11.走りたガール
『やあ、違法少年。久しぶりだね』
突然、紐野繋は頭の上から話しかけられた。
沼島霧香の家からの帰り道、辺りは夕刻を過ぎ、既に暗くなっていた。顔を上げると狐のような兎のようなシルエットが薄く夜空を切り取って浮かんでいた。目だけ赤く光り、彼を見降ろしている。
“あからさまに不気味な演出で来たじゃねぇかよ、K太郎”
と、彼は思う。
『まさか、沼島霧香を調べるとは思っていなかったよ。どういう了見だい? 興味本位で探るような事じゃないよ』
「大した理由じゃないよ。これから二見がどういう扱いを受けるのか、参考にしようと思っただけだ」
『へー。爆弾以外にも関心を持てるようになったんだね。成長しているじゃないか。それで、何か参考になったかい?』
「ま、記憶を失くす程度なら構わないとは思ったな」
『ふーん。そうかい。ところで彼女が君が“構う”ような事をもしされていたらどうするつもりだったんだい?』
「さあ? 何か考えるさ」
少しの間ができる。不吉な緊張感を、彼はその沈黙から感じ取っていた。不意にK太郎が声を発した。
『君は自分の立場をもう少し考えた方が良いな。僕らから切られたら君はお終いなんだよ? 僕らが爆弾の認識阻害を解くだけで、君は警察に捕まってしまうんだから』
「分かっているよ。そんなに警戒するな。心配しなくてもこの事は二見には言わない。余計な心配はさせたくないからな」
“言っても無駄だろうし”と、彼は心の中で続ける。もしそれがK太郎達にとって大きな問題になるのなら、記憶消去をしてしまえば良いだけの話だ。恐らく、作業をしている何者かの負担が増えるくらいのダメージしか与えられない。
『オッケー。まぁ、信用しよう。くれぐれも余計な真似はしないでくれよ』
K太郎はそう言うと、掻き消えるように姿を消した。紐野は機嫌悪そうに表情を凶悪に歪ませる。
“チッ! やっぱり、監視されていたか”
ただし、それでも有力な情報は得られたとも思っていた。まず、言わずもがなだが、K太郎が彼(や魔法少女)を監視しているだろうという点、次に“魔法少女の引退”には、何かK太郎やそのバックにいるだろう存在の知られたくない秘密が関わっているだろう点、そして最後に、K太郎が彼を舐めているだろう点。
“……とにかく、K太郎に勘付かれないように、もっと現れなくなった魔法少女について調べてみるべきだな。絶対に何かある”
それから彼は少し考えると、魔法少女スピーダーについて調べてみる事に決めた。偶にしか現れない魔法少女だ。彼女は引退した訳ではないようだが、それでも何か秘密があって偶にしか現れないのかもしれない。もっともそれは、K太郎達とは関係がないもっとシンプルな理由ではないかとも彼は予想していたのだが。
――紐野繋は大きな病院の中を歩いていた。
この地域には、重病人や怪我人を入院させられるような大きな病院は二つしかない。彼はそのどちらかに魔法少女スピーダーの正体が入院しているのではないかと考えていたのである。
魔法少女スピーダーが走っている動画は、検索をかけてみると数多く残っていた。その動画を観る限りでは、スピーダーの“走り”は滅茶苦茶だった。フォームも何もない。訓練されているような走り方ではない。探してみると陸上に詳しい人間のコメントがあったが、やはり“とんでもない素人走り”であると指摘されてあった。
『陸上をやっていないどころか、普段、ほとんど走った事がないのじゃないか?』
それでも彼女が恐ろしく速いのは、間違いなく魔法の力のお陰だろう。
そして、ほとんど走った事がないだろうにもかかわらず、彼女は走るのを心底楽しんでいるように見えるのだ。
だから彼はこう考えたのだ。
“魔法少女スピーダーは、病気か怪我の所為で普段は走れない女の子なのじゃないか? だから、魔法少女になって走れるのが嬉しいのかも”
それで彼は大きな病院の中を探しているのだった。魔法少女への認識阻害が解除されている自分にならば、姿を見れば人間の状態の彼女に気付けるはずだと考えて。が、もう一つの可能性を彼は失念していた。
「あの……」
簡単には見つからないだろうと病院内を彷徨っていた彼は突然話しかけられて驚いた。控えめな声だったが妙な芯の強さがあって、彼は直ぐに気が付いた。
車椅子に乗っている少女。多分、同い年くらいだ。可憐で気が弱そうな外見をしているが、少しも物怖じせずに彼に話しかけている。
「えっ…… あ、 なに?」
むしろ五体満足の彼の方が怯えているように見えた。ただでさえコミュニケーション下手な上に人見知りする性質なのだ。
突然話しかけられて混乱した頭の片隅で、彼は“この女、何処かで見た事がある”と思っていた。髪の質が違うだけで随分と印象が変わるものだが、しばらくして気が付いた。髪をくせ毛に変えると、魔法少女スピーダーの顔になる。恐らく本人だろう。
「あなた、最近、魔法少女達に混ざって妖獣と闘っている人ですよね? 爆弾を投げて」
まさかスピーダーの方から話しかけて来るとは思っていなかった彼は、初めその僥倖を受け入れ切れてはいなかったのだが、徐々に“これはチャンスだ”と考え始めていた。
「そうだけど」
彼がぎこちないはにかんだ感じで返すと、彼女は車椅子に座ったまま、軽く腰を跳ねさせて喜びの声を上げた。
「わあ! やっぱり! 動画を観ながら、凄い人がいるって思っていたんですよ! お会いできるなんて感動です!」
あまりにはしゃぐので、車椅子が倒れてしまいやしないかと紐野は少し心配になった。
「わたし、魔法少女のファンなんです! だから彼女達と一緒に闘っているあなたの事も尊敬しています! がんばってください!」
大喜びしている彼女を見ながら、彼はどう応えれば良いのか分からなくて困惑…… いや、軽いパニックに陥っていた。
“えっと…… こーいう場合は、「ありがとう」とでも返せば良いのか?”
