18.VS人語を解する妖獣 ~おいしか棒が好き
キリは自身に治癒魔法を使って、なんとか自力で傷を癒していた。だから彼女は「大丈夫」と言ったのだが、心配した紐野が一か八かで魔法少女ファン・コミュニティでナースコールに助けを求めてみると、なんと本当に来て傷を癒してくれた。ただ、キリが言うように本当に大丈夫だったらしく、ほとんど治っていたようだ。彼がわざわざ来てもらった礼を言うと、
「問題ないわ。だってぇ、私、キリちゃんの事、大好きだからぁ」
などと彼女は応えて来た。
因みに彼女は大体誰でも“大好き”と言う。
それからキリがナースコールに事情を話した。
「……他人に見えなくて、キリちゃんに似ている女の子が、キリちゃんを殺そうとした?」
驚いた顔で彼女はちょっと引き気味に紐野とキリを交互に見た。
「わたしの目には見えなかったけど」とキリが言うと、「彼女の姿が見えていたのは、多分僕だけだな」と紐野が続ける。
その理由については思い当たる節があったのだが、彼はそれは言わなかった。K太郎が監視をしているかもしれない。
「ふーん」とそれを聞くと、ナースコールは疑わしそうな視線を彼らに向けた。
「それ、本当?」
「本当だよ。嘘を言ってどうするんだ?」
疑う気持ちは分かるが、実際にキリが攻撃を受けているのに信じないのか、と紐野は思っていた。するとナースコールは慌てて弁明した。
「あ、もちろん、紐野君達が嘘を言っていると思っている訳じゃないのよぉ? でも、それ、本当に“見えない女の子”だったのかなぁ? って思って」
「どういう事?」とそれにキリ。
「うん。だから、本当は妖獣だったのじゃないかなぁ? って。だって、姿は紐野君にしか見えなかったのでしょーう? なら、むしろそっちの方が幻だったのじゃないの?」
そう言われて、キリは言い淀む。そう言われたら否定はできなかったのだ。ただ、紐野はそうは思っていなかった。
“違法コピー”
確かに不可視の少女はそう言っていた。機械的に、恐らくは自動的に発する警告音で。しかも、彼女の姿はキリにとてもよく似ていたのだ。
なら、本当に彼女はキリのコピーだったのかもしれない。ちょっと姿が変わっていたのは、コピープロテクトを乗り越える為の処置の所為だと考えるのなら辻褄が合う。
それを言おうかと彼は悩んだが、結局は口にしなかった。伝えてはいけない類の情報だと判断したからだ。下手な事をすれば、K太郎達が自分にも彼女達にも何をして来るか分からない。
「でも、だとしたら厄介ね。見えない妖獣で幻まで見せられるなんて、どうやってやっつけたら良いのかしら?」
ナースコールは、勝手に不可視の少女は妖獣だったと結論付けてしまったらしく、そのように不安がっていた。
キリの様子を見てみると、どうも彼女も妖獣だと納得していないようだった。ナースコールが去った後に彼女は呟くように言った。
「見えない女の子、わざわざ人通りの少ない道で襲って来たのよ。それって他の人に被害が出ないようにする為でしょう? 妖獣がそんな気を遣うかしら?」
“なるほど”と、それを聞いて彼は思う。キリらしい発想だ。自分ならそうすると思っているのだろう。
一方、紐野は別の疑問を抱いていた。
“どうしてK太郎は、キリを助けなかったんだ?”
仮に魔法少女達が連中にとっての商品だとするのなら守ろうとするだろう。その仮説が間違っているのだろうか?
と、彼は思いかけたのだが、そこで“否”とその考えを否定した。
“助けたのかもしれない。だから、不可視の少女は、あのタイミングで消されたんだ”
今回の件、下手にK太郎達が手を出せば、何をやっているのかが魔法少女達にバレてしまうリスクがあるから顔を出さなかったとする方が自然だ。いつもはあっさりと姿を見せるのだから。
「なんか、モヤモヤするのよねぇ」
キリは愚痴をこぼした。
そんな彼女を見ながら彼は思う。
……仮にキリが“商品”だったとして、果たしてどうすれば守れるのだろう?
