あいつは俺のファンだった
『難刑事先生の作品、好きです』
俺にファンができた。
彼のハンドルネームは『廻谷貴希』くん。俺よりひとつ下の会社員だという。
『いつも新作楽しみにしています』
『今回の作品もユーモアたっぷりなのに深みがあって、とてもよかったです!』
『難刑事先生、よいものを読ませていただき、ありがとうございました』
いつも嬉しい感想をくれる彼は、いわゆる『読み専』だった。
素人が誰でも自作品を投稿できる小説投稿サイト『小説家になりお』には、大きく分けて二種類の人間がいる。小説を書いて投稿する『なりお作家』と、自分では投稿はせずに主に読者として参加する『読み専門』──ちょっと略して『読み専』だ。
彼は自分では作品は書かず、なりお作家のものをたくさん読み、特に俺が新作を投稿すると必ず感想とポイントをくれていた。
何かお返しをしたかったが、しようにも彼の作品はひとつもない。
感想返信に感謝の思いを込めるしかなかった。
俺は毎回、どんなにリアルが忙しくても、彼からの感想にだけは、必ずすぐに返信をした。
『ありがとうございます。ご感想、嬉しいです(^^)』
『いつもありがとうございます。励みになっております(๑•̀ㅂ•́)و✧』
『廻谷さん、いつも丁寧な感想をありがとう! いつも執筆のモチベーションになってますよ\(^o^)/』
『廻谷く〜ん! さすがは鋭い読みだね。その通り、私はこの作品をそういうつもりで書いたんだ(^o^)』
だんだんと、俺と廻谷くんは、ネットの世界の中で友達になっていった。
俺のペンネームは『難刑事夏人』。『なんでかな〜……っと』がリアルの口癖なのが由来だ。
28歳のサラリーマン。そこそこの大学を卒業して社会人として頑張っていたが、どうにも毎日に張り合いを感じていなかった。
来る日も来る日もルーティンワークの繰り返し。自分が成長している気もあんまりしない。
何か自分を生き生きとさせてくれ、仕事のモチベーションもついでに上げてくれるような趣味はないものかと探していた時、小説投稿サイト『小説家になりお』に出会った。
高校、大学と、俺はコントの脚本を書いていた。誰かに演じてもらうことも披露することも遂になかったが、我ながらユーモアのセンスには自信があった。
『小説家になりお』に、大学時代に書いた脚本を小説仕立てにしたものを投稿してみたところ、いきなり廻谷くんに発見され、気に入られ、レビューまで書かれ、俺はそこそこ人気のなりお作家になれた。もちろんただの読み専である彼にそんなインフルエンサーとしての能力があるわけではなく、それはたぶん俺の実力ではあったが。
それでも初めて出来たファンは俺にとって特別な存在だった。
ある時、廻谷くんが俺に感想欄を通じて質問をしてきた。
『難刑事先生って、どんな作家が好きなんですが?』
俺は正直に答えた。
『じつは私、小説ってあんまり読まないんだよね(^^)
こんなところに投稿しといてなんだけど……。
どっちかっていうと昔から漫才とかコメディー映画が好きで、そういうのに影響受けてますよ(^o^;』
すると廻谷くんは感想返信に再び感想をくれた。
『先生、小説の才能もありますよ! 私、筒井康隆先生とか、清水義範先生とか好きでよく読むんですけど、あの大先生方に迫るものを難刑事先生の作品から感じます。絶対プロになれますよ! 頑張ってください!』
早速、俺は彼の挙げた作家のことを調べ、古本屋で作品を購入して、読んだ。
こんな立派なものと俺の作品は程遠いと思ったが、少しだけ、彼の言うことを真に受けてみることにした。
ところで俺は、リアルでは自分のことを『俺』と呼ぶが、小説家になりお上では故意に『私』を使っている。
もう退会したが、前に俺がファンをやっていた人が、男の人なのだが自分のことを『私』と言っていた。それがなかなか柔らかくて、しかも丁寧な感じなのに人懐っこい感じがして、いいなと思ったので真似しているのだ。
そして今は廻谷くんが俺の真似をして、自分のことを『私』と呼ぶようになった。
影響を受けてもらえたり、真似してもらえたりするのは、俺にとっては嬉しいことだ。
そして遂に、廻谷くんが『自分も小説を書いてみる』と言い出した。
『難刑事先生、以前から私にも小説を書いてみたら? と勧めてくれてましたよね? 調子に乗って書いてみることにしました』
そう言ってくれるのが嬉しかった。
彼が作品を投稿してくれれば、それを読んで、感想を書くことが出来る。俺を支持してくれたことへの恩返しになる。
『下手でもいいから書いてみてよ。私、絶対に読むからさ』
そう約束した。
しかし正直、期待はしていなかった。面白くはないだろうなと覚悟していた。
