40.キリが苦しむくらいなら、こんな世界は壊れてしまった方が良い
「――この世界の、上位の人間だよ」
紐野繋の言葉に二見愛、魔法少女キリは愕然となる。
「上位の世界って…… どういう意味? まさか神様?」
その言葉に紐野は苦笑する。
「神様とは呼びたくないなぁ。まあ、解釈次第では、そう表現できない事もないんだが」
それから今いるこの異様な空間を彼は見渡した。
「なぁ、キリ。ここが現実の空間だってお前は思うか?」
ほぼ何もない部屋。黒が実質的な色を持って存在しているような異質さ。窓があるが、切り絵のようで、ただの飾りに見える。
「思えないけど……」
「そう。恐らくここは僕らにとっても仮想空間だ。そして、こいつらにとっては、僕らの世界の全てが仮想空間なんだよ」
その説明でキリはなんとなく察したようだった。
「それって…… まさか」
「そのまさかだ。水槽の中の脳仮説ってのがある。この世界は全て誰かの見ている夢の中ってやつだな。昔っからこういう説はある訳だが、コンピューター技術の発達によってその仮説にリアリティのある変種が生まれた。もしかしたら、この世界はコンピューター内に創造された仮想空間なのじゃないか?
さて。キリ、もし、その仮説が本当だとしたら?」
「その仮想空間を作った上位の世界の住人がいるはず…… ってこと?」
「その通り」
それを聞くと彼女は戦慄した表情で根津とK太郎を見た。そんな相手、どうやっても敵わない。恐らく、そう思っている。紐野はそれを察したのかこう言った。
「だが、そんな連中だって全知全能って訳じゃない。例えば、人の心を読む事だって簡単にはできない。実際、僕の考えをこいつらは読めていなかっただろう?」
「どうして……」
「例えば中国語で書かれた本があると思ってくれ。それをお前は読めるか?」
「読める訳ないでしょーが。中国語なんて習っていないし」
「だよな。それと同じ理屈だよ。こいつらは僕の脳の情報は手に入れられる。どんな物質が分泌されていて、神経細胞にどう発火が起こっているのかとか。でも、それだけじゃ、僕の考えを読む事はできない。精々できて、大雑把に把握できる程度。脳の信号の意味を翻訳しなくちゃならないからな。或いは、本気を出せばできるのかもしれないが、それにはそれなりにコストがかかるはずだ。こいつらは僕らを舐めているから、そこまではやっていないだろう。だから、実質できない」
根津もK太郎も何も言わなかった。しかしその沈黙は彼の言葉を肯定していた。
「つまり、こいつらの能力は物理的、技術的に制約されているって事だ。CPUやメモリ、技術者達の労力、それら限界の壁は乗り越えられない。そこに大きな弱点がある。そして、もう一つ、倫理的な制約だってあるはずなんだ」
「倫理的な制約って……」
「アルバイトで知り合った人の中に、幸村っていうエンジニアで物知りな人がいてな、その人が教えてくれたんだ。仮想倫理学ってのがあるんだそうだ。例えば、仮想世界に生み出されたキャラクターをどこまで自由に扱って良いのか、なんてテーマを研究している分野らしい。
この世界にだってそーいうのがあるくらいなんだから、当然、上位の世界にだってあるんだろう。ある程度、似通っていなくちゃ、こいつらがこの世界の女の子に発情するはずがないからな」
その彼の主張にキリは戸惑った表情を浮かべた。
「いや、待ってよ。でも、こいつらは実際に女の子を凌辱しているのでしょう? 現にこーやってわたしも襲われているし」
「そうだろうな。前にピエロの怪人と闘っただろう? 小児性愛の変態。あいつは他の妖獣とはかなり違っていたが、きっと上位の世界の住人だ。恐らくは、こいつらの他にもあいつみたいなのがこの世界にはわんさかいて、こっそりと普通の人間にはできないような犯罪行為を楽しんでいるのだろう。反吐が出るよな」
「じゃあ、倫理的な制約なんてないじゃない!」
「そうだ。ない。問題は何故“ない”のかだ。何故、こいつらは倫理的な制約を無視していられる? 見つからないようにしているのならまだ話は分かる。しかし、少なくとも魔法少女に関しては相当に派手にやっているから隠しようがない。
……それを説明する仮説は一つしか僕には思い付けなかった」
それから紐野はK太郎に視線を向けた。
「K太郎。この世界は、他の仮想空間の違法コピーなんだろう? そして、こっそりと運営している。だから、倫理的に問題があっても誰も文句を言わない」
「違法コピー?!」
その彼の言葉にキリは驚きの声を上げる。K太郎はやはり何も言わなかった。彼は語り続ける。
「企業なのか国なのかは分からないが、お前らの世界にある何らかの巨大組織がコンピューター内に仮想空間を制作した。目的は分からない。研究なのか何かのビジネスなのか。だが、そこは今は重要じゃない。とにかく、それをお前らは非合法な手段で盗んだんだ。そのお陰で制作コストは大幅に浮かせられたはずだ。性娯楽ビジネスの類だけじゃ、これほど大規模な仮想空間の制作コストを回収できるとは思えないが、違法コピーなら話は別だからな。
さんざん、僕のことを社会不適合の“違法少年”と馬鹿にしていたくせに、お前らの存在自体、いや、この世界そのものが違法だったって訳だ。笑わせるね。
――この変態の社会不適合者が!」
その挑発を受けて、ようやくK太郎は口を開いた。
『社会不適合者だ? 爆弾魔の少年に言われたくないね。君なんか、キリに出会ってなかったら今頃少年院に入れられて暗い人生を送っているだろうよ。
そもそも、ボクらにとって君らは単なるゲームのNPCに過ぎない。NPCを凌辱するのに心が痛むか? 馬鹿馬鹿しい。殺したって拷問したってなんら問題はない。罪だと考える方がおかしいんだ!』
「NPC?」
紐野はK太郎のその主張を聞くと、口の端を上げて笑った。
「じゃ、お前らはただのNPC相手に大金払って取引しているのか? 違うだろう? この世界の住人を、人間だと認識しているからこそ、お前らはとんでもない労力をかけてこんな事をやっているんだ。自分達が救いようのない異常者だって素直に認めろよ。
イケメンと可愛いマスコットキャラクターのアバターを使っているが、どうせ中身は醜い中年なんだろう? 外面じゃ抑えきれない醜い内面が溢れ出てやがるぞ!」
そこでK太郎は凶悪な瞳で彼を睨みつけた。何も返さない。紐野は不敵に笑う。舌戦では彼が勝利したようだ。が、そこで声が聞こえた。
『もういい』
根津だ。
『私達がお前らをどう認識していようが、そんなのはどーでも良い話だ。それでどうやって君は私達に勝つつもりだ? この絶望的な状況を打破なんてできないだろう? 私達を怒らせたって激しい苦しみが待っているだけだぞ?』
根津の言葉に「繋君?」とキリが心配そうに呟く。紐野はゆっくりと呼吸をしてから返した。
「僕がお前達の正体に気付いていながら、何の策もなしに乗り込んでくると思うか?」
『なんだと?』
それから彼は毅然とした口調で言った。
「このビルに爆弾を仕掛けてある」
『あ?』
「お前も覚えているだろう? 顔なしブロントサウルスの時に手に入れたプラスチック爆弾だよ。時限式で既にスイッチは入れてある。かなりの威力だから、爆発すればこのビルは半壊するな。倒壊するリスクだってある」
それを聞いて、K太郎は笑い始めた。
『アハハハハハハ! 何かと思えば所詮は子供だな。ボクはこの世界では神にも等しい存在なんだぞ? その程度が脅しになるか!』
「へー」とそれに紐野。
「じゃ、見つけ出してみろよ。どうやって検索をする? どんな形をしているか分かるか? お前らの中に化学の専門家がいなければ組成だって分からない。言ってみろよ。何をキーに検索をすればプラスチック爆弾を発見できる?」
強がって彼はK太郎達を脅していたが、半ばそれは賭けに近かった。もしかしたら、見つけられるかもしれないのだ。だが、K太郎は何も応えなかった。恐らく、見つける手段はないのだろう。
彼はにやりと笑った。
「ほら、早く僕らを解放しないとな。そろそろ爆発する頃だぜ」
得意になっている彼に向けて根津が言った。
『馬鹿か君は。確かにプラスチック爆弾が爆発すれば、この催しは一時的には中止にせざるを得ないがそれだけだ。期間を置いて、また彼女を襲えば良い。それに、君は警察に捕まって二度と出ては来られないぞ?』
「そーなったら、そーなっただよ。お前がキリに何をしたかを証言すれば、お前は社会的に抹殺されるぜ。この世界では、そのアバターで通っているのだろう?」
『くだらない!』
と、それを聞いてK太郎が怒鳴った。
『だから、ボクは神にも等しい存在だと言っている! そんな事をしても全て無駄だ!
