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ハニー・ブラウンにおまかせ☆ ~ロマンスは扉の向こうから~  作者: 凪森
第2章 ガトーショコラとハニーブラウン
7/22

2-3



「ふうん。それで君はそのケーキと大事な日記を追いかけて、ガーデンまでやってきたわけ」


 管理局から出て、仕事を終えたコンラートと一緒にノエルたちはイルミネーションの華やかな夜の通りを歩いていた。無事リュシアンのペットとしてIDを登録した帰りである。

 ちなみに名前はコンラートの提案どおり、ハニーブラウンとなった。


 あのあと、まだ仕事中だというコンラートを残してリュシアンはさっさと管理局へ向かい、つい先ほど外で待っていた彼と合流したのだ。下界生まれのペット登録には、対象動物の健康診断(メディカルチェック)と各種のワクチン接種が義務づけられており、思いのほか時間をくってしまって、すべての手続きがすんだ頃にはすっかり日が暮れていた。


「で、さっきの子供たちにケーキは食べられ、日記もまた持っていかれてしまったと」


 そりゃ災難だったね、とコンラートは笑った。

 ノエルはリュシアンのポケットのなかでしゅんとうなだれた。


 その首には細いシルバーの首輪がついている。生まれて初めて持ったIDは動物ゆえに首輪タイプだった。

 人間用のIDは生まれてすぐ体に埋めこまれ、取り外せないよう転化(チェンジ)の力で肉体と同化されるらしいが、動物はそこまでしないようだった。

 成長に合わせて伸縮する造りになっているものの、不法投棄防止のため取り外せないようになっており、鍵は管理局が保管するという。


「すみません、リュシアンさん。ケーキは取り戻せないうえ、ペット登録までするはめになってしまって……でもあの、本当によかったんですか? 下界に戻すことだってできたのに」


 ノエルには彼の考えていることが、先ほど以上によくわからなくなっていた。

 人のものを奪っていった少年たちが気に喰わないというくせに、その品が彼らに食べられてしまっていたと知っても、彼は怒りもしなかった。捕まえることにもさほど熱心ではないようだし、なにを思って自分に手を貸してくれるのか見当がつかない。


 一番わからないのは日記のことを知った彼が「どうせクビになるなら取り戻すまでいればいい」と言って、当初の予定通りノエルのID登録をすませてしまったことだ。

 彼が取り返すべき商品が失われてしまったいま、ふつうならノエルを下界に戻して代わりの品を持ってこさせるなり、注文自体を取り消して料金の返済を求めるなりするはずだ。

 なのにリュシアンはそういった話をいっさいしない。


「おまえは日記を取り戻したくないのか?」


 ノエルの問いにリュシアンは問いで返してきた。


「それは……取り戻したいですけど」


 日記は取り返したい。そう思うのは本当だ。

 でもこれはリュシアンとはなんの関係もないはずのことだ。ただでさえ迷惑をかけているのに、まったく無関係のことで彼の手を煩わせてしまっていいのだろうか。

 歯切れの悪い答えにリュシアンは苛立った様子でさらに問う。


「必要な助けを提供してやると言っている。だがおまえは受けようとしない。つまりなんだ。おまえには俺が性質(たち)の悪いセールスにでも見えるわけか?」

「まさか! そんなわけないじゃないですかっ」


 ノエルは真っ青になって否定した。


「リュシアンさんにはとても感謝しているんですっ……わたしはただ、迷惑なんじゃないかってことが心配で……」

「別にそんなに悩まなくていいんじゃないの? 先生はやりたくてやってるんだからさ」


 話をするうちノエルより二つ年上と判明したコンラートが、年の近さからか気安い口調で口を挟む。

 その彼が敬語を使うリュシアンはさらに三つ上、今年で二十一ということだ。

 若いのに「先生」と呼ばれる理由は彼がマナの研究者だからだそうで。


「要するに実験みたいなものさ。研究者特有の探究心が疼いたってところかな」

「探究心?」

「先生はたしかに甘いもの好きだ。でもわざわざ追いかけて取り返すなんて面倒なこと、この人はしないよ。そりゃあもう、ものすごい面倒臭がり屋なんだから。はじめから先生はケーキじゃなくて、君を助けることが目的だったんだろ」

「あの……よくわかりません。わたしを助けるって、なんで」

「君が頑張ってたからじゃないの? だから手を貸してみたくなった」

「頑張る……?」


 コンラートはに、と笑みを浮かべた。


下層階級(ロークラス)中層階級(ミドルクラス)を追いかけまわすなんて面白いじゃないか。どんな結果になるのか僕でも気になるよ。それに先生は少し、下界びいきなところがあるからね」


 彼は最後の言葉に軽く片目をつぶってみせた。


「それより、どうせ心配するなら大事な日記の方を心配したら? もしかしたらいまごろ燃やされちゃってるかもしれないし、どこかのダストボックスに放りこまれちゃってるかもしれない。そうだったら探すのはほぼ不可能だよ?」

「うっ……たしかに」


 ノエルは想像して、不安にとらわれた。コンラートはさらにつづける。


「万一捨てられてなかったとしても、びりびりに破かれちゃってるかもしれないし、思いっきりいたずら書きをされてるかもしれない。そんな状態で戻ってきたとして、君は嬉しい?」

「そ、それはいや……です」


 ノエルは頭を抱えた。そんな可能性、思いつきもしなかった。


「ああ、そうだ。最近は下界のものが流行ってるから、場合によっては売人の手に渡って、君には想像もつかない値段で取引されているかもしれない。それでもし大金持ちの誰かがその日記を購入したとして、君にそれを買い戻せるかな?」