コメントのやりとりでわかっていたが、彼の書く文章はとても真面目だ。きっと小説も真面目すぎてつまらないのを書くんだろうなと思っていた。
『初の小説、書けました! 今夜18時に予約投稿してありますので、よかったら読んでくれますか?』
彼からそんなメッセージを貰ったのが昼の12時過ぎだった。俺はすぐに返信した。
『予約投稿はやめたほうがよかったかな……。同じ時間に予約投稿してる人がいっぱいいたら、あっという間に流されるよ? 人気連載作品の更新とかあったらみんなそっち読んじゃって、廻谷くんのは見向きもされないかも』
『ええっ!? そうだったんですか!? 今から予約解除して、手動で投稿したほうがいいですか?』
『まぁ、いいんじゃない? どうせ初めて投稿したひとのは読んでもらえないもんだし。私が宣伝して、私の相互お気に入りユーザーさんに読むよう勧めてみるよ』
『ありがとうございます! お願いします!』
そして18時に予定通りに投稿された彼の初めての小説を、俺は読んだ。
俺のユーモア小説に少しは影響を受けてるものと思いきや、それはとても彼らしい作品だった。
俺はコメディーとヒューマンドラマしか書かない。彼のは純文学だった。
純文学ってなんだかやたらと高尚ぶった、真面目でつまらないものだと思っていた。しかし彼のはそんな俺が読んでも面白いというか、感動できるものだった。
遠くに旅行に行けない妻を気遣って、夫がヴァーチャルリアリティーの旅行に連れて行く話だった。最後に妻がじつは宇宙人だという事実が読者に明かされ、地球人の夫が妻の母星の風景を見せるのだが、その山場のシーンで俺は思わず声をあげて泣かされてしまった。
これは凄いぞ……と思った。
初めてでこんな小説を書ける彼は天才なのではないかと思わされた。
しかも文章がカッコよかった。こんなカッコいい文章を書ける彼は間違いなくイケメンだろうと思えた。
正直、嫉妬した。
自分の醜い部分がふつふつと沸き上がってくるほどに嫉妬した。
早速、俺は彼の処女作に感想を書いた。
『初めて書いた小説とは思えない出来にびっくりしました。文章は美しく、オチの意外さもとてもいいです』
──と、【良かった点】について書き、次に【気になる点】を書くのに力をこめた。
『ただ、正直真面目すぎてつまらないですね。カッコつけたイケメンを見てるみたい。私ならもうちょっと笑いの要素を入れます。カッコつけてるだけのイケメンは気に障るものですが、そこにほんの少しだけでも三枚目の顔を見せてやると、見ているほうは親近感を抱くことができます。特に、私のファンだという廻谷くんがこんなユーモアのかけらもないものを書いたということが私には不快です。次はもっと頑張りましょう』
5段階で3の評価をし、感想を送信した。
1分後に恥ずかしくなった。
【気になる点】をすべて消し、【良かった点】のみにして再送信した。評価も素直に5に直した。
み……、見られただろうか……。
少し経って、感想に返信が来た。
おそるおそる、俺はそれを読んだ。
『ご感想ありがとうございます。ご指摘を受けたユーモアの点、次の課題にしてみます』
見られてた〜〜〜!
嫉妬した自分が恥ずかしくなり、お詫びの思いも込めて、約束通り彼の処女作を広く宣伝した。
その効果と作品の素晴らしさが合わさって結果を結び、彼のその小説は初投稿にして純文学ジャンルのランキングで1位に躍り出た。しかもそれからしばらくのあいだ5位以内に残り続け、年間ランキングに載ることも間違いなさそうに思えるほどの大反響だった。
俺は嫉妬しないようにした。
ジャンルが違う。俺は純文学は書かない。
隣の庭の出来事みたいなもんだ。俺には関係ない、うん。
それから一週間後に廻谷くんの新作が投稿された。
コメディージャンルの作品で、俺が【気になる点】に書いていたことを素直に実践した、イケメンが『うんこ、うんこ』と騒ぎまくるような小説だった。
はっきりいって、みっともなかった。似合わないことをやっていた。
これをさせたのは俺なんだよなと思うと、とても申し訳ない気持ちになってしまった。
俺はその作品に感想を書かなかった。書けなかった。
その作品はランキングに載ることはおろかポイント評価もほとんどつかず、処女作で得た彼の作家としての信頼をぶち壊してしまった。
謝りたい、謝ろうと思った。
しかし自分の醜い部分を認めるのが嫌で、謝れずにいた。
すると廻谷くんは勝手に復活した。
次には1作目のクォリティーを引き継いだ真面目なイケメン小説を繰り出してきたのだ。
これまた感動して泣ける素晴らしい小説だった。俺も泣いた。
そしてジャンルは、ヒューマンドラマだった。
コメディーとヒューマンドラマは俺のフィールドだ。
それまで1位に座っていた俺の作品『俺のうんこがこんなにかわいいわけがない』は、あっという間に撃ち落とされた。
