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邂逅


 眩しさを覚えて瞼を開く。


 さざめく枝葉の隙間から、雲一つない澄み切った空が顔を覗かせる。背中にむず痒さを感じ、顔を横に向けると、青々とした草木が生い茂っている。


 どうやら俺は森の中で寝そべっているらしい。


 心地よい風が通り抜け、再び眠気に襲われる。もうひと眠りしよう。瞼を閉じかけると、近くで草を掻き分ける音がして、俺は反射的に身体を半分起こした。

 声のした方向を見ると、不意に少女と目が合う。

 年の頃は十六、七くらい。白磁のような肌に、艶やかな赤髪と負けん気の強そうな赤い瞳。その凛とした佇まいに目を奪われる。

 思わぬ遭遇に、互いに思考停止。俺と赤い少女は数秒間見つめ合う。


 やがて少女は思い出したかのようにハッとすると、甲高い悲鳴を上げた。

 少女の悲鳴を聞きつけ、護衛と思しき数名の兵士が現れ、瞬く間に俺を取り囲んだ。


「(貴様、何者だ!)」


 護衛の一人がこちらに剣を向けながら問い詰めてくる。しかし、俺には兵士が何を言っているのかわからなかった。

 兵士の言語は理解できなかったが、兵士たちの表情からどうやら警戒されているようだ。一触即発の雰囲気だったので、俺はこちらに害意がないことを示すために、立ち上がり両手を挙げる。

 すると、少女を始めとした兵士たちの視線が一瞬下腹部に移った。そこに何があるというのだろう?


「(変質者!)」


 少女は俺に向かって何かを叫ぶ。たぶん罵声の類だろう。俺は取り囲む人たちの視線を辿り、下腹部に目を遣る。そこでようやく自分が全裸であることに気がついた。


「うおっ! なんで!?」


 今更ながら両手で丸出しになっていた股間を隠し、その場に蹲る。

 そりゃ警戒されて当然だ。


「お、俺に敵意はありません。気づいたらここにいたんです」


 俺は混乱しながらも必死に弁明する。言葉は通じないかもしれない。それなら異国の人間であることを認識してもらうしかない。異国の人間とわかれば、何か事情あると察してくれるかもしれない。

 俺が放った言葉に護衛たちは目を丸くする。異国の人間であることは伝わったらしいが、どうも様子がおかしい。一瞬の動揺の後、彼らの目つきはより鋭利になり、警戒心の高まりを感じる。


「(貴様、異世界人か! 皇女殿下の命を狙いに来たのか!)」


 強まる語気は罵声ではない。明確な敵に向けての語気だ。異国の人間アピールが裏目に出たことだけはわかる。


「(皆下がって、私がこの男を始末する)」


 先ほどまで両手で顔を覆っていた少女が、今度は殺意に満ち溢れた目つきで進み出る。すると突如、彼女の両の手が発火し、炎を纏う。少女が熱がる様子はない。

 手品の類か? しかし目に宿っているのは敵意だ。嫌な予感がする。

 俺はいつでもその場から逃走できるように、後退る。


「(逃がすものですか!)」


 少女の叫びと共に、炎が爆ぜたかと思うと、瞬く間に俺は吹き飛ばされた。

 至近距離で直撃した炎に俺はなすすべなく包まれる。


「ぎぃゃやああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 熱い熱い熱い痛い痛い痛い熱い熱い痛い痛いアツいアツいイタいイタいっぃぃいいい。

 全身が業火で焼かれる激痛に、俺は言葉にならない悲鳴を上げる。

 皮膚が溶け、肉が焼け落ち、眼球の水分は沸騰し、呼吸器官が熱気で焼かれる。

 最早叫び声すら上げられず、全身の力が失われ、地面に倒れ伏す。

 永遠に続くかと思われた地獄の激痛は倒れると同時に終わりを迎えた。

 薄れゆく意識の中、視界に映るのは黒焦げになった自分の右手。肉は溶け、骨は崩れ、指一本すら動かせない。その景色を最後に視覚は失われた。


 きっと俺は死ぬのだろう。


 痛覚すら消滅し、首から下の感覚がない。脳は死を予感していた。


 これが死か……。


 俺は死を覚悟した。だが、いつまで経っても意識は失われず、それどころか徐々に意識が鮮明になり、視覚と共に四肢の感覚も戻り始める。


「(まだ息がある!? 私の炎をまともに喰らって生きている人間なんて――っ!?)」


 戻った聴覚に最初に入ったのは驚愕による騒めき。

 いつの間にか黒焦げに焼け爛れた肌は元通りになっていた。


「(この異世界人、再生能力の持ち主か! なら灰になるまで燃やし続ければ!)」


 赤色の少女は再び両手に炎を宿し、臨戦態勢になる。


 まずい、逃げないと! あんな思いはもう嫌だ!


