心づかいが呪われて 1
日曜日、俺の朝は服を脱いで鏡を見ることから始まる。
といっても、俺はそこまで自己愛の強い人間ではないし、鏡の前でポージング、キレてるキレてる、ナイスバルクなどと語りかける性癖もない。
これもひとえに呪いのせいだ。
顔のかたち、手足の長さに異常はないか。
乳首はきちんと胸についているか。
首が伸び縮みしたり関節が増えたりしていないか。
最低限、これくらいは確かめておかないと、外に出たとき困ったことになる。
もしそこで何事もなかった場合。
なぁんだ、今週は何もなしか、ラッキーラッキー。
とはならない。
俺が日曜の朝に呪われるのは夏が暑いのと同じくらい確実なこと。
適当にスルーしていると、間違いなくひどい目にあわされる。
以前、トイレで大をしたときに紙がない呪いをかけられたときは悲惨だった。
シズクが呪いの内容を教えてくれることは絶対にないので、知りたければ自分で気がつくしかなかった。
もっとも、いくら入念に調べたところで、わからないまま終わることの方が多いのだが。
その日、クラスメイトの重盛カナコから電話がかかってきたのも、三十分にわたる精密検査が空振りに終わってからだった。
『ねー、コウくん、来週の日曜ってヒマー?』
「あー……場合による」
刺すような高音に顔をしかめながら、俺は答えた。
女性からの電話。
となればテンションのひとつも上がりそうなものだが、俺は生意気というか身のほど知らずというか、極端に相手を選ぶタイプ。
そして俺のスタンダードに照らし合わせた場合、重盛カナコはどちらかといえば距離を置きたいタイプの人間だった。
気を使って表現するなら気さくでにぎやか。
率直に言えば馴れ馴れしくやかましい。
自称ぽっちゃり系だが実際は幕内系。
それなのに自己評価がやたら高く、自分のことをいい女だと勘違いしているところが個人的には見苦しかった。
『クラスの友だちとバーベキュー行きたいねって話になってるんだけどー、男の子もいた方が楽しいじゃん? ハルトくんとかと一緒にどうかなって思ってー』
わざとらしく甘えた声に鳥肌が立つ。
どうしてもっと自然にしゃべれないのか。
その語尾はなんだ。
伸ばさないと死ぬんか?
とは思ったが、提案そのものはなかなか魅力的だったから、俺は前向きに検討することにした。
「場所は?」
不機嫌さが伝わらないよう努めながら、俺は訊ねた。
『まだ決まってないけどー? 行きたい場所とかあるー?』
「そうだなぁ……そろそろ暑くなってきたし、川とかどうだ?」
『えー川ぁ? なんかやらしくなーい? もしかして水着が見たいのー?』
そう言って、カナコはまんざらでもなさそうな調子で笑った。
死のうかな、と俺は思った。
たしかに俺はスケベかもしれない。
いや、スケベそのものかもしれない。
下心もあるというか下心しかないかもしれない。
だが、これだけは言わせてほしい。
貴様は関係ないですよ? と。
からかわれるのはいい。
彼女がいないのは事実だ。
なんならいたこともないし、モテようと必死でもある。
そういう姿がみっともないことだって承知のうえだ。
だが、これだけは言わせてほしい。
貴様もこちら側だろう? と。
ああ、どうして日曜の朝からこんな辱めを受けなければならないのか。
俺が何をしたっていうんだ。
これも神が与えたもうた試練なのか。
だとすれば神よ、わたしは耐えてみせましょう。
このバーベキューをきっかけにしてキュートな彼女を作り、残りの学生生活を存分に謳歌。
卒業後に同棲を開始し、五年間の交際を経て結婚。
三人の子宝にも恵まれて夫婦生活は円満。
大手商社で定年まで働いて老後は軽井沢の別荘暮らし。
そして孫娘の結婚を見届けてから死ぬ。
老衰で死ぬ。
だから神よ、貴様は死後裁く。
おぼえてやがれ。
「何言ってんだよー、もー」
俺は顔をひきつらせつつ、無難な返事をしようとさらに言葉を継いだ。
「お前の水着なんざ見たくもねえに決まってんじゃんかー」
瞬間、時が止まったような気がした。
いやはや、世の中にはおそろしいことを言うヤツがいるものだ。
俺は驚き呆れ、それから愕然とした。
言ったのが俺だったからである。
『……どういうこと?』
嘘のように冷静な声だった。
別人かと思った。
いかん、つい本音が漏れたか。
俺は慌ててフォローのために口を開いた。
「どうもこうもありませんけど?」
え?
「興味がないから興味がないって言っただけなんですが?」
はい?
そこから俺は失言を挽回するべく、いかにカナコが魅力的な女性であるかを力説しようとした。
が、口から出てくるのはなぜか真逆で、丁寧に説明しようとすればするほど、いかに魅力がないかを事実ベースでプレゼンするような感じになってしまうのだった。
「あなたの容姿は俺の好みから逸脱しているので」
ひえ。
「ぶっちゃけ自分で思ってるほど美人じゃないですよ?」
あわ。
「鏡ってご存知?」
あかん。
俺が口にしているのはただの事実だ。
俺が心で思っていること。
それ以上でもそれ以下でもない。
ただ、悲しいかな。
たいていの人間にとって真実とは残酷なもの。
カナコとてそれは同じだった。
俺の本音は実に鋭く、的確に彼女の心をえぐった。
俺だって、なんとか修正しようと試みはした。
しかしどういうからくりか、焦れば焦るほど、言葉はより鋭く、攻撃的になっていくのだった。
最終的には「お前の前足ハモンセラーノ」がトドメの一撃となって通話は切断された。
俺は手元のスマートフォンを見つめながら、ただただ呆然とするしかなかった。
嘘をつけない呪いをかけられたことに気がついたのは、それからしばらくしてからだった。