4.VS触手の妖獣
紐野繋がある程度まで廃工場に近付くと、まるで見えない透明な壁を抜けるようにして、突然、彼の耳に戦闘音が響いて来た。明らかにおかしい。
“結界か?”
と彼は思う。漫画などでよくある結界のイメージに、今彼がした体験は酷似していたのだ。結界を抜けて、音が遮断されていないエリアにまで足を踏み入れたから、突然、音が聞こえて来たのかもしれない。
普通に考えて、妖獣か魔法少女かが結界を張ったのだろう。第三者に自分達の戦闘を隠す為に。
廃工場は小体育館くらいの広さがあり、天井の高さも十分で、10メートル以上はあった。ただ酷い安普請で、金属製の骨組みにポリカ波板や薄い金属製の板などが張り付けられて壁代わりになっていた。ところどころに穴が開いている。かつては何らかの金属加工の工場だったらしいが、現在は機材の類は全て取り払われてしまっている。つまり中に障害物はない。
廃工場の中から戦闘音が響いて来ている。魔法少女と妖獣が闘っていると考えてまず間違いはなさそうだった。
紐野はぐるりと回って、大きめ穴を見つけると、そこからこっそりと中を覗いた。
“まずは戦況分析からだ”と彼は考えたのだ。不利な闘いに参加して、怪我でもしたら馬鹿馬鹿しい。
穴から覗くと、紐野の目の前をいきなり粘性のありそうな触手が通った。驚いたが、叫び声はなんとか我慢した。その触手は高速で工場の出入り口の方に伸びていく。見るとその先には魔法少女の姿があった。キリだ。
“よし! ビンゴ!”
と彼は思う。それから工場の奥に視線を向けた。触手の発生元には、イソギンチャクのような形状のグロテスクな妖獣がいた。中央には口なのか何なのかは分からないが、大きな穴が開いている。全体としてブヨブヨとしていた。
触手妖獣は何本もの触手を魔法少女キリに向けて放っている。それをキリは躱しつつ反撃を試みようとしているようだったが、矢継ぎ早に触手が襲いかかってくるのでままならないでいるようだ。
紐野は戦闘の様子を観察しながら、ネットで調べた彼女の戦闘能力データを思い出していた。
魔法少女キリは中遠距離タイプで、距離を保って逃げ回りながら威力の大きな魔法攻撃を当てるのが基本戦術だ。が、その為には魔力を溜める必要があるらしい。だから、間髪入れずに攻められ続けると、何もできなくなってしまうのだろう。
そのうちに触手の一つが、キリの足を掴んだ。即座に彼女は風の斬撃を放って触手を切る。切られた触手は、魔力か何かの供給がなくなったからか瞬く間にボロボロと崩れていった。
あの触手はそこまで厄介ではないらしい。脆いし攻撃を受けると直ぐに崩れる。が、
「量は半端ないらしいな」
と紐野は独り言を言った。触手妖獣の根本からまた新たな触手が生えて来ているのが見えたからだ。流石に無限ではないだろうが、触手を攻撃するだけでは切りがなさそうだ。魔法少女キリのスタミナ切れの方が早いだろう。つまり、本体を狙わないとキリに勝ち目はない。
“……しかし、それにしても、あいつ、どうしてこんな狭い場所で闘っているんだ?”
苦戦を強いられている魔法少女キリを見やって彼は首を傾げた。もっとスペースがある場所なら距離を取れる。魔力を溜めて、強力な魔法攻撃を叩き込めるはずだ。
“まあ、あまり頭は良くないってデータもあったしな”
彼はその件はあまり深く考えず、舌なめずりをすると触手妖獣を観察した。まだ自分の存在には気が付いていない。“よし!”と気合を入れるとリュックの中から爆弾を数個取り出した。カプセルトイの丸いケースを利用した爆弾だ。
“戦況は大体把握した。要は魔法少女に魔力を溜める隙を作ってやれば良いんだ”
心の中で呟くと、彼は爆弾を握りしめた。
先の結界があるから音は遮断されているはず。爆発の音が周囲に気付かれる心配はない。
「サポートしてやるよ、魔法少女。安全圏からな」
そう独り言を呟くと、彼はスイッチを入れて触手妖獣に向けて爆弾を放り投げた。彼の存在に気が付いていなかったのだろう。触手妖獣はその爆破を正面からくらった。致命傷にはなっていないが、それでもダメージは与えられているようだし隙もできた。
「ほれ! 今の内だ!」
声を上げる。彼のサポートにキリは感謝をするものだとばかり思っていたのだが、彼女はむしろ怒った。
「あんた! 何をやっているのよ! 危ないわ!」
“あ?”と彼は思う。感謝をしないのはまだ良い。このチャンスに彼女が何もしようとしないのが彼には理解できなかった。
“せっかくサポートしてやったってのに、何を考えているんだ?”
しかしその理由を考えている暇は彼にはなかった。触手妖獣が彼に向けて触手を伸ばし、彼の身体を捕らえてしまったからだ。物凄い力で引っ張られ、気付くと地面を引きずられていた。
「いてぇぇぇぇ!」
セメントの地面に擦られて、肌から血が滲む。それを見たキリは斬撃を放って、触手を切断した。彼は物凄い勢いで何回も転がって止まった。キリが降りて来て彼を庇う。そして「逃げて! 足手まといよ!」と彼を怒鳴った。
“足手まといだぁ?!”