 俺はすぐさま立ち上がり、その場から逃げようとするが、再生したばかりの足腰に力が入らず、数歩も行かずに転んでしまう。

 少女が炎を宿した腕を振るう。

 俺は恐怖に目を閉じる。しかしいつまで経っても炎による激痛はやって来なかった。

 恐る恐る瞼を開けると、少女が振るおうとした腕は背後から何者かに掴まれていた。


「(そこまでにしようか、ネムリア)」


 艶のあるソプラノ声と共に、新たな闖入者が現れた。


「(イリスフィア剣師長! この男、異世界人です)」


 赤い少女は宿した炎を消し、すぐさま身を正し何事か報告をしている。闖入者は少女の上官にあたる人物なのかもしれない。

 俺は倒れ伏したまま、闖入者へと目を向ける。


 闖入者は二十前後の女性で、白銀の長髪をうなじで束ね、白の儀礼服に身を包んでいる。

 透き通るような白い肌に、相手の心を見透かすような紫水晶の如き瞳。穏やかな微笑を浮かべた幻想的な美貌は童話に登場する妖精のようだ。しかし、直刀を携えた立ち姿には隙が無く、一目で只者ではないこと窺えた。

 闖入者である白の女性は躊躇うことなくこちらに近づき、屈み込んだ。


「(剣師長、危険です。そいつは高度な再生能力を有しています)」

「(そのようだね)」


 兵士の警告に構わず、白の女性は倒れ伏す俺に話しかけてくる。


「わたしの言葉はわかるかい?」


 俺は目覚めてから初めて理解できる言語を耳にした。


「はい、わかります」

「そう。君は日本人のようだね。わたしの名前はイリスフィア・マハ。君を炎で炙った彼女はネムリア・クルシュキガル。君の名前を教えてほしいな」

「俺の名前は……秋月あきづき解世かいせ、です」

「どうやってここへ来たか覚えているかい?」


 俺はイリスフィア・マハに問われて初めて、名前以外の記憶がないことに気が付く。なぜこの場所にいるのか、この場所に来る前の記憶も全て。


「わかりません、何も思い出せません」

「記憶喪失ね……。君には悪いけど、わたしにとっては好都合だ。いや、君にとっても悪い状況ではないね」


 イリスフィアは顎に手を当て、独り言ちるが、すぐに俺の疑問に満ちた視線に気づく。


「何故日本語がわかるのか? という顔をしているね。なあに、以前日本から転移してきた異世界人と交流があっただけの話さ」


 何のことはないように語るイリスフィア。訛りもない流暢な日本語はネイティブと遜色がない。記憶は失われているが、同じ言語で話せる相手がいるだけで、不思議と安堵が広がる。


「(あの、イリスフィア剣師長。先ほどからその者と何を話されているのですか? 異世界人は我々に害なす存在です。今すぐに殺さなくては)」


 赤の少女――ネムリアはイリスフィアに伺いを立てている様子だが、こちらに対しては今にも手を出しそうなほど、殺気立っている。


「(この異世界人の青年はわたしが預かるよ)」

「(な、何を言っているのですか! 異世界人を狩る『ティアナ白煌剣師団』のあなたが、異世界人を殺さずに生かすなんて)」


 どんな返答を受けたのか、ネムリアはイリスフィアに詰め寄るが、当のイリスフィアはどこ吹く風だ。


「(剣師団はこの世界の秩序を守るための組織。異世界人を殺さないといけない規律などないよ。異世界人を生かしてはいけないという規律もね)」

「(それは詭弁です。異世界人そのものがこの世界と我々に仇なす存在です。他の方が認めるとは到底思えません)」

「(剣師団のお歴々はわたしが説得するさ。わたしはこの青年が我々にもたらす害よりも、もたらす益の方が上回ると判断したまでのこと。もしもこの青年が我々に害なす存在となれば、その時はわたしが直接手を下すまでだよ。それでも認められないかい? ネムリア)」


 イリスフィアの透き通った双眸で見つめられ、ネムリアは嘆息を漏らす。


「(他ならぬあなたのことです。何か考えがあってのことなのでしょう。臣民と帝国の安寧を願う皇女として見過ごし難いことですが、私が尊敬するあなたを信じます)」


 ネムリアは苦虫を噛み潰したような表情で、渋々諦めた。


「(恩に着るよ、ネムリア。青年に羽織るものを用意してくれ)」


 二人の会話は終わったのか、イリスフィアは俺に肩を貸し、立ち上がらせる。護衛がローブを差し出してくる。恐らくこれを着ろという意味だろう。


「それじゃあ行こうか解世」


 こうして俺、秋月解世は事態が呑み込めないまま、イリスフィアと名乗る女性についていくこととなった。

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