「むむむ、無理です! そんな……」


 コンラートは大仰に頷いた。青い瞳が嬉々として輝く。


「そうだね。でもまだあるよ。たとえばその日記にガーデンの人間や市政に対する批判が書いてあったとしよう。それを読んだ者はきっと怒るはずだ。ガーデンの人間はたいていプライドが高いからね。下界に対しては特にそう。そしてその怒れる市民が、怒りのままに市議会にその日記を送りつけてしまったとしよう。やっぱり怒った議会は、これを好機に前々より不満のあった下層民保護条例の撤廃にかかって――」

「おい」


 うんざりしたリュシアンの声が話をさえぎった。彼は隣を歩くコンラートを睨みつけた。


「必要以上に怖がらせるな。相変わらず悪趣味なやつだなおまえは」


 コンラートは肩をすくめてみせた。


「やだなあ先生。僕はあくまで可能性としてありうることを、前もって彼女に教えてあげているだけですよ。親切心です。備えあれば憂いなしっていうじゃないですか。心の準備だって万端でないと」

「だったらその嬉しそうな顔はなんだ」

「だって彼女、反応がいちいち面白くて」


 たまらない、という顔で彼はノエルを見た。

 当のノエルはコンラートの言葉に思考を奪われ、二人の会話など耳に入っていなかった。その頭をリュシアンの人差し指がぴん、と小突く。


「おい、勝手にひとりで悲観するな。こいつの言ったことはたしかにありうることだが、可能性としては低い」

「え……? そうなんですか!?」


 ノエルがばっと顔を上げると、仕方ないといったふうにリュシアンは説明した。


「ミドルクラスのあいだで下界のものが流行っているのは事実だ。それが波及してガキどもの遊びが生まれた。だがただの遊びでもない。それはグループ同士の争いでもあるんだ。より多く、より価値あるものを、やつらは集めようとする。つまり奪ったものは戦利品だ。そう簡単には捨てない」


 なかにはコンラートの言うとおり売ってしまうやつもいるかもしれないが、とリュシアンはつけ加えた。


「その場合でも大した値段にはならないから安心しろ」

「は……はいっ」


 ノエルはようやく希望が湧いてきた。自然、口元がほころぶ。


「といってもそれは先生の金銭感覚で、ってことだけど」

「え!?」


 コンラートのにこやかに補足に浮上しかけていた気持ちがまた揺らぐ。

 そんなふうに言うということは、リュシアンは金遣いが荒い方なのだろうか。

 だがロミスではたいていケーキを二、三個買うくらいで、他の客のように大量注文してみたり、全種類買ってみたりというようなことは一度もない。


(でも研究者で先生なんて呼ばれてるってことは……もしかしたら結構すごい人で、お金もたくさん持ってて、家とかポンポン買えちゃったりとかしてて…………だとしたら、そういう人の言う『大した値段じゃない』って、どれくらいだろう!?)


 くっくっく、と隣からくぐもった笑い声が聞こえてきた。


「ああ、君は本当に面白いね! 一喜一憂するさまがネズミの姿でもよくわかるよ!」

「…………あの。もしかして、からかってますか?」


 満足げなコンラートの表情に、ノエルはようやく自分が遊ばれていたらしいことに気づいた。


「ふふ。脅かしてごめんね。あんまり君が面白いからさ……ところで、くだんの子供たちなら僕も何度か職場で見かけてるし、面白そうだから手伝ってあげるよ」

「えっ!? い、いいんですか……?」

「うん。今日はもう暗くなっちゃったし、そろそろ上へのゲートが閉まる時間だから無理だけど、明日一緒に探しに行こう」

「明日? 待ってください……じゃあ、いまはどこに向かってるんですか? わたしはてっきりゲートの通過記録を調べに行くところだと……」

「うん。そういったデータなら先生の家の端末が一番だろうね。速いし正確だしよけいな制限もかからないから」

「リュシアンさんの家……?」


 ノエルは黙ったきりのリュシアンを仰いだ。

 よくわからないが、彼の家に行けばゲートの通過記録が見られるらしい。

 マナの研究者だとそういうこともできてしまうのだろうか。


「あの、それじゃあ上へのゲートって……?」

「もちろん上へ行くためのゲートだよ。中層から上層への出入りは時間が決められているからね。ゲートが閉まる前に帰らないと」

「上層……って、コンラートさんは上層に住んでるんですか!?」

「いや、僕じゃなくて先生ね」

「え……リュシアンさんてミドルクラスの人じゃ……?」

「違うよ。以前住んでたこともあったけど。いまは最高層(ヘブン)に住んでるんだ」

「ヘブン!」


 ノエルの声はひっくり返った。


(そそ、それって、かなりすごいことなんじゃ……? さっき一部の能力者とかしか住めないって……それに身分と階層は比例するわけで、そのなかで一番上の層にいるってことは……)


 リュシアンとはいったい何者なのだろう。知れば知るほどわからなくなってくる。


「つまり君は下層民にして、この都市のすべての階層を知るわけだ。そんな子、二人といないだろうなあ。じっくり堪能してくるといいよ。ヘブンから眺める夜景は最高らしいから」


 コンラートが陽気にそんな助言をする。その言葉にノエルは遅れてはっとした。

 いつのまにか、今夜はリュシアンの家に泊めてもらうという流れができていた。


(え、でも待って。たしか日記が見つかるまでいればいいって……それじゃあ)


 今夜だけじゃ、ない……?

 気づいたとたん、ノエルは緊張した。なにも言わないリュシアンが急に存在感を増す。

 ノエルはポケットのなかでかちこちに固まった。そのようすを見ていたコンラートがにやりと笑い、最後の爆弾を投下した。


「ああ、そうそう。ちなみに先生は一人暮らしだから。よかったね。あまり気を遣わなくてすむだろう?」


 のんきそうな笑顔が、そのときばかりは悪魔みたいに見えたのだった。




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