6.VS爆食鼠の妖獣
休日の朝、
紐野繋は夢を見ていた。それは悪夢と言えば悪夢かもしれなかったが、ある意味では非常に良い夢でもあった。
夢の中で彼は巨大な妖獣となっていた。ナメクジ妖獣と触手妖獣を組み合わせたような不気味な形状。そして彼は魔法少女キリを襲っていた。
キリは泣き叫び、彼の名前を知らないはずなのに彼に助けを求めていた。醜い征服欲求に突き動かされた彼は、「ざまあみろ!」と満足げに声を上げる。
“僕を足手まといなんて言うから、こういう目に遭うんだぞ!”
そして数多の触手で彼女を捕らえると、服を破き、肉体を蹂躙し弄び、そして最後には大きな口で彼女を呑み込もうとしていた。
彼女を自身の一部にする為に……
紐野繋は彼女を完全に呑み込んだところで目が覚めた。ベッドの上。当然のように勃起していたが、朝だからそれは仕方がなかったのかもしれない。もっともそれだけが理由ではなさそうだったが。
「クソッ…… 別に僕はあいつにそんな欲求なんて持っちゃいないぞ」
と、自身に言い聞かせるように独り言を言う。
それから、あんな夢を見たのはきっと妖獣の姿がまるでエロゲーにでも出て来そうな形状だった所為だと思い込もうとした。
グロテスク。
それから彼は首を傾げる。結界を張る妖獣の特性の内、それだけが彼には合点がいかなかったのだ。人気のない場所に現れるのも、結界を張って音を遮断するのも、魔法少女を捕らえる為だと考えるのなら理に適っている。知性があるのは、魔法少女を捕らえる為なのか、それともそもそも知性があるからこそ魔法少女を捕らえようとしているのかは分からないが、いずれにしろ説明は可能だろう。
――でも、どうしてグロテスクな姿をしてる事が多いんだ?
そこだけが理に適っていない。
むしろ可愛い姿の方が、魔法少女を油断させられそうな気がする。もちろん、妖獣が自由に姿を変えられるという訳ではないのだろうが。
“……知性がある”
と、彼は心の中で呟いた。
“まさか、魔法少女を襲う気分を盛り上げる為とかじゃないよな?”
それから彼は首を左右に振った。そんなはずがあるはずないと思ったからだ。
酷い夢の所為か、眠気は完全に飛んでいた。ただ、そもそも時計を見ると、既に10時を回っていた。十分に睡眠は取ったらしい。少々寝坊が過ぎたかもしれない。何気なくスマートフォンを確認すると、先日加入した魔法少女ファン・コミュニティから連絡が入っていた。どうやらショッピングモールに妖獣が出たようだ。大きな鼠の姿をした妖獣。グロテスクな姿はしていない。
「魔法少女青蓮が退治に現れた…… のか」
キリはやって来てはいないらしい。
魔法少女青蓮はステータスはそれほど高くない。攻撃力:C、スピード:B、防御力:B、魔法力:Cといった程度の評価だ。が、中国拳法っぽい動きを得意とし、体術に優れている為、戦闘の実践値は高い。恐らく身体能力強化系の魔法を使っているのだろう。驚くほどの連撃が可能で、接近戦では魔法少女達の中でもトップクラスの実力を誇る。
鼠の妖獣はどうやら5体も現れているらしいが、恐らく彼女はこの妖獣とは相性が良い。情報によると鼠の妖獣はスピードが速く、遠距離から魔法攻撃を当てるのは難しそうだが、近距離戦で体術を使う青蓮ならば問題にならないだろう。逆にキリは相性が悪そうだ。彼女は遠中距離戦が得意、飛び道具の魔法攻撃はなかなかスピードがある妖獣には当たらない。
朝飯を食べたら、一応見に行ってみるかと紐野は考えた。人が多いから、爆弾は使えないかもしれないが。
書店内に少女がいた。
大きな黒縁メガネ、多い毛量の髪を後ろに編み上げて束ねているのが印象的だ。いかにも地味そうで文学好きそうな外見だが、彼女は魔法少女の専門コーナーにいて、しかも戦略について詳しく解説してある本に興味津々といった様子だった。
そこでスマートフォンのアラームが鳴る。メッセージを受信したのだ。その文面を読んで彼女は頬を引きつらせた。慌てて店内のトイレに入ると声を上げる。
「K太郎! どうせ聞いているのでしょう? 出て来なさい!」
それを受けると、『なんだい? 騒がしいな、キリ』と幼い少年のような声が響き、猫か兎か狐か分からないような風貌の白い獣が空中に現れた。
浮いている。
『ここ、女性トイレだよね? ちょっと照れるな』
「誤魔化さない! どうして妖獣が出ているって教えてくれないのよ?」
スマートフォンには、“大鼠の妖獣が現れた”というタイトルのインフォ画面が映っていた。魔法少女ファン・コミュニティから流れて来たものだ。
