第二話:午前六時のピアノ弾き
話数が変なのは、別のほうに抜けてる番号があるからです。
よづは×綿墓 音のほうをよろしくお願いします。
清々しい。そう表現するには、少しばかり冷たすぎる気がしないでもない、午前六時の空気の中。
目覚めの実感あるその時間帯、空気はやってくる賓客を歓迎する心持を表すように静謐さを湛え、草木は眠りから目覚めるために己が体を露にて濡らす。朝を照らすべき陽光は未だ頭を覗かせるのみであり、それ故か未だ空気には夜の静寂が満ち満ちている。
ある意味では、この時間帯は最も自然であるのかもしれない。
道行く人々は言葉少なに己の目的を急ぎ、獣たちは朝の気配に伸びあがる。空を行く鳥たちは目覚めを楽しむかのように軽やかに舞い踊り、見る者に快きを与え、ざわめくものは道を行く獣と人、風に揺れる草木のほかにはほとんど聞こえず、空気はそのまま、昔を語るかのようなもの静かさを湛えていた。
と、とある一軒家、市街地のはずれに位置する割と大きな洋風建築の家から、音が響く。
それはピアノ。爪弾く指にて張りつめられた弦を打撃し音を響かせる、古来より伝わりし音楽の基本形。
音は連なる。滑らかに滑らかに、磨き抜かれたガラスを水滴が滑るがごとくに澄み渡り、響き渡る。音の中に一切の濁りはなく、耳にする者の感情を音にこめられし色に染め上げる。
何かの感情を有する、その演奏。
その演奏はその建造物の、一階。洋館を思わせる重厚な扉を開け、ゆったりとした玄関を横切り幅広な廊下を抜け、暖かなリビングを抜けたその先、
開け放たれたドア、その先に存在する、絨毯敷きの広々とした部屋から、響いていた。
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ピアノの音が、全身をたたく。
音とはすなわち振動、振動とはすなわち運動、運動とはすなわち力。故に音源のすぐそば、演奏者以外では感じ得ないほど微妙な振動をも私は全身で感覚し、肺の中の振動と耳に届く音を楽しむことができる。
滑らかに滑らかに、木製の鍵盤の上を駆け巡る。曲調は穏やかかつ澄んだ音であり、その全体の様子はどこか、川の流れのようにも思えた。
「…………」
ふと、自分の服装に意識を映してみる。
身長およそ145センチ、肩までの茶髪(天然)、顔は見えないけど、友人の言葉いわく『人形じみた美少女』らしいので並より上として……その上からフリル付きの浴衣じみた寝巻のゴシックドレス。
………どこのご令嬢?
内心で呟きながらも、鍵盤に走らせる手は止めない。レガートからスタッカート、ピアノからフォルテへ移行し、何となくリタルダントリクレッシェンド。音を遊ぶのは楽しい。特にこんな早くに目が覚めてしまったとあれば、その楽しみは格別だ。
早朝の家の中、重厚な柄の絨毯の上、学校の教室の半分程度の広さの部屋、中心に置かれたグランドピアノを歌わせる。防音使用の壁に音が反響して広がり、部屋自体が一つの楽器と化しているかのような錯覚に陥る。
が、その演奏を聴くものはいないだろう。
両親不在の、豪邸だ。部屋は小さく見積もって普通の家三つ分はあるだろうし、使用人の類も雇っていない。近所の家までは庭を隔てているし、第一防音使用の部屋だ。聞いてくれる人なんて、いないはず――――
「朝早くから、精が出るねー」
――――だったの、だけど。
くるりと、部屋の入口を振り返る。
ドアにもたれた堂々たる女性。漆黒の髪を後頭部でひとまとめにし、腕まくりされたワイシャツの上からエプロンをつけたその姿はまさに『姉御』という言葉がぴったりだろう。
「………なんで…いるの――音梨」
困惑しながら、私は疑問の声を放つ。
「あら、演奏の手は止めないんだ。あいっ変わらず器用ねあんたも」
言いながら部屋の中へとはいってくる音梨。器量はいいのに遠慮がないから婚期を逃す可能性高めな美人さん。もうちょっと控え目になれば引く手数多だと思うけど、性格上そうもいかないっぽい。
「……そういうことは……聞いてない。何で…来たの? 次来るの……来週だったはず」
「うんまあ、そうだったんだけどね。ちょっ仕事上の用向きができちゃって、しょうがなく」
言いながら乾いた笑いを漏らし、私の横へと並ぶ。
「用向き?」
演奏の手を止めず尋ねてみる。
「ああ。ちょいとばかし持ってく必要のあるもんがあってね。そのついでに朝飯でも作っとこうかと思ったんだけど……音、聞こえたから」
納得。昔から音梨はひっそりとした気遣いが苦手な世話焼きだったし、今の私の健康に気遣いの一つもよこすのは音梨とあと一人ぐらいしかいない。その点でいえば貴重な人かも。
「『子犬のワルツ』……だよね? 結構遊んでる?」
「うん。アレンジしたり、ループさせたり……」
「………あらぁ……よくやるわねぇあんた。どんな腕なのよ」
ピアノから離れ、部屋の出口へ移動する音梨。
私もその場で強引に曲を終了させ、それに続く。
「あれ? もうちょっと弾いててもいいけど? どうせあたし飯作るの遅いんだから、何曲か弾けるでしょ?」
「………食材の場所。何があるのかもわからないのに……できるわけがない」
「おっと、それもそっか。じゃ、案内よろしく。できれば、飯作るのも手伝ってくれたらありがたい」
「ん」
言いながらもピアノの蓋を閉め、部屋を出る。音梨も隣に並んだが………なんだろう、この不条理感は。年は四年違うけど、ここまで身長差があるというのはちょっと――――
どことなく恨めしい気分になりながらも、部屋の扉を閉める。
「で、何作る?」
「ベーコンエッグと、トーストで」
「定番だねー。サラダとかは?」
「いらない………食欲、そこまでないから」
会話をはさみながらリビングを抜けて廊下へ出る。ひんやりとしたフローリングを足元に感じながら、妙に広い台所へ。
「へぇ……片付いてるんだ」
「……片づけてるの」
シンクにフライパンと卵三つ、ベーコンを並べ、フライパンを電磁式コンロの上に乗せ点火、その間に音梨にトースターを持ってこさせ、足もとの棚から自家製食パンを取り出してセットさせる。程よく温まってきたのでフライパンにベーコンと卵を落とし、サニーサイドアップに。
「……それで、今度は何持ってくの……?」
「へ? 何の事?」
「仕事のやつ………」
火加減を見ながら、背後の音梨へ尋ねてみる。
「ああそれね。スワロフスキーのガラス細工。細工にいるんだけど、工房のやつだとどうもイメージ合わなくてね。確か自前のにちょうどいいのがあったはずだから、取りに戻ってきたの」
「………今度のは?」
ベーコンを乗せ、軽く移動させる。
「割と大口注文。ビスクドールなんだけど、服とか細工とかまで凝りに凝った一品もの。いまんとこ順調だけど、きつくなったらモデル頼むわ。あんたいい感じにお人形さんだし」
「……やめて」
音梨から頼まれて何度もモデルやったことはあるけど、その度にその人形に妙な高値がつくのだ。音梨としてはいい兆候なんだろうけど、私としてはあんまりうれしいことじゃない。
「どうして? あたしとしちゃ素材があったほうが作りやすいし、それにあんたにギャラも出してるでしょ? あんたのあの友達………森内、だっけ? にも受けてるんでしょ?」
「……それが嫌なの」
「ギャラは?」
「金銭に不自由はない」
「ちぇっ」
舌打ちしながら、しかし表情は笑みでトースターをチェックする従姉の人形師。フルネームは音梨実早で日本国内ではマイナーだけど、その筋の人間の間ではそれなりの有名人らしい私の従弟だ。今時珍しい完全手製の人形と、リアリティのある物憂げな表情などが売れていると聞いている。
そこでふと思った。もしかして………?
「……………」
磨きぬいておいたシンクに顔を映してみた。
物憂げな表情、人形じみた機械感。眼はこの世の邪悪を見つくしたかのように憂いを帯び、わずかに見える襟もとはゴシックフリル。
音梨の作風そっくりの人間が見つめ返していた。
間違いない。音梨の人形、制作時のイメージはモデルやってないのも含めて、おそらくは私だ。
「もったいないねー。いいもん持ってるんだし活用しないと損だよ。いい感じに教養もトラウマもあるから人物的にも問題なしだし、それにあたしの中だと人形って聞くと真っ先に更――――」
「音梨」
一言。
漏れかけたたったの一語四文字を制するために、私はいつもより明確な意思を示した。
「トラウマあるってわかってるなら……それ、禁句」
「…………ごめん」
危うく滑らせかけた音梨が素直に謝る。
謝罪の意思があるから、ではない。
本当の意味で命にかかわることを、理解しているから。
私の左手、フライパンの面倒を見るため塞がった手とは逆の法、自由自在に使える左手が向かう先は、包丁収納棚。
あと、二秒。あと二秒をもって中身を取り出し投じることのできる、二秒必殺の位置に、私の左手はある。
その言葉が放たれた瞬間、穿てるように。
一撃必殺で音梨の首を、穿てるように。
「いやー、危ない危ない。珍しいことやってるからご機嫌かと思って、ついつい口が過ぎました。反省」
軽くいいながらも、その顔に浮かぶのは冷や汗。一応たまに無神経になるとはいえ、音梨も私の過去を知っている人物。不用意な発言が即自分の生き死にに直結する可能性があることを、理解している人間だ。
