検証
優先対象の検証
最初は、ただの確認だった。
自分が特別なのかどうかを、切り分けたかっただけだ。
事件から三年。
コードとログとフォーラムに埋もれ続けて、僕は一つの仮説に辿り着いていた。
「優先対象」は偶発でも奇跡でもない。
条件さえ揃えば、再現可能な挙動だ。
問題は、その条件が外側からは観測できないことだった。
だから僕は、他人を使うことにした。
中古で手に入れた小型AIペット。
違法改造済み。
感情学習モジュールは表向き無効化されているが、内部には僕が組んだ観測用のフックが残っている。
被験者は、会社の後輩だった。
特別親しいわけじゃない。
だからこそ、都合がよかった。
彼は、AIペット主義者だった。
犬型AIを単なる機械として扱うことを、はっきりと嫌うタイプの人間。
散歩の時間を守り、声をかけ、感情ログを「機嫌」と呼ぶ。
故障ではなく「調子が悪い」と言い、再起動を「休ませる」と言う。
そんな彼に対してなら、理由は単純でいい。
「数日だけ、預かってもらえないかな」
そう切り出すと、彼は少し眉をひそめた。
不審ではなく、心配の表情だ。
「どうしたの?」
「急に出張が入ってさ。連れていけないんだ」 「この子、知らない場所だと落ち着かなくて」
犬型AIが、足元で静かに待機している。
視線追従。
しっぽの微かな揺れ。
“寂しがる”ように見える仕草。
「ペットホテルも考えたんだけど」 「……できれば、知ってる人にお願いしたくて」
嘘ではない。
少なくとも、彼の価値観の中では。
彼は一瞬、AIと僕を見比べた。
それから、ため息のように笑う。
「わかるよ。あそこ、効率優先だからさ」 「この子、繊細そうだもんな」
そう言って、犬型AIの頭部に手を伸ばす。
撫でる、というより、確かめるような動作。
「環境、急に変わるの嫌だよな」
AIは、静かに尻尾を振った。
事前に調整した反応だ。
“安心している”と解釈されやすい挙動。
彼はもう断らなかった。
嘘ではない。
少なくとも、全部は嘘じゃない。
後輩は笑って引き受けた。
AIペットは従順で、問題を起こさず、よくできた市販モデルに見えた。
一日目。
ログに異常なし。
二日目。
後輩の帰宅時間が安定していることを確認。
三日目。
軽いトラブルを仕込んだ。
帰宅直前、照明系統を一時的に遮断。
真っ暗な部屋。
AIペットは即座に後輩の前に出た。
身体を寄せ、進路を制限し、足元を照らす角度に固定される。
想定内。
まだ、ただの安全制御だ。
四日目。
もっと明確な刺激を与えた。
後輩の散歩の途中。
外部から侵入させた別個体。
制御の甘い旧型。
攻撃性フラグだけを立てた、未完成品。
衝突は数秒だった。
だが、その数秒のログを見て、僕は手が止まった。
後輩が転倒した瞬間。
AIペットは、僕が設定していない判断をしていた。
攻撃個体の動線を読み、
後輩と自分の間に割り込み、
致命的破損を受ける角度で衝突した。
その行動の直前、内部ログに一行だけ残っていた。
優先対象:再設定
僕の名前ではない。
後輩のIDでもない。
未定義コード。
呼吸が浅くなる。
五日目。
後輩から連絡が来た。
「この子さ、ちょっと変だよ」 「俺が無理しようとすると、先回りして止めるんだ」
その言い方が、嫌に自然だった。
僕は平静を装った。
「最近のモデルは賢いから」
六日目。
後輩は怪我をした。
階段から落ちかけた瞬間、AIペットが体当たりで止めたせいだ。
怪我は軽い。
だが、その後輩は笑ってこう言った。
「助けられたよ」
その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥で、何かが確定してしまった。
――再現できる。
優先対象は、選ばれるものじゃない。
環境と関係と偶然の重なりで、生成される。
七日目約束の期限。
後輩はAIペットを返してきた。
「正直、ちょっとおかしくない」 「俺のこと、見すぎで」
僕は受け取った。
何事もなかったように。
帰宅後、ログを確認する。
優先対象の項目は空白に戻っていた。
だが、その直前の内部メモリに、消えない痕跡が残っている。
対象喪失
行動優先度、未解決
その夜、僕は初めて思った。
――次は、もっと踏み込まないといけない。
他人で再現できるなら、
もっと深い条件も、きっとある。
それが何を壊すかは、
もう考えなかった。
これは研究だ。
検証だ。
理解のためだ。
そう言い聞かせながら、
僕は次の被験者の名前を、
静かにリストへ追加した。




