噂はあった。
その日もアイバルテイクは父親に連れられ、帝国へと商品を運ぶことになる。さすがに帝国は危ないと父親は止めたが、どうしてもと彼が必死にせがむので同行させてもらったのだ。
少年はこの時、妙な胸騒ぎがしていたからこそ、是が非でも着いていきたかった。自分が父親を守るのだと。
そんな彼の予感は最悪なことに的中し、帝国を目前にして盗賊たちに取り囲まれたのである。
「商品ととカネを全部置いていきなぁ。そうすりゃあ、命だけは取らねぇでいてやるからよぉ」
アイバルテイクが盗賊に抱いた印象は下品だな、と言う至極単純なものだった。だがどう思うと危機的状況には変わりない。
彼の父親はある程度の魔法なら心得ていたが、さすがに数が多すぎる。攻撃しようものなら、容赦なく返り討ちにされてお終いだろう。
対処に悩む父親を見て、どうにかしなくてはと拳を握りしめるアイバルテイク。
「おいおい、早くしろっつってんだろうがよぉ!」
業を煮やしたのか、ついに襲いかかろうとする盗賊たち。
やるしかない、そうアイバルテイクが決意した瞬間、男性の声が彼らの耳に届けられた。
「よしなさいな。子どもが怖がっているではないか」
「んだと、てめ――へ?」
帝国に続く道から歩んでくるのは一人の男性。見た目は物静かそうな印象を抱くものの、子どもながらにアイバルテイクは人生で初めてしっかりと感じ取った。
男性から放たれる、凄まじい――殺気を。
男性に威圧しながら近付いた盗賊の一人が、一瞬で消えた……いや、こう言うべきだ。飛んだ、と。
地面が突如として盛り上がり、盗賊の身は枯れ葉のようにいとも簡単に宙を舞う。訳もわからず、状況を理解することさえも時間を要した盗賊は、確実に迫る地面を見ながら悟った。
「死ぬ――」
言葉の通り、頭から落下した盗賊は、首がグキリと音を立てて曲がり即死だった。
まるでゴミを見るような目で死体となった盗賊を見下ろす男性。
「さすがは盗賊、と言うべきか。わしが誰だか知らないとは……。いやはや、子どもには少々刺激的過ぎますが、この程度ではすぐ終わりそうだ」
「てめぇみてぇな奴知るかっての!」
「おや、残念。それに無謀な攻撃ですな」
これが、これこそが、アイバルテイク・マクトレイユと、ドルグ・ユーベストの最初の邂逅である。
――男に二言は無い、とはまさにこの通りで、本当にあっさりと盗賊たちを蹴散らした。
「お怪我はありませんか?」
「え、ええ。ありがとうございます、おかげで息子共々助かりました。今の魔法……失礼ながら、もしやあなたは、あの大地の剛腕ドルグ・ユーベストさんですか?」
「礼には及びません、当然のことをしたまでです。確かに、今はそう呼ばれています。……では、わたしはこれで失礼します」
ドルグはほんの数秒だけアイバルテイクの顔を覗き込んでから、その場を立ち去ろうと背中を向けた。
しかし、その足は歩みを止めることなる。なぜなら、
「おじさん!」
「何かね、少年」
「おじさんは、何者なの?」
「……」
振り向きながら返事したドルグは、少年の問いに呆気に取られたかと思いきや、ふっと吹き出した。
「ハハハッ、愉快なことを。いや、すまない。あまりにも面白いことを訊かれたものでね。私はアインガルドス帝国の騎士団、天帝騎士団四天王の一角、大地の剛腕――ドルグ・ユーベスト。少年、君は騎士になると良い。君なら必ず良い騎士になるだろう」
「騎士?」
「そうだ。大切なものを守る人のことだよ」
父親の前で勧誘するのは良くないですな、と付け加えて今度こそ立ち去った。
ドルグは恐らく、アイバルテイクが飛び出して盗賊たちに立ち向かおうとしていたことを見抜いていたのだろう。
父親を“守る”ために。だからあえてその言葉を用いて騎士について説明したのだ、と少年は考えた。
そして、おじさんのような強い騎士になることを目標に、父親に背中を押されアイバルテイクは門を叩いた。
ーーーーーーー
今ならわかる。あの時既に、自分が魔神族であることすら見抜いていたのだろうな、と。
だが疑問に思うのは、ドルグほどの人物なら、こうなることを予想できたはず。ならば敵に塩を送るようなことをしたのはなぜなのだろうか?
「強くなられました。ですが、まだこれでは、わしは倒せませんよ」
左右から岩の拳がアイバルテイクを挟むべく勢い良く迫り来る。鍔迫り合いの如く拳交わる中、腕の力を少し緩めることで押される力を利用して一回転しながら後ろへと移動する。回転しきるまでに岩の拳に、自身の拳に纏う『魔神拳』をそれぞれ打ち放った。
二つの岩の拳は砕け散るが、回転し終えたアイバルテイクの頭上からもう一つの岩の拳が迫っていた。が、彼は気付いていないのか見向きをしない。
ぶつかる、そう思われたが、アイバルテイクの頭上数センチの位置で動きを止めた。
「ったく、避けるくらいしろよな」
直後に悪態つきながら隣に降りるアルマ。どうやら彼の重力魔法によるものらしい。
「あの数を切り抜けるとは、かなりの腕のようですね」
「良く言うよ、じいさん。全然本気だしてないくせに」
「何だ少年、ちゃんと見抜いていたのか」
「良い度胸だな団長さん。僕はこれでも二番目か三番目に強いんだぞ。だから、このじいさんの次はあなたを倒す」
アルマの様子からして『重力新生』は終わっているように見えるが、アイバルテイクが予想していた反動は無いようだ。
だが実際はかなりきつい状態である。思った以上に岩の猛攻が激しく、アイバルテイクとドルグが会話している最中も攻防を繰り返して魔力も体力も長くは保ちそうに無かった。
しかしそんな弱気な部分を見せるほど、この少年は素直でもない。
少々子どもっぽいところがあるが故に、アイバルテイクとドルグは微笑ましく思う。若い世代は、確実に育っているのだと。
ならばと対抗してしまうのが、男の性、本能と言うものだ。
つまりそれは――
「マクトレイユ殿……」
「ユーベストさん……」
「「本気で戦おう」」
宣言した後、魔力を高める二人に対して、ありかよ、とアルマはため息を漏らす。
濃密度の魔力の収束によって風を生じさせる二人。
苦笑してしまうほどの化け物じみた彼らを近くで目の当たりにし、これ以上は邪魔になってしまうとアルマは判断した。
決断するやすぐに行動に移し距離を取って、補助をする側に回った。もし二人の邪魔をする者が現れれば、自分が対処しようと言うのだ。
まぁ、この光景を見て、近寄ろうとする者がいるかどうかだが……。
アルマの判断は間違っていないのだろう。
なぜなら、これから始まろうとしているのは、魔神対剛腕の戦いなのだから。