数日後、ふざけた事件が起きた。
半透明…… と言うよりも、光学迷彩を施されて非常に姿を捉え難い子供くらいの小さなものが現れたのだ。しかも、かなりの数。そしてそれは誰彼構わずに尋ねるらしい。
『おいしか棒ありますか? おいしか棒だけで良いです』
と。
“おいしか棒”というのは、10円強の非常にお手頃な価格で変える駄菓子の一種である。
光学迷彩で見えないそれは、偶然その人がおいしか棒を持っていたら奪ってしまう。ない場合は、ある場所を訊いて来て、例えば「あそこのコンビニにあるよ」などと返すと、そのコンビニにまで行って盗んでしまうのだそうだ。
匂いか何かでおいしか棒が近くにある事を把握できるのか、「持っていない」と嘘を言うとしつこく何度でも『本当ですか? 本当においしか棒を持っていませんか?』などと尋ねて来るらしい。そして、おいしか棒を見つけるとやはり強引に奪ってしまう。力は弱いようだが、すばしっこく、姿が見え難いから防ぐのは困難なのだ。
正体不明だが、この謎の存在は妖獣の一種であるという事になり、“おいしか棒小僧”と名付けられた。
被害額は個人なら100円未満である場合が多く、店舗でも500円~1000円程度と非常に少額ではあるが、それでも放置しておいて良いはずがない。
「明太子味が食い難くなるのは大問題だな」と、紐野は言った。二見が「わたしはコーンポタージュ味も好き」とそれに続ける。
更に、おいしか棒小僧には、知らない間に勝手に家の中に入って来て突然話しかけて来て安眠を妨害する、急いでいるのに話しかけて来て交通を妨害するなどなどといった問題点があった。
警察はおいしか棒小僧の対処に難渋しているらしかった。姿が見え辛く挙動が不明な存在にどんな手段が有効なのかも分からないでいるのだ。捕まえにくい。捕まえても直ぐに逃げてしまう。害獣認定もされていないから、法的な問題もある。殺して良いのかどうかも分からない。だから、また魔法少女達が頼られたのだった。
「……と、言ってもね」
アイスコーヒーをストローでかき混ぜながら二見が愚痴るように言う。彼女と紐野は読書喫茶で作戦会議をしていた。
「見つけたらやっつけるようにしているけど、多すぎるのよ。見え難いから、探すのも一苦労だし」
魔法少女達は既に各々で動いていた。見つけたなら変身して退治をする。しかしそれでは中々おいしか棒小僧の数は減らなかった。
今回の妖獣は色々と厄介だが、一点だけ都合が良い事があった。退治すると、しばらく後に勝手に消えてしまうらしいのだ。分解されるのか、異次元に消えるのかは分からないが、だから妖獣死体処理の仕事は必要なかった。
……もっともそれは、おいしか棒小僧についての情報が入り難い事も意味していたのだが。
「そーだなー」
と、二見の愚痴を聞きながら、紐野はスマートフォンで魔法少女ファン・コミュニティを眺めていた。もちろん、サボっている訳ではない。何か有用な情報や作戦がないか探っているのだ。
不意にピクリと彼は反応する。何か面白い情報が載っていたらしい。そのタイミングで唐突に声が聞こえた。
『おいしか棒ありますか? おいしか棒だけで良いです』
おいしか棒小僧だ。
目の前の空間が小さくヒト型に光学迷彩で歪んでいる。
小型の宇宙人のようなシルエット。
実はこのような事は最近では珍しくない。二見は魔法少女に変身して退治しようかと逡巡したようだったが、作戦会議中だからか面倒くさいからか追っ払う事にしたようだった。
「少なくとも、ここにはないわよ。あっちのコンビニになら売ってるのじゃない?」