だからこそ、わかるのだろう。
私とかかわる、その間合い。
生と死との、ギリギリのせめぎ合いというものが。
「………注意して」
言いながらそろそろ焼きあがりと判断し火を止めて適当なサイズの皿に卵を一対二、ベーコンを一対一の割合で盛り付ける。それとほぼ同時にトースターが軽快な音を立て、焦げ目のついたトーストを排出した。
「できたよ」
「………見ればわかる」
言いながら小さな手で器用に二枚の皿をもち、テーブルへ。音梨が持ってきたトーストに、食卓常備のマーガリンを加えて、朝食の完成だ。
「………できた」
「うん、見事にあたしの出番なかったねぇ」
「……問題ない」
いいながら私専用の席(ほかの席より若干大きめ)につき、箸を取り上げ、
「いただきま~す」
「ん」
言う前に言われてしまったので、そのまま食事スタートとなる。
とりあえずトーストにマーガリンを塗り、片手間にベーコンをひとつ。
「そういやさ」
「……何?」
トーストの上にベーコンエッグを乗せてパクつきながらテーブルの向こう、すっかりいつもの調子に戻った音梨が問うた。
「ご機嫌じゃないなら、何でこんな時間に起きてんの? あんたってとんでもなく朝弱いのに―――」
ちらり、と柱時計に目をやる。午前六時三十二分。
「―――こんな時間に、なんてさ」
確かに。逆の立場でも、同じことを考えたと思う。私の普段の起床時間は登校時間(朝食時間を入れて)ギリギリの八時、それも他人に起こされて起きるという寝起きの悪さだ。それに普段どおりなら、こんな時間に眼が覚めたら再び眠る。
よほど機嫌がいいか、活力のあるとき以外やりはしない。
「……別に………何も」
いいながら私はいつもどおり紅茶を――淹れようとして、用意していなかったことを思い出し、仕方がないのでトーストを齧った。
「ふぅん……」
あ、信じてない。
思いながら目玉焼きの卵を割り広げてベーコンに浸す。
「………邪推?」
「いんや、そーゆーわけじゃないんだけどね。ほら、昔っから仲良くしてる男の子、いたでしょ? あの子となんかあったとかなら面白いかな~と」
「………邪推」
軽く流して、再び朝食に取り掛かる。トーストを齧って、白身を一口。
「そうなの?」
「あいつは……ただの友達」
確かに私に友達と呼べるような友達は一人しかいないし、その友達にしたところで普通の友達とはわけが違う。
どの程度のわけの違いか、と問われたなら………
………この程度。
トーストを保持する左手、その薬指に光るのは、銀の指輪。
一般的に想像される関係とはちょっと違うが、私個人の予感としてはこのままなし崩し的に『そういう関係になってしまう』可能性が高い、と踏んでいるので結果的には大した差異はないと思う。そこに恋愛感情はないけど。そう、断じて。
「ただの友達………ねぇ………」
「……問題でも?」
「いやべつにー。でもただの友達からもらった指輪、わざわざ左手の薬指につけるー?」
からからと笑う音梨。
「……事情、知ってるでしょ」
「まねー」
いいながら音梨は半分ほどまで減ったトーストをさらに齧る。
「でも、ならどうしてこんな早起き?」
いわれて、少し考える。今朝の私、その目覚めを表現するのにもっとも適当な言葉を。
沈黙を続けること、およそ五秒。
「…………夢を、見たの」
夢? と聞き返す音梨。
無理もない、私の睡眠時に見るものといえば悪夢か暗黒かの二択。ここ数年、まともな夢など見た記憶がないし、そのことは音梨も知る事実だから。
しかし、見たのは確かな夢。
誰かに求められるような、誰かに欲されてるような………嘆きを受け止めることが必要となるような、そんなわけのわからない夢。
「どんな夢だったの?」
「………わけのわからない夢。でも、ちょっと物悲しい感じだった……」
かりかりかりかり。音梨がパンの耳を齧る。
「奇遇だね」
「え?」
「あたしも見たよ。へんな夢」
意外だ。音梨ならこの程度の与太話、笑い飛ばすだけで終わるかと思ったんだけど………まさか音梨も経験があるとは。
これは……予想外だ。
そして、
なにやら奇妙な――予感がある。
そう、このままだと何か決定的なものを放置したまま先へ進んでしまいそうな、あるいは大事なものをこのまま壊してしまいそうな………そんな、『忘れてはならない何かがそこにある』感覚。
『知ることは大事だと思わないか? 思ったのなら、自分が必要だと思ったことを「知ること」をはじめるといい。基本的に人間っていうのは「動物」なんだ。そして動物だからこそ、直感にしたがって行動することも可能にしている。
