第二話
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目を覚ました。まだ頭がくらくらする。柱の時計を見ると、既に十一時ほどになっていた。二時間近く失神していたものらしい。いや、面目ないことこの上ない。恥じて起き上がろうとしたが、まだ眩暈がして起きることが能わなかった。柱の時計の錘が発するカチコチという音が頭に響く。しょうことなしに、私は、敷きっぱなしの煎餅布団に這い寄り、寝ころんだ。
妻の幸恵は、既に近所の旅館で、仲居の仕事をするために家を出ているようだった。三文文士の私は、哀れ、妻に養われている身なのである。それでも、カストリ雑誌に発表する売文で、僅かばかりの稿料は稼ぐ。その執筆場所が、この煎餅布団なのである。だから、私はこの布団を上げることを、妻に許さない。私が、妻に断固として主張する唯一の点である。ここで、私は執筆活動に勤しんでいるのである。
しかし、しかしなのだ。書き上がるのは、売文だけ。本志である純文学の世界では、一向に芽が出ないのである。男子たるもの、いかにしてこの屈辱に……。
いけないいけない。
ここで自己憐憫の情動に身を任せてしまうと、際限がなくなってしまう。しまいには、鬱状態になり、茫漠たる不安のためにアルコールの類に走ることになってしまう。そうなると、一日が丸損だ。
私は、我が身の上を嘆き、哀嘆して涙ぐむことへの誘惑を抑え、既にして構想としては成立間近の、純文学の想を練ることにした。
この小説は、恋に破れ、身の破滅を図って山形県の出羽三山に入り込んだ青年がさる僧侶と出会う。この僧侶は、即身成仏を目指して、出羽三山の奥の院、湯殿山で木食行という荒行を重ねる高僧なのであった。この高僧と出会うことによって、青年は人生の真実に思い当たる、という荒筋を持っている。二百枚ほどの、中編になるはずである。
既にして、即身仏の歴史、由来。即身仏になるに当たっての、必要な修行。さらにはそのいささか悍しい製作法に至るまで、下調べはしてある。真言宗についても、相応の調べはついている。
こうして、全体のあらましは想が成っているのだが、いかんせん出だしの一文が一向に思いつかない。私は、最初の一文が決まらないと、そこから一歩も進めない文士なのである。
とはいえ、寝ころびながら、想を練っても、なかなか肝心の出だしの一行は思いつかない。もちろん、カストリ雑誌に売る雑文は、そんな面倒なことはしない。興の湧き出るに任せて、書き散らす。
出版社には、一応顔が利くので、完成度の高い小説を書くことができれば、雑誌に掲載は愚か、単行本の出版も夢ではない。そうなれば、晴れて印税生活にはいることができる。
一瞬、青年文士のような甘い夢に入り込みそうになる。いやいや、ここは自重せねばならぬ。私とて、業界の端くれにいる人間。印税生活が、そんなに甘いものではないことは百も承知である。それでも、自分の名前が記された単行本を書店で手に取り、矯めつ眇めつ眺め、それを撫でさするという甘美な夢想は、なかなか思い切ることができない。
いかんいかん。
こんな甘い妄想にばかり浸っていては、肝心要の出だしの一行を思いつくことなど到底不可能である。私は、懸命に念を凝らした。
「橋本さーん、郵便ですよー」
郵便屋の声で、たった今、半ば掴みかけた着想が、霧散してしまった。私は舌打ちをしながら立ち上がり、寝間着の前を合わせて玄関に出た。
「書留です。判子をお願いします」
そう言われて見ると、現金書留だった。慌てて居間にとって返し、判子を持参してきた。
郵便屋に手渡されたそれは、紛れもない現金書留である。はて、今頃、妻の幸恵名義ならともかく、私宛に現金が来る当てはないのだが。両親共に、早く亡くなり、兄弟もいない。金をくれる伯父、伯母などいはしない。私は、幸恵を除けば、天涯孤独の身なのである。不審に思いながら裏を見ると、差出人の欄に「獏書房」と書いてあった。
