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5-1




(まぶしい………)


 瞼を通して感じる光に、ノエルはいつもより数時間早く、目を覚ました。

 ぼうっとあたりを見回すと、やけに視界がぼやけている。なんだろうと目をこすり、その手の感覚にはっとした。

 身を起こして確認すると、それはちゃんと人間の手の形をしていた。


(戻ってる! ちゃんとわたし人間に戻れてる! ……けど……ん……? んん!?)


 全身触ってたしかめるうちに、ノエルは自分が今度は本当に素っ裸であることを知った。

 悲鳴をあげるより先に、さっと隣を見る。そこには誰もいなかった。

 セミダブルのベッドには、ノエル一人。

 ほっとして、飛び出そうになった悲鳴を呑みこんだ。


 毛布を胸元までひっぱりあげ、今度はゆっくりあたりを見回してみた。眼鏡がないので目をこらさないとよく見えない。

 部屋の中心に置かれたベッドの周りは、本の山が要塞みたいに取り囲んでいた。高さはどれもまちまちで、向きも重心も無視した乱雑な積まれ方をしているようだ。なかには崩れているところもあって、ノエルはできの悪いクロカンブッシュを連想した。

 あれもきちんと考えてシューを積んでいかないと、すぐに傾いてしまうのだ。


(でも失敗するのはいつもわたしぐらいだったっけ……)


 お菓子を作るのは得意だけれど、そういう部分は苦手だった。

 祝祭の日などに大きなものを作るときはわくわくするが、いつもいつ倒れるか、崩れるかという心配が尽きなかった。同じくらい心配になる、不安定な本の柱の向こうに、ちらりと黒い頭が見えた。


(あ………)


 一台のパソコンのモニターの前に、リュシアンが突っ伏して、眠っていた。

 椅子に座ったまま、デスクに載せた右腕に顔をうずめて、左手は軽く髪を押さえるように首の上。

 その姿を朝の白い光が、静かにきらきらと、照らしていた。


 ノエルはかさばらないよう、毛布の代わりにシーツを体に巻きつけ、ベッドから降りた。

 そっと近寄ってみると、パソコンの電源は入ったままで、モニターにはノエルには読めない文字が画面いっぱいに並んでいる。

 なんとなく、ネズミにされたときに見たあの金色の記号に似ていた。


(………リュシアンさん、ベッドで寝なかったんだ……)


 寝られていても困るのだが、こんなところでは疲れないのだろうかと心配になる。

 昨日、恥ずかしさのあまり毛布の下にもぐりこんだあと、リュシアンはリビングに戻って仕事のつづきをはじめた。そのまま数時間が過ぎて、いつの間にか眠ってしまっていたノエルは、夜中にカタカタとキーを打つ音に起こされた。

 眠かったせいか同じ部屋にいても、今度はこっちで仕事をしてるんだ、くらいにしか思わず、また寝てしまった。


(………いつまで起きてたんだろう。ちゃんと睡眠とれてるのかな)


 最初の日の夜も、彼は遅くまで起きていた。もしかするとノエルの日記探しにつきあっているせいで、自分の仕事が溜まってしまっているのかもしれない。

 少し横を向いた寝顔は、やっぱり眉間に皺が寄り気味で。

 でもなんだか、朝日のなかで見る彼はきれいだった。


 起こさないよう腕を伸ばし、ノエルはモニターの電源を落とした。ロミスでもよく店長がつけ忘れたり消し忘れたりしていたので、扱い方は知っている。

 すぐに画面は暗くなり、そこにバルコニーの景色が映った。


(……あ!)