K太郎という名であるらしいその獣は肩を竦める。
『その妖獣は君とは相性が悪いと思ってね。青蓮が行ってるみたいだし、大丈夫じゃない?』
「鼠は5体もいるのよ? 5対1じゃない。多勢に無勢よ」
『彼女が苦戦するようなら、そのうち他の魔法少女が参戦すると思うよ』
「なら、その他の魔法少女がわたしよ!」
K太郎は溜息をもらす。
『行くの?』
やれやれといった様子でK太郎は首を左右に振った。
『君も損な性分だねぇ。先日、苦戦したばかりだし、休んでいれば良いのに』
「青蓮一人に任せられないでしょう?」
そう言うと、彼女はトイレから勢いよく飛び出した。
紐野繋はショッピングモールに着くとキョトンとした顔になっていた。魔法少女キリがいたからだ。スマートフォンで調べてみるとどうも途中から参戦したらしい。5体の妖獣相手にやや押されていた青蓮の元に、キリが現れて2体を引き受けたようだった。
記事によると、青蓮が鼠の一体に突き飛ばされてピンチに陥ったタイミングで、追撃をしようとする鼠に風の刃が放たれた。そして、弾け飛んだ鼠の前に、キリが現れたらしい。鼠達の前に立ちはだかった彼女は「応援に来たわ」と青蓮に言い、「ありがとう。助かるわ」と青蓮は返し共闘が始まったそうだ。爽やかな青春ものを見ているようだとコメントが入っていた。魔法少女同士の友情は美しい、と。が、紐野はやや呆れていた。
“なんだかなー。相性が悪いだろうに、あいつもよくやるな”
と、彼は思う。
鼠の大きさは150センチほどだった。的としては大きくはない。キリの攻撃は当て難いだろう。
青蓮はキリよりも少し歳上の外見をしていて、中性的な魅力がある。爽やかな雰囲気が好評で女性ファンも多いようだ。チャイナ服っぽい青と白と緑の衣装もよく似合っていて、ショートカットの髪型とよくマッチしている。
紐野が観ていると2体の鼠が青蓮に向かって双方向から襲いかかった。彼女は両手を広げるような動作で掌底を当てその2体を突き飛ばす。するとそのタイミングで残りの1体が正面から襲いかかって来た。ピンチかと彼は思ったが、彼女は鼠の開けた顎に手を添え、それからまるで合気道のような動作で投げ飛ばしてしまった。中国武術が基本なんだか、日本武術が基本なんだか分からない。
突き飛ばされたうちの鼠の1体の近くには、スナック菓子の袋がたくさん転がっていた。鼠はそれらを口に頬張って噛み砕いていく。爆食している。「戦闘中に餌を食うのか?」と紐野は疑問に思ったが、食い終わると同時に鼠は高速で青蓮に向かって突進した。
“さっきよりも速い?”
どうやらこの鼠は食べた物を瞬間的にエネルギーに変えられる能力を持っているらしい。しかし、その速度にも青蓮は対応した。カウンターで蹴りを一発入れ、怯んだ相手に更に連続で蹴りを叩き込む。
「百裂は、言い過ぎ脚! せいぜい、10回くらいしか蹴っていないからね!」
なんてふざけたセリフを言う。意外に余裕があるのかもしれない。一方キリは風の刃を鼠に向かって放っているがほとんどヒットしていないようだった。やがて彼女が相手をしている鼠2体は何処かに駆け出して行ってしまう。
「逃げるな!」
と叫んで彼女は追いかけたが、単に逃げただけには彼には思えなかった。辺りを観察して気が付く。
“もしかして、餌がないんじゃないか?”
先の2体がいた場所の周囲の食べ物はあらかた食い荒らされていたのだ。鼠達が餌を探しに行ったのだとするのなら、見つけた瞬間に爆食し、パワーアップして彼女に襲いかかって来る危険がある。つまり、罠だ。
“あの単純バカが!”
彼は心の中で叱ると、魔法少女キリを追いかけた。
しばらく進むとバーガーショップとアイスクリーム屋が並んでいる開けたエリアが見えた。中央にはキリがいて周りを警戒していた。店頭のハンバーガーがほとんど消えている。鼠達が食ったのだろう。紐野の予想通りなら、パワーアップした鼠達は彼女に襲いかかるはず。そう不安になった刹那、何処に潜んでいたのか、2体の鼠がキリに襲いかかった。1体はキリの腕にもう1体は足に噛り付く。
「痛いわねぇ!」
噛みつかれた彼女は、そう叫ぶと杖を振るって風の刃を鼠達にヒットさせた。弾け飛んだが、威力は低そうだ。互いに大きなダメージにはなっていない。それから直ぐに鼠の1体が彼女を威嚇し始めた。そしてもう1体はアイスクリームショップへと向かう。どうやら1体が彼女を足止めしている間で、もう1体はパワーアップをするつもりでいるらしい。
“このままじゃ、やばくないか?”