そう考えて口を動かそうとする。しかし、口が上手く動かなかった。「あ、りが……」。コミュニケーション下手の彼は好意を向けられる事に慣れていないのだ。だから、いつも以上におかしくなってしまっていた。
“どうする? 折角、話を聞くチャンスなのに……”
彼は大いに焦燥していたのだが、そこで声がかかった。
「笹野さん。お客さんを困らせては駄目ですよ?」
見ると、そこには男の看護師がいて、困ったような顔でこちらを見ていた。
「すいませんね。笹野さん、入院生活があまり面白くないのか、時々お見舞いのお客さんに話しかけるんです」
そう男の看護師は紐野に説明してくれた。
「誤解ですよ。わたし、困らせるような事はしていません」
男の看護師は、事情を聞くと魔法少女スピーダー…… 笹野汐里というらしい彼女の病室へと案内してくれたのだ。そこで紐野は彼女の話し相手になって妖獣退治のエピソードなどを話した。思いの外、楽しんでくれたようだった。看護師は彼にお茶を出してくれた。看護師はどことなくオカマっぽかったがとても話し易く、彼の緊張は次第に解けていった。もっとも、“看護師という役割がある”という人間関係の前提が彼の動揺を緩和させてくれた効果が大きそうだったが。
笹野汐里との会話からは、K太郎やその他の何者かの存在は感じられなかった。それが正しいとするのならば、彼女が偶にしか魔法少女スピーダーとして活躍できない理由は入院患者である彼女の事情にあると見た方が良さそうだった。
この話の流れならばいけると考え、彼は口を開く。
「もしかしたら、笹野さんの自由になる日って少ないのですかね?」
その質問には何故か看護師が答えた。
「そうですねぇ。例外もあるけど、大体、火曜と第一第三金曜くらいしか一日自由になる日はないですね。それ以外の日は、検査やリハビリやお勉強をしなくちゃいけなくて」
“なるほど”と彼は思う。その時、笹野汐里は不満げな顔で彼を見ていた。羨ましがっているような。
高校の休み時間。また、村上アキの教室。紐野繋は「すまない」と謝ってから彼にお願いをした。
「魔法少女スピーダーについて知りたいんだ」
「スピーダー? 随分とレアな魔法少女が出て来たね。何を知りたいの?」
「彼女が出現した日を知りたい。何か記録が残っていないか?」
それを聞くと村上は直ぐに、
「魔法少女スピーダーだけじゃないけど、この辺りの妖獣の出現日と場所、対応した魔法少女の名前をまとめてサーバーに上げている人がいたはずだよ」
そう教えてくれ、実際にスマートフォンでアクセスしてその資料を見せてくれもした。URLを送ってくれる。
「おお、助かるよ。悪いな、いつもお返しもしないで一方的に頼んじゃって」
そう紐野が申し訳なさそうに言うと、村上はあっさりとした口調で「気にしないでよ」と笑顔で応えた。
「君の頼み事って、多分、全て魔法少女関連だろう? 彼女達のサポートの為なら喜んで協力するよ。以前も言ったけど、君は素晴らしいと思う。彼女達を称賛する人が世の中にはいっぱいいるけどさ、君みたいに実際に助けている人は少ないよ」
その彼の言葉に、紐野は感動を覚えていた。なんだか、自分のやっている事が認められたような気がしたのだ。誰にも話せない(二見にすらも)。そう思っていたのに、突然共感する仲間を得られたような。
――それは彼が生まれて初めて味わう感覚だったかもしれない。
「ありがとう」
気が付くと、彼は自然とそう村上アキにお礼を言っていた。
自宅に戻ると紐野はパソコンを立ち上げ、村上が教えてくれた資料で、魔法少女スピーダーが現れた日を確認していった。予想した通り、ほとんどが火曜と第一第三金曜だった。笹野汐里が自由にできる数少ない日。稀にそれ以外の日にも出現していたが、恐らくイレギュラーなケースなのだろう。
「彼女は本当は魔法少女になって、自由に走り回りたいのだろうな」
彼女の羨ましそうな顔を思い出してそう呟く。
妖獣が出現しなくても、魔法少女になる事くらいは可能だろう。が、恐らく彼女は真面目な性格をしていてそれができないのだ。
そこで彼は例の“文字化けメール”を思い出した。文字化けメールは、どう考えてもK太郎には気付かれないようにして送られた何者かからの彼宛のメッセージだ。
“K太郎…… の、バックにいる連中。まったく正体不明だが、もし連中に妖獣の出現日を操作できるとしたらどうだ?”
