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ハニー・ブラウンにおまかせ☆ ~ロマンスは扉の向こうから~  作者: 凪森
第1章 園(ガーデン)は突然に
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1-2



 東、南、西の三館が集まって凹形をしたタワーの屋上はかなり広く、ぐるりと一周するのに最低二十分ほどはかかる。

 東と西は広場のようになっているが、ゲートのある南館(プラザサウス)のあたりは中央に噴水が置かれ、その周りを花壇やベンチが迷路のように取り囲んでいる。


 ノエルは何度もそれらにぶつかりそうになりながら、少年たちを追いかけた。

 だが小柄で身軽な彼らは器用に障害物をすりぬけ、ゲートの方へ逃げていく。


「お願いですっ……返してください! ケーキもだけど、鞄には大事な日記が……っ」


 母の日記が入っているのだ。

 たった一つ手元に残った、大切な形見が。

 だがもちろん少年たちの足は止まらなかった。


 噴水の脇をつっきり、塔の南端、アーチ型のゲートへとたどり着く。

 高さが大人の背丈二倍以上もあり、幅も五人並んで悠々と通れる大きな門だ。

 両開きの重そうな銀色の扉の脇には、男性の門番が二人、立っている。

 三つの影がその門番と二、三言、言葉を交わす。


「うそ……待って!」


 ノエルの声に少年たちが勝ち誇った表情で振り返る。

 門番が重そうな扉を軽々と手前に開いていく。その先に景色はない。

 さまざまな色彩の光を放つ、水面のようななにかが揺らめいているだけだ。

 そしてそのなかへ、三つの小さな背は飛びこんでいった。


「あ……!」


 ようやくゲートの前まで追いついても、もう遅い。

 よろけるようにして足を止めたノエルを、白い詰襟制服の門番が感情のこもらない瞳で見つめた。

 IDがあるか確認しているのだ。


 彼らは人間ではなく、瞳にIDセンサーを内蔵した自動人形(オートドール)だ。

 ガーデンへ道が通じている朝から日没までのあいだ、ゲートを守っている。

 感情を持たず、設定された命令だけを実行し、IDのある者以外には決して扉を開かない優秀な門番だ。

 無理に彼らドールの制止を振り切ろうとすれば、ためらいなく発砲される。


 ノエルを下層民と識別した門番は再びわずかの隙間もなく、扉を閉ざした。

 それから固く、無機質な声で立ち去るよう、ノエルに促した。

 呆然としたまま踵を返し、ノエルはふらふらと来た道を戻った。

 すぐには思考がうまく働かなかった。


(どうしよう……ゲート、越えられちゃった…………もう、ほんとどんくさい……ぼうっと考えごとなんかしてたから……こんなんじゃリルにまたあきれられて――)


 いや、それよりもお店をクビだ。これからどうやって生きていこう。

 安定した職などない上に、誰もが働き口を探している下界ではすぐに代わりの仕事をみつけるなど不可能に近い。

 ロミスはもともと母が働いていた店だったから、雇ってもらえたのだ。


(……おかあさん……お母さんの日記ももってかれちゃったよ……)


 あの鞄にお金なんか大して入っていないというのに。

 彼らにとっては遊びだから、対象は何でもいいのだろうか。


(じゃあきっと中身を見たら捨てられちゃうね……)


 鞄に少年たちの気を引きそうなものはなにもない。

 ケーキは食べられ、ノエルの全財産はガーデンの路上でごみとなるのだろう。なにもかも自分の不注意のせいだ。

 ノエルはうなだれ、店へ戻るべく噴水の脇を東館(プラザイースト)の方へのろのろと進んだ。

 そのとき。


「諦めるのか?」


 すぐ前方から低い声がして、ノエルは顔を上げた。

 近くのベンチから、黒いコートを着た男が立ちあがる。


 前髪と襟足だけ不揃いに長い黒髪と、こちらを見下ろす黒い瞳のきついまなざし。

 端整な顔立ちはどこか不機嫌そうで―――いや、この人はいつもそうだっけ。


 リュシアン・ヴィノー。ロミスの若い、常連客。


「あ……」


 相手が誰だか気づいた直後、ノエルの体は硬直した。


(……そうだ、まずはお客さまに謝らなきゃ!)