と、紐野は不安になる。魔法少女キリはやられてしまうかもしれない。そこで彼は彼女と目が合った。彼女は彼に気が付いたらしく、“またあなた? 爆弾なんか使うんじゃないわよ!?”と睨んで訴えていた。
「心配しなくても、こんな場所で使えるか」
と彼は小声でそれに返す。
人が多い。撮影もされている。爆弾を使えば間違いなく誰かに見られて警察に逮捕される。冗談じゃない。
――ただし、ちょっと、この爆食鼠どもはなんとかしたいと彼は思っていた。キリの為、という自覚はなかったが。
彼の見ている前で鼠はアイスクリームを爆食している。ケースごと貪り食っていた。“食べている”と言うよりは、“エネルギーを補給している”という表現が正しいように思える。
“これ、爆弾を食わせても気付かないんじゃないか?”
と、その様子を見て彼は思う。
もっとも爆弾を使うつもりはなかったが。
そこで彼の視界にドライアイスが散乱している様子が入って来た。中身の入ったアイスクリームの容器も近くに転がっている。鼠達が暴れて転がって来たのだろう。そして彼は近くにペットボトル用のゴミ箱があるのに気が付いたのだった。
閃く。
“もしかしたら、いけるかもしれない!”
妖獣退治の為だ。仮に見つかっても厳重注意くらいで済むだろうと考える。
悩んでいる暇はなかった。彼は意を決するとゴミ箱から空になった小さめのペットボトルの容器を取り出し、その中にドライアイスを詰め始めた。何本かドライアイスを詰め終えると、アイスクリームでそれをコーティングし、最後に蓋を閉めて鼠の近くに転がした。
転がって来たアイスクリームでコーティングされたドライアイス入りのペットボトルを見て、一瞬鼠は固まったが、深くは考えなかったようだった。口に全て放り込む。
「よし!」と彼は小さく呟いた。
それから3分くらい経過しただろうか。アイスクリームを食べ終えた鼠はパワーアップをしたようで、力をみなぎらせていた。キリに襲いかかる構えを見せる。それに気付いて彼女は怯えた表情を見せた。が、その瞬間だった。鈍い爆発音が聞こえたのだ。鼠は目を大きくし、驚いたような顔になる。
“鼠の体内はどうやら温かったみたいだな。予想よりも爆発が速かった”
そう紐野は考え、にやりと笑った。
――ドライアイス爆弾。
ドライアイスとは、もちろん固体になった二酸化炭素だ。二酸化炭素は気体になると体積が著しく膨張する。そして、容器などに入れておいた場合、その膨張圧に容器が耐え切れなくなって爆発するのだ。
“爆発については、色々と調べているんだよ、僕は”
悪そうな顔を紐野は見せた。
鼠は戸惑った表情を浮かべていたが、やがて2、3歩進んでから倒れた。体内での爆発だけが原因ではないだろう。二酸化炭素中毒。二酸化炭素は実は猛毒なのだ。濃い濃度を吸い込めば中毒症状が現れる。だから鼠は倒れたのだ。
妖獣に生物の常識が通用するかどうかは分からなかったが、今回の妖獣は食べ物からエネルギーを得ているようだった。なら、二酸化炭素にも普通の生物と似たような効果があるのではないかと彼は予想したのである。
爆発音があまり響かなったお陰か、騒ぎにはなっていようだった。
その成功に気を良くした彼は、もう何本かドライアイス爆弾を作った。そしてそれを魔法少女キリと闘っているもう一体の爆食鼠の方に転がす。食べてくれる事を期待したのだが、鼠は食べなかった。
“あれ?”
と、彼は顔を引きつらせる。
やがて数分が経過して、ペットボトルは爆発した。幸い鼠の近くだった。それに驚いた鼠に隙が生まれ、そこをキリが攻撃する。クリーンヒットになり、鼠は動かなくなった。
“まあ、結果オーライか”
と、それを見て彼は思った。
ただ、“だから、爆弾は使うなって言ったでしょうが!”とでも言いたげな怒りの表情でキリが彼の事を睨んでいたのだが。
それから紐野はその場から直ぐに退散した。誰にも見られていなかったのか、或いは見逃してもらえたのかは分からなかったが、誰からも咎められなかった。一応、ドライアイス爆弾を使うのは、誰にも怪我をさせなければ合法ではある(ただし、絶対にやらない方が良いが)。
『良かったね。今回も彼が助けてくれたお陰で勝てた』
紐野が去った後で、K太郎がキリの近くに現れてそう言った。K太郎の姿は周りの人間達には見えないようだ。
「助かったけど良くはないわよ」
機嫌の悪そうな顔でキリは返す。
「こんな事を繰り返していたら、彼、いつかは大怪我するか警察に逮捕されるわよ」
その顔はまるで弟を心配する姉か、子供を心配する母親のようだった。
※ドライアイス爆弾は合法ですが、安易に作って事故を起こしたら、もちろん大問題になります。興味本位で作らないようにお願いします。