36.大痴話喧嘩とVSスライムの妖獣と人魚の妖獣 その3
私は魔法少女です。
ただし、今まで自ら妖獣退治に出向いた事は一度もありません。偶然倒してしまった事はありますが、自分の意思ではないのです。しかし、私は、今始めて自分の手で妖獣を退治する決心をしました。
だって、もしかしたら、あのスライムの妖獣が暴れ出したのは、私の所為なのかもしれないのですから。私が責任を取らなくてはならないでしょう。いえ、スライムは無理かもしれませんが、人魚くらいなら……。
隣のビルには紐野さんの姿があり、彼は何やら色々と作戦を考えているようでした。魔法少女に拡声器で指示を出している。
「スピーダー! 悪い。友達に塩を買ってもらったんだ。ビルの下にまで届けてくれないか?」
何故か、そんなお願いもしています。
塩?
と、私は首を傾げました。塩を何に使うのでしょうか? やがて、「置いたよー」なんて声が聞こえて来ます。
スピーダーという魔法少女さんは、塩を五袋ほどビルの下に届けてくれたようです。
「魔法少女さん達から信頼されているのですね」
と、そのやり取りを見て私は尋ねました。するとやや照れた様子で紐野さんは、「いや、ま、あいつは走る理由さえ与えてやれば大体は喜んで協力してくれるから」などと返して来ました。走るのが好きってことなのでしょうか?
それから誤魔化す為か、軽く頭を掻くと彼はこう言いました。
「塩はたったあれだけか。人魚がいる部分のスライムを結構小さめに切り離さないとダメだな」
彼が何を考えているのかは分かりませんが、状況はあまり芳しくはないようです。ここはやはり私が責任を取らなくてはならないでしょう。
彼はビルの下にいるスライムを熱心に観察して策を練っているようでした。私にはあまり注意を払っていないよう。今のうちかもしれません。私は顔を両手でぴしゃりと叩いて「よし」と小さく気合いを入れると、それから彼に気付かれないようにゆっくりとビルの屋上のドアを開けて下に向かいました。
……私は魔法少女になりさえすれば不死身なのです。溺死だってしないでしょう。ならば、あの人魚にだって殺されないはず。そして、私は念の為、今でもナイフは携帯しているのです。何があるか分かりませんから。なら、誘い香で人魚を誘い出して溺死させようとして来たところをナイフで刺して退治する事だってできるはずです。とっても苦しいかもしれませんが、我儘を言っている場合ではありません。何しろ、このままでは私の所為で誰かが犠牲になってしまうかもしれないのですから。
ビルの階段を降りて、下に着くと、私は辺りを見回しました。キリさんが空を飛び、周囲を気にしながら人魚を狙っている姿が目に入りました。上にいる時は分からなかったのですが、あれは多分、犠牲者が出ないように人魚の注意を自分に向けさせているのでしょう。
“すいません。私の所為で”
と、私は心の中で謝りました。そしてそれからビルの陰に隠れると変身をします。魔法少女タベラレルンの姿に。毎度思っているのですが、セーラー服を変形させたかのようなこの衣装は、恐らくK吉君の趣味でしょう。なんにせよ、これで私は不死身になったはずです。後は誘い香を使ってスライムの中にいる人魚を誘い出すだけです。
ビルの出入り口で誘い香を使うと、スライムに塞がれてしまって迷惑をかけると思い、私は少し離れた人気のない位置にまで行って誘い香を使いました。すると、その途端、人魚を狙っているキリさんの動きに変化がありした。私のいる方に視線を向けている。きっと、人魚がこちらに向かっているのでしょう。それからスライムの一部が膨らみ始め、それが分離をしてまるで運動会の大玉転がしのように迫って来ました。おぼろげながら、そのスライムの塊の中に大きな魚影があるのが見えます。
間違いなく人魚です。
私に魅了された人魚は、スライム全体を引き連れるのでは遅すぎるので、一部のみを切り離して私に襲いかかって来ているのでしょう。
オーケーです。
人魚を退治した後、その方が逃げ易いので私にとっても好都合です。
やがて、スライムが転がって来て、眼前を全て覆い尽くします。そしてその中から、凶暴で不気味な人魚の姿が浮かび上がって来ました。私はナイフを握り締めます。人魚が飛び出して来ます。私に掴みかかろうとしている。
――が、その瞬間でした。
私は突然横に突き飛ばされてしまったのです。私を突き飛ばしたのはキリさんでした。もちろん、私を庇ったのでしょう。彼女は私が不死身である事を知らないのです。
そしてキリさんは、私の代わりに人魚に捕まり、スライムの中へと引きずり込まれていってしまったのでした。
紐野繋は突如起こった予想外の事態に目を見開いていた。いきなり、恐らくは人魚を含んでいるだろうスライムの塊が高速で転がって移動し始めたかと思ったら、いつの間にかに下に移動していた女子高生に襲いかかり、しかも彼女を庇ったキリが、代わりに人魚に捕まって、スライムの中へと引きずり込まれてしまったからだ。
“これ、まずいのじゃないか?”