 しかも相手はあの偏屈男だ。ノエルはあわてて頭を下げた。


「あのっ……リュシアンさん、すみません! ご注文の品をもっていかれてしまって……でもその、すぐお店からまた取ってくるのでっ」


 店は閉めてもたぶんまだ残った商品があるはずだ。売れ残りというと聞こえは悪いが、ケーキ自体に問題はないし……だがそこでノエルは最悪の可能性に思いいたった。


(あ……でも店員の子たちでもうわけちゃってるかも! みんな楽しみにしてるから……っ)


 急いで戻らなければすべてリルたちのお腹におさまってしまう。

 代わりの品がないなんて事態はなんとしても避けたい。だが焦るノエルの言葉を完璧に無視して、リュシアンは言った。


「諦めるのかと訊いている」

「え? あの……」


 ノエルはなにを言われているのかわからず、相手を見上げた。

 もともと背の低いノエルと長身のリュシアンでは身長の差がかなりある。

 それだけに不機嫌そうな顔で見下ろされると威圧感も増し、よけいに緊張した。


「せっかく門まで追って来たんだろう。簡単に諦めていいのか?」


 リュシアンはコートのポケットに両手を入れ、視線でだいぶ後ろに離れたゲートを示した。

 なにを言いだすのだろうこの人は、とノエルは思った。

 下層民にIDがないことも、IDがなければゲートは越えられないことも、彼は当然知っているはずだ。

 それとも彼はドールに撃たれて死ねと言っているのだろうか。


(もしかしてケーキを持っていかれてしまったから? それで怒ってる!?)


 嫌な動悸がノエルを襲った。


「あの、でも……わたしにゲートは越えられませんし……」

「手伝ってやってもいい」

「へっ?」


 予期せぬ申し出にノエルの声が裏返る。リュシアンはそれにむっとしたようだった。


「いちいち訊き返すな。おまえの耳は節穴か? あのガキどもを追う手助けをしてやると言っているんだ」

「で、でも……どうしてですか?」


 ガーデンの人間が下層民のために動くなど、にわかには信じられない。

 するとリュシアンはすっと目を細めてノエルを見た。とたん、心臓が跳ね上がる。


「あいつらが持っていったのは俺が注文していたケーキだ」

「は、はい……!」

「つまり俺のケーキだ」

「えっと……はい」

「俺のものを盗むなど気に食わん」


 ノエルは納得した。

 彼はあの子供たちと同じガーデンの人間だ。身分は同等。

 自分が購入したものを奪っていかれたら腹も立つだろう。


(でもふつうは……わたしの方に怒るものじゃないのかな……?)


 そもそもこれはノエルのミスだ。

 ミドルクラスの人間じゃなくてもそうするのが当然のはず。


(それとも、自分で品物を取り返して責任を取れってこと……?)


 だとしたらノエルは従わねばならない。

 それにもし彼が手を貸してくれるのなら、母の形見も取り戻せるかもしれない……多少の疑問は残るものの、ノエルはやる気になった。


「わかりました。でも、どうやって助けていただけるのでしょうか? 門番はわたしには扉を開いてくれないと思いますし……それにIDのない人間が都市に入って大丈夫なのでしょうか……? いきなり撃ち殺されたりとか……し、しないですよね?」

「ふん……そうだな」


 リュシアンは切れ長の目を細め、しばし考えた。

 そしてなにかひらめいたところでコートのポケットから右手を出した。

 そこにしている腕時計らしきものを左手でいじると、小さく水色の光の文字盤が浮き上がる。彼は器用にそれを操作した。


 小型の通信装置だろうかとノエルは思った。

 ミドルクラスの人間はよくブレスレット型のものを持っていて、それでメールしたり会話したり、調べものをしたりしている。 スケジュール管理に支払い機能、(キー)にもなるすぐれものなのだとか。


『オート……ジ・マンカラ……ス・ニ・アミカエ』


 聞きとりづらいマシンの声がなにごとかを告げると、リュシアンは操作を終えた。


「動くなよ」


 短く命じ、彼は一歩、歩み寄ってきた。なにをされるのかとノエルは身構えた。


実行(ラン)


(え……?)


 低い声が宣言した直後、ノエルの脳裏を金の光がうめつくした。

 何本もの光の帯が、それぞれ好き勝手な方向に流れながら自分を中心に渦を巻いている。そんな光景が目に浮かぶ。


(な……なにこれっ……文字……!?)


 回転する光の帯は記号の列のようなものでできている。その金色の記号はところどころでくるくると入れ替わったり別の形に変化したりして、そのたびにまばゆい光を放っていた。

 その美しい光景に思わず見とれていると、ふいに体に変化が生じた。


 平衡感覚が薄れ、手足や胴体がさらさらと空中に散っていくような妙な感覚に襲われる。

 まるで水を吸った砂糖菓子みたいに、脆く崩れ去るような―――自分の体を見下ろしたノエルはぎょっとした。

 映りの悪いテレビのヴィジョンみたいに、体全体が歪んでいた。


(なにこれ!? 手がない……! お腹の向こうに床が見える! なにがどうなってるの!?)


