37.“繋君”
読書喫茶。
紐野繋と二見愛がいつものミーティングをしている。
「今日の妖獣は楽だったわね」
などと彼女は感想を述べた。土曜の放課後。実は彼らは既に妖獣を一体倒したばかりだったのだ。
「ま、新人が止めを刺してくれたからな」
紐野はそう応える。
今日、炎の魔法を使う新人の魔法少女がデビューしたのだ。ファイヤビーよりも貫通力が高そうな隕石っぽい魔法で、攻撃力も高そうだった。代わりに攻撃範囲は狭そうだったが。
今回の妖獣はたくさんの手が絡まって塊になったかのような奇妙な形状をしていた。何を目的にしているのかは分からないが、ゆっくりと空中を浮遊して進み、近くにある掴める物は何でも掴んで折り曲げようとする。数人が犠牲になり、手や足を骨折した者がいた他、道路標識なども破壊してしまった。
妖獣退治に出て来たのは、キリとバリー・アンだけだった。キリは周囲の人々や物を護るのに集中していて、バリーがバリアで手の塊の動きを封じてくれいたのだが、そこに高校一年生くらいの魔法少女が現れて退治してくれたのだ。大きな炎球を、勢いよくぶつけるとそれだけで手の塊は動かなくなった。呆気なく倒せたのは、恐らく、その炎の魔法少女のデビューの相手として用意された妖獣だったからだろう。
「ああいう系の魔法を使う奴が、もう一人いるとやっぱり楽だよな」
と、紐野は言う。すると二見はやや寂しそうな表情を浮かべた。
「ファイヤビー…… 結局、来なくなっちゃたわね。ま、あれだけ酷い目に遭っていれば仕方ないか」
ファイヤビーはハエの妖獣と闘って以来、姿を見せていない。だから彼女はそのように考えたのだろう。そしてファイヤビーの代わりに、炎系の魔法少女が新たに契約したと思っているようだった。恐らくその予想は大体は正しい。
――ただし、恐らくファイヤビーは自ら来なくなった訳ではない。
「二見……」
刹那、彼は全ての事情を彼女に説明してしまいたい衝動に駆られた。
「なに?」
だが、思いとどまる。K太郎達にとっての魔法少女達の本当の価値を話してしまったら、連中はどんな手段に出るか分からない。その代わりに彼はこう忠告をした。
「魔法少女じゃない時も油断するなよ? 妖獣は何をして来るか分からないんだからな」
ただそう忠告しながらも、“ま、連中は絶対に僕を絡めて来るだろうけどな”などとも思っていた。そうじゃなければ、違法少年として彼と契約した意味がない。
「突然、どうしたのよ? 変よ?」
「うるさいな。心配してやってるんじゃねぇか」
二見は首を傾げる。
「何を心配しているのかは分からないけど、わたしを心配してくれるのだったら、もっと将来のことをちゃんと考えて欲しいわね」
「は? 将来? そっちこそ、突然何を言ってるんだ?」
「進路の事よ。学校の成績もそうだけど…… ま、別に成績は悪くても、生活に支障がなく暮らせる計画があるのなら良いけど。ちゃんと稼げるのなら」
紐野は変な顔をしていたが、少し考えると口を開いた。
「そーいう話か。なんだお前は? 重い女か?」
「別に重い女でも良いわよ。もっと言っちゃうと相手は別にわたしじゃなくても良い。ま、わたしじゃないと嫌だけど」
「何を言っているんだ?」
本当に彼には彼女が何を言いたいのかがまるで分からなかったのだ。その様子に彼女は軽く溜息を漏らした。
「……繋君は、こういうのは察しないだろうからはっきり言うわね。
繋君、あなた、自分一人だとどんどんダメになっていくタイプよね?」
「は?」とそれに思わず紐野。何か言い返そうかと考えたが、思い当たる点が多過ぎて何も言えなかった。
「でも、誰か他の人が一緒なら、その人の為にちゃんとやるわよね? その人があなたを頼っているのならなおさら」
それを聞くと彼は顔を赤くした。
「そんな事はねーよ」
「わたしを助ける為に、ビルの屋上から飛び降りた人が何を言っているのよ?」
「おま! 見えていたのか?」
「後でナースコールから聞いたのよ。ま、何かがスライムの中に飛び込んで来たのには気が付いていたから、大体は分かっていたけどね」
それを聞くと照れ隠しか、彼はそっぽを向いた。
「ま、諸々片付いたら、そーいうのも考えるよ」
「諸々って?」
「諸々は、諸々だよ」
そんな紐野の様子を見て、二見は腕を組んで軽く溜息を漏らす。
「ふん。ま、なんかふわってしているけど、信頼しましょうか」
「何を威張っているんだ? お前は」
そう彼はツッコミを入れたが、なんとなく、彼女が直感的に自分の異変を察しているのではないかと少し疑っていた。
夜中。
自室で紐野はパソコン画面を眺めていた。
ヘッドセットマイクを付け、画面の向こう側にいる何者かと会話をしている。アニメ調のエロゲの可愛い女の子のキャラクター。若いOL風。ただ、もちそん、それは表面上の仮初の姿に過ぎない。
「今日、バイト先の先輩と話したんだよ」
と、彼は言った。
「本職はシステムエンジニアでさ、妖獣を直接観察したいからアルバイトもやっているっていう変わった人なんだけど……」