はたと私は思い当たった。獏書房というのは、私が普段書いているカストリ雑誌とは違う、多少高踏的な幻想文学専門の雑誌「〈夢〉物語」を出している出版社である。そこに、わたしも多少幻想みのある掌編を託していたのである。人里離れた山小屋に住み、毎日バッハのカンタータを一曲聴く、孤独な狼男と、清純な少女の恋の物語である。
してみると、あの掌編が採用されたものに違いない。
やれ嬉しやと封筒を開けてみると、片々たる掌編の稿料には過ぎた金額が入っていた。添え書きに、僅かではございますが、ご笑納ください、と書いてある。これならば、今晩、妻の幸恵と、少し贅沢な四合瓶に、刺身などをあつらえることもできる。私は、その現金書留の封筒を抱いて、また煎餅布団に寝転がった。
出だしの一文を巡っての思考など、どこかに吹き飛んでしまった。
今は、とにかく久方ぶりの美味い酒のことなど考えていよう。
深い満足のため息をつきながら、ふと部屋の片隅に目をやると、それがいた。
寄居留であった。
見ると、何がなし雰囲気が子猫に似ている。どうにも、愛くるしい、という感情に襲われるのだ。
それが、なぜ寄居留と呼ばれるのかは、すぐに合点がいった。
その小生物は、
キキ、キル、キル、キィール、キィールと、
可愛らしい声で鳴くのである。そのキィール、という鳴き声が、寄居留という名前の由来に違いない。
しかし、なぜ妻は寄居留という漢字を使ったのだろう。いや、むしろ、妻は単に〝きいる〟と発音したに過ぎないのに、それを私がわざわざ寄居留と漢字に変換して聞いていたのだ。頭に、寄居留という漢字の群れが、ぽっかりと小星雲のように浮かんだのだった。
それに、妻が、寄居留をすこぶる嫌悪しているような様子だったのも、おかしなことだった。こんなに愛しい生物なのに。そして、妻は犬や猫が大好きなのに。
私は、おずおずと煎餅布団から這いだし、寄居留の群れに近づいた。それは、部屋の片隅に、もふもふと固まっていた。なんだか毛羽立った畳や、擦り切れた畳縁の上で、寄居留の灰白色は鮮やかに見えた。小刻みに震えているようだが、私を恐れる気配は微塵もない。
そーっと手を伸ばして、手近の一匹を掴まえてみた。恐れる様子も、暴れる様子も一向に見せない。黙って、大人しく抱かれたままになっている。子猫が、母猫に咥えられているかのごとくである。
生まれて数日の子猫ぐらいの大きさである。とは言うものの、ここで見ていても、動きがとろい。それに、何を食べているのか、口には歯のようなものは見あたらない。
もっとも、彼ら、その口をほとんど地面に付けて跛行するのであるから、歯など有っても仕方がない道理ではある。
生まれて数日の子猫などというものは、骨も細く、肉もあわあわとしていて、抱いても頼りないものであるが、この寄居留は成獣らしく、骨もそれなりにがっしりしていて、抱き甲斐がある。
こまかい細い毛が生えている。その腹の辺りを撫でてみる。温かくて気持ちがいい。寄居留も気持ちがいいのだろうか。細うーい声で、キィール、キィールと鳴く。それが甘え声のようで、餌でもやりたくなる。どれ、何か食べ物を、と思ったのだが、はて、寄居留は何を食べるのであろう。
慌てて寄居留をそこに置き、書棚からシュテンプケ氏の「鼻行類」を取り出そうとした。ところが、書棚の整理が乱雑で、どこにどの本があるのやらとんと見当も付かぬ。
なにしろ、本だけはある。父親は、中学校の国語の教師をしていて、俸給を全て本につぎ込むような読書家だった。しかも、叔父もやはり中学で国語の教師をしていて蔵書家だったのが、若いうちに肺を患って、その蔵書はそっくり私の所に来た。おまけに、祖父が、まあ手堅い商家をしていて、その遺産が兄弟も従兄弟もいない私一人に転がり込んだ。それを全部本につぎ込んでしまった。そんな訳で、貧乏文士には過ぎた量の本があるのである。とは言うものの、祖父は南州翁に傾倒し、子孫のために美田を残さず、を日頃の訓戒としておったので、祖父の遺産はさほど多くはなかった。まあ、有り体に言って、書籍代でなくなってしまう程度のものだったのである。