 助けを求めてリュシアンを見ると、彼が手を差し伸べてきた。ノエルはそれにすがりついた。

 脳裏で渦を巻いていた金色の帯が、急に速度を失った。


 せわしなく変化していた記号たちもぴたりと動きを止める。

 不思議な金色の文字が、完璧な呪文を完成させたように、ノエルは感じた。

 そして次の瞬間、光の呪文はぱっと宙に溶けて霧散し、ノエルの視界から消えた。


「……な、なんだったんですか? いまの、金色の……それにわたしの体っ……」


 やたら速くなった鼓動を聞きながら、ノエルはかすれた声で訊いた。


「マナだ」


 すぐ背後から大きなリュシアンの声がした。さっきまでとは聞こえ方が違い、ノエルは怪訝に思って振り返った。

 巨像のようなリュシアンの顔が、ずっと上の方からノエルを見下ろしている。


「リュ……リュシアンさん!? どうしてそんなに大きくなっちゃったんですか!?」

「俺ではない。おまえが小さくなっただけだ」


 むっと眉間に皺の寄るさまが鮮明に見える。


「わ、わたしが!?」


 そこではじめてノエルは自分がリュシアンの手の上に座りこんでいることに気がついた。

 長い指の隙間から、遠く赤レンガの床が見える。落ちたら確実に死にそうなほど高い。


「ほ……本当です! すごい! わたし小さくなってる……!」


 興奮してノエルの声はうわずった。


「そうだ、さっきマナって……じゃあリュシアンさんはマナが使えるんですか!? ひょっとして能力者!?」

「……そんなところだ」


 彼はすいと視線をそらした。ノエルはさらに興奮した。

 能力者を見るのははじめてなのだ。

 あの巨大な都市を宙に浮かせたり、下界とガーデンとの空間をつないだり、ほかにも病気や怪我をたちどころに治したりできる不思議な力の持ち主、それがマナの能力者だ。


 マナとは木々や人間、鉱物、あらゆるものに宿っている見えない超自然の力で、能力者たちはそれを操り、さまざまな奇跡を起こすという。

 能力者本人は見たことがなくても、ノエルは何度か祝祭(フェスティバル)の夜にガーデンから漏れ落ちてくる美しい幻影(イリュージョン)の数々を見たことがあった。


 夜の闇のなか、七色に輝く花や星がゆっくりと瞬きながら地上に降り注ぐ景色はとても幻想的で、仕事の疲れもふっとんでしまった。

 あのガーデン嫌いのリルも祝祭の夜だけは楽しみにしていたのだ。


(本当にすごい……能力者ってなんでもできるんだ……人を小さくしてしまえるなんて!)


 これならポケットに隠れるなりして門番の目を欺き、ゲートを越えることができるだろう。

 ノエルはぐっと両手を握りしめて―――、そしてそのいつもと違う感触に気がついた。


(……? え、な……に、この細長い手)


 異様に細く、長い指があった。先の方でまるまって、鋭い鉤爪までついている。


 明らかにそれは人の手ではなかった。

 その手の下に似たような足が見え、そのあいだにふわふわした白い毛が広がっている。よく見ると脇腹あたりからそれは茶色に変化し、びっしりと全身を覆っていた。気づけばロミスの制服も着ていない。


「リュリュリュ……リュシアンさん!? けっ、毛がっ……毛! 茶色! なんでっ」


 パニックになったノエルの文にならない言葉を理解して、リュシアンはそっけなく言った。


「ああ。ネズミだからな」

「え!? ネズミ!? わたしネズミっ!?」


 ぴんっ! とお尻の方で尻尾が立ったような……そんな感覚がした。


「な……なんですかそれ! なんでネズミなんですかっ……小人じゃだめなんですか!?」

「………そんな生きものは存在しないぞ」


 しごく真面目に答えられ、ノエルは黙りこんだ。


(えぇと……でも……ここは実在の生物か否かという問題よりも、小さくなることが重要なわけで……そもそもなんでネズミなのかという疑問が――)


「ちょうど中層ではネズミが大量繁殖しているらしいからな。紛れやすいだろう」


 心を読んだみたいなタイミングでリュシアンが言った。

 本気なのかからかっているのかわからない真顔が、問答無用でノエルのなかの反論を封じてしまう。


「は、はい……そうですね……」


 ノエルはひきつった笑みを浮かべ、ただ彼の手の上で頷くしかなかったのだった。



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