後から来たやつに追い越されてしまった。数字においても、作品の質においても。
その後、廻谷くんの快進撃は止まることがなく、逆に俺の執筆ペースはどんどんと落ちていった。
あいつは俺のファンだったはずだ。
いつの間にか俺があいつのファンになっちまった。
彼が俺の作品に感想をつけてくることがなくなった。
彼の作品が投稿されるたびに必ず読んでいながらも、俺も彼の作品に感想をつけなかった。引け目があって、つけられなかった。
へんな感想を送ってしまったこと、へんな作品を書かせてしまったことを謝りたかった。
謝りたい、謝りたいと思いながら、どんどんと月日が流れていった。
『オフ会やろうぜ!』
そう言い出したのは、俺の相互ユーザーで投稿歴の長い『猿山ボスさん』、通称『ボス猿さん』だった。
参加を表明した中に廻谷くんがいた。
さんざん迷った末、俺も勇気を振り絞って、参加することを決めた。
場所はS県の温泉施設だった。ボス猿さんが宴会場を貸し切りで予約し、8人が参加することになった。
ドキドキしながら襖を開けると、もう5人集まっていた。
当然のこと知らない顔ばかりながら、ネットで気心は知れているのですぐに和気あいあいとなった。
俺はキョロキョロと宴会場を見回し、ボス猿さんに聞いた。
「廻谷貴希くん……、来てますかね?」
「えーと……。まだ来てないね。難刑事さんも、廻谷さんのファン?」
元々は彼が俺のファンだったんだが、それは口にせずに、ヘラヘラとうなずいた。
会うのは正直とても怖かったが、それでも会いたかった。
直接会えば、素直にあの時のことを謝れるような気がしていた。
ネットの中ではどうしても彼の怒り顔をイメージしてしまう。彼の笑顔が見られれば、たとえそれが愛想笑いであっても、謝罪のことばを口にできるような気がしていた。そして、伝えたかった。正直に、どれだけ俺が、彼の作品のファンになってしまったかを。
襖が軽やかに開いた。
振り向くと、SFチックな銀色のスーツに身を包み、頭にヘッドフォンを乗せた、黒髪ロングの美女がそこに立っていた。
『誰だろう?』
そう思っていると、ボス猿さんが大きな声で、美女の名前を呼んだ。
「おー、廻谷さん!? 言ってた通りのSFファッションにヘッドフォンだね!」
え……
え……?
えーーーーー!?
廻谷くんて、女性だったのーーー!?
彼女はとても綺麗な笑顔でボス猿さんに挨拶をすると、透き通るような声で言った。
「廻谷貴希です。今日はオフ会に誘っていただき、ありがとうございます」
そして自分の席に腰を下ろすと、みんなを見回した。
しっとりとしたタレ目をキラキラさせて、それぞれの自己紹介を待っている。
男性も女性もみんなが惚れ惚れするような目で廻谷さんを見つめながら、自己紹介をした。
俺の番が回ってきた。彼女がまっすぐ俺を見た。
「な……」
俺はつい、ボケた。
「なんでやねん伊藤です」
「あっ!」
廻谷さんが、なんだか嬉しそうに手を打った。
「なんでやね〜ん! ……難刑事さんでしょ?」
この出会いがきっかけで、俺たちは結婚することになった。
「夏くん、ごめん! 締切間近で手が離せないの! 子供たちのこと、頼める?」
仕事部屋のドアを半分開けて、声に焦燥感を乗せてそうお願いしてきためぐりんに、俺はサムズアップで答えた。
「オーケー、任せろ。おまえは小説に専念してくれ」
俺は妻のことを『廻谷』を崩して『めぐりん』と呼び、彼女は俺のかつてのペンネーム『難刑事夏人』にちなんで俺を『夏くん』と呼んでいる。出会いのきっかけがネットだと、結婚してからも、本名よりもハンドルネームで呼び合ってしまうものだ。
めぐりんは『小説家になりお』からプロデビューし、今では人気の商業作家だ。連載を三本同時に抱えているので大変忙しい。
俺はサラリーマンを続けながら兼業で主夫をしている。双子の息子と娘はかわいい盛りだ。
「ねー、パパ」
朝食のパンを齧りながら、娘が俺に聞いてきた。
「パパとママって、どうやって知り合ったのー?」
「フフフフフ……」
俺は正直に話した。
「あいつはな、俺のファンだったんだよ」
キャハハハハと娘が笑いだした。つられて息子もクスクスと笑いだす。
「ファンがいるのは作家さんのママでしょー? サラリーマンのパパにファンなんておかしいよー!」
フフフ……。
ところが娘よ、本当なのだ。
心の中でそう思いながら、俺は顔を笑わせるだけにとどめた。
今では人気作家だが、あいつは俺のファンだった。
その事実だけで俺は、この先の人生、誇りを胸に生きていける。
廻谷貴希さんのモデルになっている方の許可はいただいております(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾ぺこ