25.認識阻害と文字化けメールの主とVSショウジョウバエ妖獣 その1
紐野繋は自室のパソコンの前でヘッドセットマイクを付け、泣きそうな顔で画面を見つめていた。映っているのは声で会話をして楽しむタイプのエロゲ―の画面。可愛い女の子のキャラクター。ただし、これは偽装であるらしく、このゲームは実はK太郎達側の技術者と秘密裏に交渉を行う為に用意されたアプリのようなものだ。
失念していた。
彼自身は妖獣と闘う場合においてのみという限定ではあるが爆弾での違法行為を免除されている。認識阻害でスルーされるのだ。しかし、他の者は違う。
――もしかしたら、村上達は危ないかもしれない。警察に捕まってしまうかも。
祝賀パーティの会場で、彼は根津に話しかけた。根津はK太郎達と同様、もしくはそれ以上に謎だらけの存在だ。探りを入れるつもりだった。
「超電磁砲用のあの巨大な砲弾は、一体どうやって調達したんです? ネット上じゃ、あんなものが存在している事自体が信じられないみたいな意見もあるみたいですが」
根津はその時、ファイヤビーからようやく逃れて他の魔法少女の一人と歓談を楽しんでいる最中で、彼を煩わしくて感じていたに違いないのだが、そんな素振りは少しも見せず、爽やかな笑顔で返した。
「まあ、信じられないのも無理はないですが、“事実は小説より奇なり”って言うでしょう? 使う当てもないのに、ああいうのを作りたがる奇特な人々がこの世の中にはいるのですよ」
「軍事予算を引っ張りたい人種とか?」
「それも説の一つとしては有り得ますね。ただ、想像にお任せしますよ。企業の重役としては守秘義務がありますので」
それを聞くと紐野はにやりと笑った。そして小声で尋ねる。
「妖獣としての守秘義務じゃなくて、ですか?」
妖獣や魔法に魔法アイテム。魔法少女絡みでは、物理法則を無視した信じられない物だらけだ。それに比べれば、あの砲弾程度ではまだまだ常識の範疇。仮にそれらを生み出している組織が関与しているのだとすれば、巨大砲弾を用意できたとしても不思議ではない。認識阻害の技術があるから、秘密にしておく事も容易だろう。
つまり、彼はK太郎達の組織が、砲弾の調達に協力したのではないかと疑っていたのだ。表情はまったく変えなかったが、根津は多少は彼を疎ましく感じているように思えた。魔法少女達に妖獣である事を告げると脅されているように思ったのかもしれない。
「いえ、それは関係ありません。善意の協力者をあまり詮索するものではありませんよ」
“効いている”
根津のその言葉で、彼はそう判断した。
自ら妖獣だと名乗っておいて、根津はどうやらキリ以外の魔法少女達にはそれを知られたくないらしい(もっとも、彼が言っても皆は信じないだろうが)。この男は魔法少女には執着を持っているのだ。
「それはすいませんね。ただ、警察が捜査しないかと少し心配になったものですから」
根津はにっこりと笑う。
「それは大丈夫ですよ。安心してください。それよりも、むしろ君が使ったプラスチック爆弾の方を心配した方が良いと思いますけどね。あれはどう考えても犯罪です。入手ルートとか、大丈夫なのでしょうか?」
恐らく大人げなく根津はやり返したのだろう。ある意味では、精神的な優位は紐野にあると言って良いかもしれない。だが、彼はそれでもその言葉に動揺をしていた。
“入手ルート?”
目を白黒させる。
自分は問題ないのは分かっていた。認識阻害が働いている。だが、自分以外は? 認識阻害の処置をしているだろう文字化けメールの主…… エンジニア達は、そこまでカバーしてくれているのか?
彼は俄かに生じた不安に抗えず、その場でスマートフォンを取り出すと検索をかけた。プラスチック爆弾の捜査状況に関する情報がヒットしないかと思ったのだ。信頼性のありそうな記事は何も見つからなかったが、
『間もなく実行犯は逮捕される』
だとか、
『入手ルートは警察が威信にかけて洗い出すだろう』
だとかいったコメントが目に付いた。
“……これ、まずいのじゃないか?”
そんな様子の彼を、根津は可笑しそうに見つめていた。
自宅に戻ると、慌てて彼はパソコンを立ち上げ、いつか文字化けメールの主と交渉をしたエロゲーに偽装した画面にアクセスをした。
今にも泣き出しそうな顔で。
彼がログインしたのに反応して、動く女の子のイラストが可愛い声で彼に『こんばんはー。どうしたのかな?』などと問いかけて来る。
このサイトへのアクセス…… つまり、K太郎達側のエンジニア達との安易な接触は本当ならば避けたかった。K太郎達に監視をされていたら、絶対に怪しまれる。だが、その時の彼にはそんな余裕はなかった。
「プラスチック爆弾の件だ」と、彼は言った。
「あの件で、入手ルートを警察は捜査しているのか? 直接、提供者と接触したのは村上アキだった。なら、あいつも捕まっちまうのか?」
可愛い笑顔のまま、女の子のイラストは応える。
『ごめんねー。ちょっと何の話か分からないな』
その反応に彼は歯を食いしばった。或いは、今は本当にただのエロゲーで、技術者達とは通じていないのかもしれない。だとするのなら、これはただただK太郎達に気付かれるリスクを冒しているだけの愚かな行為だ。もっと冷静に対処方法を考えた方が良いのは、彼にも分かっていた。
が、それでも彼は感情を抑えられなかった。不安感と焦燥が合わさって、それはほとんど恐怖に近くなっていた。
「お願いだ!」
と、彼は叫んだ。
「友達なんだ。学校で、ただ一人の」
そう言った後で、彼は自然と涙を流していた。
「お願いだ。助けてくれ…… 手前勝手なお願いだってのは自覚している。何かできる事があるのならこの借りは必ず返すから」
女の子のイラストは何も返さない。しばしの間が生じる。やがて大きなため息を漏らす声が聞こえた。『はぁぁぁ』と。
『やれやれ。まさか泣き出すなんてな』
可愛い女の子の声のまま、口調だけ男のものになっている。
『大丈夫だから落ち着け。K太郎にバレるぞ』
その言葉で紐野の涙は止まった。
「“大丈夫”って?」
『今回の件は、かなり面倒そうだからな。そもそもあれは本物の爆弾じゃなくて、魔法少女達が魔法アイテムで生み出したものだって情報操作をする方向に話は進んでいる。だから、君が警察に捕まらないようにするついでだが、君の友達の村上アキも警察には捕まらないよ』
「本当か?」
それを聞いて、再び彼は涙をこぼした。今度は嬉し涙だ。
『だから泣くな。バレる』と、それに技術者。
『しかし、君達の方が僕ら人間よりも、よっぽど人間らしいな。その涙は美しいよ』
そして、何故かそれから彼はそう続けたのだった。その言葉に紐野は首を傾げた。まるで彼が人間じゃないみたいに言われたと思ったのだ。ただ深くは追及しなかった。あまり長く話すとK太郎にバレてしまうかもしれない。
『最後に一つだけ忠告しておこう』
エンジニアは再び口を開いた。
『君が立てた予想だが当たっている。近日中にあの女の子は狙われるだろうよ。よく警戒しておくんだ』
その言葉に、紐野は戦慄を覚えた。