 ノエルは顔をほころばせ、ガラス戸に寄った。いまならちゃんと鍵に手が届いた。

 音をたてないよう気をつけながら戸を開け、するりと外へ身を滑らせる。


「わあ……」


 思わず感嘆の声がもれる。

 視界のぜんぶを、晴れた空が占めていた。

 まるで距離感がつかめない、近くて高い空だった。


 遮るものはなにもなく、自然と視線は奥へ奥へ伸びていく。

 体の内側から心が脱けだして、風と一緒に流れていきそうになる。

 そうして見下ろしたずっと遠くの低い空に、綿菓子のような雲がぽつぽつと浮かんでいた。それは穏やかな朝の世界を、のんびり旅しているみたいだった。


 少し身を乗りだして下を覗きこむと、混沌とした(ガーデン)の街並みが見える。ビルとビルの隙間にあふれる豊かな緑。丸い形の空中庭園(エア・パーク)もたくさん浮いている。

 天の杖(ヘブンズワンド)を交差して、すでに天空道路(エア・ロード)には無数の車が流れていた。だがノエルのいるところまではなんの音も聞こえてこない。

 廃ビルの片隅で羽を休めるカラスのくぐもった鳴き声も、廊下に響く怒鳴り声も、苦しそうな誰かの咳も、ここにはない。


(すごく静か………こんなすがすがしい朝ははじめて……)


 聞こえるのは自分の耳にあたる風の音くらいで。

 ノエルはしばらく目を閉じて、じっとその音に聞き入った。


「―――っくしゅん!」


 どれくらい風にあたっていたか、シーツを巻いただけの体はすぐに冷えて、ノエルは大きなくしゃみをした。

 むきだしの肩から腕にかけて、鳥肌がたつ。


(あ……いけない)


 鼻を押さえてリュシアンを振り返る。

 起こしてしまったかと思案するうちに、むくりとその体が起きた。彼は五秒ぐらい、電源の落ちた正面のモニターと向き合っていた。

 それからふとノエルに気づいて、バルコニーへ首をめぐらした。

 眠たげな半眼が、ゆっくりと見開かれる。彼は珍しそうな顔をして、黙ってノエルを見つめつづけた。


「あの……おはようございます」


 なにか言われるかと思っていたが、そのようすもないのでとりあえずノエルは挨拶をした。

 するとリュシアンははっとして、いまはじめてノエルがそこにいることに気づいたように、視線を合わせた。


「あ、ああ……」


 ぎこちない返事をもらして、何度か瞬きをくり返す。

 そんなリュシアンの反応に、ノエルは小さく首を傾げたのだった。







 白い湯けむりのなか、ノエルは頭上にかざした右手をおぼつかない手つきで左右に振った。

 目が悪いのと湯気のせいでセンサーの位置はよくわからなかったが、温かいシャワーはほどなくして止まった。今度はなんとか使えたようだ。

 静かになったバスルームで、ノエルはひとまず安心した。


(すごいなあ………なにもかも、自動なんだもん)


 やっぱりガーデンと下界は違う、と思った。(ゲート)もだが、あのレンジみたいなマシンもそうだ。マナとマシンが連携して、奇跡みたいな現象を引き起こす。

 場所と場所をつないで人やものの行き来を可能にする空間縫合(リンク)や、物質を他の物質へ変化させる転化(チェンジ)、イメージを具現化させる幻影(イリュージョン)に、言葉を現実へ反映させる言霊(ザ・ワード)


 そのほかにもマナの能力者が持つ「資性(ギフト)」はいろいろあって、大別して六つの資性がマシンと結びつき、いまのガーデンの暮らしを豊かにしているのだという。

 そしてその仕組みを作ったのがミレイユ博士だと、昨日コンラートが教えてくれた。


 博士はマナの力が発動するときのメカニズムを解明し、そのとおりに機械にマナを動かさせることに成功した。

 それまでは人を運ぶのにも、そのつど空間縫合(リンク)の能力者がその場で力を行使していたが、のちにミレイユが発明したマナの自動編成装置により、一気に労力は軽減され、効率も飛躍的にあがった。

 博士が都市開発の功労者と謳われるのもそのためらしい。


 リュシアンが能力者ではないのにノエルをネズミに変えられたのも、あの右腕の時計型の装置がマナの自動編成装置だかららしい。といってもそれを持てるのは限られたごく一部の者だけなのだという。


(ただ便利は便利だけど、下層民には難しい………慣れないうちはびっくりしちゃうし)


