四大始祖
それから一年、俺はイリス師匠の下で修行を重ね、晴れて剣師見習いから正式な剣師となった。鍛錬を積む中で超速再生能力はただの回復に留まらないことも学んだ。
筋肉を鍛える上で重要なのは『超回復』である。トレーニングによって筋組織を一時的に破壊し、筋組織が回復する際に元の状態よりも強くなるという現象。その「破壊と再生」を繰り返すことで筋肉は肥大化し、強くなる。
通常、筋肉の回復には二、三日ほどかかるが、俺の超速再生は一瞬でそれを可能にする。それにより高速でトレーニングサイクルを回すことができ、他者よりも抜群に効率の良いトレーニングが可能だった。
加えて異世界人の基礎身体能力はこの世界の人間よりも高いらしく、身体能力だけで言えば、俺は剣師団随一となっていた。
「――学校、ですか?」
イリス師匠の執務室に呼び出されたかと思えば、唐突に舞い込んだ話に戸惑う。
「そう、『クルスパトーレ国際交友学院』。相互理解による平和の実現を目的として設立された学校で、名前の通り、世界各国から優秀な人材や王族・名家のご令息ご令嬢が集まり、一年間同じ屋根の下交友を深める。そんな場所さ」
俺は師匠から差し出された学校案内の冊子を受け取り、ぱらぱらと流し読む。
「そんな重要人物が集まる学校に、異世界人の俺が参加するんですか? よく許可が下りましたね」
修行に明け暮れたこの一年で、人々の異世界人に対する恐怖や敵意は身をもって学んだ。
この一年の間にも異世界人による殺戮事件は世界で数回起こっていて、その都度剣師団では討伐隊が結成され、各国と連携して対処をしていた。
実力者揃いの剣師団であっても必ずと言っていいほど毎回死傷者が出る。俺の裏切りを警戒してか、俺が異世界人の討伐隊に編成されることはなかったが、死傷者が出る度に剣師団内の俺に対する視線は厳しいものとなった。
剣師長イリスフィア・マハの弟子という立場がなければ、当の昔に処刑されていたことだろう。同僚であるはずの剣師団でもそのような状況である。全く関わりのない各国の人々からすれば、俺は敵でしかない。
針の筵の学校生活を想像するだけで胃が痛くなる。
「うん、わたしが推薦した。というか捻じ込んだ。君もこの世界の言語を習得した訳だし、今後においても人脈を広げておくに越したことはないからね。一年間頑張るんだよ」
ウインクをして励ましてくるが、俺にはそこまでして参加する意図がわからなかった。まさか本気で人間関係を広げるためだけに捻じ込んだ訳ではあるまい。
「あの、察しが悪くてすみません。本当の目的は何なんですか?」
掴みどころのない師匠だが、この一年、ほぼ毎日彼女と顔を合わせてきたので、ある程度の考えは以心伝心でわかるつもりだった。しかし今回ばかりは本気でわからない。
「いやいや、邪推しないでおくれよ。本気でそう思っているんだよ? 今後、君が独り立ちをして本格的に剣師として活動するにあたって、他国との折衝や共同任務を避けては通れない。だから今のうちに各国の未来の指導者たちに顔を売り、信用を積み上げることはとても大切なことなんだ。ただでさえ、異世界人である君は警戒対象なのだから」
「イリス師匠がそう言うのであれば従います。ただ、剣師としての活動はどうするんですか?」
学校案内によれば、学校に通う一年間は寮生活をすることになっていた。それでは剣師としての活動は難しいように思える。
「学校生活で学友たちと交流することこそが、任務だと考えてくれていい。それに一年間完全拘束される訳じゃない。合間に剣師として活動することは十分可能だ。他の生徒だって本業を持っている者も多い。とは言え、会える時間は減る。寂しくなるね」
「一匹狼な性格の癖に、心にもないことを」
イリス師匠は舌を出しておどけて見せる。
「君に強いて任務として具体的に指示するならば、四大勢力の人間とは少しでも関わっておきなさい」
世界四大勢力とは【赫・蒼・鐵・銀】の四大始祖が創始した二大国・二組織を表す。
クルシュキガル赫灼帝国――【赫の一族】が統治する広大な領地と強大な陸軍を有する大国
ジルドラド蒼茫王国――【蒼の一族】が統治する豊富な海洋資源と強大な海軍を有する大国
ウルトノーマ漆黒連合――【鐵の一族】が創設した製造業を中心とする巨大企業連合
ティアナ白煌剣師団――【銀の一族】が創設した銀行業も運営する永世中立の武装集団
これら四大勢力が均衡を保ちながら、小国同士の小競り合いの仲裁に入ったり、時には軍事・経済制裁を加えるなどすることで、現代の平和が成立していた。
仮に四大勢力が衝突すれば、互いにただでは済まず、世界全体が凋落することになる。それがわかっているからこそ、四大勢力は平和維持に尽力していた。
しかし俺はこの世界の地図を見たことがなく、字面の知識でしか知らなかった。
地図は戦略を立てる上で重要な情報となるため、異世界人である俺は地図を見ることを固く禁じられており、周囲も俺に見せないように徹底して隠していた。それほど異世界人は警戒されているのだ。
そのため俺は各国の位置関係や領土の大きさ、今いる場所が世界のどこに位置しているのかすら知ることができなかった。どこへ行くにしても金魚の糞のように、師匠の後ろをついていくしかない。
四大始祖はそれぞれ元素術の『地水火風』を司っている。
火を司る【赫】
水を司る【蒼】
地を司る【鐵】
風を司る【銀】
始祖の末裔を【〇の一族】と呼称し、それに連なる者は司る元素において、比類なき力を有していた。
師匠のイリスフィア・マハも【銀の一族】に連なる者の一人で、特に彼女は鬼才とも呼ぶべき能力の持ち主であることから、【銀】の最終到達点として『終白のイリスフィア』とも称されていた。
各国の将来を担う人材が集まるということは、間違いなく各一族の関係者が参加することだろう。
「わかりました。変なトラブルだけ起こさないように頑張ります」
イリス師匠は満足気に頷く。
「温厚な君のことだから心配はしていないよ。とは言え、君はまだまだ未知のことが多いだろうし、いきなり見ず知らずの他国の人間と交流することは難しいだろう。そこでだ、わたしの知人も参加する予定だから、君が困っていたら手助けするように言い含めておくよ」
イリス師匠の配慮は素直にありがたかった。俺からすれば、相手に危害を加える気も、いがみ合う気もないので、一度でも普通に会話できれば交流はできると考えていた。しかし、その一度目の会話をするまでのハードルが非常に高い。間を取りなしてくれる存在がいるとなれば心強い。
「入学は一か月後だ。それまでに準備を済ませておくように」
俺は新たな展開に不安を抱えつつも、イリス師匠に礼を述べ、執務室を後にした。