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ハニー・ブラウンにおまかせ☆ ~ロマンスは扉の向こうから~  作者: 凪森
第1章 園(ガーデン)は突然に
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1-3



 リュシアンはノエルをポケットに隠すと、堂々とゲートへ向かった。

 幸い門番からはパラソル等で死角になっていたし、距離もあるので会話も聞こえていないはずだ。


 ポケットのなかでやわらかい生地に挟まれながら、ノエルは身を縮めた。長いヒゲが折られて頬のあたりが変な感じがする。

 手助けしてくれるためとはいえ、突然ネズミにされてしまったことは少なからずショックだった。


 茶色い毛並みということはおそらく、ごみ置き場などでよく見かける残飯あさりに夢中なあのたぐいのネズミなのだろう。

 どうせなるならリルの髪みたいにきれいな金色の毛のネズミがよかった……と思ったが、そんな生きものは存在しないし、そもそも自分は文句を言える立場ではない。


 ノエルは下層民でリュシアンはガーデンの人間、そのうえ能力者なのだ。

 そしてノエルのミスによって損害をこうむっている。


(そうだよ……どんな姿であれガーデンに入れるんだから感謝しなくちゃ)


 考えてみればかなりすごいことだ。IDのない自分がガーデンに行く。

 店長が聞いたら目を剥いて驚くだろう。いつか中層に店を持ちたいと思っている人だから、なにがあったとかどんなとこだったとか、いろいろ訊かれるかもしれない。


(うん。これはしっかり見とかなきゃ……!)


「――確認完了。ゲートを開きます」


 すぐ近くで門番の声がした。とうとうゲートを越えるらしい。無意識に体が強張る。

 リュシアンが動いて、頭上の景色がさっと流れ、ノエルは揺らめく淡い七色の光を見た。

 そして一瞬の浮遊感のあと、その美しい光は消え失せた。


「もういいぞ」


 感動する間もないほどあっけなく、ノエルはガーデンへ来てしまった。

 リュシアンがポケットからつまみあげ、手のひらに載せてくれる。

 あたりを見回し、ノエルは何度か瞬いた。

 そこは四方をシルバーの硬そうな壁に阻まれた、なにもない小さな四角い部屋だった。


「えっと……ここはどこですか……?」

「滅菌室だ」

「滅菌?」


 いったいなんの、と口を開きかけたとき、すさまじい噴射音がして天井から白い水蒸気が吐き出されてきた。


「ひゃあっ!」


 冷たいそれをまともに浴び、驚いてノエルはリュシアンの指にしがみついた。思わず爪をたててしまったが、特に彼は怒らなかった。


「怖がるな。ただの消毒噴射だ。下界の菌を持ちこまないよう、帰還時には自動的にここへ飛ぶよう設定されている。問題がないか全てのチェックがすむまで二、三分……いつも思うが面倒なシステムだな」


 ノエルの方は見ず、リュシアンはフンと軽く鼻を鳴らした。ノエルは彼の指から手を離し、ほっと息をついた。霧状の消毒薬はゆっくりと部屋を埋めつくしていく。


(下界の菌……か)


 しくりと胸が小さく疼いた。

 急に、ノエルはリュシアンの手のひらの上にいることが落ち着かなくなった。そっと顔を上げて相手を見るが、彼はまったくこちらなど気にしていない様子で前方の壁を見つめている。