その可能性はかなり低い。この地域の店ではおいしか棒小僧の所為でもうほとんどおいしか棒を扱っていないのだ(企業にとっては大迷惑だ)。しばらく間があった。疑っているのかもしれない。しかしそれでもおいしか棒小僧はコンビニ向かったようだった。空間の歪みが移動し、気配も消えていく。読書喫茶のドアが開いた。出て行ったのだ。
「なるほど。情報通りだな」
と、それを見て紐野は呟いた。彼の様子の変化に気が付いたのか二見が「どうしたの?」と尋ねる。すると、彼はこう返した。
「作戦を思い付いたぞ、二見。多分、これでいけると思う」
魔法少女ファン・コミュニティには、このような作戦が上がっていた。
『おいしか棒を大量に用意して誘い出し、一網打尽にすれば良いのじゃないか? おいしか棒は安いから、一万円もあれば十分な量が買えるだろう』
ただし、この作戦には致命的な欠陥があった。おいしか棒小僧はどうやら遠くからおいしか棒の位置を察知する能力はないようなのだ。だからこそおいしか棒小僧は、人間に場所を訊いているのだろう。つまり、大量に集めても、おいしか棒小僧達は誘き出せない。
ならば、と紐野は考えたのである。
広場に体育祭の玉入れ競争で使われる玉入れが置かれてあった。その中にはおいしか棒が大量に入っている。玉入れの土台はしっかりと木版や鉄の杭などで固定されているから簡単にはひっくり返らない。
少し離れた位置から、紐野とキリはその広場の様子を窺っていた。既に10体程のおいしか棒小僧が集まっているようだ。空間が歪んでいる。玉入れの下に集まり、なんとかよじ登ろうとしているようだ。だが、玉入れを支える鉄の棒は細いのでままならないでいるのだろう。
「まだまだだ。もっと集まってもらわなくちゃ困る」
紐野は独り言を漏らした。
彼の近くにはキリの他に、魔法少女バリー・アンの姿があった。そして、広場の周囲にはファイヤビー、アイシクル、ライなどなどの魔法少女らが待機していた。
彼女達もおいしか棒小僧にはうんざりしていたのだ。だから今回の作戦には非常に協力的だった。
おいしか棒小僧はどんどんと集まって来ているようだった。既に50体以上はいる。
「玉入れ、大丈夫かしら? 壊されちゃうのじゃない?」
玉入れは近くの中学校から借りて来たものだった。壊される訳にはいかない。それを聞くと紐野は指示を出した。
「よし、キリ。空の上から、おいしか棒を十個くらい投下してくれ。それで気を散らさせる」
「オッケ」と返して、キリは上空からおいしか棒を撒いた。すると玉入れに登ろうとしていたおいしか棒小僧は散り散りになったようだった。しばらく奪い合いをした気配の後に、勝者が降って来たおいしか棒を食べている。これで時間が少しは稼げる。その間にも続々とおいしか棒小僧は集まって来ていた。
おいしか棒小僧には、遠くからおいしか棒を察知する能力はない。その代わり、人間においしか棒の場所を尋ねるのだが、人間から聞いたその情報を大体は信じてしまう。魔法少女ファン・コミュニティに集まった情報から判断しても、それはほぼ100%のようだった。
だから紐野繋は一計を案じたのだ。
『おいしか棒小僧においしか棒の場所を訊かれたら、“あの広場にたくさんある”と答えて欲しい。それで一か所においしか棒小僧を集めて一網打尽にする』
このメッセージを、魔法少女ファン・コミュニティに上げたのである。おいしか棒小僧に困っている付近の住民達は、それに一斉に協力をした。その結果、今、続々とおいしか棒小僧達はこの広場に集まって来ているのだった。
1時間程が経過した。
やがて広場は空間の歪みで埋め尽くされ、光学迷彩がほぼ意味をなくしていた。おいしか棒小僧達がいるのだと気配ばかりか視覚でもありありと分かる。
おいしか棒を空から落とす時間稼ぎももう限界だ。
