10.引退した魔法少女
「――そりゃ、来なくなっちゃった魔法少女だっているわよ?」
二見愛がそう言った。
今の彼女は魔法少女の姿ではなく、普通の女子高生の姿だ。地味だが、よく見ると可愛い。因みに彼女は黒縁のメガネをかけているが伊達らしい。
30分ほど前、紐野と二見は読書喫茶に入った。二人とも高校の帰宅途中で制服を着ている。この読書喫茶は図書館ほどではないが多くの蔵書があり、ゆっくりと読書を楽しみながら過ごす事もできれば、読書好きが集まって読書談議に花を咲かす事もできる。少しオシャレな喫茶店だ。値段は少し高めだが、コーヒー一杯で何時間居ても文句は言われないのでコストパフォーマンスはそれほど悪くない。
喫茶店に彼らがいるのは、紐野からの提案だった。
「協力して妖獣退治をやる以上、魔法少女について情報を共有しておいた方がいい。少し話さないか?」
などと誘ったのである。コミュニケーション下手な彼だが、彼女に対しては気軽に声をかけられるようになっていた。
……もっともそれは情と情のコミュニケーションではなく、“妖獣を退治する”という役割的なものが互いにあると分かっているからだったのかもしれないが。
「一般には知られていない魔法少女の情報を教えてくれ」
紐野がそう言うと、二見はちょっと驚いた顔を見せて「なんでよ?」と返した。
「だから、言っただろう? これから協力していくからだよ。情報はできるだけ多く共有しておいた方が良い」
呆れた様子で彼は返す。すると彼女は渋々ながらといった様子で、「分かったわよ……」と応えてから、
「……えっと、スリーサイズとか?」
などと続けた。紐野はツッコミを入れる。
「いや、そーいうのじゃないから」
実はちょっと知りたかったのだが。
「攻撃魔法や移動魔法、治癒魔法なんかは、一般人にも知られているだろう? それ以外に実は使える魔法とかはないのか?」
紐野が尋ねると二見は軽く頷く。
「あるわよ。耐久力を上げる魔法があるわね」
「耐久力。それは使えそうな情報だな」
「耐火、耐水、耐氷、耐電、耐衝撃などなど…… 魔力もそれほど使わなくて良くて、しかも即効性」
“ふーん”とそれを聞いて紐野は思った。
“魔法少女を守る為に、耐久力には特に力を入れているように思えるな”
ただし、耐久力を上げる魔法は充実しているのに、バリアなどの防御系の魔法は少ないように思える。何か理由があるのだろうか?
「でも、この魔法は他人には使えないのよ。つまり、あんたは生身で妖獣と闘わないといけないの。一度でも攻撃を受ければ大ピンチよ?
どう? 自分がどれだけ危ない事をやっているか自覚できた?」
「それはもう良いよ。分かっているから」
今までだって充分に気を付けていて、それほど危ない目には遭っていない。どうにも彼女には心配性のきらいがある。
話をしていくと、他にも一般には知られていない魔法少女の情報がある事が分かった。例えば、K太郎と交渉すれば、使える魔法は偶に増やしたり強化してくれたりするのだそうだ。どういう条件で認められるかは彼女達にも不明だそうだ。妖獣退治の報酬という訳ではないらしい。
「……魔法少女達は、基本的には報酬は貰っていないんだよな? よく続けていられるよな」
それを知った時、彼は思わずそう漏らしてしまった。するとそれに彼女はこう返したのだった。
「――そりゃ、来なくなっちゃった魔法少女だっているわよ?」
それを聞いて紐野はハッとなった。何故、今まで気付かなかったのだろう? 意外にこれは重要だ。
“……魔法少女達は、一体、どうやって引退するんだ?”
「来なくなったって、この前のファイヤビーみたいにやる気がなくなったとかか?」
魔法少女ファイヤビー。先日会った彼女からはやる気が感じられなかった。恐らく、もう彼女は魔法少女に魅力を感じてはいないのだろう。
「そうねー。魔法少女になってチヤホヤされて気持ち良くなっても、それは変身後のわたし達であって本当のわたし達自身じゃないしね。元に戻れば何にもなし。どんなに苦労をしても痛い目に遭っても。だからきっと虚しくなっちゃうのよ。中には酷いことを言うアンチもいるし」
その語り口調からは、少なからず二見自身も似たような心境に陥っているだろう事が察せられた。
しかし、彼女はそれでも魔法少女の活動を止めない。むしろ精力的に活動している。きっとそれは本心から誰かを助けたいと思っているからなのだろう。
「それで少しずつ来なくなって、いつの間にか完全にフェードアウト。引退。そういう流れ。
ま、K太郎が妖獣の出現情報を教えてくれなくなったって線もあるけど、ずーっとって言うのはちょっと考え難いわね」
「ちょっと待て。K太郎は、妖獣の情報までお前らに教えるのか?」
「教えてくれるわよ。ま、出撃するかどうかは本人次第だけど。でも、教えてくれない場合もあるのよね。どーいうさじ加減かはさっぱり分からない。この前の爆食鼠の時なんか、青蓮一人だったから危なかったのに教えてくれなかったのよ? 下手したら、彼女、鼠達から袋叩きになっていたのに」
それを聞いて紐野は思う。
“あの美女が袋叩きか。一部の趣味の悪い男どもが喜びそうなシチュエーションだな”
何か理由があるのかと少し疑ったが、深くは考えなかった。
「でも、引退したと思ったら、偶にやって来るような娘もいるわね。簡単に言えば、レアキャラな魔法少女……
でも、わたしの知っているそういう娘に、やって来たら、物凄く楽しそうにしている娘がいるのよね」
「楽しそうって戦闘をか?」
「違うわ。走るのが好きな娘がいるのよ。走るついでに妖獣退治をしているような。一部では有名よ? 知らない? 魔法少女スピーダー」
言われてスマートフォンで調べてみると、魔法少女スピーダーのステータスが出て来た。攻撃力:C、スピード:S、防御力:C、魔法力:Cなどと評価されている。なるほど、スピードに特化しているらしい。画像もあって、カジュアルな服装で魔法少女にしては珍しくショートパンツをはいていて、大きく露出している健康的な太ももが眩しかった。言われなければ魔法少女だとは思わないだろう。髪はくせ毛で大きくカールして広がっている。勝手に陸上少女のような姿を想像していたのだが、どちらかと言えば外見からはインドア派な印象を受けた。
「わたし達は飛べるでしょう? でも、その娘は走ってやって来るのよね。多分、走るのが好きだからだと思うのだけど」
「ほー」と彼は返す。“色々な魔法少女がいるもんだ”と思う。
「でも、そーいうパターンだけじゃないわ。人気絶頂でやる気満々の魔法少女が何故か突然来なくなっちゃたりもするのよね」
その彼女の言葉に彼は反応する。不安に近い感情を覚えたのだ。
「それ、本当か?」
「本当よ。この辺りで、わたしの知り合いにも一人いるの。どうしちゃったのかしら、キリカさん」
「キリカ?」
「そう。白い衣装をよく着ていてね。氷と風の魔法が得意だった。わたしの憧れだったのだけど」
少し考えると彼は訊いた。
「もしかして、お前の魔法少女名のキリって……」
「そうよ。キリカさんの“キリ”の文字を貰ったの。勝手にだけど」
魔法少女キリの名前の由来をちょっと紐野は疑問に思っていたのだ。本名とは一文字も合ってないし、使う魔法からもイメージできない。“なるほど、憧れの魔法少女から取っていたのか”と彼は納得した。
「で、その魔法少女キリカはある日突然来なくなった、と?」
「そうよ。何かあったのかしらね? 引っ越したとか」
二見の態度は呑気だったが、紐野は不吉な想像をしてしまっていた。“結界の張る妖獣”。連中はキリを呑み込もうとしていた。もし仮にそのキリカという魔法少女も“結界の張る妖獣”に襲われ、呑まれてしまっていたのだとしたら?