“あの女の子”とは、恐らくファイヤビーだろう。詳細を聞きたかったが、画面の女の子はその時既に元のただのエロゲーのキャラクターに戻っていた。
その日の午後、ファイヤビーの正体である日野幸江は上機嫌だった。
彼女が契約している契約用インターフェースキャラクター、K次から連絡が入り、街外れの倉庫に妖獣が出たと知ったからだ。魔法少女ファン・コミュニティにアクセスをしてざっと情報を見てみたが、今のところ、誰もそれに気が付いていない。つまり、他の魔法少女に連絡が行っていないのであれば、手柄を独り占めにできるのである。
学校が終わると早速変身をし、K次から教えられた倉庫へと向かう。
「気持ちいいことは、いいことだぁ」
などと空を飛びながら謎の鼻歌まで歌って。
彼女はこれっぽちも自分が負けるとは思っていないようだった。実際、これまで彼女はほとんどの妖獣に圧勝している。手こずった妖獣もいるにはいるが、難敵だったら逃げれば良いとしか思っていなかった。
教えられた倉庫はひっそりとしていて大きかった。窓から覗いてみた限りでは、妖獣の姿は見えない。ただし、暗かったから見えないだけかもしれなかった。紐野だったならもう少し慎重に中に足を踏み入れるだろうが、彼女はそんなタイプではなかった。堂々と正面から倉庫の扉を開ける。
ギギギ…… と、金属が擦り合わさる音が聞こえた。どことなく不気味で、まるで地獄の亡霊達が泣いているようだった。
倉庫の扉は異様に重たかった。魔法少女に変身していなければ、開けるのに苦労していたかもしれない。
扉から覗いても中は暗かった。薄っすらと何かを詰められた袋が棚にたくさん積まれているのが見える。棚の所為で視界は悪かった。誤情報じゃなければ、恐らく妖獣は棚の影に隠れているのだろう。天井は比較的高かったが、自由に飛び回れるほどではない。彼女は空中戦には自信があったのだが飛ばない方が良さそうだ。
魔力を溜め、炎を身に纏いつつ、彼女は倉庫の奥へと進み始めた。まったく警戒していない。
「妖獣はどこにいるのかしら? 燃やしてあげるからさっさと出てきなさいな」
そう言いながら両手に炎を生じさせ、臨戦態勢を整え、並んでいる金属製の棚の間を進む。二つ三つ棚を通り過ぎた辺りだった。
――バシャッ
「うわっ! なに? 冷たっ!」
突然、彼女は何らかの液体をかけられてしまったのだ。
――冷たく、ぬめった嫌な感覚。独特の変な薬のような臭いがした。
そしてそれと同時に、騒々し過ぎる羽音が聞こえる。まるで大きな複数の機械を一斉に稼働させたかのようだった。
ブブブブブッ!
見ると、いつの間にか彼女は、犬ほどもある大きな複数のハエに囲まれていた。十匹以上はいる。醜く、気持ちが悪い。
「出たわね!」
と、彼女は叫ぶと炎をハエに向かって放った。だが、何故か眩暈がして手元が狂う。威力が随分と衰えた火の玉が金属製の棚の柱に当たって直ぐに掻き消えた。
――なにこれ? 力が入らない。
何が起こったのかと彼女の頭は混乱する。しかも、上手く立っていられない。そこにハエが突進をして来た。大きさ以上の力があり、突き飛ばされて棚の一つに激突した。棚は大きな音を立てて倒れていく。袋がいくつか破裂して白い粉が舞った。
倒れた彼女に何匹かのハエが近付いて来た。辛うじて炎をいくつか放った。何弾か当たったが、大きなダメージを与えられているようには思えなかった。明らかに炎の威力が衰えている。相変わらず眩暈もするし、気分も悪くなって来た。
“絶対におかしい。もしかして、さっきの液体って毒だったの?”
ブブブブブッ!