プラスチック爆弾が爆発しようが、お前がなんと証言しようが、すべて無かった事にできるんだよ!』
それを聞いて、紐野はにやりと笑った。
「その勘違いが、お前の最大の弱点だよ」
『あ?』
「お前は自分を神だと思っているようだが違うよな? 爆弾の影響をゼロにするのも認識阻害も記憶操作も何もかも、エンジニア達がやっているんだろう? つまり、神にも等しい力を持っているのは、本当はエンジニア達だって事になる。お前は彼らの負担は考えているのか? 彼らの労働負担を考えるのなら、お前はここで僕の提案を呑むべきだ」
『馬鹿か。あいつらはボクの部下だ。逆らえない。そんなのは気にするような話じゃない!』
その言葉に紐野は冷たい視線を送った。
「やっぱりな。お前は彼らを人間だと思っていないんだ。だから平気で物のように扱えていたのだろう? この世界の住人を、お前はNPCみたいなもんだと言った。その所為で感覚がおかしくなっているんじゃないのか?
いや、そーいう人間は昔からたくさんいるから、お前は初めからそーいう人間なのかもしれないけどな」
紐野が何故そんな事を言うのか、K太郎には理解できないようだった。更に紐野は言葉を続ける。
「忘れているのか? お前は、違法行為をやっているんだぞ? もし警察に告発されたらお終いだ。そんなの、弱点だらけじゃねーか。それなのに、何を神様気取りでふんぞり返っているんだよ!」
『何を……』とK太郎が何かを言いかけたが、その前に紐野は叫んでいた。
「さあ! こいつが、君らを物扱いしているって証拠は示したぞ! お願いだ! 約束通りにこいつらの罪を告発してくれ!」
彼が誰に向かって話しかけているのかK太郎は理解できていないようだった。が、そのタイミングで根津が姿を消す。それを見て彼が「チッ 逃げたか。勘が良いな」と呟くと察したようだった。
『……まさか、お前、エンジニアどもと通じていたのか? あいつらに警察へ告発させるつもりか?』
「ああ、詰めが甘いなK太郎。神様気取りでいるから、警戒心が薄くなるんだよ。さんざん彼らをこき使っておいて、彼らに不満が溜まっているって予想できなかったのか?」
『馬鹿か! ここが違法コピーで生まれた世界だって分かっているのだろう? もし警察に把握されたら、最悪、この世界は削除されてしまうんだぞ?』
「それがどうしたよ?」
淡とした口調で紐野は言った。
「全てが消えるのなら、その方が誰も苦しまなくて良いじゃないか」
『なっ、なんだと?』
その言葉にK太郎は驚愕する。
『お前、よくもあっさりとそんな発想ができるな! 狂人め! 魔法少女を助ける為に全世界を犠牲にする気か?』
「お前がさっき言った通り、僕は元は自暴自棄の爆弾魔だからな。真っ当な精神を期待する方がどうかしている。
僕はキリに救われたんだ。……キリが苦しむくらいなら、こんな世界は壊れてしまった方が良い」
そこで「繋君」とキリが言った。根津が逃げたので彼女は束縛から解放されたのだ。
「――それは本当なの?」
「ああ。助けたいのは、君だけじゃないけどな。ファイヤビーはきっと捕まって今も苦しんでいる。お前が憧れていた魔法少女キリカも。それに魔法少女をコピーして作られているだろう少女達も。不可視の少女を覚えているよな? あの娘はきっと君のコピーだったんだよ。彼女みたいな犠牲者が、この世界には山のようにいるんだ。
彼女達の犠牲の上で存続させるほど、この世界は価値のある場所じゃない。戦争、虐待、貧困。くだらない現実に溢れている」
それを聞くと、K太郎は叫んだ。
『何を勝ち誇っている! まだエンジニアどもが裏切ると決まったわけじゃないだろうが! あいつらだってここがバレれば無事じゃ済まないんだぞ?!』
しかし紐野は慌てない。
「そうか? でも、お前は考えた事はなかったのか? お前らがこの世界の住人を人間と認識しているからこそ凌辱に快感を覚えるように、彼らはこの世界の住人を人間だと認識しているからこそそれに罪悪感を覚え、苦しんでいるって。こんな事はもう止めたい。罪滅ぼしがしたいと思っているとは考えないのか?