それを二見に言おうか彼は迷ったが結局は言わなかった。余計な恐怖や不安は与えない方が良いと考えたのだ。ただ、
“ちょっと調べてみるか”
その時彼は『来なくなってしまった魔法少女キリカ』について、調べようと決意していた。
「――記憶が欠損した女性がいなかって? 歳は僕らよりも少し上で?」
高校の休み時間、紐野繋は村上アキを訪ねていた。
村上はどうやら魔法少女関連だけではなく、この辺りの噂話にもそれなりに詳しいらしい。随分前から魔法少女ファン・コミュニティに参加しているし、それ関連で学校の生徒達のコミュニティにも参加している。だから、ささやかな噂にしかなっていなかったにもかかわらず、紐野の爆弾作りについても知っていたのだ。
それで彼は村上を頼ろうと思ったのだ(そもそも、学校で彼が会話できるのは彼くらいなのだが)。
「そう。名前は多分、キリカ」
「キリカ…… ああ、そう言えば、この辺りで部分的記憶喪失になってしまった女の子がいるってかなり前に噂になっていたかも」
当然ながら、通常のネットでは世の中の全ての情報は拾い切れない。詳しく個人情報を知りたいと思ったのなら、メンバー限定のコミュニティやネット以外からも情報を集めなくてはならないだろう。村上ならある程度はそれを知っている。
「どうして、紐野君はそんな話を知りたいの?」
「話しても良いけど、どうせ直ぐに忘れると思うぞ?」
「なにそれ?」
村上は笑っていた。彼が冗談を言ったと思っているのだろう。だが彼は冗談を言ったつもりはなかった。認識阻害。現れなくなったとはいえ、魔法少女の正体を探っているのだ。普通の人間には扱えない。恐らく、魔法少女の正体を探れるのは魔法少女への認識阻害が効かない自分だけなのだ。彼はそう考えていた。
「既にある汎用的なプログラムを使うのなら、ほとんど工数はかからないよ。でも、カスタマイズしなくちゃならなくなると一気に仕事が大変になる。
ま、だから、できる限り、汎用的に使えるプログラムで済まそうとするんだよ。お客さんから何か言われても、ちょっとくらいなら“運用でカバーしては?”と提案したりね」
アルバイトの先輩の幸村から、紐野はそんな話を教えてもらっていた。特別な固有の処理を作る場合と、汎用的な処理を使う場合、労働コストがどれくらい違うのかと彼は質問したのだ。情報関連のエンジニアである幸村には、苦労をしたその手のエピソードがたくさんあるらしく、愚痴も込みで色々と教えてくれた。
「つまり、手抜きがしたいと思ったのなら、汎用的なプログラムで済まそうとするって話ですよね?」
と、紐野が訊くと幸村は大きく頷いた。
「そうだよ。プログラマーの負担を考えるのなら間違いなくそうする。でも、偶にプログラマーを道具か奴隷か何かだと勘違いしている偉い人もいてね。無茶な注文や、しなくても良いはずの負担を強いて来たりもする。そう人の場合は大変なカスタマイズをさせられる事もある」
「なるほど。不満も溜まるのでしょうね」
「そりゃもちろん。“これ以上仕事を増やさないでくれ!”って文句を言いたくなるよ。しかもそういう風に部下を人間じゃないと錯覚する心理ってのは人間にはよくある事らしくってさ、意外に多いんだ。ハラスメント対策ってのは必要なんだと実感できるよ、世の中で働き始めると」
その幸村の愚痴を聞いて、彼は不審な文字化けメールを思い出していた。ノベルゲームのタイトルが含まれた、縦読みの暗号で送られて来た例のメッセージ。
“警察にバレないと思って、あまりやり過ぎるな”
“こっちの苦労も考えてくれ”
そして、
“――なら、僕への認識阻害解除も、汎用的なプログラミングで済ましている可能性が高いな”
と、彼は考えたのだった。
恐らく、彼と魔法少女キリ…… 二見愛とのコミュニケーションの為に、自分の魔法少女の正体への認識阻害処置は解かれたのだろう。そして、その処置をしただろう何者かの負担を考えるのなら、それは汎用的な処置で行われている可能性が高い。
つまり、紐野繋には、魔法少女キリ以外の魔法少女への認識阻害もない。彼になら、魔法少女の正体を見抜けるのだ。
――沼島霧香。
それが村上アキから教えられた部分的記憶喪失になってしまった女性の名前だった。今は大学生であるらしい。
ネットで魔法少女キリカの画像を検索すると、落ち着いた雰囲気の女性がヒットした。青みがかった黒く長く美しい髪、それにいかにも魔法使いといった感じの白のとんがり帽子が良く似合っていた。薄い水色も重視しているらしく、控えめに美しさを彩っている。
「キリとは随分印象が違うじゃねぇか」
と、それを見て彼は思った。キリは落ち着きがないイメージがある。憧れていたはずなのにかけ離れている。そんなものかもしれないが。自分にないからこそ憧れるのだ。
その魔法少女キリカの画像を頭に叩き込むと、彼は教えられた住所の場所に行った。が、家を訪ねるような勇気は持てず、沼島霧香が帰って来るまで家の前で待っていた。その方が不審に思われてしまうという理屈は充分に分かっていたのだが、それでも見知らぬ他人の家をいきなり訪ねる事は彼には憚れたのだ。幸い、沼島霧香と思われる人物は比較的直ぐに帰って来た。
「あの!」
と、彼は勇気を振り絞って声をかける。
その時何故か彼の頭の中には二見愛とキリの姿があった。彼女を守る為には、どうしても確かめなくてはならない。その想いが彼を突き動かしていたのだが、本人はそれに無自覚だった。
声をかけられた沼島霧香は、キョトンとした表情で彼の方を見た。
「沼島霧香さんですよね?」と彼が尋ねると「そうですが」と返す。「何か用ですか?」と首を傾げた。
「あなたは部分的な記憶喪失だと聞きました」
それを聞くと訝しげな顔になり「そうですが」と彼女は返した。
「もしかしたらと思って尋ねるのですが、魔法少女キリを知っていませんか?」
そう言いながら、彼はキリの画像を彼女に見せた。
「ええ。知っていますよ。でも、有名だから知っているだけです。個人的な関りはありません」
「そうですか……」と彼は返す。そして、次に「ではこれは?」と言って、魔法少女キリカの画像を見せた。もしかしたら、本人かもしれない画像だ。
それを見ると彼女は瞳を大きくした。
「これは……」
「覚えがありますか?」
「いえ、覚えはありませんが、私に凄くよく似ていると思いまして。有名な魔法少女なんですか?」
「はい」
「そうなんですか。不思議だわ。今まで誰からも言われた事はないです」
その言葉に“認識阻害だ”と彼は思う。その所為で誰も彼女と魔法少女キリカが似ていると気が付けなかった。
恐らく彼女が魔法少女キリカで間違いないだろう。
「随分前に活躍していた魔法少女らしいです。だからだと思います。もしあなたが知っているのなら、と思ったのですが、僕の勘違いだったようです」
彼はそう誤魔化すと「失礼します」頭を下げた。沼島霧香は不思議そうな顔をしていたが特に追及はして来なかった。
騒ぎを起こすのは得策ではない。キリにとってあまり意味がないし、K太郎にも睨まれる。
紐野繋はもし魔法少女を引退した女性がいるとするのなら、記憶を消されているだろうと考えたのだ。ネットで調べてみると、実際に部分的記憶喪失の女性がある時期からたくさん見つかるようになっているらしい。しかも世界中で。
沼島霧香の反応を観る限り、彼の予想は当たっていたと考えるべきだろう。もしその程度であるのなら、キリについても大きな心配はいらないのかもしれない。自分の事は忘れてしまうかもしれないが、少なくとも殺されるような事はない。
“……でも、本当にそれだけなのか?”
彼は不気味な予感を覚えていた。
もし仮に魔法少女キリカが、“結界を張る妖獣”に呑み込まれてしまっていたとするのなら。そして、今いる沼島霧香が、本当は魔法少女キリカ本人でないとするのなら……