我が家は、六畳が二間並んで、真ん中に玄関があり、右側に台所、左側に雪隠がある設計になっている。至って狭い家である。まあ、子供もいない夫婦二人が住まうには、――十三年連れ添ったのに、私たち夫婦には、何故か子宝が授からぬのである。――かえって贅沢かも知れぬが。借家とは言え、こうして曲がりなりにも居を構えていられるのも、妻がやっている仲居の仕事のおかげではある。
一応、書棚は玄関に向かって左の寝室にあることになっている。しかし、書籍そのものは、寝室と右の居間のそこここに氾濫している。あちらに積み上げられ、こちらに積み上げられ、あちらに崩れ、こちらに崩れ。容易には、シュテンプケ氏の在りどころは判然とせぬ。
私は、途方に暮れてしまった。
餌をやりたくても、肝心の餌の正体が分からぬ。しょうことなしに、私はもう一度、かの寄居留を抱き上げ、その腹を撫でさすった。キィール、キィールという喜悦の声が心地よかった。
妻の幸恵が、夕刻になって帰ってきた。仲居などというものは、本来は、朝早くと、夕刻が忙しいものである。だから、ほとんどの仲居は、朝と夕に働いている。
とは言え、昼日中には、何も仕事がないなどということもない。そこで、幸恵のように、他の仲居が帰る頃に出勤し、また他の仲居が出てくる頃に帰ってくる仲居もいることになる。近所の旅館は、あまり大きくないので住み込みの仲居というものがいない。みんな、通いなのである。
なに、幸恵は、低血圧で朝が弱く、それでちゃっかりとこの仕事を見つけてきたのである。これは、三文文士の常として、朝は遅い私にもはなはだ都合がよいことであった。何しろ、朝餉が九時。妻が出かけるのが十時なのである。
で、幸恵が帰ってきて、思いがけないことが起こった。
妻が、発狂したのである。
いや、もう少し正確に言おう。
あたかも、発狂したかのごとく暴れ出したのである。
何に対してか。
寄居留に対してである。
妻、幸恵は、鬼のような形相になり、箒を持ち出して、寝室の隅に固まっていた寄居留を追い散らし始めたのである。
寄居留は、のろい。
すこぶる、のろい。
そこで、寄居留たちは、荒れ狂う妻に、散々に殴られ、蹴散らされ、叩き潰され、哀れ死に果ててしまうだろうと思われた。幸恵の勢いは、そんな勢いであったのである。
ところが、さにあらず。
妻の箒は、ことごとく狙いを外し、空を切り、寄居留たちはよたよた、のろのろと何処ともなく逃げ去ってしまったのである。
これは、奇妙至極なでき事であった。第一、妻が、なんであの可愛い寄居留たちを、かくも忌み嫌うのか、とんと合点がゆかぬ。しかも、寄居留たちのよたよた、のたのたとした、しかし見事な逃げっぷりである。かくものろまで、かくも鮮やかな逃走者を、私は未だかつて見たことがない。
「あなた、見ましたか。あれが寄居留よ。なんて厭らしい生き物でしょう。おお、ぞおっとする」
鼻息も荒々しく、目を吊り上げて、妻は私に言うのであった。
「あれは増えるから。すぐその辺に溜まるから気をつけてね」
やや興奮も治まったらしく、尋常な口調で言う。しかし、こは何ごとだろう。あのように愛くるしい寄居留たちを、我が糟糠の妻が、このように憎悪するのは、何か原因があるのではなかろうか。
第一、寄居留についての知識を、妻はどこから仕入れたのであろう。
だが、私には、そこを問いただす勇気がなかった。
怖かったのである。
妻の憎悪が、私に向かうのが。
そこで、私は、呆然としながら、寄居留のいた片隅を見詰めつつ、煎餅布団に横になって、原稿用紙に向かったのである。
毛羽立った畳が、寄居留の細かい毛に見えた。