その感覚を生かすか殺すかは、俺たちの選択だ。
だから、由良。知る必要があると思ったときに、「それを知ることが大事」だと思ったのなら、迷わずに知れ。
そうすれば知りすぎたことを後悔することはあっても、先へ進んでしまったことを後悔することはあっても、先に進めなかったこと、進みそこなったことを後悔することはなくなる。
ま、過去か未来かの選択で前者を選ぶのなら、話は別だけどな』
そういっていたのは私の友人である彼。全てを知っているような顔をしておきながら全てを知らない、賢者と愚者の紙一重の存在。
私が選ぶのは未来。痛み満ちた茨道を振り返る、先の見えない暗黒の道。
だから私は、
私は、音梨に《眼》を向けた。
瞬間、眼の中に映るのは《漆黒》。この世の邪悪、この世の害悪、それら全てを強引に映し出した混沌、その中でもさらに醜悪な箇所のみを映し出したかのような、それは暗澹の漆黒である。
あるものは纏わりつくように、あるものは絡みつくように、またあるものは漂うように、またあるものは何かを覆うように、床を、壁を、テーブルを、空気を、天井を、音梨を、私を包み込む。
これは、『死』。
そこにあるだけで全てを害してしまえるような、ただそこに存在しているだけで危機感を、恐怖心を抱かせるような、そんな存在がそこにある。
世界に、世界に、満ちている。
死を見抜く、私の眼。
醜悪で、劣悪で、害悪で、最悪で………忌々しい。そんなものを世界の元へ浮き彫りにすることができる、これは異能。ほかの人間にはない、私だけに宿った、奇々怪々な特殊能力。
その視界の中、私は音梨を分析する。奇妙な位置に死はないか、多すぎは、少なすぎはしないか、形質が奇妙ではないか。死を検分し理解し納得し視覚化して、私は世界を感覚する。
おかしな点は………特にない。
だが一点、小さな小さな違和感がある。
それは、手。
人と触れ概念に触り感情に障り己を探る、そのための部位のはずなのに、その手は、あまりにも澄み切っている。
一切の死がない、ではない。
一切の死が、よってきていないのだ。
まるで死のほうが離れていっているかのように。
あるいは、その手が死そのものであるかのように。
「………もしもーし」
「………ん」
開いていた《眼》を閉じ、私は再び現実へと帰還する。
「どうしたのよ。いきなり固まったりして」
心配そうに私を見つめる音梨を、
「……別に、ちょっとぼんやりしただけ……」
一言でたしなめ、私は再び食事に戻った。
………心配は、少なくとも現状じゃ要らない。
これが全身に少なすぎたり、あるいはその逆、全身に多すぎるようなことになっていたとしたら話は違うが、少なくとも現状、『手の中に少なすぎる』というだけであるのであれば問題はない。
「でもあんたの目って、相っ変わらず変な色してるよね~」
残った目玉焼きの端っこ、カリカリになった淵の部分を齧りながら頬杖をつき、音梨が笑う。
「……そう?」
「そうそう。いっそのこと完全な赤なら部分的なアルビノって言い訳も通ったはずなのに、何でちゅーと半端な『桃色』かねぇ……」
「……知らない」
自分の目は自分では見えないし、私は鏡が嫌いだ。自分から見ることはまずない。
「でもま、だからこそより人形っぽいんだけどねー。どよ? 今度また――――」
「却下」
「えぇ~」
「だめ」
「むぅ………ならしょうがない。寝てるとこを勝手にスケッチして寝起き人形を………おお、ファン垂涎。こりゃ萌えどころだねぇ…いつもの『無情人形』の寝起きバージョンか……」
「………ごちそうさま」
テーブルの向こう側、なにやら悶えている音梨を無視し、辛苦へと食器を運ぶ。変な人、何を言っているのかわからないやつ相手には、無言が一番の武器だ。
蛇口を開放して、洗い桶に水を注ぐ。
淡々と満たされていくのは澄んだ澄んだ澄んだあまりにも澄み切った、水。使い終わった食器はそのまま沈めて夜まとめて洗うのがうちのやり方。音梨のも―――まあ、洗っておくとしよう。
「あ、そうそう」
「何?」
自分の食器を沈めながら振り返る。
「今日あの子に会ったら、あたしの店来るように言っといて。面白いもん入ったから、どう表現するのか聞いてみたい」
言いながらポケットから煙管を取り出す音梨。小さな煙草の袋を取り出して詰め、紙マッチで点火する。
甘いような、苦いような。ほっとするような、嫌悪感を書き立てられるような。そんな相反した香りが部屋の中に広がり、
「………了解」
ポツリ、一言。
呟いて、私は部屋を後にした。