紐野は辺りを見回す。確か、近くにナースコールがいたはずなのだ。
「ナースコール! キリがスライムに捕まった! 助けてくれ!」
彼が叫ぶよりも早く、彼女は既にキリを助けに向かっていた。人魚とスライムから逃れようと、キリはスライムの水面にまで浮かび上がって来ていた。ただ、あと一歩、力が及ばない。再びスライムの中に引きずりこまれそうになっている。
「キリちゃん!」
そこにナースコールが辿り着いて、彼女の手を掴んで引き上げようとする。が、スライムで手が滑ってしまう。再びキリはスライムの中に消えていった。ナースコールはスライムの中に飛び込んでキリを救出しようとしたが、人魚の尾びれで攻撃された上に、どうやらスライムも彼女を吐き出そうと動いているらしく、弾き飛ばされてしまう。
“まずい! このままじゃ、キリが溺死する!”
その光景に恐怖を覚えた紐野は、パニックになりそうになるのを必死に抑えながら、思考を巡らせる。
“落ち着け。スライムはそれほど大きくない。あの大きさなら、塩を溶かせばいける”
それから彼は拡声器で大声でライを呼んだ。
「ライ! 来てくれ! キリがスライムに捕まった!」
ライは声に直ぐに反応してくれた。空を飛んでこっちに向かっている。彼女はそれなりにスピードが速い。恐らく間に合うだろう。問題はどうやって塩をあのスライムに混ぜるかだった。ナースコールは相変わらずキリを救出しようと試みている。多分、説明している時間はない。が、彼自身が階段を降りている時間もなさそうだった。このままではキリが溺死してしまう。
「くそう!」
彼は勇気を振り絞ると、下を見てスライムの位置を確認した。そして、「ナースコール! もし僕が怪我をしたら、直ぐに治療してくれ!」と訴えると、それから、
「うわあああぁぁ!」
と、叫びながらビルの上から飛び降りた。もちろん、ビルの下のスライムに目がけて。重力に身を任せる。一瞬で小さかったスライムの塊が大きくなって彼の眼前を埋め尽くしていった。
――そして、“ドバンッ”という効果音が似合いそうな感覚が彼を襲う。
予想以上の衝撃だった。柔らかいはずのスライムが、まるでセメントのように固く感じられた。一瞬、彼の視界は黒くなった。が、キリの顔が頭に浮かび、直ぐに目を覚ます。
“気を失っている場合じゃねぇ! あいつが死んじまう!”
スライムの中は水よりも遥かに圧力が強く、締め付けられているかのようだったが、それでもなんとか彼はその中から抜け出せた。キリにスライムの意識が集中している所為かもしれない。
重く、痺れたような鈍痛を身体全体から感じたが、それでも彼は必死に身体を動かした。近くにある塩を探す。そこでスライムの方から気配を感じた。見ると、キリが再びスライムの中から顔を出していた。恐らく、彼が飛び込んだ衝撃で、人魚に隙が生まれたのだろう。
「キリ!」
と、そんな彼女に彼は呼びかける。
「耐電魔法をマックスで自分にかけておくんだ!」
再びスライムの中へ引きずり込もうとしている人魚に抗いながら、彼女は目を大きくする。彼の言葉が理解できないのだろう。しかし彼がそれから「僕を信じて!」と強く言うと、もがきながらも頷いていた。
それから彼は積まれている塩の袋にまで走ると、それを担いで近くまで運び、中身をスライムにぶちまけた。
「何をしているの?」
ナースコールが尋ねて来たが、彼はそれには答えず、「お前も手伝ってくれ! キリを助けられる!」と返す。不思議そうな顔を彼女は見せたが、それでも無言で彼を手伝った。塩五袋分が次々とスライムに投入される。
スライムに投入された塩は、人魚とキリの格闘でかき混ぜられている所為か、それともスライム自体がそもそも蠢ている所為か、撹拌されて、急速に溶けていった。
それに満足をした彼は、「よしっ!」と軽くガッツポーズを取り、空を飛んでここに向かって来ているライを見やる。もう彼女の電撃魔法の攻撃範囲だ。
「ライ! いいぞ! 電撃魔法を使ってくれ!」
「あいよ」と、ライはそれに応える。そして、「行きなさい!」と電界獣プラスに命じ、スライムに取り付かせると、直ぐに「電界獣マイナス!」と次の命令を出した。電界獣マイナスからプラスへと電流が流れる……
……塩水は電解質だ。だから、導電性がないスライムでも塩を溶かせば電気を通すようになるはずだった。ただし、妖獣であるスライムにその論理がそのまま通用するかどうかは分からない。しかし、ポイズネスが毒を混ぜたスライムは電気を通した。ならば、塩でも同じ様にスライムは電気を通すようになるのではないか、と紐野は考えたのだった。それで実験を魔法少女ファン・コミュニティのメンバーに依頼し、確証を得たのだ。そしてそれをキリ救出作戦に応用した。
電流が流れ続けると、蒸気を発し、スライムは結合力を失くしていく。スライムの中にいるキリも人魚も感電してしまっているらしく、苦しみもがいていた。ただし、耐電魔法を使っているキリへのダメージは随分と和らいでいるはずだった。
やがて、スライムは形状を保てなくなり、伸び広がっていった。力がなくなり、活動もなくなっている。つまりは死んでしまったのだろう。
紐野が声を上げる。
「キリ!」
スライムが崩れたことで、キリの姿が露わになっていた。傍らには人魚の姿もあったが、電撃に耐えられなかったのか痙攣をして動かない。
紐野はスライムにも人魚にも構わず真っ直ぐキリに駆け寄っていった。キリは失神しているのか、大きく目を見開き、動かない。
まるで死んでいるように見える。
「そんな、まさか! 嫌だ! キリ!」
彼は涙目になった。が、そこでキリの口内にスライムが溜まっているのに気が付いた。
“あれを吸い出せば!”