……ま、もしかしたら、お前には理解できないのかもしれないけどな」
それから彼は天井を見上げると声を上げた。
「お願いだ! 僕はキリや他の魔法少女を助けたいんだ! もしも裁判になったら、僕の証言がどれくらい有効になるかは分からないけど、きっと証言をする! 君らが僕らをどれだけ助けてくれたかを! こいつらと違って、君らは間違いなく人間だ!」
そう彼が言い終えるのと同時だった。ビーッビーッという高音の濁音で、辺りに警告音が鳴り響き始めたのだ。
K太郎が呟く。
『あいつら…… クソッ! やりやがった!』
紐野が言う。
「なるほどね。警察に感付かれたら、こんな音が鳴る仕組みになっていたのか」
K太郎が凶悪な顔で彼を睨む。
『ふざけるな。ただじゃ済まさないぞ』
紐野は笑う。
「今更、どうするんだよ?」
それでK太郎は完全に逆上した。
『殺してやる! 違法少年!』
そう怒鳴るなり、K太郎は顔をアンバランスなほどに大きくし、鋭い牙がびっしりと生えた顎を大きく開けて彼に襲いかかって来た。しかし、その顎が彼の身体を食い千切る前に何かがそこに飛び込んでくる。
「K太郎ぉ!」
パリーンという高い音。
見えない壁を破壊し、そこに割って入って来たのは魔法少女キリだった。彼女は大きく杖を振ってK太郎にヒットさせる。それと同時に魔法を使った。
「竜巻の刃!」
K太郎の身体は吹き飛んでいき、竜巻の回転に伴って粉々に引き裂かれていった。K太郎は目を大きく開き、『キリ……』とだけ呟く。それからまるで紙が千切れていくように彼の身体は分解されていった。
……そして、何もなくなった。
少なくとも、この世界からは消滅したようだった。
以前キリはK太郎に手も足も出なかったが、今はエンジニア達が味方してくれている。だからあっさりと勝てたのだろう。
紐野は驚いた顔でそれを見ていた。彼には傷ひとつ付いていない。
そして、
「繋君……。良かった」
そう言うと、キリ……、二見愛は彼を抱きしめたのだった。
「……ね、どうして教えてくれなかったの? 随分前から、K太郎達の正体に気が付いていたのでしょう?」
警告音が鳴り止むと、いつの間にか異空間は消え、そこは普通の会社のオフィスになっていた。
床にペタリと座り込み、紐野とキリは話している。
「教えられなかったんだよ。K太郎達が何処で監視しているか分からないから」
「そっか。きっと孤独で辛かったろうね」
「そうでもねーよ。ま、お前らがいたからな」
そう言う彼は、少し照れた様子だった。
「ね、プラスチック爆弾はいつ爆発するの?」
「あれか? ハッタリだよ。こんなビルの中で爆発させたら、怪我人や死者が出るだろう?」
「そっか。そうだと思った」
そう言った彼女はとても嬉しそうにしていた。それから自然と目を瞑る。それが何を意味するのか彼にも充分に理解できたが、それでも動けなかった。
十呼吸くらいの間が流れる。
「はー」と、彼女は溜息を漏らした。自分の額を彼の額にコツンと当てると口を開く。
「あのね、繋君。あなたが不器用で上手くムードをつくったりできないのは知っているけど、せめてムードを読むくらいはしてよ」
やや怯んだ様子で「いや、あの、ごめん……」と彼は返す。また彼女は軽く溜息をついた。ただし、今度は何故かちょっと嬉しそうだった。
「安心してキスくらいしなさいな。どんなに下手でも、ちゃんと気持ち良くなってあげるから」
そして再び彼女は目を瞑った。今度こそ、とその彼女の唇に彼は自分の唇を近づけていく。唇と唇が控えめに触れ合い、少しの躊躇を挟んでから強く押し当てられた。柔らかくて温かい感触が彼の唇に広がっていく。
時が流れる。そんなに長くはない。けど、想像以上に濃密な時間だった。
どちらからともなく唇を離すと彼は言った。
「あの…… どうだった?」
彼女は答える。ちょっと照れながら。
「ん…… 初めてだからよく分からない」
多分、ちゃんと気持ち良くなってくれていたのだと、それを聞いて彼は思った。何故なら彼女が自分に気を遣わなかったから。