――今日、出現した何本もの手の塊のような形をした妖獣。その死体処理にはシステムエンジニアの幸村も来ていた。ただ、処理自体はそれほど時間がかからなかった。何故ならどれだけ調べても蝋が固まったものにしか思えなかったからだ。しかも、炎の魔法でかなり溶けてしまっていた。それを砕いてトラックに乗せるだけで仕事は終わった。しばらく前に現れた、まるで何本もの足の塊のような妖獣もそれは同じだったので、半ば予想されていた事ではあったのだが。
「ただの蝋。つまり、あれだけ動いて何人にも怪我を負わせたあの妖獣は、我々の世界では単なる出来損ないの蠟人形に過ぎなかった訳だ」
トラックで運ばれていく手の妖獣を眺めながら幸村はそんな事を呟いた。
“我々の世界では”
というその表現が、紐野には少し気になった。もしかしたら、幸村は薄々勘付いているのかもしれない。
「でも、例え蠟人形でも、それが僕らにとって人間にしか見えなかったら、やっぱり人間ですよね?」
だからそう問いかけてみた。
「そりゃ、もちろんね」と幸村は返す。
「じゃ、その人間にしか思えない蠟人形を、迫害したり乱暴に扱ったりするのは、やっぱり問題がありますかね?」
彼の質問に少し考えると幸村はこう返した。
「もしかしたら、前に少し話した仮想倫理学の話かな?」
「まぁ、近いですかね。ちょっと復習もかねて話を聞きたいと思って」
それから間を置くと、また彼は口を開いた。
「仮想空間のキャラクターに対しての虐待行為は、果たして人間の行動にどれくらい影響を与えるのでしょう?」
「んー それってアニメや漫画のキャラクターへの表現問題としてよく言われているやつかな?」
「それも近いです」
「そうだな……」と言うと、幸村は続けた。
「正直、どれくらいの影響があるのかは分からない。アニメや漫画、ゲームで、かなり際どい表現が氾濫しているのに、日本では諸外国に比べて性犯罪が少ない事を“影響なし”の証拠とする議論もあるけど、これは日本人の気質が強く影響しているだけで、本当は性犯罪を助長してしまっているのかもしれない。ただ、それでも規制はするべきじゃないと僕は思うけどね」
「どうしてですか?」
「規制する事にもリスクはあるからだよ。そもそも基準が分からない。一部の作品への規制が、誰かの私利私欲の為に行われていない事をどうやって証明すれば良い? それに世の中に対して良い影響を与える作品まで規制されてしまうかもしれない。何しろ、本当はどんな影響を与えるのか、検証しようがないのだからね」
「なるほど」
紐野は幸村の主張に納得しかけたのだが、それから彼はこのように続けるのだった。
「ただ、敢えて言うのなら、“コミュニケーション可能な相手”として人間が感じるキャラクターへの迫害行為には、やっぱりある程度の規制が必要だと思う」
「コミュニケーション可能?」
「最近では、AIがキャラクターになり切って相手をするサービスもあるだろう? そういう相手への迫害行為はきっと問題になると思う。この場合は基準も明確化できると思うから、規制のリスクも高くないし」
「なるほど。確かにそうかもしれませんね。会社で出世した人が、普段でも横柄に振舞うようになるとか聞くし」
コミュニケーション可能であると感じられて、しかもその相手を完全に支配し、自由に扱えるゲームか何かがあったなら、流石に人格に悪影響を与えそうだ。
そう紐野は考えた。
「人格がよっぽど確りしていないと、影響されちゃうもんだよ。立場とか、扱われ方にね」
幸村は頷いていた。少なからず、そのような人間に出会った経験があるのかもしれない。例えば、会社とかで。
紐野の自室。
「なるほどー。それは面白い話ね」
彼が語り終えると、パソコン画面の中から、可愛いOL風キャラクターがそう話しかけて来る。
「だろう? このゲームなんか、当にそういうコミュニケーション可能なゲームだしさ」
「……だとすると、君もわたしと会話する事で、何かしら影響を受けちゃっているのかな?」
「かもしれないな」
珍しく紐野はおどけた様子だった。しかし、それはむしろ余裕のなさを感じさせた。少しの間の後にこう続ける。
「もしかしたら、君自身にもそんな奴に心当たりがあるのじゃないか?」
「そんな奴って?」
「仮想空間のキャラクターを自由に扱って、自分が偉いと勘違いしてしまった奴さ」
目を上に向けながら彼女は返す。
「あー。もしかしたら、いるかもしれないわねぇ」
「会社の上司とか?」
その女の子のキャラクターは、どうやら会社勤めをしているという設定らしく、苦笑いを浮かべながら、
「まあ、心当たりはあるかな?」
などと返して来た。
紐野はそれににやりと笑う。
「じゃ、もしも、その上司が君にパワハラとかして来ていたら、復讐してやりたいって思うかい?」
「多少はね。やっぱりね」
「例えば、上司の不正の秘密を、告発しちゃったりとか?」
その質問を受けると、OL風のその女の子はしばらく固まった。
「……本当にその上司が、わたし達を物扱いしているって確証が得られたなら、やっちゃうかもしれないわね」
「オーケー」と、それに紐野は返す。
「なら、確証を示してみせようじゃないか。それで“君ら”はその上司を告発してくれるのだよね?」
女の子のキャラクターは何も返さなかった。固まっている。しかし、その無言は彼の言葉を肯定しているように思えた。