激しい羽音。彼女の逃げ道を塞ぐ為か、一定の距離を保って彼女を囲んで滞空している。或いは毒が回って動けなくなるのを待っているのかもしれない。ここでまた先の毒を放たれたらかなりまずい。
“まさか、待ち伏せされていたなんて……”
彼女は悔しがった。彼女の油断を責めるのは酷だろう。今まで、一度だって戦略的に彼女を攻撃して来た妖獣はいなかったのだ。
“とにかく、逃げないと…… 一度、外に出てから毒を抜いて体勢を立て直して”
そう考えると、寝転がったまま、彼女は魔力を練って炎を放った。だが、方向が定まらない。ほとんどの炎はハエには当たらず、壁や棚に激突した。いくつかは建物に引火したようだった。耐火に優れた彼女にとっては有利になるが、それを分かっているのかハエは液体をかけて火を消している。先ほどの毒の混ざった液体だったのか、物凄く嫌な臭いが立ち込めた。彼女の炎はまるで効いていない。
“……これ、まずいのじゃない?”
そこでファイヤビーは、紐野繋から受け取ったメモを思い出した。ピンチに陥った時に彼は自分に助けを呼べと言っていた。少々悔しかったが、彼女は一か八かで助けを呼んでみる事にした。ただ、彼がここに間に合うとは思えなかったのだが。
紐野繋は人気のない道を歩いていた。
ファイヤビーの性格からいって、絶体絶命のピンチに陥った状態にならなければ、助けは求めて来ないだろう。その時はもう手遅れかもしれない。その前に少なくとも戦闘場所くらいは掴んでおく必要があった。
魔法少女を捕らえる妖獣には、“結界を張る”という特性があるという彼の考えが正しいのであれば、結界さえ見つけられたなら、戦闘場所の特定は容易だ。
だから、彼はそうして結界を張る妖獣が出そうな人気のない場所を探していたのだ。
今は街から外れた倉庫が立ち並ぶ一角を彼は歩いていた。それなりに広いので、そこを巡るだけでも大変だった。結界は音を遮断するはずだから、聞こえて来る音に注意をして彼は歩いていた。静かで手掛かりになる音がない場合には時折、「わっ」と自ら声を発し、異常がないか確認していた。
既に数時間歩いてるので、彼はその作業に気が滅入っていた。
“せめて結界を見つけるのにもう少し簡単な目印があれば楽なのにな”
そう思ってふと空を見上げて気が付く。
黒い煙が見えた気がしたのだ。拡散して薄く広がっているが、その下には煙は見えなかった。
おかしい。
普通は濃い煙が上昇すると共に拡散して薄くなっていくはずだ。だから、昇る煙の筋が絶対に何処かに見えるはずなのだ。
そこで彼はファイヤビーが炎を使う魔法少女である事を思い出した。炎に煙は付き物だ。ならば、もし、彼女との戦闘を隠したいと思ったのなら、音ではなく視覚を遮断する結界を張るのじゃないだろうか?
“まさか!”
彼は慌てて二見に電話をかけた。
ファイヤビーはよろめいて倉庫の壁にもたれかかった。動けない。なんとかハエ達の包囲網は抜けたのだが、それが精一杯で体力は限界だった。なんとか紐野に助けを求めるメッセージは送れたが、場所までは説明し切れなかった。毒の所為で手が震えてスマートフォンが上手く操作できなかったのとハエ達がそれを邪魔して来たのがその主な要因だ。
もう満足に身体を動かせない。魔法もほとんど使えない。ゆっくりとハエ達が距離を詰めて来た。
どうやら彼女の予想は当たっていたらしい。ハエ達は完全に毒が回って彼女が動けなくなるのを待っていたのだ。
“これは……、もうダメかもしれないわね”
と、彼女は思う。
この後、自分はどんな目に遭うのだろう? 殺されて死体に卵でも埋め込まれるのだろうか?
ここで自分の人生は終わるのかもしれない。まさか、こんなところで終わるなんて。
しかし、そう覚悟をした瞬間だった。倉庫の窓を突き破って、何者かが侵入して来たのだ。
それは言った。
「無事? ファイヤビー!」
その声は魔法少女キリのものだった。しかも彼女は紐野繋を両手で抱えていた。




