リリアンの思い出
私の世界は、とてもつまらないものだった。
王家専属の魔導士として幼い頃から育てられた私は、普通の子供のような生活は許されていなかった。
一日の半分以上は魔法の勉強をしていた。楽しくもつまらなくもなかった。私はそれしか知らなかった。
当然、将来は魔導士として城で働くと思っていた。親のいない孤児だった私としては、それは恵まれすぎた生活にすら思えた。
でも、ある日シオンに出会った。
彼は第二王子だったため、王位継承権はなかったものの、それでも立派な王子だった。普段は年相応の笑顔が溢れる男の子なのに、ふとした瞬間、そこには凛とした気品あふれる彼がいた。外をあまり出歩かない私には、彼がとても不思議な生き物に見えた。
「僕はシオン。君の名前は?」
無邪気な表情で訊かれ、私はひどく戸惑った。今まで読んでいた本の中では、王子というのはこんな風に微笑みかけてくれるような生き物ではなかったから。私の中のイメージでは、身分の釣り合わない者は平気で見下すような人だったから、余計にその笑顔に違和感を感じた。
「リリアン…」
拭えない違和感を抱えつつも、有無を言わせない雰囲気を感じ、私は素直に彼に名乗っていた。
「じゃあリリアン、僕と結婚しよう!」
それがプロポーズと呼ばれるものだということは私にも分かった。そして、それを理解して、私はひどく動揺した。
プロポーズというのは互いに好意を持っている者同士の間で交わされる結婚の約束。決して、今のような会ったばかりの相手に言われるようなものではない。
「え…それは…」
「リリアンには、もう婚約者がいるの?」
ふっと彼の表情が悲しげなものになった。
「い、いない……けど…」
「じゃあいいよね。結婚しよう?」
このままじゃ押しきられてしまう。そう感じて、私はきゅっと握りこぶしに力を込め、彼を真っ直ぐ見つめた。
「け、結婚って……そういうものじゃないと思う」
「じゃあどんなもの?」
教えて? と首を傾げる彼の笑顔に、どこか冷ややかなものを感じつつ、私は本で読んだだけの知識を必死に頭の中でかき集めた。
「好きな人同士が………お付き合いを経てするもの、です」
魔法には関係なくて、さらっと流し読み程度で済ませていた部分だったので、自信がなくて声が掠れた。でもきっと間違ってはいないはず。そう思って彼を見ていたら、急に彼の顔から笑顔が消えた。
「ふぅん。面倒だね」
無表情を通り越して、どこか他人を蔑むような目。低く冷たい声に、背筋が凍ってしまいそうになった。
「僕はそういうだるいプロセスを一々馬鹿正直に踏んでいくつもりはないんだ。リリアンは心に決めた相手がいないんでしょう? だったらてきとうでいいから僕と結婚してよ」
「なっ…。あなた、王子でしょ?」
つい本音が零れ出て、私はしまったと思った。下手に神経を逆撫でして怒らせてしまったら、私は殺されてしまうかもしれない。
けれど、私の心配もよそに、彼はまたあの人の良さそうな笑顔になった。
「うん。でも次の王は兄さんがなるし、弟はどっかの貴族のお嬢さんといい感じだし。僕の役目といったら、ちゃんと結婚して離婚しないことぐらいなんだよ」
彼の笑顔があまりに強く心を突き刺した。なにもかもどうでもよさそうなくせに、彼の言葉と態度からは、自身の役目に対する執着のようなものを感じた。
その姿に、私は拒絶する言葉も浮かばずに、停止した思考のまま小さく頷いた。
「うん。じゃあ決定ね」
決して恋をしたわけじゃない。けれど、私たちの関係は婚約という強い言葉で結びついた。彼と私が十二歳のときだった。