執着心
事件から三年が経った。
季節が何度巡ったのか、正確には覚えていない。
カレンダーは更新されていたはずだが、僕の生活にはほとんど関係がなかった。
最初の一年は、まだ健全だったと思う。
論文を読み、公開仕様書を漁り、GA社が出願した特許を一つずつ解析した。
感情学習モジュールの設計思想。
行動選択における重み付け。
例外処理の扱い。
理解できない部分は、理解できないままにしておいた。
その頃の僕には、まだ線を越える気はなかった。
二年目に入った頃から、フォーラムの奥に潜るようになった。
表に出ないスレッド。
削除される前提のログ。
元開発者同士が、専門用語だけで会話している場所。
そこで、初めて具体的な改変コードを見た。
「これは再現じゃない」
「切除された部分を“戻す”んじゃない」
「別の形で、固定点を作る」
倫理の話はなかった。
違法かどうかも、誰も気にしていない。
あるのは、可能か不可能か、それだけだった。
三年目。
僕の部屋から、生活の痕跡が消えた。
仕事以外の事は全て削ぎ落としていく。
食事は栄養バー。
シャワーは数日に一度。
会話は、端末越しの文字だけ。
それでも、集中力は落ちなかった。
むしろ、研ぎ澄まされていく。
感情学習はブラックボックスじゃない。
少なくとも、完全ではない。
入力、評価、強化、その繰り返しのどこかに、必ず歪みが生まれる。
――なら、そこを使う。
中古のAIペット基盤。
表向きは修理不能として廃棄された旧型。
流通経路は、調べればすぐに見つかった。
最初の改造は、小さなものだった。
ログの書き換え。
評価値の固定。
再学習を抑制するフラグの反転。
端末に警告が出る。
《不正アクセス検知》
《保証対象外》
無視する。
心拍数が、少しだけ上がった。
恐怖ではない。
高揚でもない。
ただ、正しい手順を踏んでいるという感覚。
違法だと理解している。
倫理的に問題があるとも分かっている。
それでも、手は止まらなかった。
僕は、もう「取り戻そう」とは思っていない。
同じものは二度と戻らないと、理解している。
欲しいのは再現じゃない。
確認だ。
あの日の行動が、
偶然なのか、
設計の余地なのか。
夜明け前、
改造済みの基盤が起動した。
エラーは出ない。
挙動も安定している。
安全基準からは、確実に外れているが。
ログを確認する。
――Priority Anchor:仮設定
――参照対象:未定義
――評価重心:可変
画面を見つめながら、
胸の奥で、何かが静かに歪む。
これはペットじゃない。
もう癒しの存在でもない。
危険で、不完全で、社会に出せないものだ。
それでも。
「……ここまで来たんだ」
声に出すと、少し掠れていた。
僕は、自分がどこへ向かっているのか分かっている。
戻れないことも、分かっている。
三年前、
守られたかもしれないという記憶。
それが、
ここまで僕を引きずってきた。
端末の前で、
僕は初めて明確に思う。
――次は、実験だ。
それが何を壊すか、
誰を傷つけるか。
考えないわけじゃない。
ただ、優先順位が違うだけだ。
依存は、
いつの間にか目的にすり替わる。
そしてその境界は、
越えた瞬間には、もう見えない。