キリが声をかけた。
「紐野君。もう良いのじゃない?」
「ああ、」とそれに彼は返す。そして、それから、
「やってくれ、バリー」
と、近くに待機していたバリー・アンに合図を送った。
「アイアイサー」
と、それに彼女は返すと指をポキポキと鳴らして空に飛び上がり、そのまま今まで溜めていた魔力を使ってバリアの魔法を放った。
「チミモウリョウの檻バリア!」
広場を巨大なバリアの壁が取り囲む。これでおいしか棒小僧達は逃げ出せない。次に紐野は「今だ! 上げてくれ!」と他の魔法少女達に合図を送った。それを受けて、ロープを思い切り引っ張り、玉入れを土台から回収する。何体か、おいしか棒小僧が縋りついていたようだったが、空中で振り落とした。
その作業が終わるのを受けて、
「さあて!」
と、嬉しそうにファイヤビーが声を上げた。
「今回だけは、報酬とか関係なしに猛烈にやる気あるのよ、あたしでも!」
溜めていた魔力で炎をたぎらせる。
「この大迷惑害妖獣がぁぁ! メラメラ・スペシャル! トルネード!」
そして、巨大な炎を放った。それは他の魔法少女達も同じで、雷や氷や風で攻撃している。地獄絵図。このバリアの内側で生き残れる動物はいないだろう。これがもし人間だったなら大量虐殺である。
やがて魔法少女達の攻撃が終わった。おいしか棒小僧達はすっかりと消えてしまったようだった。広場の中には少しも空間の歪みはない。
「勝ったぁ!」
と、それを見て魔法少女達は勝利の声を上げた。「やったねー!」とバリー・アンが次々と魔法少女達に抱き付いている。ハグだ。キリにも抱き付いていた。
それにちょっとだけ紐野は引いていた。
彼の表情に気が付いたのか、彼女は言う。
「あー、私、フリーハグをやっているんだ。“空間にバリアはつくるけど、心にバリアはつくらない”がモットーでね」
そんな事を言われても。
それから彼女は彼にも抱き付こうとしたのだが、それを見てキリが彼女の襟首を後ろからむんずと掴んで止める。
「バリー? 彼はね、とってもナイーブなの。いきなり女の子に抱き付かれたら気絶しちゃうわ」
ちょっと怒っている。
「そうなの? 可愛いわね」
と、それに彼女は返したが、ややキリの顔にビビっていた。
「何言ってるんだ?」と、それに紐野は返したが、実はちょっと安心していた。ちょっと残念にも思っていたけれど。
夕刻過ぎ。
おいしか棒小僧達の件が無事に終わり、紐野繋は暗い帰り道を歩いていた。考え事をしながら。
作戦が成功した事は良かったが、様々な懸念が消えない。
“恐らく、K太郎達があのふざけた妖獣、おいしか棒小僧を出して来たのは、不可視の少女の件があったからだ”
彼はそう予想していた。
魔法少女ナースコールは、不可視の少女を妖獣の一種だと疑っていた。そう思わせた方がK太郎達にとって都合が良いはずだ。だから人語を解することができ、光学迷彩の能力を持つ妖獣を送り込んで来たのだろう。こんな妖獣がいるのなら、誰にも見えず、人語を解する少女の姿をした妖獣がいたとしてもおかしくはない、と思わせたいのだ。
“まぁ、僕にとっては分かり易過ぎるから逆効果だが、きっと連中は僕については諦めているのだろうな。……どうでも良いと思われているだけかもしれないけど”
歩きながら、彼は考え事に集中していたのだが、ある時、ふと奇妙な感覚を味わった。或いは普通の人間ならあまり気にしないかもしれない。が、彼は以前にその感覚を強烈な記憶と結び付けられた上で印象付けているので無視はできなかった。
“音が遮断された”
と、彼は思う。
これは結界?
足を止め、周囲を見て、彼はゾッとした。そこが不可視の少女とキリが闘った廃ビルの前だったからだ。




