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寄居留  作者: ヒデヨシ
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第十話

10


 マンションなるものの一室にいるのである。3LDKという間取りなのだそうである。板倉さんの豪邸とは比べるべくもないが、二人で暮らすのには充分な広さである。

 こちらの世界に来ても、私は性懲りもなく小説を書いている。

 料理は、身重の薫さんが、臨月のお腹をして甲斐甲斐しく作ってくれる。もちろん、買い物には二人揃って行って、荷物は私が持つ。

 こちらの世界では、そんな風に買い物をする男が珍しくないようで、心強い。

 例の、出羽三山に迷い込む青年の話は、なんとか新人賞に通り、出版される見通しとなった。

 一応賞金も頂いたが、まあ、そんなもの薫さんの資産に比べれば微々たるものである。

 あの後、「湖畔ホテル」に滞在しながら、オーロラの門が開くたびに、こちら、二十一世紀の世界から銀を持ち出し、向こう、大正の御代の世界から金を持ち帰って一財産作った。

 もちろん、大正の御代にあった、薫さんの貯金も全て引き出し、金塊に替えて二十一世紀に持ち込んだ。

 まあ、はしたないので金額は言わないが、薫さんはちょっとした資産家になった。

 この途中で、少々後ろめたくはあったが、戸籍を買った。その際、私と薫さんは、晴れて夫婦となった。今は、薫さんは、橋本薫となったのである。

 そうして、無事、長きに亘って滞在した「湖畔ホテル」も引き払い、やはり馴染みの山形に帰ってきた。

 とは言うものの、こちらの東北六県は、一九二〇年代~一九三〇年代にかけて、中央政府からの充分な投資を受けることができず、発展が遅れている。山形市も、何せ二十一世紀のことではあるから向こうの世界の山形と比べれば見栄えはいいものの、琵琶湖から山形に来る際に立ち寄った東京などに比べると、随分と田舎であるように思われる。

 私は、今、こちらで習い覚えたパソコン、なるもののエディタ、というソフトとやらでこの手記を書いている。

 悪筆で、自分が書いたものが後で読めない、という苦役からやっと逃れることができた。

 実は、幸恵と私が知り合ったのも、その私の悪筆が機縁であった。

 行きつけの飲み屋で、自分の書いた草稿が読めなくて苦しんでいた私の手元を覗いて、それはこう読むのだろう、と言ったのが、その飲み屋の親戚の娘で、手伝いに来ていた幸恵だったのである。

 幸恵は、本を読むのは嫌いであったが、不思議と幼い子供などの書いた字を判読する術に長けていた。まあ、私の字が、幼児が書いたものと同断な水準であったということであろう。

 しばらく、私の原稿の清書を手伝ううちに、二人は結ばれた。

 なんとも情けない縁結びではあったのである。

「あら」

 台所キッチンというらしいで、薫さんが小さな声を上げた。

「また動きましたよ」

 嬉しげに言う。

 子供も、相当に元気だと見えて、かなり薫さんの胎内で暴れ回っているらしい。

 そうか。

 父親になるのか。

 いささか感慨に耽る。

 とうとう、幸恵との間には子供ができなかった。

 これも、一つの運命なのかも知れぬ。

 向こうでの、幸恵の運命は計り知れないが、一応、幸恵一人なら一生暮らしていけるだけの金額を、昔の住所に為替で送金しておいた。

 幸恵の無事を祈るばかりである。

「あら、橋本さん、産まれそうですわ」

 こう言って、薫さんが私の書斎に入ってきた。

 そうか。ついに産まれるか。

 私たちは、無言で寝室に赴いた。

 私が、布団を敷くと、薫さんが横たわった。

「少し恥ずかしいから、向こうに行っていてくださいな」

 言われるままに、私は、書斎へと取って返した。

 待つこと数分。

「あなた、産まれました」

 あなた!

 橋本さんではなく。

 あなた……。

 何と言うか、こう、胸に迫るものがある。

 私は、逸る気持ちを抑えて、寝室に赴いた。

 薫さんは、横座りになっていた。

 その足下に、居た。

 一、二、三……、八。

 それは、八体の寄居留であった。

 大きさは、ほんの二センチほど。

 まだ鳴くこともできないが、その愛くるしさは異常なほどであった。

 薫さんが、手近な二体を取り上げて、乳を含ませた。

 彼らも、健やかに成長するだろう。

 この世界では、日本だけで一億三千万人の人口がある。

 全世界では、七十億人以上の人口があるという。

 寄居留が寄生すべき人間には事欠かないし、その餌にも、当分事欠かないであろう。

 今は、秋十月。

 この子供たちが、成長するのに、六ヶ月程度かかるだろうか。

 楽しみではある。

 私は、満足を持って、窓の下の街路樹を見下ろし、それから目を転じて、青空に流れる鰯雲を見た。



 春のうららかな日よりの中を、遣水静子は、乳母車を押しながら歩いていた。肩までのストレートな黒い髪。モスグリーンのスカートに、薄いグリーンのブラウス。白いカーディガンを羽織っている。乳母車の中では、三ヶ月になったばかりの武雄が、あばあばと言いながら、ご機嫌で手を振っている。

 静子は、自宅に帰った。夫が、ローンで買った、郊外の一軒家である。

 静子は、東京生まれであるが、大学で一年先輩だった夫に連れられて、山形に来た。緑の多いこの郊外を、静子は気に入っている。第一、一戸建てなど、東京では考えられない。

 家に入って驚いた。見慣れない小動物が居間の片隅で震えていたのである。

 キルキル、キィールキィール。小動物は、愛くるしい声で鳴いた。子猫ほどの大きさで、灰白色をしている。

「あら、可愛い」

 そう言って、静子は、思わずその小動物を抱き上げた。

 不意に、武雄が泣き出した。いつも、機嫌のいい子なのにどうしたことだろう。

 静子は、武雄に、小動物を抱かせようとした。武雄は、ますます激しく泣き出した。

「あら、こんなにかわいいのに。武雄はキルちゃんが嫌いなの?」

 静子は、不思議そうな声を出した。

 武雄は泣き止まない。

「さっき、おっぱいはあげたし、おむつは濡れてないし。どうしたのかしら?」

 武雄が、こんな風に不機嫌になるのは珍しい。

「まあ、そのうち寝るでしょう。眠いのかもね」

 独り言を言う。

「さて、この子は、何を食べるのかしら。ねえ、あなたは、何が好きでちゅか」

 こう言って、その小動物を抱きかかえる。

「まあ、なんていい手触り」

 キキ、キィール、キィール。

「そうね、あなたはキイルちゃん」

 命名して、静子はにこっと笑った。


                                                                   了

 

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