そう考えると、彼は口で彼女の口の中のスライムを吸い出そうと近づけていった。
――がしかし、後少しで唇と唇が触れ合うかというタイミングだった。キリの口からスライムが勢いよく噴射されたのだ。
ぴゅーッと。
紐野の顔にスライムが浴びせられる。
その次の瞬間、キリはむくりと起き上がり、体内のスライムをげーッと地面に吐き出した。咳込みながら言う。
「ゲホゲホ…… いやー、流石に今回はきつかったわ」
顔にスライムをかけられた紐野は、唖然とした様子でそれを見守る。そして徐々に冷静になると彼女がピンピンしているのを察したらしかった。
「お前なぁ! まさか騙したのか?!」
「騙してないわよ! 死ぬかと思った」
「さっき動かなかったじゃないか!」
「あんたが何をするのか、見てやろうと思っただけよ」
「それを騙すって言うんだろう?」
それから彼女は「ふんだ」と言うとにやりと笑い、
「やーい、泣いてやんの」
と、そう続けた。
「お前なぁ!」とそれに紐野。この期に及んでまだ喧嘩する気かと彼は思いかけたのだが、その後で彼女は彼の手を握って来たのだった。しかも、恋人つなぎで。
ギュッと。
その彼女の行動に驚いている彼に向け、彼女は「泣いてやんの」と再び言った。しかも、嬉しそうに微笑みながら。頬をほんのり朱色に染めて。
紐野は黙る。
彼も少し赤くなっていた。
……どうやら、仲直りできたようだった。しかも、充分過ぎるほどに。
しばらくして二人は立ち上がった。人魚の妖獣は倒したが、まだスライムは半分以上は生きている。
「さて、あれをどうするかだな」
と紐野が誤魔化すように言うと、「そうねぇ」とキリが恥ずかしそうに返した。
二人とも、本心から問題視しているようには思えない。
“これは、もしかしたら、想像以上に関係が進んだのじゃないか?”
などと彼は思っていたのだが、そこでキリの頭の先に何かがいるのに気が付いた。それは随分と久しぶりに見る顔だった。
……K太郎。
彼の気の所為じゃなければ、K太郎は冷たい目で彼と彼女を見つめていた。それで彼は直感的に悟った。
“そうか…… お前らにとっては、これで僕らだけのストーリーは完了って訳かい”
そして、そう心の中で呟いた。
……恐らく、連中は、これから最後の仕上げをして来るだろう。
「――はあ? アイシクルが動きながら魔力を溜められないから諦めた?」
アイシクル、バリー・アン、ライの三人から事情を聞いて、紐野は声を上げた。スピーダーも近くにいて、彼女はポリバケツがなくなってしまって何をしたら良いか分からないのか、辺りをただ駆け回っていた。ちょっとうるさくて迷惑である。
「なによ? 何か問題でもあるの?」
と、ライが文句で返す。
「いや、問題もなにも、そんなのライが魔力を溜めたアイシクルを抱えて飛んで、バリーがバリアでスライムを捕まえておいてから、アイシクルの魔法で凍らせれば良いのじゃないか?」
呆れた様子で語る彼の目の前で、三人は顔を見合わせた。
「それは盲点だったわね」とバリー、アイシクルは黙って頷き、ライは「それって、あたしがアイシクルちゃんを抱きしめられるってことよね? 良いじゃん! 良いじゃん!」などとはしゃいでいる。
紐野はそれに大きく溜息を漏らした。
「やっぱり、もう少し近くでアドバイスするようにしなくちゃダメだなぁ」
それを聞いたキリが言った。
「……それって、つまりは、これからもわたしがあんたを護らなくちゃ駄目ってことよね?」
嬉しそうにしている。
「まあ、そうかな」と彼は返した。
ただ、その顔はどことなく何かを言いたそうにしているようにも見えた。キリは気が付いていないようだったが。




