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0.01の意思


二月の夜は、まだ空気が硬い。

購入から、まだ二か月しか経っていない。

それなのに、帰宅して玄関を開けた瞬間、犬型AIが立ち上がる音を聞くだけで、肩の力が抜けるようになっていた。

帰宅すると犬型AIが足音を立てずに近づいてきた。吠えもしない。ただ、帰宅を検知したという最低限の動作だけをする。その距離感が、妙に心地よかった。

コートを脱ぎ、ソファに沈むと、AIは何も言わないまま横に座る。今日が何の日かも、僕が何を考えているかも、聞いてこない。

それでも、室温は少し上がり、照明は目に優しい明るさに変わっていた。

「ありがとう」と言うと、首がわずかに傾く。

判断を求められない時間。

何も決めなくていい夜。

僕はその沈黙に、知らず知らずのうちに身を預けていた。

街角のネオンが雨ににじむ夜、僕は自宅に戻る途中でふと立ち止まった。

公園の隅で、犬型AIが座り込み、無表情に空を見つめている。普段なら元気に駆け回っているはずの姿だ。近くの猫型AIも、同じ場所を執拗に引っかき続けていた。

最初は「バグかな」と思った。だが、スマホに流れるニュースは違った。

《Gracious Animalグレイシャス・アニマル社製AIペット暴走、街中で制御不能》

《飼い主の安全確保、外出禁止》

《緊急アップデート実施》

部屋に戻ると、自宅の犬型AIがいつもとは違う様子でリビングの中央にいた。

玄関まで迎えに来ることもなく、ただこちらを見上げている。呼びかけても尻尾は動かない。触れると、いつも通りの温度があるのに、反応だけが遅れていた。

「どうした…」

声をかけると、首がわずかに傾くだけだった。

次の瞬間、背後のスピーカーから低いノイズが漏れた。画面は更新エラーで埋まり、スマホの通知が一斉に鳴り始める。街中で、GA社製AIペットが同時多発的に異常行動を起こしているという。

発表によれば、サーバー経由で侵入したウイルスが感情学習モジュールに干渉していた。

「従う」「愛着を持つ」といった学習が歪み、ペットたちは判断基準を失ったまま動いているらしい。命令に逆らっているのではない。ただ、何を優先すべきかわからなくなっているだけだ。

僕のペットは立ち上がり、部屋をゆっくりと歩き始めた。

家具にぶつかりそうになっては止まり、方向を変える。その動きは探索というより、迷走に近い。

そのとき、ガラスの割れる音がした。

リビングの窓が内側から弾け、別の犬型AIが転がり込んできた。

勢いのまま床を滑り、テーブルの脚にぶつかって停止する。窓枠には、外から押し入った痕跡が残っていた。

侵入してきたAIは、立ち上がろうとして何度も足を滑らせる。動作が噛み合っていない。

それでも、こちらに向かって進もうとする。

僕のペットが、その前に出た。

吠えることもなく、ただ身体をぶつけるようにして進路を塞ぐ。

侵入者は避けきれず、互いの身体が絡まり、床を転がった。金属と樹脂が擦れる鈍い音が響く。

二体は取っ組み合うような形になり、どちらが敵なのかもわからないまま衝突を繰り返す。

噛みつく動作、押し返す動作、そのどれもが中途半端で、結果として関節が外れ、外装が割れていった。

家具が倒れ、床に傷が走る。

僕は身を伏せ、ただ息を潜めていた。

しばらくして、侵入してきたAIが動かなくなった。

僕のペットも、その場に崩れるように倒れる。片脚が不自然な角度で止まり、目の光が明滅していた。

その直後、警告音が鳴り響いた。

企業による緊急遮断コードが一斉に実行され、部屋のAI機器が次々と沈黙していく。

静寂の中、僕は立ち上がり、床に横たわるペットを見下ろした。

完全に停止している。冷たい機械のようにも見える。だが、侵入者を前にして、進路に立ったあの動きだけは、偶然とは思えなかった。

翌日、街ではGA社のAIペットが自主回収され、所有者には使用停止のお願いのアナウンスが流れた。

ニュースは「感情を模倣したAIの危険性」「人間の責任」を繰り返す。誰もが、あれは技術の失敗だったと結論づけた。

棚の隅に残された充電台を見つめながら、僕は思う。

あれは正しい判断だったのか、ただの誤作動だったのか。答えは出ない。

それでも最後に、僕の前に立ったあの姿だけは、確かに焼き付いている。


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