1.社会不適合者
朝。
登校前。
親はいない。既に出勤している。
テレビではニュース番組が流れている。朝食をもさもさとした動作でゆっくり食べながら、紐野繋は睨みつけるようにしてそれを眺めていた。
『昨晩8時頃、23歳の女性が19歳の少年にナイフで刺され重傷を負い、病院に搬送されました。少年と女性には特に深い関係はないようで、警察は少年の身柄を拘束し事情を聴いている……』
ニュースキャスターが読み上げる無機質なニュース原稿に反応し、紐野はスマートフォンに触れた。SNSで検索をかけてみると、事件に対する様々なコメント(主に犯人への罵詈雑言だが)の中に、犯人の名前や住んでいる地域などを特定しているものが混ざっている。ニュース番組では顔も名前も伏せられてあったはずだ。もう調べている。極めて迅速だ。なんでこいつらはこんなに優秀なんだろう? ――もっとも、それらが誤情報の可能性もあるのだが(実際、そういう事もあったらしい)。
――詰んだな、こいつ。
心の中で紐野は事件の犯人に対してそう呟いた。釈放された後もデジタルタトゥーとしてこの情報は残り続け、一生涯この男の重りとなるだろう。かなり生き難いはずだ。「憐れな奴だ」と彼は犯人を侮蔑する。ただし、それは何処か己自身に向かって言っているようでもあったのだが。
そのまましばらくコメントを眺めると、一つのコメントが目に留まった。
『どうして、魔法少女はこういう犯罪者をやっつけてくれないんだ?』
それに思わず彼は「ケッ」と苛立った声を吐いてしまった。コメントへのレスポンスを見てみると『それはいくら何でも、ボランティアの魔法少女に頼り過ぎじゃないか?』といったものや『魔法少女にもし予知能力があったら未然に防いでくれているだろうよ』といった、魔法少女の擁護とそのコメントへの反論が多く綴られてあった。コメント主は納得がいなかったのか、
『魔法少女は、人間の犯罪者だってやっつけたりしているじゃないか!』
と返していた。
もちろん、『だから、見つけたらやっつけてくれるさ。でも、それは偶然なんだよ。サーチ能力も予知能力もないんだから』とあっさりと論破されてしまっていたが。
「フンッ」と鼻で笑いながら、彼は少しの間の後に考える。
“もしも、魔法少女に予知能力があったら、僕は早々に退治されるかもな”
自虐的に笑う。
そこでテレビのニュース番組の画面が切り替わった。どうやら昨日、魔法少女が現れて妖獣を退治したらしい。ヘドロのような不快な何かを身に纏った家ほどもある大きく不気味な怪物が町中で暴れまわり、魔法少女の魔法で撃退される様子が映し出されている。
画面の向こう側で闘う魔法少女の姿は可愛く美しく純粋に思えた。フリルのついたお姫様のような衣装を身に纏い、キラキラと輝いている。自分とは対極にいる。そう紐野は思った。羨む気持ち。そして、憧憬と救いを求める気持ちが微かに浮かび上がる。
“僕を退治するのなら、さっさと退治してくれれば良いのに……”
――時折、世間を賑わす異常な犯行。
電車の中で無差別に乗客に切りつけたり、被害妄想から会社のビルに火を放ったり、お茶なんかに毒物を混ぜて飲ませたり。
そういった犯行を耳にした時、それを何処か別の世界の自分とは関係のない事件として受け止める人間がほとんどだろう。がしかし、彼、紐野繋は違っていた。
……あれは、未来の自分の姿ではないのか?
