8話 眠る殺し屋
職業柄よく同業者と話題の種となる会話がある。
『人を初めて殺した時の事を覚えているか?』
答えは人によって様々だ。 ある者は自身の生物としての強さに酔いしれ多幸感を覚えたと言い、ある者は人として絶対に犯してはいけない罪を悔やみ、絶望感に浸るなど。
俺はどれも該当しなかった。 ただ思う事は平常。 蒲公英の綿毛が風に吹かれ宙を舞うのが当然のように、自分の中の日常に一片の狂いは無かった。
きっと俺は記憶を失う前に人を殺めたことがあるんだと思った。
だからこの手の質問に対して俺は必ずこう答えた。
『もう、忘れてしまった』
◇
ピピピ…… ピピピ……。
一昨日、セットしたアラームの解除を忘れ、今日も同じように音が鳴る。 零はそれに気づきベッドから跳ね上がる。
布団の中に少女の姿は無い。 時計に目をやると8時を指していた。
バクバクと音を立てる心臓に耳を澄ませながら夜の事を思い出す。 昨日意識があったのは丁度0時前だ。 故に8時間も意識を失った状態にあった。
眠ることのできない零だが唯一睡眠に近い感覚を覚える時がある。
それは死だ。 死ぬときは意識が飛び気が付いたら時間が経っている。 これを睡眠に例えるのはあまりにも常識的ではないが零の中ではそうなのだ。
逆算して意識外に少女、もとい響に殺されたことになる。
思考を回転させていると寝室のドアの向こう側から物音がする。 きっとまだ響がいるのだ。
ベッドの下に隠してあった拳銃1丁とナイフを引き抜き、構えながら寝室のドアを開ける。
響は当たり前のようにキッチンに立ち、鍋をかき混ぜていた。 こちらに気づくと響はコンロの火を止め、零を見つめる。
「おはよう。 よく眠れたみたいね。 昨日とは別人だわ」
銃口を突き付けられているにも関わらず一切の表情の変化を見せずそう言う。
「よく眠れただと? 虚言を吐くのは俺だけで十分だ。 深夜俺を殺しただろう?」
「寝ぼけているの?」
響の指摘通り普通なら支離滅裂な事を言ってるだろう。 だが零は真剣だ。
「そこまでとぼけるなら見せてやる」
零は銃を持った腕を響に見せるようにしてナイフで切る。
血は重力に従ってゆっくりと地面に落ちようとするが落ちる前に傷口に吸い寄せられ、元の通りに戻る。
「あなた人間なの?」
「お前も一緒だ」
零は自分でも嫌と言うほど理解している疑問を投げつけられ苛立ちを隠せない。
「私は人間よ」
「だったら試してみるといい」
響の足元に乱雑にナイフを投げる。 床にぶつかり金属音が鳴るナイフを響はジッと見つめた後、拾い上げ表情を一切変えず、刃の部分を強く握る。
結果は零と同じだった。 傷跡など一切残らない。
「人間じゃないかもしれないわ」
「そうだな。 じゃあこれからどうする? 化け物同士仲良く踊るか?」
「でも、人間でありたいと思うわ」
そう言いながら響はナイフを手に持ち、零にへと返す。 響の瞳には一切の揺るぎが無い。
「ハァ……」
零は銃を構えてるのが阿保らしくなり、銃をテーブルに置き、ナイフを受け取り、鞘に納める。
「もう一度聞くが深夜俺には何もして無いんだな?」
「強いてあげるならよく寝てるなと思ってほっぺをプニッってしたぐらいよ」
「余計な情報ありがとう」
部屋を見渡すと辺りは片づけられていた。 響が早く起きてやってくれたのだろう。 ソファーにどっかりと座りかける。
「どうしてそんなに深夜の事を気にするの?」
「この体質の副作用で俺は眠れないんだ。 唯一睡眠に近いと思うのが死ぬほどの致命傷を負って意識が飛ぶときだけだ。 だから俺はお前に殺されたのかと思ったんだ」
「不憫な体質ね」
「お前はよく眠れたのか?」
「ええ。 ぐっすりと」
同じ能力を持っているにも関わらず零と響は違うようだ。 零の不眠は別の要因にあるかもしれないとそう思った。
「そういやお前鍋の前で何してたんだ? 味噌の匂いがするが」
「朝食の真似事よ。 味噌汁しか作れなかったけど」
そう言いながら響はオープンキッチンにへと戻る。 引き出しを開け、カチャカチャと迷いなく食器を取り出す様子から掃除の時に場所は網羅した様子だった。
「はい、具なしだけど」
そう言いながら先に釘を刺した通り具なしの味噌汁が机に二つ置かれる。 ソファーの隣に響が座り、飲むのを促す様に見つめてくるので零はそれを口にした。
「どう。 感想は?」
具材など一切入ってない訳で、只々純粋な味噌の味しかしない。 けれど。
「懐かしい……な」
「おふくろの味的なやつかしら」
「いや単純に味噌汁を飲む機会がここ数年無かったからな」
「いつも食事はどうしていたの?」
「食事を取らなかった。 食わなくても動けることが分かったからな。 多分お前もそうだぞ」
零は当たり前の事のように言う。 だが事実、不死と起因しているのかは分からないが食事を取らなくてもこの体は生命を維持できていた。 腹は減るが、空いた腹は酒で満たせばいいだけの事だ。
「お酒は飲むくせに?」
「車はガソリンが無いと走らないだろう?」
「屁理屈ばかりね」
酒はただ好きだから飲んでいただけだ。 深い意味などない。
「よし決めた」
響は飲み干した茶碗を二つ手に取り立ち上がりながら決心する。
「あなたの人間性を取り戻してあげるわ」
「違うな。お前が取り戻すのは自分の記憶だ」
「それのついでよ。 私を買ってよかったってそう思わさせてあげる」
「ついでで得られる人間性か」
零は響の言葉に思わず失笑してしまった。