 教えてもらわなければ、シャワー一つまともに浴びられなかったノエルだ。

 体を洗いながら数分前のことを思いだし、情けなくなった。

 目が覚めてとりあえずお風呂に入りたいと申し出たノエルに、リュシアンは快くバスルームを提供してくれた。だが、入ってすぐにノエルはとまどってしまった。


 シャワーはあるものの、水を出すためのボタンやバルブがどこにも見当たらなくて、どうやって使えばいいのかわからなかったのだ。壁にでも隠れているのだろうかとあちこち探しているうちにセンサーにひっかかり、全身に冷たい水を浴びて思いきり悲鳴をあげてしまった。

 止め方がわからずに手当たり次第壁を叩いていたら、今度はボディーソープとシャンプーの容器が飛びだしてきて、床に向かっていっせいに中身を垂れ流しはじめた。

 もう頭はパニック状態で、そこへ悲鳴と壁を叩く音を聞いたリュシアンが駆けつけてきて、戸を開けようとして―――思わず冷水シャワーを浴びせてしまった。


(………ごめんなさい)


 本人を前にも何度も謝ったが、まだまだ足りない気がする。

 それはきっと、リュシアンがびしょ濡れになっても怒ったりしなかったからだ。

 逆に配慮が足りなかったと詫びられて、濡れそぼった状態のまま丁寧に使い方を教えてくれた。

 すぐそばに寄り添って、シャワーを出すときはこう、温度を調節するにはこう、とひとつひとつまじめに説明してくれて―――。


(……っ)


 どくん、とまた鼓動が乱れた。

 シャワーのせいだけじゃなく、体がぼうっと火照ってくる。

 そのときノエルは、バスタオル一枚だったのだ。

 格好はシーツを巻いたときと似ているが、場所が場所だしリュシアンがすごく近くて、本当はずっとどきどきしていた。心臓が爆発しそうで、説明は聞いたそばからこぼれ落ちていった。

 だからいま、こうしてちゃんと使えてほっとしているのだ。


(でも、リュシアンさんは全然平気そうだったなあ……)


 無表情を装っているわけでもなく、本当に彼はノエルなど気にしていないような態度だった。

 他人に興味がないという昨夜の彼の言葉を、自ら体験した気分だ。別になにかを期待していたわけではないが、年頃の娘としてちょっとだけ複雑な思いがするノエルだった。







 お風呂からあがるとリュシアンに借りた服を着てバスルームから出た。

 彼の服はいずれも大きく、ワイシャツの袖もズボンの裾も何回かまくってちょうどいいくらいだ。ちなみに下着は通販で注文し、速達で届けてもらうことが可能だった。

 このときばかりはマナの恩恵にノエルも心から感謝した。


(ちゃんとした着替えは用意しておくって言ってたけど……)


 本当に自分はなにもかも、世話になってしまっている。それでも迷惑でないと言ってくれるなら、ノエルはただひたすら感謝するしかない。

 申しわけないと縮こまっているより、せっかくこうして人間に戻れたのだから今日はなにかお礼をしよう――そう決心してリビングの扉へ手をかけると、


「やあハニー! お風呂はどうだった? さっぱりできたかい?」


 金髪碧眼の陽気な青年に、諸手を広げて迎えられた。


「……コンラートさん? え、あれ……? なんで……どうしてヘブンに?」

「ふふふ。一応僕も上層生まれだからね!」

「上層生まれ……?」


 ノエルは目を丸くした。コンラートは鼻をそびやかし、両手を腰に当ててみせている。


(あ……そっか……コンラートさんはミレイユ博士の甥なんだっけ)


 ガーデンの上層は能力者(エレクト)とその一族だけが住む場所だ。博士の甥なら、もしかすると彼は優秀な一族の人間なのかもしれない。そんな人ならヘブンにも入れるのかもしれない。


(でも……だったらなんで中層で警備員なんかしてるんだろう)


「まあ、どうにも空気があわなくて飛びだしたんだけどね。中層の方が気楽でいいから、普段は下で暮らしてるんだ。仕事の種類も豊富だし」

「……はあ」


 どうやら仕事が趣味、というのは本当のことらしい。


「それにしても、ハニーは人間でも小さいんだな。それにこの髪!」


 コンラートが手を伸ばしてくしゃりと頭を撫でてきた。乾かしたばかりの強くうねった髪は、密かなノエルのコンプレックスだ。まるで鳥の巣みたいだと何度からかわれたことか。


