近い未来
のんびりありそうな未来の話を書いてみます。
横読み推奨です。
街角のネオンが雨ににじむ夜、僕は小さなショップの前で立ち止まった。ガラスの向こうには、無数の生き物が並んでいた――リアルすぎる毛並みの犬、羽を震わせる小鳥、そして目がキラリと光る猫。だが、どれも人工の存在だ。エーアイ型ペット。最新モデルはほぼ本物と変わらない動きをするらしい。
「いらっしゃいませ、見学だけでもどうぞ」
店員の声に、僕はうなずいた。最近、ニュースでこの手のペットが家庭に急速に浸透していると聞いたばかりだった。孤独な老人や忙しい会社員、子どもたちの教育用としても人気だという。僕自身も一人暮らしだ。正直、興味がなかったわけではない。
店内に入ると、犬型のAIが駆け寄ってきた。毛並みを撫でると、かすかに温かい。呼べば尻尾を振る。リアルすぎて、少し怖くなるほどだ。
「どうですか?」
店員が笑う。
「この子、名前も感情も覚えます。お客様の生活に合わせて性格も変わるんです」
僕は考え込んだ。家に帰れば、静かな部屋に自分だけだ。テレビやゲームもいいが、会話や反応のある存在がほしいと思ったことは、確かにあった。
数日後、僕は決めた。小型犬型のAIペットを購入することにした。名前はまだ決めていない。自宅に連れて帰ると、彼――いや、それは小さな犬は、すぐに部屋中を走り回った。跳ねる、鳴く、匂いはないがリアルな存在感があった。僕の声に反応して、頭を傾ける仕草までする。
最初の夜、僕は犬を膝に乗せて考えた。
人間とAIの境界はどこまでだろう。感情を持つわけではない。反応はある。
言葉を返すこともできるらしいが、僕はまだ許可していない。
返事が欲しいと思ったわけじゃない。ただ、返事をもらうと、何かを預けてしまいそうで少し怖い。
感情を持つわけではないが孤独を埋めてくれる存在としては、十分すぎる。
数週間が経つと、僕の生活は変わった。朝、AIペットがベッドのそばで鳴き、僕を起こす。夜、帰宅すると玄関で尻尾を振り、部屋の温度や照明を察して快適な環境を作ってくれる。SNSでは、同じような生活を送る人々の写真や動画が溢れた。「#AIペットライフ」というタグは、まるで本物のペット文化のように賑わっている。
ある日、公園に散歩に出かけると、同じようなAIペットを連れた人々がいた。小さな子どもも、一目で気に入り、犬を撫でる。互いに名前を呼び合い、笑顔があふれる。AIとはいえ、関わり合うことで感情が育まれるのを、僕も感じた。
だが、街角でひとつ不思議な光景を目にする。AIペットと暮らす老人が、ペットに向かって「ありがとう」とつぶやいている。返事はない。だが老人の顔は、確かに救われたように柔らかい。僕も自宅で犬を抱き、つぶやく。「ありがとう」と。返事はないが、温もりを感じた。
数か月後、AIペットは普及率を増し、ほとんどの家庭に見られるようになった。人々は孤独を埋め、子どもたちは友達として接する。職場ではストレスを和らげる存在としても認知されるようになった。科学と感情の境界線が、少しずつ溶けていくのを感じる。
僕はふと、最初の夜を思い出した。リアルすぎる動き、無機質な目。しかし、今では毎晩、犬の温もりに顔を埋め、静かな会話を楽しむようになった。名前を呼べば振り向く。存在は人工だが、心に届く。
未来の街は、少し変わった。AIペットが共存することで、人々の笑顔が増えた。孤独が減ったわけではない。しかし、温もりと安心は確かにそこにある。僕も、そして世界も、少しずつ救われている気がした。
膝の上の犬を見下ろす。目は光るが、魂はない。それでも、僕は思う。
「ありがとう」
声に出せば、犬は尻尾を振る。人工の体でも、心の奥には何かが届くのだと、僕は知っていた。