彼はその言葉に憤慨した、“先日、自分のお陰で助かったのを忘れたのか?”と。だが、怒っている暇はなかった。触手が再び彼に襲いかかろうとしていたからだ。
「クソッ!」
と舌打ちすると、強い恐怖を覚えた彼は壁の穴から慌てて外へ逃げ出した。振り返る。触手は追って来てはいないようだった。それを確認すると彼は大きく「フーッ」と、息を吐き出した。
廃工場の中からは、魔法少女達の戦闘音が聞こえて来ていた。少し落ち着くと、先ほどの傷が痛み始めた。その痛みと共に魔法少女キリから言われた言葉を彼は思い出す。
“足手まとい”
「くそう! 助けてやろうとしたんじゃねぇか!」
しかし、それから彼女が自分を守ってくれた事を思い出した。少々、申し訳ない気持ちを覚えつつも、言い訳をするように考える。
“いいや、そもそも、僕が不意打ちで爆破攻撃をしたタイミングで、あいつが触手妖獣を攻撃していればこんな事にはならなかったんだ。あいつが悪い!”
憤りを覚えたが、それを何処に吐き出せば良いのかは分からなかった。リュックの中に爆弾はまだ数個あった。逡巡したが、やがて痛む体を庇いながら歩き出す。
“あいつが‘足手まとい’と言ったんだ。助けてやる義理はない”
魔法少女キリへの怒りと、そして妖獣への恐怖が彼にその場からの逃走を選択させていた。あのままでは魔法少女キリは殺されるだろう。だが、それは彼女の自業自得だ。そのまま引きずるように足を進め、工場の出入り口が見える位置にまで来た。戦闘音は続いている。まだ、魔法少女キリは敗けてはいない。
目をやると、キリが足を触手に捕らえられたのが目に入った。地面に転がる。ビクッと彼は震えたが、彼女は直ぐに体勢を立て直すと触手を切断した。
「やっぱり敗けそうじゃねぇか」
と、彼は独り言を漏らす。
“あの程度の実力で僕に指図しやがって……”
安心感と共に怒りが込み上げてきたが、その情動が何を意味するのかを彼は自覚できていなかった。
そこで視界の隅に違和感を覚える。場違いな何かがある。やがて違和感の正体に彼は気が付いた。触手妖獣の奥の隅に、カゴがあったのだ。彼が覗いていた場所とは反対側にある為、さっきは見えなかったのだ。
「犬…… 仔犬か?」
そのカゴ…… ペット用キャリーバッグの中には、どうやら仔犬が入れられているようだった。
その刹那、彼は理解した。
“あの仔犬を庇って、あの女は妖獣を攻撃できなかったのか!?”
彼女がこの狭い廃工場の中で闘っているのも同じ理由だろう。彼女が本気になれば、廃工場ごと攻撃だってできるはずだが、仔犬が閉じ込められているからできなかったのだ。いかにも魔法少女らしい優しいエピソードだ。
“あー。くだらねぇ。たかが犬を護る為に、自分の命を危険にさらしているんじゃねーよ。馬鹿か、あいつは”
そう思った瞬間、紐野に怒りの衝動を抑える気はなくなっていた。急いで廃工場を回り込むと、今度は仔犬が見える側から穴を探し、人が通れそうなくらいに壁が崩れている個所を見つけた。
“ここからならいける”
足を踏み入れようとした。が、そこで足が震えている事に彼は気が付く。先ほどの、触手に地面を引きずられた恐怖の記憶が蘇ったのだ。が、しかし、そこで魔法少女の“足手まとい”という言葉も思い出した。彼女は自分に“逃げろ”と言った。
“くそ! 何が逃げろだ。僕に指図してるんじゃねぇ!”
爆弾を掴むとスイッチを入れ、同時に足に力を込めた。
「そら!」
爆弾を投げると、彼は犬に向かって駆け出した。触手妖獣が、彼の存在に気が付いて触手を伸ばそうとした。が、そのタイミングで爆弾が爆発する。生えかけた触手が崩れ、その隙に彼は犬の入ったペット用キャリーバッグにまで辿り着いた。
「あんた、まだいたの?!」
と、魔法少女キリが驚いた声を上げる。彼はその声ににやりと笑った。
“ケッ! ざまぁみろ!”
良い気分になる。
しかし、そこで触手が彼の目の前にまで迫って来た。
“まだ、爆弾は使わない方がいい”
ここで爆弾を使っても、恐らく魔法少女キリは自分や犬がいるから強力な魔法は使えないだろう。無駄使いになる。それでも爆弾を投げようかと彼は悩んだが、結局はただ爆弾を投げる振りをするだけにした。触手妖獣は仔犬を利用していた。つまり、知性があるという事だ。ならば、フェイントも通じるのではないかと考えたのだ。
案の定、そのフェイントに引っかかって、触手妖獣は防御の体勢を執った。そこを狙って魔法少女キリが、斬撃を加えて彼が逃げるだけの隙を作ってくれる。転がり出るように廃工場の外に逃れると、それから彼はリュックの中から爆弾を取り出した。
「またいくぞ、魔法少女キリ!」
そう言って彼は爆弾を隙間から触手妖獣の根元に向かって投げた。数秒後、大きな爆発が起こる。そして今度はそのタイミングで、魔法少女キリは魔法を放った。
「嵐の刃!」
廃工場の中に暴風が起こり、元々安普請の廃工場の壁や天井の一部が吹き飛んだ。彼はペット用キャリーバッグを身体で包むようにすると、廃工場から背を向けて仔犬と自分を守った。
“馬鹿か! 豪快過ぎだ。魔法少女キリ!”
しばらく暴風が吹き続ける。
治まると、廃工場の壁が吹き飛んで触手妖獣の姿が露わになっていた。風の刃でズタズタになっている。妖獣は醜い緑色で粘性のある汁を身体中から吹き出し、痙攣している。意識はないように見える。どうやら勝ったらしい。