「ねえ、先生。見た目通りすっごくやわらかいですよ! ふわふわのハニーブラウン! まるで綿菓子みたいだ。僕の命名は間違ってなかったでしょう?」


 コンラートは得意げに、ソファに座るリュシアンを振り返った。

 ノエルは思いもよらない言葉に相手を見上げた。


「……ふわふわ?」


 リュシアンが膝の上に載せていたノート型のパソコンから視線をあげる。


「ええ! 蜂蜜をちょっと焦がしたハニーブラウンの綿菓子です。食べたらすごく甘そうだ」


 コンラートは撫でることに満足したのか、頭からようやく手を離した。いじられた髪は多少乱れていたが、嫌な気にはならなかった。


「さあ、ハニー! お風呂がすんだら着替えだよ。それじゃあ動きづらいだろう? 僕がいろいろ見繕ってきてあげたから……というわけで、さっそくこれを着てみておくれ!」


 急にコンラートがはりきりだし、ローテーブルの脇に置かれていたトランクを開けると、なかから服を取りだした。手渡すと同時にノエルの肩を押し、ベッドルームの方へ導く。なんとも手際のいい強引さだ。


「着替えはこっちでね。着方がわからなかったら遠慮なく声をかけるんだよ!」


 ドアを開いて促され、部屋に入るとそのまま閉められそうになる。

 あわてて礼を言うと、コンラートは笑い、ハニーはいい子だね、ともう一度頭を撫でてきた。


(ハニーハニーって………ハニーブラウンだからなんだろうけど……)


 なんだかとても恥ずかしい響きだ。一人、赤面しながらノエルは着替えた。

 そうして着てみると、渡された服はガーデンへ来た初日、管理局へ向かう途中のお店で見たあのワンピースだった。

 淡いピンクの生地を白のリボンやフリルが飾り、スカートはレースを重ねてふわりとふくらんでいる。

 女の子なら一度は憧れる可愛らしいつくりだ。ノエルもリルになら似合いそうだと思った。でも地味な顔立ちの自分に似合うはずがない。


 着替え終えてリビングに戻ったノエルは、いたたまれない気持ちでいっぱいだった。

 コンラートは可愛いと言ってくれたが、どうしても素直には信じられない。値段もかなりするはずで中身の自分につりあわないし、なにより着ていたら汚してしまわないかと心配で落ち着かない。


「あの……こんなの着れないです」


 意を決して訴えると、コンラートは首を傾げた。


「どうしてだい? 気にいらない?」

「いえ、そうではなくて……こんな高そうな服は気後れしてしまって」

「それほど高くないよ? でもハニーが気になるなら仕方ないね。それじゃあこれはどう?」


 ノエルの言葉を気にしたふうもなく、コンラートは今度、薄い生地の赤い服を渡してきた。

 眼鏡がないせいでよく見えなかったが、とにかくいまよりはいいと思い、ノエルは受け取った。

 そして着替えた服は、体のラインがぴたりと現れる、どこかの国の民族衣装のようだった。詰襟で、光沢のあるやわらかい生地にはかなり細かい刺繍が入っている。

 コンラートはとまどい気味のノエルを眺め、腕を組んで右手を顎に添えた。


「うーん。これはなんか違うなあ。やっぱり顔立ちが違うせいかなあ」

「あの……コンラートさん、これは?」

「うん。それは紅人(ホンレン)たちの民族衣装。西第七区の紅華(ホンホア)地区で売ってるんだ。ガーデンの西寄りはハイウェイが通ってるからね。あのへんは他市からの移住者が多くて、いろんな文化が見られるよ」