連中が“結界を張る妖獣”で魔法少女を捕らえているのならば充分に有り得る。“文字化けメール”の主になら、或いはそれが可能なのかもしれない。問題は、どうやって文字化けメールの主にコンタクトを取り、K太郎の監視の目を潜り抜けるかだった。
しばらく考えると、彼はメーラーを立ち上げた。以前に受信した縦読み暗号のメールを開くとそれに返信をする。
『こんなメールを何度も送って来るな。一度、話をしよう』
K太郎は彼を見下しているようだった。この文面なら、恐らくスパムメールに返信する馬鹿な奴だと思われるだろう。
次の日、メールへの返信があった。同じ様に文字化けメールだが、縦読みの暗号箇所は発見できず、そしてその代わりに謎のURLが貼られてあった。セキュリティ対策を考えるのなら、普通は絶対にクリックをしてはいけない。が、彼はそれをクリックした。すると、画面いっぱいにアニメ調のエロい女の子のイラストが表示された。
“なんだ? 本当にスパムだったのか?”
と考えたが、直ぐに考え直す。それがヘッドセットマイクを利用するタイプのエロゲーだと気が付いたからだ。
ヘッドセットマイクを付ける。すると女性キャラの色っぽいな声質で、エロいイラストと合っていないこんなセリフが聞こえて来た。
『お前が爆弾を使うと、こっちの作業が増えるんだよ。控えてくれ』
“ビンゴだ!”
と彼は思うと返す。
小さな声で。
「次の火曜に妖獣を出現させてくれ。そうしたら、極力爆弾は使わないようにする」
するとその声に反応して、やはりエロいイラストに合っていない『オーケーだ』という返事があった。
彼はニヤリと笑った。
予想通り。しかも、K太郎のバックにいる何者か達の一人とこっちから初めてコンタクトを取れ、そいつは完全にはK太郎の味方じゃないようだ、という事までも分かった。そして、その連中には、どの程度かは不明だが、妖獣の出現を操れる事も。飽くまで可能性の段階だが、そもそも妖獣を生み出しているのは連中である可能性すらもある。
“結界を張る妖獣”
――もしかしたら、連中の最終目的は、魔法少女を捕らえる事にあるのかもしれない。
それら情報は、二見愛を守りたいと思っている彼にとって大きな収穫だった。
「キーン! かっ飛びぃぃ!」
次の火曜の午後。
元気な声が響く。
目の前には、大きな毛玉のような姿をした妖獣がいて高速で回転して道路を暴走していた。文字化けメールが約束を守ってくれたのだ。妖獣の直径は3メートルはあった。車にぶつかると、ふわりと乗り越えて通り過ぎてしまう。その所為で、偶に運転を誤って事故を起こす人がいた。高速で移動するタイプの妖獣だが、直線的な動きしかできないようなので攻撃は当て易い。キリとの相性は悪くはない。だから、紐野が爆弾でサポートするまでもなかった。なかったのだが。
毛玉の妖獣の横を、魔法少女スピーダーが並走していた。とても嬉しそうな顔で。
「足を、大きく、うんならかしていこー!」
そう叫び声を上げる彼女の手には爆弾が握られてあった。紐野は爆弾を使うつもりはなかったのだが、彼を見つけるなり彼女が「あっ! 爆弾の人だ! 爆弾見せて!」と言い、彼が爆弾を見せると「一個ちょーだい! ぶつけてくるから!」と言って彼から半ば無理矢理爆弾を持っていってしまったのだ。
「あんた、スピーダーと仲良くない? 何かあったの?」
そうキリに疑われたが、彼には何も答えられなかった。そしてそれからスピーダーは、「ボカーン!」と嬉しそうに声を上げ、妖獣に爆弾をぶつけてしまったのだった……
“僕が爆弾を使った訳じゃないからな”
と、彼は心の中で言い訳をする。
その日の晩、文字化けメールの主から“約束破るな。爆弾使うな”と縦読み暗号で文句のメッセージが届いた。
“僕が使った訳じゃないんだよ”
と、彼は心の中で返す。できれば誤解を解きたいと思っていたが我慢をした。K太郎の監視が怖かったのだ。




