1-1
空に浮かぶ巨大都市、和の園には地上とつながる部分が三か所だけある。
いずれも塔と呼ばれる、群を抜いて高い二百階クラスの超高層ビルだ。
その屋上はすべて公園となっており、そこに設けられた特殊な門を通して空間を飛び越え、自由に行き来することができる。
ただしゲートには門番がおり、IDのない者に扉は開かれない。
無理に踏みこもうとすれば、容赦のない制裁が待っている。
ガーデンでの生活を切望し、くるおしいまでの憧れから悲しい屍をさらした下層民は少なくない。
移住資金がなく、もしくは新都市開発に反対して取り残された地上の人々はIDのチップを支給されず、楽園と呼ばれる都市の下で日々あえぐようにして生活しているのだ―――。
『カロンズ地区でネズミが大量繁殖! 下界ペットの不法投棄か?』
紙面半分を埋める大きな見出しに青年は嘆息し、つまらなそうに新聞から目を離した。
屋上公園の噴水近くのベンチに置き忘れられていたもので、暇つぶしに読んでみたが大衆向けのくだらない記事ばかりで嫌気がさした。
元の持ち主も忘れたのではなく捨てたのかもしれない。
ガーデンとつながるとはいえ、ここもごみ溜めとも呼ばれる下層の一部だ。
区画上は都市の一部に入っていても、市民の誰もそう思わない。不要なものがすべて捨て置かれた世界だ。
髪と同じ黒い瞳がすい、と公園の外、彼方まで広がる大小さまざまのビルの海を眺めた。
夕陽の赤い光の下で、かつての技術の結晶たちは所在無げに立っている。
百を超える企業オフィスにマーケット、教育施設に医療機関、そして人々の住居を有する住商複合型の巨大建築。
このタワーを含め、多くのビルが誕生から永眠まで、一生過ごすことも可能な一つの小社会となっていたが、それらは新都市ができるとあっさりと見捨てられた。
すべては未知なる力「マナ」の恩恵によるものだ。
彼は乱暴に新聞をベンチの上へほうると、公園の東側に首をめぐらした。
そちらには階下へ向かう自動扉があったが、花壇や休憩スペースのパラソル等に阻まれて、その姿は見えなかった。
公園の下のタワーの最上階には、ファッション、インテリア雑貨、カフェ等の店舗が中層の人間相手に商売をし、ちょっとしたショッピングモールができあがっている。
下界のなかで唯一、こぎれいでこじゃれた場所だ。
下層とガーデンの人間を結びつける架け橋的な場所として、ブリッジと呼ばれている。
完璧で瑕疵一つないガーデンの製品に飽きた人々が、ジャンクな物をかえって粋だともてはやし、あるいは懐かしがって買い物に訪れるのだ。
ガーデンでは衣服も料理もそれらの材料さえマシンが文句なしにつくりあげる。都市全体の治安システムから個人の体調管理まで、生活の隅々にマシンの力が及んでいる。
そしてそのマシンを動かしているのが「マナ」だった。
とても便利で、とても窮屈な世界だと彼は思った。
だがそう感じる人間は少数派だ。
夕闇も迫るこの時間帯、すでに公園に人影はほとんどない。
昼間は中層階級の人間であふれかえっても、日暮れとともに治安の悪化する下界を嫌い、彼らはみな早々に引き揚げる。
多くの市民はガーデンの住民であることを誇りにし、下界のような暮らしは死んでもしたくないと、そう思っているのだ。
そんな下界の現状を生みだしたのがなんなのか、彼らは考えたりしない。
青年は顔を上げ、長く不揃いな前髪の隙間から都市を見つめた。
「……調和、か」
忌々しげに彼は呟いた。
都市の完成前には反対派との激しい争いがあり、死者も多数、出たという。
「マナ」を扱える能力者とそうでない一般人のあいだには、多かれ少なかれ昔から衝突があり、新都市は両者の穏やかな共存を目指して和の園と名付けられた。
だがそうして完成した現在、都市の執政はほぼ能力者たちが握っている。
ここ数年は急激に「マナ」の研究が進歩し、マシンと「マナ」を融合した効率的な利用法が確立され、都市の生活はより豊かになっている。
だがそれは、同時に能力者の地位をさらに高める要因となった。
都市の中層は両者が混在して暮らしているが、上層には能力者とその一族しか住めない。
訪れるのにもいちいち手続きが必要だ。調和どころか、着実に能力者中心の社会になりつつある。
ふと遠くで子供の笑い声がして、青年は視線を公園に戻した。
まだ人がいたのかとぼんやり感心するうちに、噴水の向こうから少年が三人、駆けてくる。いずれも染み一つない上質な服を着ており、ひと目でミドルクラスとわかる。
彼らは手に使い古されたバスケットと、色褪せた布製の手提げ袋を持っていた。
不釣り合いなそれらの荷物を見て、青年はやれやれと思った。
ここ最近、中層の子供たちのあいだで流行っている遊びだ。
また誰か下層民が犠牲になったのだろう。下層の人間が制裁を恐れて逆らわないのをいいことに、十に満たない幼子までもがひったくりや万引きをくり返しているのだ。
ブリッジを訪れる市民には「マナ」の力の一つ、結界による護衛をまとうことが義務づけられており、一見、無防備のように見える彼らに、物理的危害を加えることはできない。
襲えば保護機能が働いて逆に電気ショックの返り討ちにあう上、自動通報でその場に駆けつけた保安官に取り押さえられる。
そして彼ら好みの制裁が加えられるのだ。
少年たちは楽しげに笑いながら、青年の脇を走りぬけて門の方へ向かった。
彼は黙ってそれを見過ごした。首をつっこむつもりなど毛頭ない。
どうせ下層民も諦めていることだ。
だがその青年の思いに反して、少年たちのあとからバタバタと走ってくる足音がした。
「待って! 返してください……!」
必死な顔をした少女が一人、転びそうになりながら彼らを追いかけていた。
珍しい光景に青年はその少女を目で追った。
そしてふと、彼女の服装に気がついた。
「ん? あの服……」
気づいたとたん、少年たちがなにを盗んでいったのか理解して、青年は思いきり顔を歪めた。
始めたばかりで使い方に戸惑っています(><)
初めのうちは章などの名前がちょこちょこ変わるかもしれませんが、話の内容に変更はありません。
お見苦しくてすみません…少しでも楽しんでいただければ嬉しいです。