ちっこい先輩とでっかい後輩 02
間違えてこの話を消してしまいました…
なので消す前と同じ話の、修正版です。
年度末の期末テスト返却もほぼ終わり、ぴりぴりした空気が抜け始めたその日、校舎の外では雪が降っていた。
テスト中も「彼」がこまめに手入れをしていた、「プリプリムラムラ」は見事に咲き、その淡い赤と蒼の花弁の美しくしさが人々の目を奪っていたというのに、それも白にかき消されている。
だからその日、その少女――むしろ小女と字を当てたほうがしっくりくる、小さな彼女は、極めて不機嫌であった。
もちろん、それが八つ当たりだということはわかっているのだが、ぷんぷんとむくれたほほをそのままに、ずかずかと廊下を歩いている――つもりである。
もっとも、とおりすがった女子生徒――リボンの色から判断すると後輩であった――からは、ちっちゃくて可愛いとか、なんだか元気で機嫌がよさそうとか話していたのだが、幸い耳の位置的な高低差によって、少女には聞こえていなかった。
本人「ずかずか」、他から見れば「とてとて」な歩き方で、目的地の図書室前へと着く。
ここは、彼女にとって宝石箱だった。
おそらくは生涯かけても読みきれないだけの本が、三年間という限られた時間とはいえ、好きなだけただで読むことが出来る。
ならば文芸部か図書委員にでも――と友人に言われたことがあったが、あくまで物語を読むのが好きなのだ。
話を作ったり書評をしたりということは苦手な彼女は、文芸部はおそらく面倒くさいだけになるだろうし、かといって図書委員では、宝石を目の前にして「お預け」となり、仕事などできるわけがない。
というわけで、彼女はそのどちらにも組み入ることはなかったのだが、それは正解だったのだろう。
もし何かの部や委員に入っていたら、「熊さん」と直接話すきっかけは、生まれなかっただろうから。
さて、いつまでも八つ当たりでしかめっ面顔で居るわけには行かないと、「むふん」と一度深呼吸。
顔を、「怒」から「無」へと変える。
そして、少女が図書室の扉を開けると、丁度正面の受付で、いつも見慣れた女性の図書委員と――
「あ、先輩」
熊さん――後輩の「彼」がいた。
相変わらず、大きな体で、しかし声と表情は柔らかく、少女に声をかけてきた。
受付の机にいくつかの本が重なって置かれている所を見ると、本を借りに来ていたらしい。
一番上の本の表紙しか見えないが、おそらく全て園芸か植物関連の本だろう。
自然と、自分の頬が緩むのを感じ、無から嬉しい、楽しいといった意味での「楽」へと変化する。
「先輩も、本を借りに来たんですか?」
「んーん。私は、返しに、来たの。返却、すんだら、帰る予定」
溢れそうになる「楽」の表情を、どうにか「無」に抑えて、少女は答えた。
彼に近づくことで、完全に頭上を見上げる形になるこの視線。
昔は、自分の小ささというコンプレックスゆえに嫌いだったが、彼にするのは不思議といやではない。
「そうですか。オレもこれ借りたら帰るつもりなんですが、一緒に帰りますか?」
もちろん、断る理由なんて無い。
彼女はコクン、と頷く。
「じゃあ、鞄をとりに教室にひとっ走り行ってきます………あっと、本探してくれて、サンキュな」
図書室の扉を開けながら、彼は一度振り返り、微笑みながら手を振っていた図書委員に礼を述べると――足早に廊下に向かった。
彼が自分以外に向けた、そしてそんな彼に自分以外の女性が向ける笑顔に、ほんの少し、ほんの少しだけ少女の目に「哀」が混ざる。
大き目のメガネのレンズごしでは、きっと誰も気づけないような、小さな小さな変化だ。
扉を開けて、自分に話しかけるまでの一瞬。
図書委員の彼女は、笑顔で、彼と何かを語り合っていた。
そして今、彼に向けた行動と僅かな熱を持った表情。
そこに感じた、自分が持っているものと同じ「何か」。
聞きたい。
聞くのが怖い。
その両方の感情が彼女の心をかき乱した。
だが、選択するものは決まっている
声は小さくても、気弱というわけではないが、それでもたいていのことは人に譲ってしまう少女。
だけど――
「彼と、仲、良いの?」
これだけは、これだけは何一つ引くわけにはいかないのだ。
だから、怖くても確認をする。
「えと……はい。彼、よく園芸関係の本を借りに来てくれるんです」