そんな、恐怖に近い、どこか運命めいた不吉な予感を覚えてしまうのである。
彼の背はやや低く痩せ気味で陰気そうだった。いかにも“イカレタ”事件を起こしそうな風貌だと自分でも思っていた。
登校し、教室に入ると紐野は自分の席にゆっくりと座った。誰にも挨拶はしない。そして誰も彼に挨拶をしない。もしかしたら、一人くらいは物好きが挨拶をしていたかもしれないが、どちらにせよ彼はそれには気が付かなかった。
席に着くと、早々に俯いてスマートフォンを見やる。
高校に入学して一か月ほどが過ぎた。他のクラスメイト達の間では交友関係がかなり固まって来ていて、特定のグループでお喋りをしたりゲームをしたりしているが、彼は誰とも付き合いがなかった。だから教室では、読書をしているかスマートフォンを眺めているかのどちらかだ。
特に興味がある情報があってスマートフォンを見始めた訳ではないので、彼は今朝見た魔法少女のニュースでも読んでみようかと検索をかけた。すると、ヒットした中に地元の魔法少女に関するものがあった。
魔法少女のファンサイトが世間には幾つかある。現れた世界各地の魔法少女を全て網羅する目的で設立されたものもあれば、地域密着型のサイトもあり、そこではその地域に現れる魔法少女達の活躍が記録されている。そのサイトはどうも地域密着型らしかった。
何気なくタップしてみる。キリという名の魔法少女の紹介が書き込まれたページに遷移した。
薄いピンクが混ざったセミロングの黒髪に、可愛い帽子。薄い赤やピンクの少女趣味のいかにもな衣装。外見は高校生か中学生くらいに見える。やや気が強そうだが、実はとても優しいらしい。妖獣との戦闘中、仔猫を護る為にダメージを負ってしまった事があるそうだ。
パラメータの推定値は、攻撃力:B、スピード:A、防御力:C、魔法力:Bなどとなっていた。
彼は心の中で呟く
“そう言えば、こんなやつもいたような気がするなぁ……”
この地域に最も多く出現する魔法少女は彼女だろう。彼は“もし魔法少女が自分を退治するのなら、こいつになるのかな?”などと思ったりした。
――紐野繋。
プライドは高い。
しかし、気が弱い。漠然とではあるが、理想の自分を思い描いてはいる。ただそれに向けて努力はできない。そもそもする気がない。自分が嫌い。他人も嫌い。世間が嫌い。自分の居場所がない。
自分はそんな人間だと、彼は思っていた。
プライドが高いから、馬鹿にされると怒りを覚える。他人を嫌っていて信頼していないから、何でもない言葉でも自分を馬鹿にしていると勘違いをしてしまう。気が弱いから喧嘩になったりはしないが、心の中では呪詛の言葉を吐いている。当然、そんな状態では正常にコミュニケーションが執れるはずがない。孤立していくのは必至。
……どうして、こうなってしまったのか?
彼は本心ではこんな自分では駄目だと思っている。しかし、自己コントロール能力がないから直せない。そもそもどうすれば良いのかも分からない。他人を信頼していないから、助けも求められない。プライドが高いから、仮に助けようとする他人が現れても拒絶するかもしれない。
自覚がありながら、どうする事もできず、まるで荒波に翻弄される難破船のように、どんどんと向かってはいけない方向に流されている。
それを彼は分かっていた。
つまり、このままでは、いずれ破滅すると分かっていた。
――自分は社会不適合者だ。
叫びたかった。
どうすればいい? と。
ふと気が付くと、いつの間にか教師がやって来ていて、数学の授業が始まっていた。紐野は慌ててスマートフォンをカバンの中に仕舞うとノートや筆記用具を取り出した。どうせ真面目に受ける気はないのだけど。
あまり集中できず、授業の内容はほとんど頭に入って来なかった。これは今日だけの話ではなく、平素から彼は学校の授業を真面目に聞いていない。だから彼の成績はあまり良くはなかった。因みに、運動もそれほど得意ではない。努力していないからそれは当然だ。ならば努力すれば良いのに、と思うかもしれない。そうすれば多少はプライドが満たされるかもしれないのに。
が、どうにも彼は努力する気にはなれないのだった。
ただし、努力が嫌いな訳ではない…… と、少なくとも彼自身はそう思っていた。何故なら、好きな事にならばちゃんと努力できているからだ。
仮に強い内発的動機づけを勉強や運動に対して持てたなら、彼は学業の成績も運動の成績も著しく伸びたかもしれない。地頭はそれほど悪くないし、一部には得意なスポーツもあったからだ。
もっとも“努力”を皆が認めるような内容に向ける事は、自己コントロール能力がない彼にはできなかったのだが。
彼の努力は、むしろ皆が決して認めないだろう方向に向けられていた。皆が否定するだろう方向に。
――爆弾。
退屈な授業に飽きて来た彼は、ほぼ無意識の内に爆弾を思い浮かべていた。自分の部屋の机の上から三番目の鍵がかかる引き出しの中に隠してあるのだ。しかも幾つも。色とりどりカプセルトイのケースの中身には火薬が詰まっていて、ボタンを押すと数秒後に爆発する仕組みだ。
それは彼がネットの情報を元に自作したものだった。
……あそこをああいじれば、もっと爆発の威力が上がるかもしれない。軽車くらいならぶっ飛ばせるかも。
そんな事を考え、興奮をする。
そう。
彼はいつの頃からか、爆弾の制作を趣味にするようになってしまっていたのだ。威力が小さなものについては、人気のない野原や河川敷などで実際に爆破させて試していた。威力が大きなものについては試してはいないが、実際に爆破させてみたいという衝動は日々どんどんと大きくなっていた。
もちろん、爆破させてしまったなら、自分は警察に捕まるだろう。彼はそれを分かっていた。が、それでも、その衝動を抑え続ける自信が彼にはなかったのだった。