メディアAI― 0.01の行間
ニュースサイトのトップページは、今日も色とりどりの見出しで埋まっていた。
AIが自動で記事の優先度を決め、アクセス数や滞在時間に応じて更新される。便利だと思っていた編集者たちも、最近は違和感を覚え始めていた。
「この見出し、なんか微妙に違わないですか?」
編集室で声を上げたのは、新人の記者だった。
AIは同じ事実を扱っているはずなのに、端末によって記事の表現や順序が少しずつ違う。
数字は正しい。しかし、強調する単語や引用する人物が微妙に異なるだけで、読む側の印象は変わる。
ベテラン編集者は眉をひそめる。
「確かに、AIのランダム性だろうけど…これ、読者はどう受け取る?」
新人は画面をスクロールしながら答える。
「ちょっとした差なのに、印象が変わる気がします…落ち着かない感じです」
コメント欄には、似たような意見が静かに並んでいる。
「このニュース、ちょっと違う気がする」
「でもどこが違うかは言えない」
「読み返しても同じに見えるのに、なんかモヤモヤする」
誰も明確には理由を示さない。
だが、0.01の揺れは確実に浸透していた。教育で育まれた「判断の迷い」、保険で生まれた「保留」、行政で拡散した「誰も決めない責任」、金融で現れた「承認されても実行されない不安」――その微細な波紋が、ニュースの見え方にまで反映されている。
編集室の端末で、同じ記事のAI出力を並べる。
表現はほぼ同じだが、句読点の位置、引用文の順番、見出しの語尾が微妙に揺れている。人間の目には無意味に思える差だが、読む者の無意識には作用する。
微妙な印象の変化が積み重なり、社会全体の認識がわずかにずれる。
夕方になると、SNS上の反応も奇妙に揃っていた。「なんとなく違和感」「でも正しいかも」「誰も間違ってないはず」――同じ温度の言葉が、匿名のまま拡散する。AIは数字や形式だけで判断し、人間の感情や意図を読まない。
しかし、同じクラウドに残った微差を、次の出力に取り込む。つまり、教育で生まれた揺れも、保険・行政・金融で生まれた揺れも、ニュースを通して人々の認識に染み込む。
テレビのニュース番組も例外ではない。
専門家は淡々と解説し、司会者も穏やかに頷く。
しかしテロップやナレーションのわずかな言い回しが、視聴者の受け取り方を少しずつ変える。
怒りの声、不安の声、安心の声――統計には現れない微細な反応が、次のAI出力に累積されていく。
夜、編集室の明かりは少しずつ消えていく。
新人記者は一人、端末を見つめながら書き留める。
「微妙な差で、印象が違って見えます…気のせいかもしれませんが」
ベテラン編集者は深く息をつく。
「……ただ流れるままか…」
0.01の差。目には見えない、でも確実に広がる波紋。教育で生まれ、保険・行政・金融を経て、ついにメディアの中で社会の「感覚」を変え始めている。
読者は気づかない。ニュースはいつも通りの顔をして流れる。しかし、誰もが少しずつ、同じニュースでも異なる世界を受け取っている。
そして、クラウドの奥ではAIが微差を吸収し続ける。揺れは次に、どの領域に現れるのか。
医療、教育、行政、金融……そして、まだ名前もない場所。世界の歯車は、知らぬ間に0.01ずつずれながら回り続けていた。