「はあ………あの、もうちょっとふつうのものはないのですか?」

「そうだね。じゃあこれかな」


 差しだされたのはきちんとたたまれたふつうの白い服のようだった。

 今度こそほっとしてノエルはそれを受け取り、またベッドルームで着替えた―――が。


「コンラートさん! あなたはいったいなにを考えてるんですか……!?」


 ドアを開けるなり、ノエルは叫んだ。


「あ、結構似合うじゃないかハニー! いいね、甘くて可愛らしいナースさんだ!」


 目を輝かせるコンラートをノエルは精いっぱい睨んだ。

 握りしめたナースキャップがぐにゃりと潰れる。からかわないでください! と訴えると、ごめんごめんとなだめられ、今度はまともなのだからと黒っぽい服を渡された。

 ノエルは信じられず、その場で服を開いて確認した。それは女性警備員の制服だった。


「……まとも?」

「うん。僕とお揃いです!」


 はつらつと言われ、ノエルの手はぷるぷる震えた。


「気にいらないかい? じゃあ、これはどう? 大手化粧品会社の受付嬢の制服。業界内じゃ可愛いって評判なんだよ」


 その()もコンラートは楽しげにトランクのなかからいくつも服をひっぱりだした。

 これはガーデンで人気のオペラ「カナリア」で主役の歌姫が着ていた衣装のレプリカ。フェスティバルの夜におなじみ、魔女のローブ!

 次々とリビングの床に衣装が広げられていく。


「仮装といえばピエロもあるよ?」


 白地にカラフルな水玉模様のだぼだぼした服をかかげられる。もはやノエルは返す気力もない。


(要するに……また遊ばれてるんだよね? わたし……)


「こういう甘いのはどう? いまならピンクのボンネットとくまのぬいぐるみ付きだよ!」


 にこにこ提案するコンラートにノエルは首を振った。

 なにがいまなら、なのかよくわからない。


「ああ、もう少し大人向けの方が?」


 そう言って彼は今度、何着かパーティードレスを出してきた。

 ノエルの体の前であれこれあわせて、ひとり喜んでいる。

 いつまでも終わりそうにない着せ替えごっこに、ノエルは助けを求めてリュシアンを見た。だが彼は相変わらずソファでパソコンと向き合い、真剣になにかを打ちこんでいた。

 こちらの騒ぎなど耳に入っていないようだ。

 そのノエルの視線に気づいたコンラートが、リュシアンに声をかける。


「どうです先生? これとか、こんなのも意外に似合いますよ彼女」


 肩紐が半透明の大きなビーズとリボンでできた、淡紫のエアリードレスと、大きく背中の開いた白いエンパイアラインのミディアムドレスをあてがわれる。

 リュシアンがまず視線だけあげて、それからちょっと興味をひかれたのか、手を止めた。

 ノエルは必死にまなざしで助けを求めた。動きづらくてもリュシアンの服の方がましだった。


「……白の方がいい」


 無表情のままリュシアンが言った。え……とノエルは一瞬、耳を疑った。


「おや、先生は意外にむっつりですね!」


 コンラートがからからと笑う。ノエルは頬が朱に染まるのを感じた。


(なんで……まじめに答えるの……? わたしそんなつもりで見つめたわけじゃ)


「あ、あのっ! もっとふつうの……平凡な服はないんですかっ……」


 ノエルはうつむいて、大きな声を出した。


「というか、どうしてこんなのばかりなんですか!?」


 もう、やけだった。

 わざわざ持ってきてくれた人に失礼だとわかっているけれど、コンラートのセンスは受け入れられない。

 すると彼はあっけらかんと答えた。


「いやあ、実は知りあいに貸衣裳屋さんがいてね。よくお世話になってるんだ」

「……………」


 どうして貸衣裳屋によくお世話になるんだろう、と真っ先にノエルは思った。だが訊かない方が賢明な気がした。そしてやはり自分はからかわれていたらしかった。


「……最初の服でいいんじゃないか? おそらくあれ以外にまともなものはないぞ」


 はじめてリュシアンが口をはさんだ。

 彼は床に落ちている、あのピンクのワンピースを見た。

 たしかに、いままで着たなかではあれが一番まともな服だった。


「で、でも……あれはわたしにはふつりあいで――」

「俺はそうは思わんが。奇天烈な格好でいられるよりよほど落ち着く」


 真顔でさらりと否定され、ノエルは返す言葉を失った。隣でコンラートがにやりと笑う。


「どうやら先生も似合うって言ってくれてるみたいだけど。どうする、ハニー?」

「えっ……あの、ええと……その」


 ノエルは答えに窮した。

 だがもはや、彼女に断る理由はないのだった。






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