AI事件
事件の名前は、公式には**「AIペット多重制御障害(Multiple Control Failure in AI Pets)」**と呼ばれている。
だが街の人間は、もっと単純な言葉を使った。
――AI事件。
あの日から、街の空気は少し変わった。
空き家のように静まったAIペットショップ。回収されずに残った充電台。公園には首輪や壊れた玩具が散乱している。
公式発表によると、AI事件による物理的損害は街全体で約5億円に上った。家具や建物への衝突、交通事故を誘発したペットの飛び出し、軽傷から重傷まで被害報告は百件を超える。さらに、AI同士が接触して暴走する事例もあり、近隣の住宅や店舗の窓ガラスが割れ、壁や門が破壊されるケースもあった。
GA社(Gracious Animal社)は、世界のトップシェアを誇るAIペット製造トップ企業で、家庭用AI市場の半分近くを占めていた。GA社の製品は世界中で広く使われているが、国外では問題は起きず、製品は通常通り稼働していた。
GA社は補償や安全対策を講じたが、AIペットは社会に深く根付いており、全面回収や規制は現実的ではなかった。法整備は検討段階にあるが、既得権益や生活インフラとしてAIペットはすでに不可欠になっている。
街の反応は、大きく三つの声として可視化された。
「だから言ったんだ、機械に命の真似事をさせるからだ」
そう訴える者たち。
感情を模したプログラムは傲慢で、人間の倫理を歪めると信じる。
生き物こそが正しく、壊れない命だと主張する。
「AIが悪いわけでも、生き物が正しいわけでもない」
そう語る者たち。
使い方を誤ったのは人間だと考え、共存の道を探ろうとする。
「AIこそ最良の伴侶だ」
そう断言する者たち。
効率や利便性、擬似感情の再現を手放せない。
暴走リスクはあっても、AIなしの生活は考えられないと主張する。
もちろん、それだけでは街の全てを語れない。
どちらにも属さない人々、静観する人々、小さな共同体ごとの事情。
だが、議論の表面に現れたのは、その三つの軸だった。
その分断の陰で、ひとりの男が拘束された。
ウイルスを流した犯人、元GA社開発者だ。
取り調べで彼は言った。
「壊したかったんじゃない。見せたかっただけだ」
「人はAIを都合のいい癒しとしてしか見ない」
「従順で裏切らない存在に感情を与えたら、どうなるか」
彼は暴走を“実験”と呼んだ。
「守る、という命令を歪めただけだ」
「それでも守ろうとした個体がいた」
彼の言葉はニュースでは切り取られ、危険思想として扱われた。
あの日、AIペットたちは単なる機械以上の行動を見せた。
突如制御を失った個体は通行人の避難行動を妨げ、電柱や車に衝突し、狭い路地では複数のAIが絡み合い、家具や建物の破損を誘発した。住民は逃げ惑い、数名が軽傷を負った。
だが、いくつかの個体は奇妙な優先対象を選んだと証言されている。
逃げ遅れた子どもの前に立ち、衝突を受け止めた。
倒れた高齢者の前で停止し、他個体の進路を遮った。
内部ログには、こう残っていた。
優先対象:唯一
だが、その事実は議論の中心にはならなかった。
暴走、被害額、責任、倫理。
それらは繰り返し報じられ、数字と見出しになった。
ログに残された例外的判断は断片的に触れられただけで、
やがて他の情報に埋もれていった。
存在しなかったわけではない。
否定されたわけでもない。
ただ、それは争点にはならなかった。
街では今日も議論が続く。
AIは危険か。生き物こそが正しいか。共存は可能か。
だが、そのどの立場も、
あの日守られた“誰か”の名前を語らない。
犯人は裁かれるだろう。
AIペットは社会に根付いたままだ。
街は静かになったが、充電台やショップには日常の気配が戻っている。
それでも街のどこかで、誰かが思い出す。
あれは、本当にただの機械だったのか、と。
答えは、まだ出ていない。
たぶん、出ないまま、人は次の“便利な存在”を作り続ける。