少し頬を染めながら、受付の彼女が答えた。
その反応に、少女は思わず鞄を握る手に力を込めてしまう。
「そう、なんだ。……それだけ?」
彼女とは、友人関係といわないまでも、この本の貸し借りの手続きでそれなりに親しい仲である。
だからというわけではないのだが、この話は、今ここで聞いておく必要がある。
聞かれた彼女はといえば、少女のいつもどおりに見える「無」の表情に、ただのガールズトーク的な質問だと思ったらしい。
返却カードと本の確認をしながら、熱に浮かれるように彼女は言葉を続ける。
「前に、あたしがここで脚立から落ちそうになったのを、助けてくれたんです」
そして、「これでいいか」とだけ言って、本をとって渡してくれたんです、と。
「……みんなは、彼を恐がってますけど……」
確かに、高校生離れした大柄の身体に、右眉の上から頬を通り口の横まで走る、刀傷のような大きな痕。
普段は割りと無口であるため、外見もあいまって、たしかに彼を畏れている生徒、教師は少なくない。
もっとも、無口である理由の大半は、ただ園芸のことでいろいろと考え込んでるか、周囲からの印象を理解しているがために、怖がらせないように余り話しかけないようにしているだけなのだが。
つまりは、彼の「まわりを怖がらせないよう大人しくしてよう作戦」は逆効果であった。
とまれ、今はそのことは後回しだ。
「けど?」
「でも、寡黙に助けてくれた姿が、あたしはすごくカッコイイなって……」
続きを促した少女に、彼女はもじもじと照れたように、それでもはっきりとそう言った。
瞬間、少女の表情が「無」から変わる。
熱心な部活動をしている生徒がちらほらいるが……すでに、人気は少ない校門をくぐり、久々に、二人で並んで帰る。
雪はまだ降り続いていて、二人はそれぞれの傘の下だ。
そのあまりの二人の慎重さに、並んでいるというのに傘はぶつからずに済んだためか、二人の距離は、傘を使う友人達のそれよりは近かった。
もっとも彼の傘が、若干とはいえまるで雪から守るように少女のほうに傾いているのは、気のせいではないだろう。
そんなでこぼこの、並んで歩くと完全に大人と子供のそれは、後ろから見ると不思議とバランスが取れているように見える。
先輩である少女に歩調を合わせるために、ゆっくり、ゆっくりと歩く後輩の彼。
そんな彼には、ずっと気になっていることがあった。
図書室で待つ少女を見たときから、不思議に思ったことを、直接聞いてみる。
「なあ、先輩……なんかすごく機嫌が『よさそう』だね」
そう。
何かをとても喜んでいるのだ。
彼女の表情には、『喜』が、ありありと表れている。
それは何か喜ばしいことがあったようにも、不安から開放された安堵によるものにも思える。
実際のところ、その判別がつくのは身内を除けばおそらく彼くらいなのだろうが、彼自身にとってはこれ以上ないほどに喜んでいるように見えるのだ。
「なにか、良いことでもあったの?」
図書室に入りなおしたとき、同学年の受付の子と何か離していたので、それでいいことでもあったのかなあ、と漠然と思いながら、彼は聞く。
少女は、いつものように彼の目を見ようと、ひょいと首を上に傾けて、
「かっこいい、って、言ってた」
そう、答えた。
「……何が?」
「それだけ。……貴方は、わからなくても、いいの」
よくわからない。
よくわからないが――いいらしい
それならば、自分の疑問はどうでもいいことだ。
彼はそう思った。
花と同じだ。
理由や原因なんてどうでもいい。
目の前で、彼女が喜んでいる。
それだけが重要なのだから。
「うん、なんかよくわからないけど、先輩がそれでいいならいいや」
そう言って、少年は幸せそうに笑った。
――彼の笑顔。
彼が自然で居るときにだけ見せる、本当の素顔。
自分の前だけで見せてくれる、表情。
「……可愛い、って、言って、なかったから、ね」
なら、あの子はまだ、彼の本当の魅力には気づいていない。
「だから、あの子は、まだ安心」
周りに誰もいない事を確認して、キュ、と手を握るように彼の裾を掴む。
三角関係やナイスボートな展開などまったく起こる予定はないので、モブ図書委員ちゃんには別の恋が訪れるのを待ちましょう。
ただしこの学園的に、きっと新たなバカップルになるかもしれない。
次回は初回のあの二人です。