 ノエルは気持ちを切り替えるとリュシアンに問いかけた。


「あの、ところでどうやって子供たちを捜せばいいんでしょう?」


 このまま二、三分黙っているのも気まずい。とりあえず気になっていたことを訊ねてみる。


「ゲートの通行記録を見ればいい」

「通行記録?」

「利用者のIDはすべてチェックされている。それを見ればどこの誰かはすぐわかる」

「へえ……IDって、そんなこともわかってしまうんですか」


 ノエルにはただ、体に埋めこむ名札のようなものでガーデンにあがるために必要なもの、ぐらいの認識しかなかった。

 移住に興味がなかったからだ。叶うはずもないことに夢は見ない。

 ノエルの給料では日々食べていくのに精いっぱいで、IDを買う余裕なんてまったくない。

 それに移住にはミドルクラスの人間の紹介が必須だし、IDとは別に移り住んだあとの生活資金だって用意しておかなければならない。

 ふつうの下層民にはとうてい不可能なことばかり。


「ふん……それだけではない。管理局の照会システムにかければ住所に経歴、いま現在どこにいるかだってさぐりだせる。見えない鎖みたいなものだな」

「えっ、じゃあすぐ居場所がわかるんですね! よかった……それなら簡単に解決できそうですね」


 喜ぶノエルをリュシアンは一瞥した。


「誰もそこまでやるとは言っていない」

「へ?」

「管理局のシステムは権限のない者はいじれない。やれないこともないが、面倒だ」

「え、じゃあ……」

「どこの誰かがわかればじゅうぶんだろう。あとはおまえの鼻を使え」

「鼻?」

「匂いをたどればいい。できるだろう、いまのおまえは立派なネズミだ」

「………あの、それはいくらなんでも」


 無理なんじゃ……という言葉は尻すぼみになった。、相手はまじめな顔をしている。


(まさか……本気?)


 ノエルはタワーの屋上から見たガーデンの姿を思いだしてみた。

 あの巨大な都市のなかを、小指の先ほどもないネズミの鼻で捜して歩く? 人間の一歩はいったいネズミの何歩で―――。

 怒らせないよう、低姿勢からノエルは反論を試みた。


「ですけどその、リュシアンさん。わたしにはあの子供たちの匂いがわからないです。ほら、ケーキを盗られたときはわたし、ネズミじゃなかったわけで……」

「なら人に訊くんだな」


 あっさりと彼はその手段を放棄した。ノエルは拍子抜けし、それから相手の投げやりな口調に困惑した。

 協力はしてくれるが、彼自身は別にケーキも子供たちもどうでもいいような言い方だ。

 だとしたら彼がどういうつもりで手伝ってくれているのか、ノエルにはさっぱりわからない。


(でも、もとからリュシアンさんて得体の知れない人だったし……なんでいつも黒づくめなのかとか、なんでロミスのケーキばかり買うのかとか……)


 わかってるのは偏屈だってことくらいで。


「あの、やっぱり照会システムを利用するというおつもりは……」

「ない」


 気持ちいいくらいきっぱりとした答えが返ってきた。

 自分のためにリュシアンに罪を犯させるわけにもいかず、ノエルは素直に諦めた。


「ですが人に訊くって……ネズミの話を聞いてもらえるんでしょうか? ふつうネズミは話さないもので、声をかけたら驚かれるか逃げられるか―――って、あれ?」


 いまさらながらに、ノエルはリュシアンと会話していることの異常さに気がついた。


「え……なんでわたし、話せてるんですか?」

「ふつう動物は話せないものだが話すようにはできる。だからネズミが話しても変ではない」


 つまり、これもマナの力による奇跡ということらしい。


「そうですか……なら時間はかかりそうですけど、地道に訊いて回るしかないってことですね。わかりました。わたし、頑張ります」


 覚悟を決めてそう宣言する。するとリュシアンが不思議そうな目をして訊いてきた。


「……どうして追いかけてきた」

「はい?」

「ふつうは諦めるのに…………なぜあいつらを追いかけていた?」


 鋭くない、純粋な興味のまなざしを向けられ、ノエルはどきりとした。

 こんなふうに穏やかな表情もできるのかと、新鮮な驚きに襲われた。


 配達で顔をあわせるたび、いつも不機嫌な人だなと思っていた。

 はじめて届けにいったときなど粗相のないよう、精いっぱいの営業スマイルと礼儀で臨み、結果「店員の愛想は注文していない」とうっとうしがられた。

 以来、なんとなくノエルはこの人が苦手だった。どう接していいのかわからなかったのだ。

 どう接しても、彼は不機嫌であったので。


(でもこの人のはわたしが下層民だからとか、そういうのじゃない気がして……)


 もしかして本当はやさしい人なのだろうか。いまこうして協力してくれているのも―――なんだか背中がむずがゆくなり、ノエルはまごついた。


「えっと、それは……今度盗られたらクビ、だったので……」

「今度、ということは前にもあったということか?」

「う。はあ……二回ほど」

「二回? ではこれで三度目か。あきれたやつだな。学習能力がないのかおまえは?」


 遠慮のない彼の言葉は、リルより数倍破壊力があった。

 そのとき、部屋を埋めていた霧が急に四隅へ吸いこまれていった。


『滅菌作業終了しました。ID認証に移ります』


 無機質なコンピューターの声が響く。左右の壁から赤いセンサーの光がいくつも伸びて、床から天井に向かって昇ってくる。

 ノエルは急に不安になった。


「リュシアンさん。あの、ID認証って……わたし大丈夫なんですか?」

「こちらのIDに反応して自動で照合するだけだ。なければ素通りしていく」


 彼の言うとおり、センサーはなにごともなく天井まで到達して消え、「認証完了」というアナウンスが流れた。ノエルはほっと胸をなでおろした。


『ゲートのご利用をありがとうございました。出口へお進みくださ――』


 案内は途中でいきなり甲高い警報音にさえぎられた。


(な、なにっ……!?)


「なんだ?」


 怯えるノエルとは逆に、リュシアンは大して動じたようすもなく、あたりを見回す。

 ブン、とマシンが唸る音がして、目の前に白い詰襟制服を着た男性係員の映像が映った。

 と、同時に警報が止む。


『ヴィノー様、お引き止めして申しわけございません。未登録生体反応が出たためID管理局よりチェックが入ります』


 宙に映し出された映像のなかで、係員はリュシアンの手のなかのノエルに視線を移した。またしてもノエルは緊張でかたまった。先ほどとは比にならない不安がこみあげてくる。


『そちらの生物はペットになさるおつもりですか?』


 係員の笑顔がノエルには悪魔の微笑みに見えた。リュシアンはノエルを見下ろし、ふとまじめに考えてしまったらしかった。


「……いや?」


 素直な答えを返した相手に、ノエルの背筋が凍りつく。


『ではこちらで処分させていただくことになりますが、よろしいですか?』


「い、いやーーーーっ!!」


 ノエルは無我夢中でリュシアンの腕を駆け上がり、肩を越えて首のうしろへ隠れこんだ。


(処分て……処分て……殺されるってことだよね!?)


 ノエルの脳裏で無理やり薬を飲まされる光景やら、太い注射を打たれる光景やらが展開する。


(ううん、ネズミなんかに薬は使わないかも。もっと適当に……首の骨折ったりそのまま焼却炉に放りこんだり……)


 想像してさらに血の気がひいた。


「待て……とりあえず今日は俺が連れて行く」


 さらさらしたまっすぐなリュシアンの髪につかまって震えていると、小さなため息のあとにしっかりした声がそう言った。


『では登録手続きをしていただくことになりますので、最寄りの管理局までお越しください』

「いや、IDなら自分でつけるが……」

『申しわけございませんが、今週より下界からの持ちこみ生物に関しては規定が変更されております。従来の市販ペットIDはお使いになれません。特殊IDになるため飼い主ご本人様に来ていただく必要があるのです』

「……面倒だな」


 リュシアンの声が不機嫌なトーンになった。


『申しわけございません。特に今月は取締強化月間となっておりまして、お客様にはご迷惑をおかけしております』

「……わかった。これから向かう」

『ありがとうございます。お待ちしております』


 係員は丁寧な物腰で頭を下げ、そのまま映像は閉じられた。

 チ、と舌打ちが聞こえた。ノエルの身がすくむ。


「よけいなところばかりシステム強化をするやつらだ……これもあの事件の影響か」


 なにごとかを呟くリュシアンに、ノエルは勇気を出して声をかけた。


「あ、あのリュシアンさん」


 また一つ迷惑をかけてしまったことに猛烈な引け目を感じ、とにかく詫びようと思った。

 だが彼はノエルを安心させるように言った。


「心配するな。殺されはしない。多少、寄り道するはめにはなったが、おかげで堂々とガーデンにいられる。まあ、結果オーライだと考えろ」

「いえ、そうじゃなくてあの……」


 怒って、ないのだろうか。

 ノエルはとまどい、彼の肩口へまわって表情をたしかめようとした。そのときガコンと重い音がして、前方の壁が上下に開いていった。


「いくぞ。落ちないよう、しっかりつかまっていろ」


 リュシアンはそれだけ言い、出口に向かって歩きだした。




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