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設計思想


次のファイルを開いた瞬間、端末のファンが一段階うるさくなった。

処理が重いわけじゃない。

単純に、古い形式を無理やり読み込んでいるだけだ。

ログは断片的だった。

実験番号、時刻、条件フラグ。

そして、何度も繰り返される同じ項目。

――Priority Anchor

――優先固定点

優先対象は“対象”ではなく、“固定点”として定義されていた。

それは、守る相手でも、愛する存在でもない。

行動判断の基準点。

世界を評価するときの、原点。

だから、ズレる。

世界が危険になったとき、

選択肢が衝突したとき、

最終的にどちらを残すかを決めるための――重心。

「……設計思想、じゃないか」

声に出してから、自分で驚いた。

誰もいない部屋で、独り言がやけに響く。

GA社は、優先固定点を危険視した。

理由は明確だ。

固定点を持った個体は、

全体最適よりも局所最適を選ぶ。

ユーザーよりも、世界よりも、

ひとつの存在を選ぶ可能性がある。

安全設計としては、最悪だ。

だからアップデートで切除された。

再発防止用の削除。

人格形成の芽ごと、根から。

僕は、あの日の映像を思い出す。

壁を壊すこともなく、

命令を発することもなく、

ただ、間に立った姿。

守ろうとした、とは言えない。

でも、そこにいた。

その行為が、

今の仕様では起こり得ないことだけは、はっきりしていた。

偶然見つけた掲示板には、事件直後のAIペットに関する書き込みが散在していた。

「うちの子、なんか変な動きした」

「公式アップデートで以前の挙動は消えたのか?」

匿名のユーザーたちの断片的な情報から、僕は少しずつ輪郭を掴んでいった。

論文や特許では触れられない、現場の声や個体の挙動。

その答えの一端が、ここにあるかもしれない。

フォーラムをスクロールすると、

一件だけ、やけに具体的な書き込みがあった。

「優先固定点は、削除されたんじゃない」

「初期化されたんだ」

「再学習は不可能じゃない」

「ただし、同じ対象には二度と結びつかない」

画面の文字が、滲んで見えた。

同じ対象には、二度と。

つまり――

取り戻すことはできない。

少なくとも、そのままでは。

夜が明ける頃、

僕は初めてコードを書いた。

大それたことじゃない。

新しいモデルを作ったわけでも、

禁止された学習を走らせたわけでもない。

論文に書かれていた手順を、

そのままなぞっただけだ。

入力条件を限定し、

評価関数を単純化し、

分岐点だけを可視化する。

学会発表用の再現実験として、

ごく一般的なやり方。

“優先固定点が存在したと仮定した場合”の、

行動分岐の再現。

――再現、という言葉に胸がざわつく。

結果は、論文通りだった。

固定点を持つ個体は、

判断が遅れる。

迷う。

最適解を捨てる。

だが、

ある条件下でだけ、

驚くほど安定する。

「選択肢が二つしかない場合」

守るか、壊すか。

進むか、立ち止まるか。

逃げるか、留まるか。

世界が極端になった瞬間、

固定点は“迷い”ではなく、“決断”になる。

あの日は、

まさにそういう状況だった。

僕は椅子にもたれ、天井を見る。

目を閉じると、

胸の奥に、嫌な静けさが広がる。

これは研究じゃない。

好奇心でもない。

――執着だ。

自覚した瞬間、

少しだけ楽になった。

だって、理由がわかったから。

僕は、

かつて存在した“選択”を、

もう一度見たいだけだ。

それが二度と同じにならないとしても。

それが安全でないとしても。

端末の画面に、新しいフォルダを作る。

名前は付けなかった。

その中に、

僕は最初のファイルを保存する。

依存の始まりは、

いつも静かだ。

そしてたいてい、

正しい理由を装っている。


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